資料・「沖縄イニシアティブ」(本文) 
   ⇒※新川明・新崎盛暉・仲里効・石原昌家・川満信一・比屋根照夫・目取真俊各氏の批判へ
 
「沖縄イニシアティヴ」のために
 一アジア太平洋地域のなかで沖縄が果たすべき可能性について一


 高良倉吉 (琉球大学・歴史学)
 大城常夫 (琉球大学・経済学)
 真栄城守定 (琉球大学・経済学)

1.提言の趣旨
 近代・現代における日本の国家が東京を唯一の中心とする強力なガバナンスを保持し続けている限り、沖縄は自らの輝きを自由に、しかも主体的に発揮する機会を与えられてこなかった。そうした制約下において、沖縄は、最も近代化が遅れた「辺境」と見倣されるか、日本文化とは一見異なる文化を持つ島々と見られるか、あるいは軍事戦略上の要衝や観光・リゾートに適したトロピ力ル・アイランドなどと評価されてきた。だが、それらの規定は沖縄が内包する諸性格の一部を定義するものではあっても、この島々が発揮すべき根幹的な魅カを引き出すものであったとはいいがたい。
 過去におけるわが国政府の最大の過失は、沖縄の位置づけを国内論理でのみ処理してきたことであり、沖縄が担うべき可能性をアジアを含む視野において検討してこなかった点にある。その結果、沖縄という個性は、自らの役割を自由に展望する機会に恵まれず、目標実現のための方法およびこれに要する人材や組織を鍛える機会も少なかった。このような事態が続くことは、当の沖縄にとってはもとより日本の国家にとっても大きな損失だといえる。
 21世紀において、わが国がアジア太平洋地域に属する責任ある主体としての役割をより発揮し、同時にまた、グローバル・パワーとして独自の貢献を果たす存在となるためには、沖縄の再評価とその活用方法に関する問題を避けて通ることはできない。
 私たち3人は、21世紀において沖縄が新しいソフト・パワーの一つとなることを願っており、そのために必要となる沖縄再評価の視点について提言したい。
 私たちの願いは、沖縄が自らの過去・現在・未来に対して積極的な自己評価を与えることであり、日本社会の一員としての自己の創造的役割を定義することであり、アジア太平洋地域の中でどのような役割を発揮できるか、その際の自己像を明確にすることである。つまり、沖縄そのもの、あるいは沖縄を取り巻く様々な環境や規定に対して自らのイニシアティブを積極的に発揮すべきだと考える。

2.「歴史問題」
 日本の中で沖縄が特に強い独自性を発揮する理由の一つは、いわゆる「歴史問題」である。その要点を以下に整理しておきたい。

(1)「琉球王国」という独自の前近代国家を形成したこと
 1429年、首里城を拠点とする権カが沖縄の島々を統一し、「琉球王国」を樹立した。この王国は中国との深い結びつきを軸にしながら、日本・朝鮮・東南アジア諸国とのあいだに外交・貿易を展開し、東アジア有数の貿易国家として繁栄した。ところが、1609年に日本の軍事的征服を被った後は、中国との関係を保持しつつ、日本に従属する王国としての道を歩んだ。
そして1879年、日本の近代国家は国王を首里城から追放し、「沖縄県」を設置して沖縄を正式に日本の領土として確定し
た。
 この経過は、沖縄の人々に少なくとも二つの歴史認識をもたらした。一つは、我々は日本本土とは異なる独自の前近代国家を形成した経験を持っており、アジア世界の一員として活動した伝統を持っている、という認識である。二つは、我々は古い時代から日本の一員だったのではなく、段階的な編入過程を通じて最も遅れて日本のメンバーになった者だ、との認識である。

(2)独自の文化を形成したこと
 独自の王国を形成し、またアジア諸国と交流した経験を持つために、沖縄は日本本土とは異なる特異な文化を育んだ。これに島々の風土を背景に形成された民俗文化を加えると、沖縄の帯びる伝統文化の状況は日本の他の地域では見られない独自のものとなった。この文化的状況は、少なくとも二つの意識を住民にもたらした。一つは、「自分たち」(沖縄住民)と「彼らたち」(日本本土の住民)を区別し、前者をウチナーンチュ、後者をヤマトゥンチュとして一線を画す意識である。二つは、
自 らの文化伝統に誇りを持ち、その継承について熱心であるべきだという意識である。
 だが、その意識とは別次元の問題として、沖縄文化は日本文化に対して「完全な外国文化」なのではなくル一ツは同しだ、とする意識も存在する。古い日本文化から出発して、沖縄文化、日本本土の文化の二つに変化した、と評価される。ルーツを重視すれば両者は親近性を帯び、歴史的な結果を重視すれば両者は相対的に区別される存在だ、ということになる。

(3)日本本土から「差別」を受けたこと
 沖縄にとって固有な文化は、しかし多数派である日本本土の人々(ヤマトゥンチュ)には正当に評価されず、「遅れたもの」と見なされ、「差別」されることも多かった。近代日本はみずからのアジア性を否定し、欧米先進国をモデルとする国家発展を追求したために、沖縄文化はむしろアジア的なもの、低度のものと見倣された。
 自らの伝統文化に対する誇りと自信を失う危機を体験したこと、独自の文化を保持するがゆえにかえって差別されたこと、そのことは沖縄の人々にとって「負の遺産」として心に刻まれた。

(4)戦争で拭いがたい被害を被ったこと
 太平洋戦争末期の沖縄戦は、沖縄の人々にとって拭いがたい過酷な歴史的体験となった。住民生活の場が戦場となったために、多くの住民が日本軍とアメリ力軍の激しい戦闘に巻き込まれ、人口の約25パーセントが戦死した。さらにまた、独自の歴史・文化を表す文化遺産や景観も戦火の犠牲となった。住民にとって特に悲惨だったのは、当時の日本軍が自国民であるはずの住民に差別的な感情を抱き、強圧的な態度をとったばかりでなく、彼らを死に追いやる野蛮な行動をとることがあったことである。
 こうした地獄のような戦場を体験した結果、住民のあいだで戦争を憎み、平和を求める意識は根強いものとなった。

(5)「異民族統治」を受けたこと
 日本の敗戦の結果、沖縄県のみが日本社会から切り離され、長期にわたるアメリカ統治下に置かれたことも人々の歴史意識の重要な要素となった。軍事戦略上沖縄が重要であるというアメリカ政府の定義は、住民意思を無視した一方的なものであった。
 アメリ力軍の圧倒的な力の下で、住民意思が問われることもなく、結果として沖縄は「基地の島」に大きく変貌した。戦争によって郷土が荒廃したのみならず、さらに軍事戦略上の「太平洋の要石」となった現実に対し、沖縄の人々は深い疑念を抱いた。

(6)日本に復帰することを求めたこと
 だが、自分たちを「アメリカに売り渡した」日本に対し、沖縄の人々はすっかり絶望しきったのではない。アメリカ統治下の諸問題を批判する過程を通して、沖縄がどこに属すべきかを模索した結果、大多数の人々は日本への復帰を希望した。1879年の沖縄県設置以後の近代70年を通じて日本の一員であったという歴史的集積ど、それを支える文化的なアイデンティ
ティの問題が存在したからである。
 琉球王国を形成し、独自の文化を育成した伝統を持つ地域であることを前提としながらも、沖縄の人々にとって日本は文化的に最も身近な存在であった。沖縄が帯びる文化的な独自性は歴史を通じて形成されたものであり、ルーツは日本文化に求めることができる、という精神的な一体感が存在した。したがって、日本は沖縄にとって「祖国」であり、「祖国」に復帰することによって自らの暖昧な地位を解決することができる、と考えた。
 そのような認識を政治的に表現したものが日本復帰運動であり、この運動の結果、1972年5月15日、沖縄は日本に復帰して再び47番目の県となった。つまり、沖縄の住民は自らの所属すべき国家が日本であることを選択したのである。

(7)基地負担の面で不公平であること
 日本社会に復帰した後、アメリ力統治時代に形成された歴史的現実である「基地の島」が解消されたのではない。日本とアメリカのあいだですでに締結されていた安全保障条約によって再定義され、「基地沖縄」はこの同盟関係にとって根幹的な機能を果たす、と評価された。つまり、日米双方の「国益」によって「基地沖縄」はオーソライズされた。
 だが、日米関係の重要性をどう考えるかという以前の問題として、生活者の視点で見た時、沖縄という小さな島に在日アメリカ軍基地の約75パーセントが集中し、その結果として様々な基地被害にさらされている現実を、多くの住民は疑問としている。「我々は相変わらず公平に扱われていない」、との不満が当然のごとく登場する。
 1995年9月に発生したアメリカ海兵隊員による少女暴行事件をきっかけに顕在化した「基地問題」は、「国益」と住民意思の著しいギャップを改めて露呈し、日米同盟の運用に大きな問題を投げかけた。

3.「沖縄イニシアティブ」の発揮
 以上に指摘した7点にわたる「歴史問題」は、それぞれに独立した歴史認識として主張されることもあるが、多くの場合は複数の「問題」がオーバーラップし、カクテルされる形で沖縄の「地域感情」を形成する。沖縄の人々が政治的な主張を行う時、それを支え根拠づけるところの「歴史問題」は容易に手に入るのである。様々な歴史体験を「問題」として抱える人々にとって、それは当然といえば当然の姿勢である。
 だが、私たち3人は、「歴史問題」を基盤とするこの「地域感情」を尊重しつつも、「歴史」に対して過度の説明責任を求めたがる論理とは一線を画している。
 確かに「歴史」は十分に尊重されなければならないが、そのことと現在を生きる者として引き受けるべき責任の問題はひとまず区別しなければならないと思う。大事なことは、「歴史」に支配されたままでいることではなく、現在に生きる者としてその責任と主体に立脚して、「歴史」および未来にどう向かい合うかである。「歴史」を全面的に引き受ける資格を有するのはあくまでも現在の我々であり、「歴史」から未来に向かって提供される「地域の財産」もまた、現在を生きる者を相続人とすることによってのみ現実のものとなる。
 そこで私たち3人は、以下の認識を特に力説しておきたい。

(1)自己評価の普遍化
 「歴史問題」を基盤とする「地域感情」を沖縄だけの問題とするのではなく、それを日本全体のために、ひいてはアジア太平洋地域や世界のためにどう普遍化するか、その努力が我々に求められている、との自覚を強く持つことである。
 例えば、日本国内において我々が公平に扱われていないとの主張を行う時、その問題は日本全体の現実やあり方とどのような関わりを持っているか、地域の視点と同時に総合的な見識から問う必要がある。戦争による被害やそこに起点を置く反戦・平和の思想を主張する時、我々の被害は日本全体やアジア太平洋地域、世界における戦争被害、あるいは反戦・平和論とどのような関わりを持つのか、そのことを「普遍的な言葉」で語る努力を行うべきである。歴史を定義するのは現在の我々であり、それゆえにこそ現在の我々は「普遍的な言葉」を持つ自覚と責任を逆に歴史によって凝視されている、と考える。
 「普遍的な言葉」とは、自らを主張し相手を説得しうるような合理性、論理性を言葉に与えるということであり、その具体的な実践として言葉を武器とする対話・交渉・解決、すなわち「言力」を重視することをいう。
 「普遍的な言葉」「言力」の必要性を、私たちは特に基地問題に関して痛感する。

(2)「基地沖縄」の評価
 日米安全保障条約によって日本政府が提供義務を負うアメリ力軍基地の約75パーセントが沖縄に偏在するという現実は、この島々に住む住民にとって大きな負担となっており、政治的な反基地感情も根強い。
 だが、基地問題を評価する論点は「歴史問題」や基地被害の問題、あるいは戦争を否定し平和を求める理念的な主張によってのみ与えられているのではない。現在を生きる我々に課された以下の重要な論点が存在する。
 第1に、国際社会の一員としての日本の安全保障のあり方をどう考えるか、というテーマである。この問題に対する主張として、わが国には非武装中立論から先進国にふさわしい独自の軍事力を保持すべきだという意見まで様々な議論がなされているが、そうしたなかにあって,大多数の国民は「専守防衛」を基本とする自衛隊の保持と、日米同盟を根幹とするグローバルな安全保障体制を維持すべきだとの政策を支持している。つまり、日米同盟はわが国の対外政策の根幹として多数の国民によって支持されており、その枠組みに基づいて沖縄に存在するアメリカ軍基地が定義されている。
 したがって、現在における沖縄の基地問題は、日米同盟をどう考えるかという態度表明が最初の分岐点とならざるをえない。私たち3人は、アジア太平洋地域において、ひいては国際社会に対して日米同盟が果たす安全保障上の役割を評価する立場に立つものであり、この同盟が必要とするかぎり沖縄のアメリ力軍基地の存在意義を認めている。つまり、安全保障の面で沖縄はわが国のなかで最も貢献度の高い地域として存在する、との認識を共有している。
 第2の論点は、戦争を否定し平和な世界を目指すという目標に対して、では、それをどのように確実に実現できるか、というテーマである。戦争を防止するための国際的な協調体制の確立や相互信頼関係を構築することが基本であることは言うまでもない。軍事力の行使を招かない安全保障体制を様々なレベルで構築することが最も重要であり、そのための努力はあらゆる問題に優先して取り組まれるべきである。
 しかしながら、そうした努カを尽くしたにもかかわらず矛盾が拡大すると判断される時は、一定の範囲において、国際的理解を得ながら軍事力を行使することもまた止むを得ない、との国連憲章の認識を私たち3人も支持する。平和や安定を阻害する要因に対し、国連を介するぎりぎりの選択肢としての軍事力の行使は必要である。この点で、私たち3人は「絶対的平和」論者とは意見を異にする。
 そう考えると、現在におけるアメリカ軍基地の問題は、それが存在することの是非を問う問題としてあるのではなく、その効果的な運用と住民生活の安定をいかに矛盾なく調整できるかという課題としてあることになる。つまり、我々は基地の告発者なのではなく、安全保障に大きく貢献する地域として、その基地の運用のあり方を生活者の目線で厳しく点検する一方の当事者の役割を果たさなければならない。
 我々が当事者能力を持つ存在であること、同時にまた厳しい点検者であること、その自覚を促す「財産」として横たわるものが、戦争体験と敗戦後の基地形成という「歴史問題」なのである。

(3)ソフト・パワーとしての沖縄
 「歴史問題」を「普遍的な言葉」や「言力」に置き換える努力を行った時、その知的営みは沖縄という地域を特徴づける最も良質の知的インフラとなりうる。自らの歴史・文化に誇りを持ち、マイノリティーとして扱われた痛みを具有し、戦争を憎み平和を愛する強い決意を抱き、そしてまた、このような経験を多くの人々にメッセージとして伝えたいとの願望を持つ地域であること、そのことを普遍的に語ることこそが沖縄にとって最大の「財産」でありソフト・パワーなのである。
 だが、私たち3人は沖縄の帯びるソフト・パワーを、日本の国内問題にのみシフトさせたくはない。東京中心の一極的なガバナンスがパワー・ダウンし、多元的なガバナンスの必要性が求められている現在において、沖縄もまた独自のガバナンスを発揮すべきだと考えている。
 その際に重視したいのは、沖縄が「歴史問題」を克服し、21世紀において新たに構築されるべき日本の国家像の共同事業者となることである。自己評価をしっかりふまえ、「新しい日本」に帰属しつつ自己責任を果たす覚悟を持つことである。
 その一つが、日米同盟にとって根幹的な意味を持つ「基地沖縄」の役割を評価しつつも、同時にその運用を厳しく点検するという役割であり、安全保障体制とその運用に関する高レベルの知的インフラを持つことである。
 今一つは、むしろ日本という国家的な枠組みを超えて、アジア太平洋地域を視野に入れた独自の役割を発揮することである。つまり、沖縄というソフト・パワーを「戦略化」することである。

(4)二つの碑文
 私たち3人は21世紀において、沖縄の地に以下の文句を刻む二つの碑文を建立したい。一つは、「ここに日本尽き、アジア始まる」という碑文であり、今一つは、「ここにアジア尽き、日本始まる」という碑文である。
 「歴史問題」を基盤とする沖縄の「地域感情」にとって、それを創造的に発展させる唯一の方策は、この島々が日本であって日本ではない、という多義的な価値づけが必要である。国民国家の土台が動揺し始めた現在において、その動揺に寄り添うのではなく、来るべき国家像構築のためにむしろ沖縄が新たな自己規定を行う必要がある。その模索は、日本のあり方を視野にいれながらも、常にアジア太平洋地域に開かれたものとして追求されるべきものだと思う。
 歴史を通じて、我々はアジアを理解し、日本を理解し、またアメリカをも理解しているという自負がもし沖縄の人々にあるとするならば、その自負を「言力」として抽出し、自己展開の「武器」とすることである。
 その将来課題として掲げたのが、二つの碑文に込めたメッセージである。

(5)知的交流としての沖縄
 そのように考えると、将来の沖縄にとって最も必要な役割は、アジア太平洋地域の将来のあり方を深く検討するための知的インフラの拠点形成だといえる。人種・国家を問わない多くの人々が自由に交流し、責任あるシナリオを作成するための「知の場」として沖縄を活用できる状況をいかに構築できるか、そのことが最も重要だと考える。
 「沖縄イニシアティブ」という概念は、アジア太平洋地域が内包する様々な「歴史問題」を、沖縄というソフト・パワーを足がかりにして、その解決方策を模索する我々の自覚及び責任のことである。そのような覚悟をもったとき、沖縄は日本とアジア太平洋地域を結ぶ「知的な解決装置」としてレベルアップすることができる。
 アジア太平洋地域の知的インフラとしての沖縄という課題は、「知の場」としての役割にのみ止まるものではなく、それを基礎にして文化・経済・安全保障などの各分野において展開可能なものであり、そのピクチャーを描くことが今後の我々の責任として横たわっている。

 
第4回アジア・パシフィック・アジェンダ・プロジェクト(APAP)沖縄フォーラム
 (2000年3月25−26日)
 
 ホームへ