会報2006年 4月号(203号)より
さよならシンシア
~みなさま大変お世話になりました~
兵庫県 シンシアママ

みなさまに大変お世話になりましたシンシアは、3月14日に血管肉腫のため亡くなりました。
12才3ヵ月でした。みなさまからたくさんのメッセージを頂戴し、また、犬ともだちには本当によくしてもらって、シンシアに代わりまして、心より御礼申し上げます。

長くなりますが、病気発覚から亡くなるまでのことを記したいと思います。

シンシアは昨年12月に12才になるのを前に、次のエルモに引継ぐかたちで介助犬を引退しました。元々我が家のペットとして来た犬でしたので、引退後もいっしょに暮らしていました。エルモがやってきた当初は、受け入れることができず、エルモをそばに寄せつけませんでしたが、一ヵ月ほどたつと大分馴れてきて、同じソファで寝そべるようになりました。その頃から、なんとなくシンシアの元気がなくて、私たちは年齢のせいかな?エルモが来たせいかな?と思っていました。年末はエルモの介助犬認定試験やシンシアの引退式があり、忙しくしていたので、年明けに獣医さんでレントゲンを撮る予定をしていました。

 年が明けた1月12日、ちょうどMBS毎日放送のニュース番組で、シンシア引退特集が流れて、それを見ながら夕食をとり、その後犬たちにご飯をあげていると、シンシアの左側のお腹が急にふくれてきました。私は胃捻転かと思い、あわてて獣医さんへ電話をしたところ、箕面市にある夜間動物救急病院へ行くように言われました。夜間病院で症状を告げ、レントゲン撮影と血液検査、エコーをとり、脾臓から出血していることがわかり、緊急手術をすることになりました。検査を終え獣医さんに連れられてシンシアが一旦待合室に出てきました。担当の獣医さんからは、手術中に死亡することもあるので覚悟してくださいと言われ、目の前が真っ暗になりました。「ではこれから手術に入ります」と再び獣医さんにリードを持たれ、シンシアは歩いて手術室へ入りました。ひょっとしたら見納めになるかも知れない、そう思いながら私は後ろ姿を見送りました。

手術は2時間あまりかかり、夜中の1時ごろお風呂マットの上に伏せをした状態のシンシアと対面しました。
麻酔からさめかかり、体温が下がっているせいでふるえており、毛布につつまれ湯たんぽをして、鼻には酸素吸入の管が入り、輸血をしていました。脾臓にできた腫瘍が破裂し、お腹に2
も出血して危険な状態でした。
点滴につながれたシンシアは、時々ふらふらと起き上がり歩こうとするので、私たちは看護師さんと一緒に一晩中そばについて、管が外れないように見守りました。ついてくれた看護師さんは、頻繁に体温を測り、低いときは湯たんぽで暖め、高くなると冷やし、点滴の調節をし、本当に献身的に看護してくださり、頭が下がりました。供血してくれた犬は、もう一人の看護師さんの愛犬だと知り、シンシアの命をつないでくれたことに涙が出ました。夜間病院は入院できない決まりなので、朝方の5時ごろ酸素をはずし、シンシアを外に連れ出すと、歩道の土の上でおしっこをしました。先生がその様子を見て、酸素吸入なしでも大丈夫と判断され、私たちはシンシアを車に乗せて家に帰りました。

 犬の脾臓にできる腫瘍は、悪性の血管肉腫であることが多く、もしそうであった場合余命2ヵ月と言われました。2週間後に出た病理検査の結果は、やはり血管肉腫でした。血管肉腫は進行が早く、脾臓にみつかったときには既に肝臓や心臓に転移が始まっているのだそうです。それでも術後はわりと元気に回復し、お腹もすっきりとひっこみ、食欲もあり散歩も行っていました。毎日歯茎を見て貧血の状態を確認していましたが、術後一ヵ月たち、エコーで転移していないか調べたところ、肝臓に3~4個の転移巣がみつかりました。
主治医から、「悪くするとあと2週間くらいかも、もう食べたいものを食べさせて、したいようにさせてください」と告げられ、主人と泣きながら帰りました。

 亡くなる一月ほど前から、シンシアは目に見えて弱ってきて、食欲のないときもあり、お腹は肝臓の腫瘍からの出血でパンパンにはれていました。貧血で歯茎や耳の裏、お腹の色も白くなりました。それでも庭にトイレへ行きたがり、その都度人間がついて行き見守り、お尻を拭いていました。
子犬の頃は風呂場をトイレにしていて、成犬になってからでも庭に出られないときは風呂場でしていましたので、そうしてくれると犬も人もどんなに楽だろうと、思っていました。でも最後の1週間ほどは、庭に出ることもできなくなり、人工芝を風呂場に敷き、そこでトイレをするようになりました。

また、私は仕事をしているので、週末の休みに犬たちの物を洗濯したり、干したりするのですが、そのたびに、「ああ今週はもちこたえた、よかった」と、一週間ごとに命をかみしめながら掃除をしていました。
インターネットで同じように血管肉腫で逝った子たちの闘病記を読み、いつ、どうなったら、最期なのかと、死ぬときはそばにいたい、見守っていたいと願っていました。

 3月13日(月)は雪の舞う寒い日で、カウチで寝ていたシンシアに毛布を2枚かけていました。ふと見るとふるえているようで、身体を触ると熱く、毛布をとってぬれたタオルで身体を冷やしました。脈拍は130ほどに上がっており、このままの状態が続けば心臓がもたないと心配でしたが、落ち着いてきたので、風呂場でおしっこをさせ、夜中の2時ごろ私の寝ている横のマットで寝させました。長年私の横が寝場所だったのに、この頃には部屋に置いているカウチで寝るようになっていて、シンシアの顔を見ながら布団に入るのも、久しぶりだなあと思いながら床につきました。翌14日の朝5時ごろ、シンシアは自分で起きて風呂場で排便をしました。その後歩いてリビングのクッションの上に行き伏せって、7時過ぎにご飯をあげようとしても、一口二口ほど食べた後は顔をそむけて食べませんでした。飲むヨーグルトを目の前に持っていくと、それはきれいに飲みました。ちょっと様子がおかしいからと主人の母に伝えて、私は出勤しました。

 職場に電話がかかってきたのが11時ごろで、やはりシンシアがおかしいから早く帰ってくるようにとのことでした。午後から休みをもらうよう手続きをし、帰る用意をしていた12時前に「もう亡くなった」と主人が泣きながら電話をしてきました。せっかちな犬でしたので、私が帰るまで待ってくれませんでした。最期は反応が乏しくなっていたようで、酸素を吸わせると少し顔を上げ、しばらくして吐くようなそぶりをみせたようですが、何も出ず、母の膝の上に頭をのせてきて、母と主人が見守る中、いつ息を引きとったのか分からないほど静かに逝ったようです。食いしん坊な犬でしたので、最後まで食べて、一度も粗相もせず、シンシアらしい死に方でした。
 その後私は動物霊園に棺とドライアイスを取りに行き、母と二人で遺体を棺に移しました。次々と弔問に来てくれる人もいて、電報やたくさんのお花も届き、悲しいながらもその応対でバタバタと忙しく、エルモもいるので少し気がまぎれました。私は夜中にシンシアへの手紙を書き、主人は一緒に写った写真に「ありがとう」と添えて、遺体の胸の上へ置きました。余命2ヵ月と言われたときに、せめて桜の花が咲く頃までと神様にお願いしましたが、叶いませんでした。花屋さんで桜をみつけたので、家を出るときに棺の上にのせました。15日(水)午後、家を出て動物霊園へ行く途中に、大好きだった公園へ寄りました。シンシアがまだ若かった頃、お散歩ボランティアの中学生と毎日通った公園です。

霊園での葬儀には、市役所に問い合わせて来たと、面識のない人もいらして、お坊さんがお経をあげる中、焼香をしました。そのあと、夕方になり火葬をし、お骨を三つに分け、一つを霊園に置き、残りを家に持ち帰りました。
 亡くなって改めてシンシアは、私の想像以上に多くの人から愛され、気にかけてもらっていたのだと知りました。私たちの人生を変えた、すごい犬でした。
 1才まではしつけに悩み、いたずらで私たちを振り回しましたが、飼い主としては手ごたえのある、面白い犬でした。喜びを身体いっぱいで表現し、分離不安のあるほど寂しがりやで、なでる手を休めると催促をする愛情要求の強い犬でした。
 今、心の底からシンシアにはありがとうと言いたいです。そして、私たちを支えてくださった多くの方々には、感謝してもしきれないほどお世話になりました。厚く御礼申し上げます。

シンシアへ宛てた手紙の末尾にはこう記しました。

     「あなたに会えてママは幸せでした、必ずまた会おう」


みなさま、ありがとうございました

シンシアInfomation

2003年にMBS毎日放送テレビで放映された
「ドラマ・シンシア~介助犬誕生ものがたり~」
がシンシアちゃんの追悼番組として再放送されます。
再放送予定 2006年5月1日 25:40~27:04
詳しくはこちら

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