茨木のり子(詩人)作品集・1

■茨木のり子作品集・1■

私が特に好きな詩を紹介します。

「落ちこぼれ」
「友人」
「倚りかからず」
「自分の感受性くらい」
「マザー・テレサの瞳」

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「落ちこぼれ」   (詩華集「おんなのことば」より)

落ちこぼれ
  和菓子の名につけたいようなやさしさ
落ちこぼれ
  今は自嘲や出来そこないの謂
落ちこぼれないための
  ばかばかしくも切ない修業
落ちこぼれこそ
  魅力も風合いも薫るのに

落ちこぼれの実
  いっぱい包容できるのが豊かな大地
それならお前が落ちこぼれろ
  はい 女としてとっくに落ちこぼれ
落ちこぼれずに旨げに成って
  むざむざ食われてなるものか
落ちこぼれ
  結果ではなく
落ちこぼれ
  華々しい意思であれ

    


「友人」   (詩集「倚りかからず」より)

友人に
多くを期待しなかったら
裏切られた! と叫ぶこともない
なくて もともと
一人か二人いたらば秀
十人もいたらたっぷり過ぎるくらいである
たまに会って うっふっふと笑いあえたら
それで法外の喜び
遠く住み 会ったこともないのに
ちかちか瞬き会う心の通い路なども在ったりする
ひんぴんと会って
くだらなさを曝け出せるのも悪くない
縛られるのは厭だが
縛るのは尚 厭だ
去らば去れ
ランボウとヴェルレーヌの友情など
忌避すべき悪例だ
ゴッホとゴーギャンのもうとましい
明朝 意あらば 琴を抱いてきたれ
でゆきたいが
老若男女おしなべて女学生なみの友情で
へんな幻影にとりつかれている

昔の友も遠く去れば知らぬ昔と異ならず
四月すかんぽの花 人ちりぢりの眺め
とは
誰のうたであったか

    


「倚りかからず」   (詩集「倚りかからず」より)

もはや
いかなる権威にもよりかかりたくはない
ながく生きて
心底学んだのはそれぐらい
じぶんの耳目
じぶんの二本足のみでたっていて
なに不都合のことやある
よりかかるとすれば
それは
椅子の背もたれだけ
    


「自分の感受性くらい」   (詩華集「おんなのことば」より)

ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて

気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった

駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ
    


「マザー・テレサの瞳」   (詩集「倚りかからず」より)

マザー・テレサの瞳は
時に
猛禽類のように鋭く怖いようだった
マザー・テレサの瞳は
時に
やさしさの極北をしめしてもいた
・・・
マザー・テレサの瞳は
クリスチャンでもない私のどこかに棲みついて
じっとこちらを凝視したり
またたいたりしていて
中途半端なやさしさを襲ってくる!
・・・
たった二枚のサリーを洗いつつ
取っかえ引っかえ着て
顔には深い皺を刻み
背丈は縮んでしまったけれど
八十六歳の老女はまたなく美しかった
二十世紀の逆説を生き抜いた生涯

外科手術の必要な者に
ただ包帯を巻いて歩いただけと批判する人は
知らないのだ
瀕死の病人をひたすら撫でさするだけの
慰藉の意味を
死にゆくひとのかたわらにただ寄り添って
手を握りつづけることの意味を

――言葉が多すぎます
といって一九九七年
その人は去った




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