平成24年3月24日発行   我孫子市史研究センター会報   第121号   通算428
編集:編集委員会121


市史研顧問 芳賀登先生逝去される

我孫子市史研究センター発足の時からずっと会の活動を見守りご指導くださった芳賀登先生が22685歳で亡くなられた。深く哀悼のまことを奉げる。先生は筑波大学教授であった頃から、副学長を経て東京家政学園理事長となられた間、我孫子市史編さん委員を務められ、『我孫子市史・近世篇』の編集を指導された。会発足以来の最後の顧問であり、真に残念でならない。どうか、われわれの会の行く末までも見守っていていただきたい。

次頁に長年にわたり日本風俗史学会で先生と行を共にされた谷田部隆博会員の追悼文を掲げる。


平成24年度定期総会を

下記にて開催しますのでご参集下さい。

我孫子市史研究センター会長 長谷川 一

日時 平成24年4月28日(土) 14301600

場所 我孫子北近隣センター並木本館ホール

議事 
   23
年度事業報告及び決算、運営推進基金への繰入れ、

    24年度事業計画及び予算 
    会則一部変更
    役員改選
    その他        (年会費2,000円ご用意下さい)
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<報告会>
 同日総会前 13301430
 1.相馬霊場の冊子編集について  合同部会 中澤雅夫部会代表
2.我孫子の字誌編集について  歴史部会 関口一郎副会長
 



芳賀登先生を思う

                                                          谷田部 隆博

 226日、芳賀先生が逝かれた。先生は、私には松明を掲げ続けてくださった方であった。

 出会い

 芳賀先生が高校の定時制の教員であった196667年、非常勤講師として埼玉大学教養学部に通われた。先生の大学教員としての出発のころである。私は、先生の授業を残念なことに受けなかったが、今も交流を続けている同期生の何人かは、その時の講義の内容を鮮明に覚えている。講義は赤報隊のことで、風呂敷に資料を入れて教壇に立ち、熱をこめて論じられていた。「時には下駄履きであった」と思い出を語ってくれる友もいる。下駄履きは、当時の学生には1つのファッションであった。70年安保に向かう時代で、学生たちは「全共闘世代」であった。その学生たちにとって、先生の講義が鮮烈なものであったことは疑いない。

 「赤報隊が粛正されなかったなら、明治の政治はかなりちがった面をもったであろう。」というのが、この講義の主題であった。明治維新史に関して、先生は敗者の歴史に強い関心を示されていたが、すでに、この講義に、そのことが明瞭にあらわれていた。

 その時からだいぶ年を経た1989年、日本風俗史学会の三十年史編纂事業のなかで、先生と再び出会った。新宿駅の南口で落ち合い、親しく語り合ったのが、初めての実質的な交流であった。その時には、自らの史学に対する思いを、ほんとうに熱く語られた。就中、先生の師のお一人である和歌森太郎先生について感情をこめて話されたのには、驚きと感動を覚えさせられた。

 日本風俗史学会会長

 1994年に日本風俗史学会会長に就任された。前年までは櫻井徳太郎先生が会長で、芳賀先生は、副会長として、実質上この学会を先導されていた。

会長就任の前年、1993年の秋であった。会長選出の開票があった日か、その直後の日の昼前、先生から電話をいただいた。「会長に選ばれた。いろいろやりたいことがあるし、君の協力も欲しい。昼飯を食おう」ということであった。(当時、私は湯島に事務所を置いていた。)生き生きと会長としての抱負を話してくださった。僭越な言い方になるが、純真なお姿であった。「こんなにも純粋な方なのか」と、感じ入ってしまった。全面的に尽力申し上げよう、こう決意するしかなかった。

学会誌の全面改革にも取り組んだ。誌名『風俗』を『風俗史学』と改め、年四回の定期刊行を実現した。先生は、率先して論文をいくつも書かれ、範を示された。これを実践する人は、ごく少ない。

 先生の史学

 芳賀先生といえば国学の研究が真っ先にあげられる。私は、芳賀先生の国学研究は、国学を受容し、学問との機縁をつくろうとした人びとの存在した近世庶民社会への史的考察が本領であったと考える。

 江戸後期、各地で俳諧熱がたかまり、俳諧の講が広まった。この講の上に国学の講が乗っている例が多いことを、先生は指摘されている。さらに、豪農層の蔵書に、漢訳のマグナ・カルタ、フランス革命での人権宣言、アメリカの独立宣言などの文書が多数あることを指摘されている。

 国学は、このような庶民上層の学習意欲者に迎えられたのであり、必ずしも、国学思想への共感からとはいえないであろう。この、江戸後期にははっきり現れてくる庶民上層部の社会改革の意欲、それにもとづく勉強意欲に着目されたのが、先生の国学研究の精髄であったと考えるのである。

 先生は、江戸期の民衆生活の中にわが国の歩むべき道を探訪し、わが国のあるべき姿を描き出したかったのであろう。もちろん、その探訪は、江戸期の民衆史にのみ限定されるものではないが、力点をそこに置かれた。

 言うは易く、行うはまことに困難である。責任ある史学者の立場で責任ある社会構造論をなすということ、私には、一人の史学者がそこにまでたどり着くことは不可能のように思える。

 愛知県の山奥の地の古橋家の史料調査を50年にわたって続けられ、また、その調査活動を、いかにも先生らしく、どなたにでも開放してこられた。古橋家の経済活動、経済基盤を、地場社会と深く結び合わせて追求することを志向されていた。古橋家以外でも、地方豪商の経理を丹念に調べられている。

 このように、自らの史学には民衆の経済活動の分析が必須であると、強く意識されていた。しかし、ご自身が述懐されているように、この分野では、書物にまとめるまでは行かなかった。やはり、お一人ではきわめて困難であると思わざるを得ない。

 史学者としての原点

 先生は、若いときには民俗学者の道も考えられていたが、民俗学との接点の多い史学分野を研究なされた。その原点として、次のような話をされた。

 「豊橋で過ごした幼い時分、祖母に連れられて、道ばたの祠をはじめとするさまざまな宗教施設を訪ね歩いた。祖母は、その都度、その施設の由来やどこの人がどんなわけで参詣に来るのか、話してくれた。それが自分の学問の原点になっている。」

 私は、上京して鉄工所を経営したお父さんの話は何度も伺っていたので、先生の学問の原点はお父さんの背中にあるのではという感触をもっていたが、この話を伺ったときに、芳賀史学の骨格をくっきり認識できたような思いであった。

 集中力

 ここで、先生の「集中力」にも触れておきたい。

先生の大著に『批判近代日本史学思想史』(1974年・柏書房)がある。先生の47歳の時の著作である。

 この書物の編集を担当した方が、数年前に、この書物の編集当時の話として「新幹線の車中で、何も参照することなく、引用する文章を書いてしまう。天才とはこういう人のことかと思った。」と話してくれた。すごい暗記力ということになろうが、むしろ、驚嘆すべきは、その集中力であろう。

 47歳にして、江戸中期の新井白石に始まって、戦後の色川大吉氏あたりまで及ぶわが国の史学史をまとめあげられた。きわめて集中した勉強の成果で、それ故、読み込んだ書物の重要な箇所を、しっかり脳裏に刻みこまれたのであろう。

 人柄

 どんな人に対しても、かまえるということとは無縁であった。「人間は互いの善意を信じ合うもの」そのもので、人と応対された。それゆえ、正面からのやり合いには強さを発揮されたが、側面・背面からの不意を突く攻撃には弱く、たやすく傷を受けてしまう。しかし、何度傷を受けても、「まず人の善意を信じる」という姿勢は変わらなかった。

 研究者の卵たちの就職にも心を砕かれていた。そのおかげで職を得た人が何人もいたが、なかには、就職後に先生に感心できない対応をとる人もあった。それには黙って耐える方であった。そして、また、卵たちへの就職援助活動をなされるのであった。

 よく怒る人でもあった。その怒りは、私憤もあったが、公憤が多かった。私も何度か先生とやりあったが、必ずといってよいほど、やり合ったこととは関係のないことで電話をよこされ、関係の修復をはかられた。私にはとてもできないことであった。

 このような先生との交流のなかで、私は、「人間の大きさ」ということを考えさせられた。それは、気が短い・長いに関係なく、気が強い・弱いにも関係ない。結局は、他人を思いやれる心の広さ如何である。先生は大きい人であった。

  芳賀先生の苦闘された65年の足跡は大きい。後生に、研究の方向をしっかりと示されたのである。

座談会の芳賀登 パリ大学での芳賀登
1997322日 座談会席上 1997年11月 パリ大学での研究交流


 「歴史探訪グループ」がスタート

2月の会報で新しい歴史探訪の会の立ち上げを呼びかけましたが、316日(金)21名が参加して初めての会合が開かれました。話し合いの結果、以下の骨子で、この5月から活動を開始することになりました。

1)名称        歴史探訪グループ

2)活動内容
   
探訪地域は、我孫子及び周辺の範囲に拘らず、日帰り可能な範囲で広く対象とする。
  歴史探訪に役立てるための座学(室内学習)も随時実施する。

   9月以降の会員研修の企画運営を受け持つ。

324年度の計画・・・活動日 原則 月の第2水曜日

 59日(水)    将門の地・岩井?バス探訪 担当 山崎・金成

 711日(水)午前中       座学「将門伝承をたどる」 講師 三谷会員

 9月 会員研修(布川)                            担当 荒木・田中

 10月   房総風土記の丘・房総の村     担当 原田・岡田

 11月 会員研修(笠間)                           担当 長谷川・土井

 12月     座学「寺社建築の見方」       講師 藤井会員

 1月     座学(テーマ未定)             講師 飯白会員

 3月 会員研修(古河)                              担当 未定

 注1.        6月の会員研修は運営委員会が担当(場所未定)。9月以降の会員研修は当グループが担当します。
 注2.        8月、2月は休み。
 注3.        変更の可能性があります。

4)年会費

グループメンバーへの登録を募りますが、その際、グループの行事に係る諸費用に充当するため、年会費として24年度1,000円をいただきます(会員研修はこれまで同様参加費要)。

5)一般の会員の参加について

グループの行事への一般の市史研会員の参加は、定員に余裕がある限り、歓迎します。但し、都度、参加費300円をいただきます。

6)初年度 幹事 金成、事務局 田中、会計 飯白

会員皆さんのグループへの参加を募集します。

ご希望の方は早めに幹事の金成まで、Fax 04-7184-9434、またはkanarix@sirius.ocn.ne.jp宛メールで、@お名前、A郵便番号、Bご住所、C電話番号、DFax番号、E携帯番号、Fメールアドレスをお知らせください。

その際、5月岩井探訪を希望するか否かもお書きください(マイクロバスのため定員に限りがあり、ご希望に添えない場合もあります)。

年会費はグループ行事に最初に参加されたときにいただきます。

(金成 典知)


沖縄の『字誌』づくりに関連して

関口 一郎

2000(平成12)1125日に市史研究センター主催のシンポジウムが柏市で催された。「ミレニアム地域フォーラム<市民の歴史づくりと21世紀の地域>」の標題を掲げ、パネリストは、新井勝紘氏(国立歴史民族博物館助教授)・中村誠司氏(名桜大学・沖縄地域史協議会)・木繁吉氏(我孫子市史研究センター・司会)の3氏であった。ここで、中村氏は「沖縄の『字誌』づくり」について語っている。

・・・庶民がその地に生まれ、あるいは移り住んで、自らと後輩たちのために地域の風土と歴史・文化を調査・研究し、記録する「地域史づくり」が沖縄では盛んです。自治体史の最も小さな地域史、シマ社会の歴史と実態を住民の手で再発見し評価する活動がこれからとても必要になってきます。

『字誌』という言葉は1980年前後に設定された造語・通称であり、現在全国的にも沖縄の『字誌』として評価されつつあります。「字」(あざ)とは、沖縄の生活言葉では「シマ」「部落」であり、「ムラ」「行政区」「自治会」にも通じます。沖縄の農村では景観的にも歴史的、社会的にも具体的にとらえることができる地域単位です。誇張していえば、隣のシマ、1本の小さな道で言葉(方言)が異なります。沖縄ではこのようなシマが600余り存在し、その伝統は今日も受け継がれています。つくられた『字誌』は字名を入れて『○○誌』と書名が付けられます。奄美では『集落誌』といっています。

もう少し具体的に言うと、1地域100世帯程度、人口300500人規模の字(行政区)の住民が自分達の風土と歴史・生活・文化などを記録し、1冊の本として成果をまとめます。また地元が生んだ人物像、民話やわらべ唄、言い伝えなどもみんなで議論を重ねて、みんなで理解できる本の形にまとめます。これが『字誌』で、100頁くらいから1000頁を越えるものもあります・・・。以下さらにまとめると、

このような活動は、1999(平成11)時点で、沖縄では400点余りの『字誌』がつくられている。戦争による大きな被害、さらに基地化による地域の変貌など、幾つもの要因があるようだが、1972年(昭和47)の本土復帰が大きなきっかけになっていることは間違いない。1970年代後半から1990年代後半に『字誌』は集中している。

もう少し具体的に調べると、我孫子市の半分ほどの人口、約6万人の名護市では5地区で18点の『字誌』がつくられ、50頁前後から700頁を超えるものまで多様である。さらにこれらは公民館活動を中心とした調査研究の成果が『字誌』づくりに連動しており、行政機関からの補助事業としての位置づけの成果物も多い。子どもたちから高齢者まで参加しているプロジェクトも少なくない。方法は多様であれ、地域住民が自分たちの歴史・文化・生活を自ら調べ、記録としてまとめていく作業は望ましい活動方式である。年齢も40歳代から50歳代が中心であるという。

岩波講座『日本通史 別巻2』(1994年刊)には「戦災実態調査と字誌」と題した沖縄の田里修 氏の論文も、「市民参加の自治体史−我孫子市史の編纂−」(木繁吉氏)とともに掲載されている。中村氏、田里氏、木氏ともに当時40歳代であった。

もう一つ滋賀県の『愛知川(えちがわ)町史研究』(2005年)に「自治体史編さん事業と字誌編さん」という渡部幹雄氏の論文が手元にある。ここに、「字誌づくりは自治体史に比して対象エリアが集落単位であり、住民の生活とより密接な関係にある。個人のレベルでの関わりが深いことに加え、字が所属する自治体史との隙間を埋める役割も担っている。」とある。

ひるがえって、われわれの苦戦している我孫子市の『字誌』はどうあるべきか。本来的には我孫子市内各地区の『字誌』を検討してから自治体史としての『通史』に関連(収斂)させて行くのがよかったのではと考えられるが、すでに詮方ないことである。しかし通史と地域(字)の間隙を埋める調査・検討はやるほどに容易でない。そのほかの条件や状況も厳しい。しかし目的は、当該の「字」地域を可能な限り掘り下げて調査・検討していくことの必要性はいうまでもないことである。


各部会の活動と予定

部会 担当者
@古文書解読日曜部会 48(日) 1300

アビスタ
4学習室

佐々木
テキスト 「和歌思婆不流太仁誌」
A古文書解読火曜部会 417(火) 1300 アビスタ
工作室
金井
テキスト 小笠原文書「万躾方次第」
B歴史部会 422(日) 1330

我孫子北近隣センター
並木本館会議室
3

関口 一郎
 37回字誌検討会 
C合同部会 「相馬霊場」編集13 421(土) 1330
我孫子北近隣センターつくし野館
中澤 雅夫
4月度運営委(総会終了後直ちに) 428(土) 940 市民活動ステーション 岡本 和男
4月度井上基家文書U整理作業 42,16() 10時〜 相嶋文化村母屋
「「絵図が語る手賀沼」展見学 45(木) 1030 柏市郷土資料展示室
7回会員研修市川探訪(申込者ノミ)* 413(金) 940 JR市川駅改札出口
*弁当・飲み物・敷物各自持参(弁当は市川駅前で購入可)

合同部会3月の活動(3/17)相馬霊場冊子編集(12  出席者13                                               (中澤雅夫)

1.配付資料 相馬霊場冊子関係:参詣順路地図(T取手・吉田地区、U小文間地区、V布佐、W布佐・新木)3428番宝照院修正版(掛所・長光院を付記)、相馬八十八ヶ所一首修正版(一部修正) 部会関係:23年度合同部会収支表。

2.報告事項 @第7回会員研修(4/13、市川)参加者募集、A相嶋新田井上家文書解読、今後の方針(3/27検討予定)、歴史探訪グループ(G)の発足(G金成幹事役)

3.相馬霊場冊子編集:冊子の各原案に寄せられていたコメントを基に、入力ミス及び表現問題の他、概要以下の検討を行った。◆3260番不動尊堂(元瀧前山照明院管理)は我孫子市『あびこガイドまっぷ』に記載の「照明院不動尊」を使う(既刊『大師道』は「不動堂」)。他にも同様ケースがあったら同じように扱う。◆4859番興陽寺の開創に関する「約750年前」は使わない、開基の直参旗本山高氏が旧我孫子村三給の領主の1人であることを付記する。◆78光音堂(琴平神社)の「琴平」は「金刀比羅」とする。取手市史などでは「琴平」としているが、同神社は「金刀比羅」と表し、「琴平」の文字は使っていない。◆8561番大日堂への道順は83番昌松寺からのみ記載しているが、8432番観音堂からの道順を追加する。また9006番薬師堂への道順は0503番八坂神社からになっているが、他の札所同様、直前の8910番観音堂からとする。◆8631番天神宮から8720番地蔵堂への途次、曲り角にある「堂」(2月会合で配布した8561986319の間違い)を掛所にするのは問題、との指摘に関して意見交換した。上記「堂」の記事記載をどうするかは後刻決めることとして、「掛所とは何か?」をさらに勉強して来ることとなった。

歴史部会2月の活動2/26)第35回「字誌」検討会 出席者13                                   (関口一郎)

今回の発表は、中間まとめということで関口が担当した。

1)「『字誌』の編集方針B」として、あらためてコンセプト3点を掲げ、確認した。

2)「字誌編」の進捗状況について、対象個所40か所のうち、担当者が確定できていなかった2地区の選定(千葉、荒井会員)、その他木会員の後任担当の件(岡本会員)、布佐地区(7か所)の担当強化策(現担当者で策定)等が検討された。

3)字誌作成の基礎資料として初期の長谷川会員、岡本会員の提起資料を確認、そのほか自治体の沿革と町・村・字の変遷、「字」の立地状況等の分類を確認した。

4)成果物体裁見本一例として金井会員作成の「白山地区」(A5版)を回覧。内容構成については、もっと「字誌」らしい特徴ある構成・展開にすべきではないかとの意見があり、さらに検討を加えることになった。

5) 判型については地図、写真、図版等を考慮し、「B5判・主体活字9.5ポイント」(2段組みか1段組みかは検討)の意見が多かった。

事務局便り

会費納入のお願い

4月から新年度です。

会費(年2,000円)の納入をお願いいたします。

総会の時や部会などで運営委員にお渡し下さるか、同封の郵便振替用紙でお振込下さい。

6月末までの納入をお願いいたします。


事務局 〒270−1132     編集・発行  編集委員会
我孫子市湖北台5-15-17 岡本方   TEL. 04-7149-6404