平成16年11月21日発行   我孫子市史研究センター会報   第33号 
編集:編集委員会 第33号

不思議な一茶句碑

金井 準

我孫子市庁舎前庭の右て、低い築山に綺麗に剪定されたツゲの木を脇に控え、自然石の句碑がある。高さ120、最大幅80、厚さ20pの碑面には「名月や江戸のやつらが何知って 一茶」と刻されており、碑陰の記録や説明板はない。この碑は大変不思議な句碑である。と言うのは、一茶諸資料の中には、この「名月や江戸のやつらが何知って」の句が見あたらないのである。この句碑については、『下総と一茶』佐藤仙人(じゃくせんじん)(崙書房出版兜ス成8312日発行)の中の昭和18711日稿「我孫子」の項で紹介文が載っているので、一部を次に引用する。

「郷士の画人池田勝之助氏の令妹、一草女君が我孫子に一茶の句碑が建っているから出掛けて見ませんかと言う。中略。七月に入って、かねての宿望を果たすため、一草女君の東道をねがい、北総から利尚先生と亀有支社から若干名の参加を得て我孫子に発った。中略。興陽寺という禅寺の前を横切る。中略。私たちは蔬菜園の間や赤松林の中に建ちそめた文化住宅の間を縫うようにして、湖畔にのぞむ岡のうえに出た。その左手の樹込の中に、こじんまりした別荘がある。湖雁荘と言う。私達は数寄屋づくりの門前に建つ一茶の句碑に、吸いつけられるように集まった。恐らく、この別荘が建てられると同時に開碑したものであろう。文字は一茶の筆とは似ても似つかぬもので、書家が書いたもののようであった。別荘の主が俳句のたしなみがあってしたものか、或いは江戸を遠く離れた手賀沼畔の名月を賞する主の心意気が、そのまま一茶の句碑にしたものであろう。碑の背面を覗いても、建立の趣旨も氏名も年月日も入れていない。この句碑が湖畔の名物たることは疑いなかろうけれど、史的には何の価値もないものである。後略。」

この場所が白山1丁目27番地で、東京の叶口技研・川口氏の別荘であったらしく、戦後、別荘が引き払われ、昭和40年頃まで句碑が此処にあり、その後、経緯・時期は不明だが市に寄贈され、今の市庁舎の完成の後に、現在地に移されたとのことが判った。

一茶は二十九歳の寛政三年から五十五歳の文化十四年まで、利根川添えに馬橋の大川斗囿(とゆう)、流山の秋元双樹(そうじゅ)、布川の古田月船(げっせん)まで頻繁に訪ねている。その途次、我孫子にも立ち寄り、享和三年四月十六日、同年十月一日(享和句帖)、文化三年二月五日(文化句帖)、文化七年三月廿九日(七番日記)が記録されている。しかし我孫子には著名な遊俳も居なかったせいか逗留の形跡がなく、単なる通過点であったようである。ただ、我孫子や手賀沼を直接読み込んだ句がないのが誠に残念ではある。

さて、句碑の「名月や江戸のやつらが何知って」が誰が詠んだものか、いまもって分からない。最近地方で発見された朶雲帖の中にある、一茶参加七吟半歌仙や発句の中に未見の新出作品があることを、二松学舎大学教授矢羽勝幸氏が『二松俳句』第18(平成1571日発)に発表されているように、まだ未見の句もあり得るので、句碑を建てた主に句の出所を尋ねるほかないが、今となってはそれも詮無いことではある。

文政二年三月十四日に、下総小南の俳友青野太?宛に江戸俳壇の腐敗をののしる手紙を送っていることが年表に載っている。そうすると、句碑の句は如何にも一茶くさい句ではある。それにしても、一茶の句とも分からない句碑を堂々と市庁舎の表玄関の脇に置いているのは、我孫子らしいおおらかさで愉快である。更に佐藤雀仙人氏が述べていた「・・この句碑が湖畔の名物たることは疑いなかろうけれど、・・」の言葉が生きているのも嬉しい。一茶も苦笑しているやも知れない。

[]佐藤雀仙人;明治42年生まれ。本名、二郎。野田市住。「雑草」主宰。現代俳句協会会員。著書発行時


<去る1016日他界されました故松岡会員が湖北座会会報に寄稿の予定だった遺稿が見付かりました。湖北座会のご好意により、ここに掲載させて戴きます。亡き会員のお元気だった、つい先だってのお姿をしのぶとともに、ご冥福をお祈りいたします。>

少女比丘尼受難記

松岡 祥子

 大井家文書の中にはいろいろな出来事が多種多様にあり、事件がらみと思われるものが数点あった。野次馬根性の強い私にとって中でも興味そそられたのは少女比丘尼の事件でした。

松林の中で123歳の比丘尼、首を締められた状態で発見された。名主、村役人から知行所への書付等数点。比丘尼について記録のなかでわかるのは持ち物の書付のみ。上着は皮色綿入れ、下着は茶縞の綿入れ、鼠色の頭巾、手拭二本、脚半、足袋、唯一少女を感じるのは紅絹の割り帯。巾着には少しの所持金。廻りに取り散らかされた銭少々。そして木綿小倉の男帯(この帯にて首を締められたと思われる)所持金が狙われたのだろうか?持ち物があまり多くない。勿論身元のわかるものはない。遠いところからの旅人かな?近場からかな?小説の中とはいえ、弥次さん喜多さんも余り荷物は持ってないが。当時旅人の持ち物はどの程度だったのだろうか? 不勉強で疑問だらけになってしまう。

そして近辺捜索の結果では身元はわからず、仮埋葬ということに。そして村外れの往還端に建札を6ヶ月かかげて、縁故者からの申し出で者がなければそのまま一件落着。辻辻に建札をしても江戸八百八丁内でも困難と思われるが、この時代年間何人位の行方不明者がいたのだろうか?神隠しとかであきらめるしがなかったのか。この少女比丘尼、若いみそらで無縁仏として処理されてしまったのだろう。

それにしても少女の比丘尼は気の毒な生涯だった。せめて身元が判明して親元に帰る事が出来たならと思った次第である。

このような出来事は、中峠村内では驚きの事件だったのだろうか?名主及ぴ村役人は何度も知行所へ書類を出し、知行所はその都度上にお伺いを立て結局は土地の者に始末をさせ事済みに。当時の名主はいろいろ忙しい。このいきさつはこの度発行される「大井家文書」を御覧ください。

(編集者注:「大井實家文書」は本年8月湖北座会より発行されました。残冊はありませんが、東葛地区の各図書館で閲覧できます。)


各部会の活動と予定

部会

講座名

担当者

歴史      

@古文書解読(日曜コース)

1212

PM 1:00

アビスタ第5学習室

高田 明英 

テキスト 写本『落穂集』

A古文書解読(火曜コース)

1221

PM 1:00

アビスタ第2会議室

今村 昌人

テキスト 広島藩勘定記録

B研究講座

1218

PM 2:00

新木青年館

高木 繁吉

―幻の昭和放水路計画の痕跡を湖北にみる―   岡本 和男 
終了後湖北座会と合同忘年会を行います

合同 C手賀沼べりの道今昔 歩く・見る・聞く
学習会(所在地別石造物リスト)
1218 PM 1:30 サポートセンター 松本 庸夫

合同部会11月の活動(11/20)

 我孫子の石造物所在地別リスト調製にあたり、分担した地区の調査状況を報告し合い、記載内容統一のための意見交換を行った。個人墓地内の比較的新しい五輪塔などの扱いについては次回に検討することとした。各地区とも新たに記載すべき物が多数あることが分かった。碑文や形状を詳しく記録した調査票もあり、個別に会報に紹介するとよい等の意見もあった。


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