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御聖体は売れるお菓子ではありません

人に人を裁き、殺す権利があるのか?:人間は神様の替わりになる時

あるパリ宣教会の司祭の発言(リンク)

 

無視され馬鹿にされる典礼法規・教会法
ミサは信仰生活の中心ですから...人は人の神様では無いですから...

和解はカテドラル(東京)から  示そう一致と平和

典礼法規・教会法メモ 2

 それぞれの司教は自らの判断と責任において管轄司教区内で、手に受ける聖体拝領の仕方の導入を許可することができる。但し、信徒を驚かせるようなこと、聖体の尊崇の念を失わせるおそれのあることは避けねばならない。

(1)手で受ける仕方が強制されてはならない。この仕方が適法とされる所でも、口で受ける仕方ができるよう配慮する必要がある。これは個人の信仰心を乱さないため、また信徒間に対立をおこさせないためである。

(2)手で受ける仕方の導入のため、信徒がその意味をよく理解し、秘跡に対するふさわしい尊敬を保つよう、十分な教育を必要とする。

(3)聖体をふつうのパンや、単に祝別されたものと同一視しないようにしなければならない。かえってキリストの神秘体の一員となった信者の尊厳を感じ、聖体の偉大な現実への信仰を深めねばならない。

(4)自席にもどる前に拝領しおわらねばならない。具体的方法については、古代教会の伝統が伝えている方針に従うのがよかろう。

(5)小片が落ちたり、とび散ったりしないように。手は清潔にするように。
 ホスチアを御血にひたす両形色の聖体拝領の場合は、必ず口で受けること。

注意!! 誤解しないで下さい!!

あくまでも従来の口での聖体拝領は正当な聖体拝領の仕方です。
例外として手での聖体拝領は信者に二次的なやり方で、その希望があれば、御聖体への信仰に支障が無いことを必須条件が満たされる場合のみに許されています

ちなみにラテン典礼の原文は

Accipite, et  manducate
受け   そして 食べよ

と書いてあります。
 

    個人的な信仰の考え方ですがミサは茶道でもありません、三位一体(父と子と聖霊)である全ての創造主である御父の神の子主イエスキリスト自身は(ルカ22.19-20)”これは、...私の体..。この杯は...私の血...”、聖書に手による聖体拝領を正当化する証拠が何一つ無く(最後の晩餐での聖体拝領も舌に受けられていたと思うことも出来ます)逆に聖書に口による聖体拝領を正当化する箇所は殆どです:手による聖体拝領を正当化する箇所は聖書に誰かが見つけた人がいるでしょうか?歴史を証拠に取っても教皇様(ペドロは誘惑に打ち勝つ為の恵みである聖体拝領とイエス様の予言を受けて間も無く三回裏切った)を含めてイエス様を裏切った人がたくさんいます!

  古代の、あるいは、更に近世の美術作品や絵画は、イエズスが使徒たちの「口」に御聖体を授けているところや、マリアが聖ヨハネの前に跪いて、やはり、「口」に御聖体を受けているところを表していますが、これらは、この最初の使徒的伝統に発想と影響を受けているものです。

  カトリック教会の信仰の教義によると、この時にキリストは(十字架のような)象徴的な言葉ではなくて本当にホスティアとワインはミサによる”奇跡的な変換”によってこれらはもうはやホスティアとワインではなく、復活なっさった創造主である三位一体、神の子キリスト自身です、ですからそれなりの覚悟(気持ちの問題でもない)と条件(大罪の状態ではなく、初聖体を受けたこと)で聖体拝領をしなければなりません。そうでなければ大罪になります。教皇ヨハネパウロ二世の言うことを読めばわかる事ですー>ECCLESIA DE EUCHARISTIA 、そうして教皇庁秘蹟聖省がその具体的な実践とした出された指針”Redemptionis Sacramentum”を読めば、どれ程現在の日本カトリック教会の進歩的な司祭達は勝手にミサを濫用しているかがわかります。

   私は教会のミサを見ると、ほとんどの信者さんは聖座のこの言葉「教会の望みは手ではなく、口で受けることである」を気にしないで手で聖体を受けていまして、殆どの場合聖体の粒子が手に付着してから捨てられるか、舐められるかのどちらかになります、煩わしいです、神父の負担を軽くするだけです!。これはファチマの第三の秘密の未公開部分に書いてあることです:”ポルトガルに何時も信仰の教義は保たれるでしょうなどなど...”。最近聖人に列聖されたピオ神父さえも口で聖体拝領を受けていました。御聖体に対して、命に対しての冒涜は増えてきているとしか私には思えません。もちろんそれなりの十分な教育と準備があれば聖体配慮は手でも出来ますが、謙虚な気持ちを持って成るべく口で、大罪があれば告解の秘蹟で罪を悔い改めて許しの恵みを受けてから出なければなりません:御聖体は勝手に受けられるお菓子ではないのです。
  

 

    



ピオ神父(1887−1968)(イタリア南部プーリア州の小さい町、ピエトレルチーナ出身の)神父が、 2000年5月2日、列福されました。亡くなってから32年前のことです。教皇は列福式で神父のことをキリストの生き写しと言われました。ロザリオの祈りも祈っていました。
Madre Teresa de Calcuta
 

マザー・テレサ(1910-1997)ノーベル平和賞受賞者、2003年10月19日にローマにて列福される予定です、ロザリオを祈っていました!!