「おっさん論」

  一体オトコはいつ「おっさん」へと華麗な変身を遂げるのであろうか。



年齢説「〜歳の誕生日からおっさん」

   しかし、人間の成長速度には個人差があり、年齢に基づきボーダーライ
    ンを引くのはかなり危険であるといえる。
  
    例)少年隊の東山をおっさんと言う人はいない。同年代の錦織をおっさん
      とする人がいてもである。


比較説「〜と比べておっさん」

    例)他のメンバーに比べてTOKIOにおけるリーダーはおっさんである。
  
   たしかに、それは言えるかもしれない。
   さらにカミセンに比べてトニセンはおっさん寄りである。
   
     しかし、単体で見ると、城島はまあ置いておくとして、サイコメトラー
    EIJI2のいのっちは若々しいし、フジのバレー中継で「われらがチームジャ
    パァン!」と会場をせっせと盛り上げている人(忘れた。坂本だっけ)を
    おっさん呼ばわりするのはあまりにも酷というものだ。城島はともかく。


言動説「〜をしたら(言ったら)おっさん」
   
   おっさん特有の言語やギャグ、しぐさ、ニオイなどは確かにある。
   とくにギャグは「おやじギャグ」と個別名称がつき、しばしば場を一瞬
    凍りつかせる恐ろしい技である。
  例)「当たり前田のクラッカー」
     「えーこらせ」「よっこいしょ」などのかけ声も充分おっさん的であ
       るといえる。
     ニオイやてかてかのおでこ等もおっさんのアイデンティティとなりうる。
  

      しかし、困ったことが起こりうる。
   どう見ても十代だがニオイがおっさん、逆に見た目おっさんだが言動に
    その影が見られない、などといったおっさん要素が重複しない人がいると
    どうだろう。
   そのシチュエーションごとのライン引きは困難を極める。


細分化説「〜的おっさん」

   ひとえにおっさんと言えども、その形態はひとつではなく、さまざまな
    タイプへ枝分かれするはずである。
  例)「真性おっさん」「部分的おっさん」「視覚的おっさん」
       「体力面おっさん」「攻撃的おっさん」「カラオケでうたう歌がおっさん」
    重複することも充分考えられる。
    「攻撃的」で「革新的」や、「視覚的」でさらに「嗅覚的」などである。


総合ポイント説「〜ポイント以上でおっさん」

   あらゆるおっさん的要素にその程度(おっさん具合)に応じてポイント
    (得点)を設け、そのスコアが一定数を満たすと晴れておっさんと呼ばれる
    自動車免許の減点システムにも似た説。
  例)やたら座りたがる(1ポイント)
    風呂上りのビールが唯一のたのしみ(1ポイント)
    おやじギャグ(1〜5ポイント)
    湯船で「お お お お」と声が出てしまう(3ポイント)
    小宮悦子ファン(3ポイント)
    パソコンを「マイコン」と呼ぶ(3ポイント)
    お手ふきで顔を拭く(5ポイント)
    SPEED全員言えない(5ポイント)
    頭髪の薄さ具合
        (1〜10ポイント:波平・バーコード・あきらかにヅラなどは高得点)
       ・・・・・・
       ・・・・・・
       ・・・・・・(まだたくさん項目がある)

       ○○○ポイント以上でおっさん。
       あまりに惜しい人は準おっさんもアリ。


総評

   これまでいろいろな観点からおっさん判定の方法を追ってきたが、総じ
    て非常にアバウトであることがうかがえる。
   おっさんとは、その前の段階(青年?)との境が限りなく曖昧で、なって
    しまってから気づくものであるといえよう。
   「青春は終わってから気づく」に似ているかも知れない。
     しかし、これだけははっきり言えるのは、かなりの確率で「他人に言わ
    れて気づく」ということである。
      「信じたくない」「自分はまだまだ」という気持ちも潜在的に作用して、
     自分からはっきり悟ることはまれであるといえる。
     さらに客観的な目のほうが、かなり正確であることの方が圧倒的である。
     なぜならば一つや二つの要素で簡単に人をおっさん呼ばわりすることは
    まれで、総合的に見ておっさんとみなしてはじめて本人に教えてやりたい
    という欲求が生まれるだろうからである。
     「おまえおっさんだなもう」と。

   ということで単純に、オトコとは初めて他人に「おっさんくさい」とい
    われた瞬間からおっさんであるとする、と定義してしまってよいのかも知
    れない。
    こういう論理の真実がいつも複雑である必要はないのだ。


結論

「青年は他人に初めておっさん呼ばわりされた時からおっさんである。」





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