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仁藤の大獅子



仁藤の大獅子の故事、来歴

三百年程前(1700年頃?)、仁藤町の天然寺の住職が、伊勢の白子町に御順錫中に、偶然大きな獅子頭を車に乗せ、短い母衣をつけて曳き廻ししているのを見た折、「この動かざる大獅子を動かしたならば、さぞ興深きものならん。」と語られ、試行を重ね、工夫を凝らした結果、現在の大獅子が完成したという。

仁藤の大獅子の出自の通説

三百年前という由来はあくまでも由来として、通説では、幕末の頃の天然寺中興の祖と言われる『帆誉覚在上人(安政五年(1858年)〜明治五年(1873年)在住)』が御伊勢参りの時に見たものだという説が一般的です。

それにしても、約140年ほどの歴史があり、幕末の騒乱期「えぇじゃないか」の大乱舞の中、このような大獅子が掛川に舞ったと考えるのは、大変興味深いものがあります。

掛川祭りの出し物が、より古さを競う傾向にあるのは否めませんが、出自がわりとはっきりしていると言う点では、「仁藤の大獅子」は、掛川祭りの中では珍しい部類になります。

その他の町の出し物など、いつごろ始まったと確実にいえる出し物は、あまり多くありません。
古さを競うことにこだわらず、正確な歴史を記録として残した方が、より立派な大獅子となるのでは?と感じます。

千秋楽

仁藤の大獅子は、祭り最後の夜に「千秋楽」として天然寺の境内に大かがり火を焚き、舞納めを行います。
その舞が終わった後に、観衆は大獅子の歯を奪い合い、その歯を玄関先に飾ると、それより一年間の難を逃れると云います。

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