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ソウル三田渡碑編

 朝鮮王朝屈辱の歴史。
 まさにそう呼ぶにふさわしい遺跡が、ソウルにある。

 ソウルの南、松坡区石村洞。地下鉄8号線の石村駅の5番出口を出ると、すぐにソウル銀行がある。そこを左に折れて直進すると、左手に公園が見えてくる。目指す遺跡はそこにある。名前は三田渡碑(サムジョンドビ)。

 時は1636年。
 日本では寛永13年である。家光の時代だ。
 朝鮮王朝では、仁祖が即位して14年目にあたる。檀紀では3972年。
 中国では、明がまさに滅ぼうとする時期で、清は太宗の時代である。

 文禄慶長の役の後始末も一段落し、ほっとした朝鮮王朝であったが、ここに新たに勃興してきた清の太宗が攻め込んできた。
 朝鮮の仁祖は基本的に親明であったが、清の攻撃をまともに受け、ソウルもあっさり陥落。
 仁祖は、ソウルの南、現在のカンジュ郡にある南漢山城に籠城し、40日間抵抗を試みた。しかし、ついに耐えきれなくなり、1637年、現在のソウル市松坡区三田洞で、空しく降伏することになる。

 その時に清の太宗が要求したのが、九叩三拝という屈辱的な礼だ。要するに、頭を地にこすりつけて、土下座して謝ったのである。

 それに飽き足らない太宗は、朝鮮王朝がこれを忘れないようにと、わざわざ、モンゴル語、満州語、漢語の碑文を作って、その場所に建てさせたのだ。エグぅ〜。
 追い出されて逃げ帰ってきた秀吉軍とはかなり違うなぁ(^_^;)

 碑文は、もともと、現在の場所から少し離れたところにあったらしい。その後、1895年洪水で漢江に流されたが、1913年に、日帝の陰謀(?)によって復活。文化財保護ってのもあるとは思うが、わざわざこんなもん修復するってのが、悪意ビンビンやな(^_^;)

 そして、第二次大戦が終了した1945年に、付近の住民が碑文を埋めてしまう。やっぱり恥ずかしかったのだろう。しかし、1963年の洪水で埋めた碑文が再び姿を見せたため、文化財として保護されるようになったという。(このあたり参照)

 現在は、丁度修理中で、周囲に足場が組まれていた。残念ながら碑文そのものは近くで見ることが出来なかった。

 ただ、碑文以外に、石のレリーフが作られていた。絵を見てびっくり。仁祖が太宗に土下座している場面が彫り込まれているのである。

 わざわざ屈辱の歴史を掘り返して、レリーフまで作るってのが、いまいちよくわからん。総督府とかはぶっこわしてしまったのに。まあ、天安や西大門にいけば、日帝にいびられる朝鮮の人々の図がてんこ盛りになっているしなぁ。苦難の朝鮮史を実感せずにはいられない・・・。ひゅうぅぅ〜。

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