パラグアイ日系社会福祉協議会会報

2006年8月発行 第118号


日系社会福祉協議会会報

事務局
Corrales del Norte y Rio Ypane (Fdo de la MoraKm.8)
電話 FAX:(021)513‐479/524‐024 メール:fukushic@quanta.com.py
編集人:佐藤隆一       (毎月1回発行)


⇔ 本年度・道産子バザー開催される ⇔ 


 8月13日(日)好天候に恵まれた当日、ハマナス交流センターに於いて、恒例の第6回・『道産子バザー』が盛大に開催された。
 最近の異常気象なのか当日も大変暑い中に行われ、玄関前では汗をかきながらイグアス地区出品の餅つき及び即売のあんこ餅、キナ粉餅、シロ餅の販売。また、地区産物の販売などで大盛況。また、中に入ったサロンでもラパス地区産のイチゴ酒、梅酒他のアルコール類。また、甘いミカン、白米(日本種)などの販売に係員は応対に忙しく立ち回っていた。
 また、下のサロンでは大勢の方々が食事作り(ラーメン、お寿司、ギョーザ、焼きそば、焼き鳥)を暑い中、大汗をかきながら料理つくりに追われ、サロンは、家族連れで食されている方々で満員、今年も道産子バザーは大盛況であった。
  

 

 

≪ア・日本人会に依る共同墓参行われる≫

8月15日・恒例のアスンシオン日本人会・共同墓地(ビリャエリサ市)に於いて、午前11時より共同墓参・慰霊祭が行われた。
 前原弘道会長がブラジル訪問中のため、会長代理・広田英郎副会長挨拶後、宮入エルマーナさんに依るミサ(127柱)が大勢の参加者の下に執り行われた。終了後、昼食時間となり、キンチョに移動してアサード会が開かれて本年度の共同墓参は終了する。(また、時間に併せてパークゴルフ大会も行われた)
尚、広田副会長の挨拶の中で、今日はアスンシオン市制・469年記念日でもあると共に、母国日本ではお盆でもある事からアスンシオン日本人会では、墓地用地取得後、8月15日を共同墓参の日と定めた経緯など話された。

 

訂 正 記 事

会報・7月号の第117号掲載の2006年度・財団法人国際医療技術交流財団・個別研修員と記載しておりますが、正式名称は次の通りであります。

2006年度・財団法人日本国際協力財団個別研修員・石川幸雄君(歯科技工士)に決定

経緯・本研修については、南米日系社会の各団体が運営する医療施設で働くスタッフの技術向上を願い、神内良一理事長(財団法人日本国際協力財団)の発意、即ち当該国に住む日系人同胞への熱い思いで、実施されているものでございます。
財団法人日本国際協力財団自体が専門的な研修を行なう事は出来ないため、医療技術交流財団に委託料を支払い、側面からお手伝い頂いておりますが、あくまでも研修を主催し、それについての全費用を負担して下さっているのは『財団法人日本国際協力財団』です。
このご支援も神内良一理事長のパラグアイ国在住の日系人同胞への思いの表れと存じます。(尚、研修生の資格要件についても日系人団体の運営する医療施設で働いているスタッフの推薦となっておりますのでご理解下さい)

 

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⇔⇔ おかげさまで一年たちました。⇔⇔


「パラグアイは幹線道路を馬車が走り、強盗カッパライが横行しているから、常に身辺の注意を怠らないように」とJICAの研修中に言われ、またパラグアイに来て、老人クラブの皆様にも多額の現金は持ち歩かないようにと注意を受け、一月ほどは緊張と恐怖の毎日でした。しかし日を追うごとに次第に緊張も恐怖も解けてなくなり、今ではパラグアイに何年も住んでいるような錯覚を覚えたりしている今日この頃です。ある日、通勤バスのなかで東洋系の人を見つけ「アッ外人が乗っている、何処に行くんだろう」と思いながら見ていたら、(自分はパラグアイ人のつもり)自分の降りる所が分からなくなり、とてつもない所で降りてしまい、近所の人に「クリニカニッケイポールハァボール」と言っても誰も分からず困っていたら、年老いた浮浪者みたいな人が「シイー」と言って2キロ位の道のりを連れて行ってくれた時は緊張と不安がみなぎっていましたが、福祉センターが見えたときは安堵と喜びが感謝に変わったのは言うまでもありません。

その後、何回も迷子になりながらも、そのたびにパラグアイの人々に助けられ、改めて思ったのは人を猜疑の目で見るよりも信頼する心の大切さを遅まきながら思ったことです。

それよりも馬鹿で(馬鹿と言う言葉は日本では差別用語として使われていません、念のため)オツチョコチョイの私が此処パラグアイで何年も前から住んでいるような大きな顔して安穏に暮らせるのは何といっても日系老人クラブ、それに各移住地の日系の皆様のおかげです。

各移住地への出張は覚悟していましたが、最初の出張はブラジル、サンパウロへ23時間かけてのバスでの旅でした。初めてのバス旅行は腰が痛い、肩がこる、寒い、退屈の連続で辛い思いもしましたが、お陰でその後の移住地への出張が楽になった気がします。

移住地への最初の出張はピラポ移住地45周年祭でした。広大な農地の中心に市街地があり、その門を入ると日本語学校、病院、日本人会、市役所、農協、スーパー等が点在して、その日常生活での経済的豊かさを垣間見る思いがしました。

また式典も先祖供養から始まり、その後の一連のセレモニーは大統領傘下のもと盛大に執り行なわれた事は、移住地の皆様の信頼と実績の賜物だと感じ入りました。

その後もラパス、アマンバイと50周年式典に参加させていただきましたが、何処もその式典が手作りで挙行されていたことです。特に式典で供応された料理はすべて婦人会の方々の手料理であると聴き、その目を見張るような豪華さと美味しさに舌鼓を打つなかで婦人会の方々の料理に込められた温かいもてなしの心も一緒に頂くことができました。

老人クラブでも稚拙な私の指導を嫌がりもなさらず、真剣に聞いて、あるいは行動していただいております。一番嬉しいのは「早くおいで、待っているから」と慈愛に満ちた眼差しで言われ、健康指導にいって逆に元気を貰って帰る今日この頃です。

皆様にお会いして感じたことはそれぞれに持病はお持ちであるが皆様が生き生きとなさっている、また日本に比べて「認知症」の方が少ない、これは何が原因であろう、と思い悩んだとき、ある家庭に泊めていただき原因の一端が分かったようなきがします。

パラグアイの日系社会では独居老人や高齢者夫婦世帯が極めて少なく、三世代同居家族のなかで自分の役割をもち、また子や孫がじいちゃん、ばあちゃんを敬い、慕っている、それに高齢者の方もちゃんと応えていらっしゃる。

私達、日本に住む日本人が忘れてしまったことが、此処パラグアイの日本人がちゃんと忘れずに実行されている、これは本当に素晴らしいことです。

此処も高齢化の波が押し寄せていますが、三世代が相和して生活なさることこそが高齢化の波を押し返す最大の要因ではないかと思います。

日系社会シニアボランティア元村深雪記
 

 

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