呉・江田島・海上自衛隊幹部候補生学校・音戸の瀬戸

明治21年(1888年)創建、旧海軍兵学校(俗に言う海軍士官学校)、
現在の海上自衛隊幹部候補生学校。
江田島は、米海軍学校アナポリスや英海軍学校ダートマスと並ぶ
世界三大海軍学校の一つです。
写真は、通称「赤レンガ」と呼ばれる海上自衛隊幹部候補生学校の建物。
この赤レンガはイギリスで焼かれた最高級のものを一枚一枚輸入したものと言われています。
赤レンガ一枚の値段は当時の大工さんの日当と同額だったとか。
建物真ん中の上には金の錨のマークが付いています。戦前は菊の御紋が
付いており、敗戦で連合軍に接収されていた時期は時計が付けられました。
占領が終わって日本に戻った後は今のマークになったそうです。
中央の2階は校長先生の部屋です。学生は2階への階段や
一階の真ん中の通路を通れない規則で、回り道をしなければなりません。
窓ガラスの多くも明治時代のまま(まれに割れたものを入れ直した所もありますが)
で、歪んで見えるものもあります。
中央入り口の床板(木)は、初代戦艦金剛の甲板を退役時に移転したもので、
雨風が吹いても朽ちることはありません。

 


呉駅です

 

呉駅前のバスターミナル。右下は真知宇くんの荷物。

 


呉市街。ちょっと車のガラスで反射してる写真です。

 


呉の映画館

 


呉港の中央桟橋のすぐ北にあるボートピア呉の建物

 

呉駅の陸橋から西を見た呉市内

 


呉港の建物。ここから広島港や江田島小用港へ船で向かうことができます。

 

 

建物内部の券売機&待合室。売店もあります。

朝夕の通勤ラッシュ時は30分に一本、他の時間は1時間に一本の割合で

船が出ています。江田島小用港までは運賃300円で所要時間は約25分。

 

江田島小用港行きの船がきました。

 

呉港を出発します(船の後部から撮った写真)

 

船から見える景色(また別の日に撮ったもの)

石川島播磨重工業(造船)や日新製鋼等が立ち並ぶ工業地帯。

呉の旧海軍工廠もこの辺りにありました。

日米開戦1週間後の12月14日、戦艦大和が進水した瞬間は

この呉湾の全体の水位が3メートル上がったそうです。

 

 

左が小麗女島、右が大麗女島

 

 

小用(こよう)港に着きました。

 

小用港前の写真(別の日に撮った写真)

ここからバスに乗れます。

第一術科学校前下車(150円、約10分)

 

 

学校前のバス停。

 

 

赤レンガの建物と向こうに見える大講堂。

 

 

赤レンガの裏側。

 

大正時代に立てられた大講堂。

ここで任命式や卒業式等を行われます。

 

昭和に入って建てられた教育参考館。

東郷平八郎の遺髪や特攻隊員の遺書、その他

海軍軍人の写真や遺品など約1200点が並ぶ資料館。

 

教育参考館の横にある、戦艦大和の主砲の弾と

真珠湾奇襲の時に活躍した特殊潜航艇。

後ろに見えるのは、幹部候補生が起臥寝食する学生館。

 

 

 

ここからは秋に旅行で見学した時に撮った写真。

幹部候補生の朝は大変です。朝6時(冬季は6時半)に

「総員起こし」の放送で飛び起き、「お早うございます」と同室の者に挨拶し、

ベッドメイクをして、服を着、靴下&靴を履き、カーテンを開け、窓を開け、電気を付け、

4階の部屋からグランドへ駆け下りてくるのに約2〜3分。

4分もかかろうものなら「遅い!」と叱られます。

写真は1階ドアを出て階段を駆け下りている幹部候補生ら。

 

(真知宇が実際に体験したわけではありませんが

三等海尉上陸止めHP江田島編2ちゃん自衛隊板などから参考にした情報)

 

ならば、早めに起きといて先に準備(服を着たり、靴下を履いたり)しといたら

いいじゃないかと思うのが人情ですが、それは禁止ですし、

廊下では幹事付と呼ばれる教官が見回っていますので、

ベッドの中でゴソゴソと靴下を履いていても見付かってしまいます。

教官も数年前は幹部候補生だったんですから、

学生がやろうとすることはだいたいお見通しです。

 

 

5分前の05時55分に「総員起こし、5分前」と放送がかかります。

まだこの時点では動き出してはダメです。6時にラッパが鳴りますが

このラッパが鳴っている間も動き出してはダメ。ベッドの中でじっとしています。

ラッパが鳴り終わり「総員起こし」と放送されてようやく飛び起きます。

 

まあ、緊急事態に非番で休んでいた時でも飛び起きるための訓練らしいです。

こういうことをしておくと、寝る前に服をどういう状態にして置いとけばいいのか

(人によってはボタンを付けたままに置いといたりする)が分かったりします。

 

ケガをすると危ないので階段を降りる時は2段飛びで降りるのは禁止。

グランドに出てからは全力疾走して隊ごとに決められた場所へ行き点呼、

揃ったところで上半身裸になって海上自衛隊体操開始です。

それが終わって、朝の甲板掃除、朝食など。

 

案内してくれた某二等海佐は、幹部候補生時代、一応 起き出したものの

寒くて体操したくなかったので、降りてくる途中で一階のトイレに駆け込み

トイレのボックスの中で隠れてサボっていたことがあったそうです。

3回目で隠れていた所を教官に見つかりこっぴどく叱られたとか。

 

 

8時の定時点検、課業整列まで少し時間があります。

幹部候補生学校の一日を参照

 

これが4階の寝室。

4人部屋ですが、横の扉で隣室と繋がってるので8人部屋でしょうか。

手前が悲劇に舞台となるベッド。ちゃんとベッドメイクしてないと教官に

布団を飛ばされたり、毛布を窓の外に投げられたり、

場合によってはベッドを解体されたりします。

写真ではまだシーツは張られていませんが、

こちらのHPにシーツを張り終えた写真があります 、毛布さんごめんなさい事件も)

コインを落としてもシーツで跳ね返るくらいにベッドメイクをします。

まず毛布を敷いてベッドの下へもぐりこんで引っ張って張り、

(この毛布をまずしっかり張らないと、上のシーツも張りません)

上からシーツを張ります。シワ一つあってもいけないので

霧吹きやアイロンで綺麗にしときます。

 

ロッカーの中の各種の服にも置き方や順番が決まっています。

ロッカーの上には風呂に行く時の桶があります。風呂に行く時は

ジャージ着て、入浴用品をあの桶のみ入れて左脇にかかえて持って行くんですが、

それらの物品があの桶を横から水平に見て上にはみ出さない量で

持って行くのが規則です。したがって、量は出来るだけ少なくしなくてはならず、

シャンプー等はわざわざ小さい容器に移し替えたり、着替えの下着も持って行けない

ので、部屋に戻ってきてからわざわざ着替えたりするのでした。

 

朝8時の定時点検。

容儀点検(服装チェック)があり「何だこの服は、シワがあるじゃないか」

「ホコリが付いとるぞ」「靴は磨いたのか」「ヒゲは剃ったのか」

と言った感じです。

また分隊ごとに輪になってスピーチ(演説)があり、日替わりで

数分間のスピーチを行い、またそのスピーチに対して他の候補生が

意見や感想を言います。

学生生活後半になると英語でスピーチすることになります。

 

海上自衛隊では「5分前の精神」というのがあって

何でも5分前に用意しとかなければなりません。

手を後ろに組んで「休め」の状態(といっても休めないが)で待機

 

 

国旗掲揚前になると「国旗 揚げ方(あげかた) 5分前」と放送がなります。

8時にはラッパがなって向こうのポールに国旗掲揚。

その後 課業整列。

ラッパの音にあわせて行進してその日の授業へ向かいます。

隊の前列右端(写真だとこちらからみて左端の人)が「分隊、前へー!」と言い

「進めっ!」の号令で、左足から歩き出します。手はグー(握ったまま)。

左手に持っているのは、教材の入った黒カバン。

 

 

隊列の右端の人が「分隊、左へー!」と言い

「進めっ!」の号令で左へ曲がります。

左側で立って見ているのは校長等。

行進をチェックしていて、「胸張れー!」「横ー!」などと声を上げます。

 

 

曲がって課業(授業)へと向かう幹部候補生。

 

岸壁に並んだ短艇(カッター)です。「第○分隊、短艇用意!」などと放送がかかると

その呼ばれた隊の学生は何をしていてもそれを放り出してここまで走って来て

艇を下ろし乗り込んで漕ぎ出し数百メートル沖にあるポールを回って

帰ってきて、また艇を引き上げ元通りにしておく、そしてその時間を競います。

船が撃沈等で沈む時に短艇に乗り込む訓練や、内火艇を素早く出すための訓練です。

また、年に一度、各隊ごとの短艇の競争があります。どこの隊の艇が

勝つのかは、密かに江田島の学校前の飲み屋のオヤジたちの賭けの対象になるくらいです。

 

短艇訓練で漕ぐと、猛訓練のせいなのか漕ぎ方が下手なせいなのか

尾てい骨辺りの尻の皮が擦り剥けて苦しむことがあります。痛いことはもちろん(特に入浴時)

ベッドに血が付いたせいで、台風が来る(教官に布団を飛ばされる)こともあります。

それを防ぐために中に海水パンツを着込んだり、場合によっては

ナプキンをお尻の下にひいたりします。

けどナプキンをWAVE(婦人自衛官)にもらったり売店で買うのは少し恥ずかしい。

 

 

岸壁にあるのが練習艇。船に乗る訓練をするための、小型艇です。

 

 

潜水訓練の施設。

 

その内部。

 

水圧に馴れさせるための加圧室、減圧室。

沈んだ艦から人を救助したりするための訓練施設です。

 

 

貸与されていた64(ろくよん)式小銃の点検です。

銃の手入れが行き届いていなかったりホコリが付いていると叱られます。

 

 

3階にある自習室。ここで夜9時50分まで勉強。

10時消灯なんですが、申請すれば11時30分まで延灯して勉強できます。

就寝するため4階の寝室に向かう前に、

ここで海軍伝統の五省(ごせい)を唱え、今日一日を振り返ります。

一 至誠に悖(もと)る なかりしか

一 言行に恥ずる なかりしか

一 気力に欠くる なかりしか

一 努力に憾(うら)み なかりしか

一 無精に亘(わた)る なかりしか

日露戦争でバルチック艦隊を打ち破った東郷平八郎提督の遺訓です。

 

 

 

自衛官に任官するにあったての宣誓書です

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  宣  誓

私は、わが国の平和と独立を守る自衛隊の使命を自覚し、

日本国憲法及び法令を遵守し、一致団結、厳正な規律を保持し、

常に徳操を養い、人格を尊重し、心身をきたえ、技能をみがき、

政治的活動に関与せず、強い責任感をもって専心職務の遂行にあたり、

事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に努め、

もって国民の負託にこたえることを誓います。

平成  年  月  日

   氏名            印

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学生館1階ロビーにある「桜花爛漫」の書

 

 

 

 

第1グランドです。向こうに戦艦陸奥の主砲が見えます。

 

左は柱島(はしらじま)付近の海底に沈んだ戦艦陸奥の主砲。

右は高角砲(高射砲)

 

艦の横に付いていた魚雷発射管(短魚雷)。

その向こうは、日本海軍が誇った、高速で長距離で航跡の見えにくい酸素魚雷。

 

幹部候補生学校の赤レンガと向こうに聳(そび)える

古鷹山(写真左端)。日露戦争時の参謀、秋山真之が毎日のように登ったとか。

巡洋艦「古鷹」にも名付けられました。

左の緑のシートがかけられているのは

工事中の第一術科学校学生館です。

 

 

 

陸路で江田島に渡るには、「音戸の瀬戸」と「早瀬の瀬戸」の

二つの橋を渡って少し迂回しなければなりません。

写真は「音戸の瀬戸」、平清盛が開いたとされる海峡です。

宋(当時の中国)との日宋貿易の経路として

干潮時には干上がっていたこの場所を掘削し、現在の海峡にしました。

今でも平清盛を賛えて清盛祭りが開かれます。

 

 

橋を渡るために登るカーブ。

 

「音戸の瀬戸」の橋の上から撮った写真。

右側の岸の向こうに見えるのが呉市街。

 

 

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