善光寺御開帳 「弥栄神社御祭礼 屋台巡行」 ( 2003. 5. 25 ) 

権堂町の「勢獅子」と屋台


 弥栄(やさか)神社御祭礼 屋台巡行 ( 2003. 5. 25 )
 好天に恵まれた二十五日、善光寺と善光寺に続く中央通りで、弥栄(やさか)神社ご祭礼の行事「 お先乗り 」と「奉納屋台巡行」が行われ、白馬に乗った地元小学生の岸さんが御祭礼の役員らを従え善光寺に向けて出発。その後に、「 権堂町 」「 南千歳町 」「 上千歳町 」「 北石堂町 」「 大門町 」「 西後町 」「 南石堂町 」「 元善町 」八町の華やかな屋台が続き、表参道の中央通りに集まった住民らは、久しぶりの巡行となったわが町自慢の屋台の様子を見守りました。
 屋台は新田町の交差点から善光寺に向け、午前九時半頃から進み始め、進行途中では奉納舞踊も披露され、沿道を埋め尽くした 観衆 から盛んに拍手が送られていました。その屋台巡行のなかでもひときわ目立っていたのは、先頭を進んだ「権堂町」の屋台と「勢獅子」(きおいしし)の練り歩き。権堂の勢獅子(きおいしし)は、江戸時代の天保年間から続く伝統行事で、正月と祇園祭りには悪魔払いと称し、乱暴御免とばかりに町内を舞い暴れた名物獅子。明治七年の県庁舎が落成した際には、祝賀式の最中にもかかわらず乱闘騒ぎを起こすほどの勇ましさあったそうで、広い中央通りを左に右に練り歩き、大きな口を開けては観衆を威嚇する姿は、当時の勢いを十分感じさせる迫力のあるものでした。


新田町交差点を出発した「お先乗り」の行列
権堂町の屋台南千歳町の屋台
上千歳町の屋台北石堂町の屋台
大門町の屋台西後町の屋台
南石堂町の屋台元善町の屋台


 「屋台巡行」の感想と今後の課題
西後町の屋台
 この「屋台巡行」、かつてはそれぞれの町に屋台があって七月の「祇園祭」に併せて運行され、その豪華絢爛な姿は日本三大祇園のひとつにも数えられるほどだったと伝えられています。
 しかし、都市化が進むにつれて祭りに携わっていた人たちの多くが市郊外に転出してしまい、公民館の倉庫に屋台は残されているものの、寄付で賄われていた組立資金が集まらず、今回、お披露目を断念せざるを得ない町もあったということです。屋台を組み立てるには、専門の職人さんの腕が必要です。しかし、その職人さんも時代とともに減っており確保することも難しくなっていることも原因になっているのかもしれません。
 かつては、市内の屋台を分解することなくそのまま保管できる会館を建てようという機運もあったそうですが、実現に至らず、今回参加された八町の屋台も多額の費用をかけ、事前に組み立ててから運行となりました。
 江戸時代や明治時代の立派な透かしを掘り込んだ屋台がありつつも、こうしたイベントに披露できないのは、まさに宝の持ち腐れといった状態。「屋台会館」のようなものでこれらの屋台を常設展示することができれば、新たな観光資源として活用できる方法もあるのかもしれません。市や県などの行政機関の協力を仰ぎながら、早急に大事な文化財を保存する方向で検討されたほうが良いのではないかと、この話を聞いて思いました。


<<< TOPNEXT >>>



Copyright(C)2004 HIROSHI SAKURAI All Rights Reserved.