HIT THE ROAD Memories Vol.2
September.1999
  
「遅れてきた夏休み」

 

僕は27才になるまで飛行機が羽ばたく事をしらなかった。そして今日も飛行機は海風に翻弄されて小さく羽ばたきながら見覚えのある大阪湾へと急降下していった。

「うわっ、暑ーっ」真冬の国からやってきた僕と蓮夏は顔を見合わせて笑った。蓮夏は僕のニュージーランドでの友人で偶然帰国便が同じだったので一緒に帰ってきたのだ。当然彼女はこのまま飛行機を乗り継いで自分の国へと帰る。だからせめて一緒に食事でもしたかったが日本のビザ制度というのはまだまだ閉鎖的で、 彼女はそのまま入国せずにトランジットホールへ向かうことになった。軽く抱きしめると彼女は手を振ってエスカレーターの彼方へと消えていった。

結局クライストチャーチで7ヶ月も沈没してしまった僕は旅を再びスタートさせるために一度日本へ帰ってきたのだ。旅の装備を買いそろえ、毎日ごろごろしてゆっくりと鋭気を養おうと思っていた。しかし現実はうれしい誤算だった。

帰った次の日僕は日本で所属していた吹奏楽団の演奏会に出ることになった。午前中楽譜をもらってあわただしく譜読みをして午後から本番だった。僕が日本を空けているあいだにこの出来たばかりの試行錯誤の楽団のレベルはかなり向上していて、8ヶ月という時間を感じた。

いろいろな人達が僕のために飲み会を開いてくれた。楽団の人達、高校の時の先輩、友人。そして印象深かったのが、リアルタイム旅行記の先輩「石橋のりさん」主宰の飲み会に呼んでもらったことだった。

僕は石橋さんのホームページが一般公開される前に何故だか偶然サーチエンジンで見つけてしまい、それ以来会社の昼休みに暇を見て読ませてもらっていた。丁度彼が旅に出ようとしていたその時、僕もまったく同じような計画を立てていたのでそのページを発見したときには本当に驚きとうれしさで興奮してしまったのだった。

飲み会の方は終始和やかにすすんだ。旅の強者もいるし、ツアーしか行ったことの無い旅行記のファンの人やら、そして初対面にも関わらず、みんながこれから再び始まる僕の旅を祝福してくれた。そして宴は場所を変えて遅くまで続き、僕はそのまま石橋さんのアパートにおじゃましてまるで長年の友人の様に夜が更けるまで色んな話をしたのだった。

明石に帰ってくるとうなされる程暑かった夏も終わり僕は毎日ごろごろしていた。そしてついにある日僕は「明日出発しよう」と衝動的に思い立った。そうと決まると今度はパッキングに大忙しだ。夏休み前半は音楽に明け暮れて、後半はダラダラ過ごし、新学期直前に宿題に追われる。僕の夏休みはあの頃と全く変わっていない。人間6年やそこら社会人をやったからといってそうそう進歩するもんじゃないと思った。

9月28日、僕は旅慣れて少し軽くなったザックを背負って下関のフェリーターミナルに立っていた。この海の向こうにはこれから1年間かけて横断しよういうユーラシア大陸が横たわっている。思いつきで一気にここまで来たので「KANMON」というへんてこなスタンプがパスポートに押されても不思議とこれから2年も日本へ帰らないんだと言う実感は無かった。

日が傾きすっかり涼しくなった頃、僕の夏休みに終わりを告げる汽笛がなった。僕は最後の一人になるまで甲板に残って、秋の風を感じていた。