
海松橿姫がむかしに書いた、クモのおはなし。まだタランチュラを飼う前、
もちろん
セアカゴケグモの日本移入前。
蜘蛛といえば
大蜘蛛をテーマにした映画ばかりなのに愛想をつかして、タ
ランチュラの登場しない、クモ映画用ストーリーを書いてみた、というと
ころ。(初出:東京蜘蛛談話会通信 1990年)
<前書き>
映画「アラクノフォビア」への米国クモ学会前会長の抗議の記事
(中日新聞 1990.10.30)を見ました。古くは日本書紀・風土記に始まり、古今
東西のホラー映画に登場する大蜘蛛・蜘蛛男爵へと続くアラクノフォビア(蜘蛛嫌悪症)
の典型でしょう。
Delena sp.(アシダカグモ科、Main 1976)が猛毒を
持つ「兵隊グモ」として登場するという設定(岡山徹 1990)の設定の不当さは
さておき、どうせクモを取り上げるなら、ヒトを襲う毒グモなどという単純な
設定ではなく、多様なクモ類の生態に着目したらよさそうなものです。
私は生まれつきのクモ愛好家で、幼い頃から山を歩くときは網を壊してしまわ
ぬように注意して歩いたものです。先日はビデオで1977年米国映画「The Kingdom
of the Spiders」(Kantor & Sneller 制作)というのを見たのですが、5cmから
15cm位の種々のオオツチグモ(生きた実物)が大量に「エキストラ」(?)として
登場。残虐な人間たちによって片っ端から踏み潰されていく場面には、思わず
「やめてくれ!」と叫んだものです。恐怖映画と言いますが、動員され
たクモにとってこそ、恐怖そのものの映画作りです。
私は不思議な蜘蛛の夢をよく見ます。その断片をもとに、アラクノフォビック
(蜘蛛嫌悪者)へのささやかな「逆襲」として、また犠牲になったであろうクモ
の出演者への哀悼の意を込めて、こんなファンタジー物語を書いてみました。
「蜘蛛の惑星」あるいは「アラクノトピア」
<I>
ときは199X年、品種改良から遺伝子操作にいたる人類の生物界への不当介入は
「しっぺがえし」に直面していた。百年以上にわたって人工的交配と人工飼料に
よって大自然から切り離され、「飼い馴らされて」きた家畜たちは、ある日突
然、人間に対して致命的な有害成分をもつ新世代を産み始めた。遺伝子操作に
よる毒性産生遺伝子除去のため研究がなされたが、ウシ、ブタ、ニワトリへの
恐怖心がいったん広まると(補注1)、もはや伝統的な食肉産業の存立は不可能となった。
食肉産業は一大転換を迫られ、野鳥、野生小動物が大量に捕獲される時代とな
った。様々な料理法を駆使して、スズメやカエル、ネズミ、トカゲなどが食卓
にのせられた。無論、多国籍企業化した食肉産業は、南側諸国の野生獣を入手
し、従来のウシ、ブタ(というよりイノシシ)類の味覚をも確保する戦略を
とった。北側諸国の環境保護運動は、肉食を断念できない者たちが脱落して
退潮したが、逆に南側諸国では経済侵略反対の民族解放運動と結びつき、巨大
なうねりをつくっていった。米ソ・EC・日本連合「多国籍軍」の戦略拠点と
は、石油産出国以上に食肉産出国となった。
一方、北側諸国における「食用」野生小動物の乱獲は、生態系に深刻な影響を
見せはじめた。上位捕食者の除去による下位捕食者個体群の膨張、すなわち肉食
節足動物とくに真正クモ目の爆発的増大であった(Top predatorの除去による
クモ群集の高密度化については、Schoener & Toft 1983)。
物語は、クモを主要な Top predator とする生態系の成立に直面して、これを
保護しつつ、人類の生態破壊的な文明を転換しようと努力する者たちと、アラク
ノフォビア(クモ嫌悪)主義にたち、クモの絶滅をはかろうとする者たちとの間の
攻防をめぐって展開する。
<U>
クモ生態系の保護運動の最先端にたったのは、日本クモ学会、東京蜘蛛談話会
などに所属するクモ学者を中心とする「クモによる害虫防除」に長年の研究・
実践を重ねてきた人々である。ササグモによるスギ林の保護(萱島泉 1961)、
水田のクモ群集保護(小林四郎 1975)等を端緒とする研究は、1990年代に入って
中国蜘蛛学会(宋大祥 1987など)との協力を深め、今やクモ学のみならず、
農学の一大分野をなすに至った。日本の各地では「農産物輸入開放政策」に
抵抗し続ける農村が「
蜘蛛農法」を取り入れての無農薬・無肥料生産を行っ
ている。化学肥料・農薬を用いた田畑に比して、圧倒的にクモ・昆虫・土壌
生物系の豊かなこれらの農地は、ついに無肥料生産をも可能にしたのである。
これらの農村では、クモの増加は喜びをもって受け入れられた。田畑を覆う
コクサグモ属の「妖精のスカーフ」や電線にビッシリとついたジョロウグモ
の巣も、村では「ありがたいもの」と受け止められる。
「夜蜘蛛は親に似ていても殺せ」という古い言い伝えはすたれ、家蜘蛛は「
家の守り神」として大切にするようにと口々にささやかれるようになる。
人々は、アシダカグモがゴキブリをとり、オオヒメグモが毒虫を吊り上げ
(大利昌久 1975)、辺りを徘徊するハエトリグモや戸口・窓に幾重にも張ら
れた円網が蚊やハエを獲る場面に顔をほころばせる。子供たちの間には、ファ
ミコンよりもエキサイティングなゲームとして、「蜘蛛合戦」が復活する。
ネコハエトリ、コガネグモなど伝統的な力士(斎藤慎一郎 1984)に加え、
センショウグモ科の壮絶な闘い(Jackson & Whitehouse 1986)が人気の的に
なった。子どもらは野山を駆け回り、生き生きとした目でクモを大事に育
てた。いずれの輸入業者によってか、
Portia属(Jackson & Hallas 1986)が
日本に紹介されると、クモ食いのクモをめぐる子どもらの遊びはさらに熱狂
的なものになった。いくつかの外国種は日本に移入し、野山に急速に広がる。
大人たちは、天皇制文化のもとで不当に扱われてきた
「土蜘蛛」(沢史生 1990 など)を復権させた。古代各地で割拠した「土蜘蛛」とは天皇王権の
支配にまつろわぬ在地の軍事勢力で、多くの場合指導者は女性として「風土記」
に登場している。(たとえば大山田女、狭山田女、海松橿姫、八十女、速来津姫
、浮穴沫媛が「肥前国風土記」に、神衣媛、阿邪爾那姫が「風土記逸聞陸奥国」に
登場)。「地方の時代」の掛け声のもと全国各地でこれら土蜘蛛をたたえる
祭りが行われるようになる。
<V>
一方、東京をはじめとして大都市では、従来からの蜘蛛嫌いたちが米製映画
「アラクノフォビア」(S.スピルバーグとF.マーシャル監督)の上映運動など
を機に、周辺の農村からのクモ群集の侵入を阻もうと必死である。政府は、
地球環境保全のための国連条約に従って停止していた殺虫剤大量散布を検討し、
また同じく条約で禁じられている不妊個体の大量放出による種絶滅措置をも
検討しはじめる。都市生態系へ侵入しはじめたクモ群集は、餌不足から、農村に
おける群集ほどの成長を示すとは考えられない。しかし、それでもエアコンの
通気口をふさぎ、下水道から大量発生して路上を徘徊し、あるいは至る所に
遊糸を降らし、網を張って「景観を損ねる」のだ。
決定的な事件は、新潟県柏崎・刈羽原子力発電所(補注 2
で起こる。クモの網が電話
線に通信障害を与えるらしいことは指摘されてきたが(小野武比古 1956)、蜘蛛
農法を採用する地域住民の圧倒的な反対運動によってNTT、電力会社も網の
除去作業をほとんど行えずにいた。それだけに電力会社は「クモによる電力の
損失」を声高に叫んできたが、ついにクモによって原発が停止する事態が生じ
た。原発建物内に侵入した大量の微少なクモ(0.1〜1mm)がコンピュータ機器
内部に糸を引き回して計器をストップさせたのだ。
警察は、
新潟県中頚城群大潟町蜘ヶ池を根拠とする過激派セクト「アラクノ
マニア」による制御室への幼蛛もちこみではないかと推測した。しかし環境中
に激増する遊糸に加え、外国より移入したとみられるアゴダチグモ科(Archaeidae)
の極小種の局地的繁殖も観察され、「放射能垂れ流しがうんだ突然変異種の逆襲」
とさえささやかれて、真相は不明。偶然にしても、蜘蛛生態系による現代文明の
制圧を預言するようなショッキングな事件であり、アラクノフォビア論者には戦慄
を与え、蜘蛛生態系保護論者には神秘的な確信さえ与える一大転機となる。
<W>
蜘蛛生態系による現代文明の制圧は、世界的に進行した。というのは、南側諸国
への資源食糧収奪を強化する北側諸国が、熱帯の蜘蛛の共和国へ踏み込み、ついに
その「聖域」を犯しはじめて、「逆襲」に会うからである。
野生動物の捕獲と熱帯林の伐採は「最後の秘境」にまで及んだ。そこには世界の
クモ学者さえまだ接したことのない、巨大な蜘蛛の共和国があった。クサグモ属、
アシブトヒメグモ属の
社会性種と Eriophora属、Metepeira属の円網の
ネットワーク(Fowler & Diehl 1978, Uetz & Cangiialosi 1986)が共存して重層的
に形成する巨大な網が、種々の肉食性昆虫・クモを含んで、生態系として成立して
いるのだ。しかも、その網のさらに周縁には、
Gasteracantha属の様々な形の鋭利なトゲを備えた種(たとえば谷川明男 1985)が、天然の「鉄条網」をはり
めぐらしている。現地住民はもちろん、獣たちが近づくことを避ける「白い聖域」
である。
現地住民の制止を聞かず、ブルドーザーでその聖域に踏み込んだ商社の人間たち
は、驚くべきクモの社会生活を目のあたりにする。異種にまたがる重層的な共同
狩猟・捕食行動である。巣にとびかかった猟犬は、彼らの目の前で網に足をとら
れて、地中生活をするジョウゴグモ(Dipluridae)科の有毒大型種にかみ
倒された後、共同網からでてきた大きめのクモたちによってラッピングされ、
さらに多くの小型種の群がるところとなったのである。
巣の中枢に危害を加えればヒトであっても捕獲してしまうであろう「蜘蛛共和
国」を、現地住民は神聖視している。南側諸国は、これらの生態系を防衛するこ
とが即ち北側諸国の侵略を阻むことであると位置づけ、クモ学者の協力を得て
国じゅうに「蜘蛛共和国」の網を広げる防衛計画を始める。
昔から西アフリカ
では、「蜘蛛がこの世界に知恵をもたらした」と伝えられている(Arkhurst 1964、
中山淳子 1977)。世界に食物・水・火をもたらしたトゥレ(Evans-Pritchard 1967)、
大地と万物を織機で織り出したムバ(山口昌男 1971)、天神の物語を手に入れ
(Radin 1952)、さらにはハイチの大統領に抵抗するアナンシ(Coulander 1960)まで、
蜘蛛は知恵にたけた文化英雄だったのだ(山口昌男 1971)。その伝統が再び想起
され、森林と共存し、生態系を傷つけないように(網を壊さないように)慎重に
いきるヒト共同体の知恵が南側諸国のなかに急速に広がり、「北」に対抗する
理念となっていく。
<X>
二十X世紀。現代文明最後のあがきで石油・原発依存を続け、滅び去ったいくつかの
愚かな国のおかげで、地球全体の気候は熱帯化した。現代文明が生態系への譲歩
を余儀なくされた国々では、森林破壊に歯止めがかかり、森は回復しつつあっ
た。生き残ったヒト共同体は、もう国家という愚かなイガミ合いの枠組みを捨て
て、「蜘蛛の糸」で互いに結ばれる地球生態系の一部として、「網を壊さないよ
う慎重に」暮らす共生生物の一種へと、新たな進化の一歩を踏み出したのだ。
「支配と階級を配した」「動物界で稀にみる平等主義社会」(Darchen & Delege-Darchen 1986)
をもつ社会性クモにならって、ヒト社会も平等な共同体をめざし始める。かくして
地球は、二十世紀の危機をかろうじて回避し、「蜘蛛の惑星」として復活への道
を歩み出す。
めでたし。めでたし。