土蜘蛛・海松橿姫 by Sitensi
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日本古代の「土蜘蛛」アンソロジー


<みるかし姫>の由来


******「つちぐも」とは?******


昔、この里に土蜘蛛あり、名を海松橿姫といひき。天皇、国巡りしま

しし時、陪従、大屋田子をやりて、誅(つみな)ひ滅ぼさしめたまひき。

時に、霞、四方をこめて物の色見えざりき。因りて霞の里といひき。

(『肥前国風土記』「賀周の里」の項)


むかーしむかし。日本がまだ天皇政権によって支配されていない時代のこと。 各地には、先住の勢力があって、天皇族に対して武力抵抗していましたとさ。 それらの勢力は、「土蜘蛛」と呼ばれました。天皇族方の説明では、「この 人、つねに穴の中に居り。故、賤しき號(名)を賜ひて土蛛といふ」(風土記 逸文摂津國)とされています。日本ではタランチュラが差別呼称として使わ れたというわけです。

「つちぐも」と一括呼称された各地の先住勢力の正体は、歴史学的には明ら かにされていません。しかし、古事記・日本書紀、各地の風土記などから、 天皇族との戦争と彼らが滅ぼされたいきさつが推察できます。

たとえば、有名なところでは、県名にまでなった「茨城」。『常陸國風土記』 によると、「國巣(くず)」という地元勢力(「俗(くにびと)の語(ことば)に都知 久母(つちくも)、又、夜都賀波岐(やつかはぎ)といふ」)があって、「狼の性、梟の 情」だった。それを天皇族方は、茨を穴に仕掛けた罠で殺したため、そのあ たりを、茨城(ウバラキ))の郡というようになったとのことです。 (民話形式の物語はこちら)

特にリーダーの名前が特定されているというケースも多く、土蜘蛛が抵抗勢 力として名をはせた存在であったことがうかがえます。

「徒衆一百八十餘りの人を師(ひき)ゐ、皇命に拒捍(さか)ひて、降服(まつ ろ)ひ肯(あ)へざりき」(肥前国風土記) 「土知朱(つちくも)等、力を合せて防禦(ふせ)ぎ、且、津軽の蝦夷に諜(こ とつ)げて、許多(ここだ)く猪鹿弓(ししゆみ)・猪鹿矢を石城(いはき)に連ね 張りて、官兵(みいくさ)を射ければ、官兵え進歩(すす)まず」(風土記逸文陸 奥國)

「其の脛の長さは八握(つか)、力多くはなはだ強(こは)し。…其の属類(たぐ ひ)多し」(風土記逸文越後國)

また、女性のリーダーが多いのも、古代の人々の家族・部族関係を想像させ て、面白いものがあります。

土蜘蛛の割拠した土地と固有名としては、たとえば以下のようなものがあり ます。皆さんが各地を旅行の際に、ちょっと地名を調べてみても面白いでしょ う。思わぬ古代のロマンに出会うかもしれません。みるかし姫に由来する地 名・ 「見借(みるかし)」は、いまも佐賀県唐津市にあり、霧の多いひっそり した里として知られています。



<各地風土記>

大山田女、狭山田女・・・・・・・・・・ 肥前国・佐嘉の郡

打猴(うちさる)、頸猴(うなさる)・・・・肥前国・益城の郡(熊本県上益城 郡)

土蜘蛛・・・・・・・・・・・・・・・・ 肥前国・小城(おき)の郡

海松橿姫(みるかしひめ)・・・・・・・・肥前国・賀周の郷(唐津市見借)

大身・・・・・・・・・・・・・・・・・肥前国・大家嶋

大耳、垂耳(たりみみ)・・・・・・・・・肥前国・値嘉の郷(五島列島)

八十女(やそめ)・・・・・・・・・・・・肥前国・嬢子山(多久市両子山)

大白、中白(なかしろ)、小白(おしろ)・・肥前国・能美の郷

速来津姫・・・・・・・・・・・・・・・肥前国・彼杵の郡(大村市)

浮穴沫姫(うきあなわひめ)・・・・・・・肥前国・浮穴の郷

鬱比表麻呂(うつひおまろ)・・・・・・・肥前国・周賀の郷

國巣(くず)・・・・・・・・・・・・・・常陸国・茨城(ウバラキ)の郡

黒鷲、神衣姫(かむみぞひめ)、草野灰(かやのはい)
保々吉灰(ほほきはい)、阿邪爾那姫(あざになひめ)、
栲猪(たくい)、神石萱(かむいしかや)、狭礒名(さしな)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・陸奥国・八槻(福島県東白川郡棚 倉町)

八握脛(やつかはぎ)・・・・・・・・・・越後國

偽者(アタ)土蜘蛛・・・・・・・・・・・摂津国

陸耳御笠(くがみみのみかさ)、匹女(ひきめ)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 丹後国・青葉山

大くわ、小くわ・・・・・・・・・・・・日向國・臼杵の郡

土蜘蛛・・・・・・・・・・・・・・・・豊後國・石井の郷(日田市石井)

五馬姫(いつまひめ)・・・・・・・・・・豊後國・五馬山(栄村五馬市)

打猴(うちさる)、八田(やた)、國摩侶・・豊後國・禰宜野(竹田市)

土蜘蛛の賊(あた)・・・・・・・・・・・豊後國・蹶石野(くゑいしの)

小竹鹿奥(しのかおさ)、小竹鹿臣(しのかおみ)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・豊後國・網磯野(あみしの)

青、白・・・・・・・・・・・・・・・・豊後國・鼠の磐窟(いはや)

打猴(うちさる)、八田(やた)、國摩侶・・豊後國・禰宜野


<古事記>

尾生(あ)る土雲八十建(やそたける)・・・大和国・忍坂(磯城郡)

刀を忍ばせた給仕が食事を出し、「歌を聞かば、一時共(もろとも)に斬れ」「み つみつし 久米の子等が 垣下(かきもと)に 植ゑし椒(はじかみ) 口ひひく 吾は忘れ じ 撃ちてし止まむ」という歌をうたい、これを合図に切りかかって、虐殺してしま ったという。(古事記)


<日本書紀>

新城戸畔(にきとべ)・・・・・・・・・・曾富縣(そほのあがた)(生駒郡)

居勢祝(こせのはふり)・・・・・・・・・和珥(わに)(天理市)

猪祝(いのはふり)・・・・・・・・・・・臍見(ほそみ)

土蜘蛛・・・・・・・・・・・・・・・・高尾張邑(たかおわりのむら)葛の網で襲ったことから 「葛城」と改名

八十梟師(やそたける)・・・・・・・・・磐余(いはれ)

これらの討伐の後、天皇は「皇天(あまつかみ)の威(いきおい)を以てして、凶徒(あた) 就戮(ころ)されぬ。…八紘(あめのした)をおほひて宇(いへ)にせむこと、亦可からずや。」 と橿原の都を作ったという(日本書紀)




こうしてみると、軍国主義ファシズムのスローガンになった「撃ちてし止まん」 とか「八紘一宇」も、もともとは先住勢力の土蜘蛛たちへの征服戦争の呼号だっ たのですね。なんだか、この国の「クモぎらい」がうなずけるような気がしま す。(セアカゴケグモやタランチュラ脱走騒ぎを見よ)


京都千本東向観音寺の土蜘蛛灯籠 ちなみに、日本各地をよーくさがせば、土蜘蛛の塚・墓のたぐいがちらほら みられます。絶滅・征服の憂き目にあった悲しき先住勢力に思いをはせたい という方は、それらを探して見てください。たとえば、

F みるかし姫の故郷、佐賀・見借へ!

F 奈良へ!

F 九州へ!

F 丹後へ!




F 古代の土蜘蛛が精霊(「悪霊」)となってカムバックする、

「歌舞伎土蜘」の世界をご覧になりたい方は、 こちらへ。



: リンク集

F 景行紀の土蜘蛛・蝦夷

F 土蜘蛛と吉野ヶ里


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