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Syuugoroの人生論

〜全共闘世代は今日も行く〜

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 Counter 2010年03月21日 09:14:51

 この人生論は、地位や名誉や肩書きを求める人には何の役にもたたないだろう。ただ自分が天から 、神から与えられた人生を少しでも豊かにしようと考えている人々には何かの役には立つかも知れない。

 僕は正義と公正を愛し、自由・平等・博愛を自分の思想の骨格にしている古典的なモラリストである。それが左翼というなら、僕は明白に左翼である。日本の保守的支配イデオロギーは、かつては不毛な戦争で日本を破局に追いやり、今日では、排他的競争と物質主義で日本人の精神的荒廃をもたらしている元凶であると僕は考え ている。こういう人間の人生観であることを承知でこの雑文を読んでいただきたい。

 

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残日録


 自己限定することなく、自己肯定すること。つまり人に劣ろうと劣るまいと、自分の持てる能力や可能性は決して捨てることなく、宝として育てること。そして優劣、勝ち負けでしか動かぬ秀才 などより、育む心を持った凡人に学び、友とすること。
 そのことを踏まえた上で、自分の能力に応じた自分のペースで生きてゆくこと。疲れた時には疲れた時の自己実現がある。病気の時には病気の時の自己実現がある。失意の時には失意の時の自己実現がある。死んでゆくときには死んでゆく 時の、滅びる時には滅びる時の自己実現がある。その時の自分の 役割、能力に応じた自己実現をすることだ。そして道理に従い、問題解決の意志を、いかなる時も失わないこと。何歳になろうとそれが幸福の方程式だと思 う。
 今年60歳になる僕の自己実現は、僕の60歳からの役割は、これまで僕が蓄積してきた一切の物、一切の経験、一切の思索を整理し、それを必要とする人に伝え、残してゆくことだろう。

 

3月20日(土)

 
 9時起床。 日中、曇り 。朝は味噌汁に餅を入れて、朝食をすます。午前中は、ホームページの更新と読書。相変わらず、『日本書紀』読んでいる。昼は焼きそば。夕方、花園のマツモトに妻と一緒に買い物に出る。昨日から、少し体調が悪い。年の所為で、体力が落ちているのに、夜中に起きて何かしていたり、不規則な生活をしていることも関係しているのだろうか。夕方少し横になるが、眠ることは出来ない。
 夕食は、鮭とタマネギのフライ、もやし炒め、味噌汁。食後、ホームページの更新をするが、いつものようには捗らず。やはり疲れていて、少し節々が痛む。横になっても眠ることが出来ず。夜半雨、嵐のような風が吹く。
 

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3月19日(金)

 
 8時頃起床。 一日曇り空。朝、妻を洛北の歯医者に送って行った後は、一日家で部屋の整理と、本の整理をしていた。その間も日本書紀に目を通し、古代の政権交代の実体がどのようなものだったか、考え続けていた。

 応神天皇の母は息長宿禰王の娘で仲哀天皇后となった息長足姫尊(神功皇后)で、歴史学者の多くは実在しない想像上で造作された伝説上の人物だと言っている。しかし応神天皇の実在を疑う学者はいない。とすれば、その実在した天皇の母が誰であったか忘れ去られてしまうということは考え難い。というのも、権力の継承というのは、古代日本においては母親がどういう出自かというのは、きわめて重要なことがらだからだ。そして応神天皇の母方が誰であったかということを抹殺しなければならない理由も見あたらない。

 応神天皇の時代というと、4世紀末から5世紀初頭だろう。7世紀になって本格的に歴史の記録が行われるようになり、過去の出来事にも、関心が払われ、史書の編纂が手がけられるようになったのだが、その頃から200年ほど前の出来事が、いかに文字がまだ普及していない頃だとはいえ、史実をかすりもしないなどとは考えがたい。
 息長足(オキナガタラシ)姫の父、息長宿禰王は、その存在が否定的に見られている開化天皇の4代の子孫だと伝えられる。実在したと考えられている崇神天皇以前の天皇である。この伝承も、無視するにたる虚構・捏造というのではなく、権力の交代劇を反映しているのではないか。

 神武天皇は「ハツクニシラス」大王と呼ばれ、崇神天皇も又「ハツクニシラス」天皇と呼ばれていることが、同一人物説の有力な根拠となり、神武から開化天皇までの十代は実在しないというのが通説となっているのだが、そうではなく、反対に『古事記』『日本書紀』が編纂された奈良時代の人々は、崇神天皇が政権を奪い取った前王朝が存在したことを、記憶にとどめていたために二人の「ハツクニシラス」大王がつくられたのだろう。それがスサノオ、オオクニヌシにつながるオオモノヌシの伝説として残され、三輪山を神体とする信仰となったのだろう。

 応神王朝というのは、倭の五王に対応する王朝である。そして中国の史書に残されているように韓国での派遣を争い、その地位を中国の皇帝に認知させようとした政権である。
 その応神天皇の母息長足姫の「三韓征伐」の記事以後、急に新羅や百済、高句麗などの朝鮮半島の諸国との覇権争いや、朝鮮半島の国から文化、技術を導入する話が増えてゆく。鉄製の武器、馬、河川の灌漑や池や橋を創る技術、養蚕や機織りの技術、文字や書籍などが日本にもたらされる記事である。

 馬はもともと日本にはおらず、5世紀初めに朝鮮から日本に入ってきたという。それは馬形埴輪や馬具などがその時期に作られた古墳から出土するという考古学的な事実から証明される。
 『日本書紀』の応神天皇の記事に二匹の馬や鉄製の武器が朝鮮半島の国から贈られたという記事が特に記録されていることを見ると、その頃、いかにそれらが貴重で、特筆すべきものであったかということがわかるだろう。

 馬と人を乗せて海を渡り日本に運ぶには、かなり大きな船が必要だろう。そんな大きな船を造る技術と騎馬戦術と鉄製の武器を持った朝鮮半島の一勢力が、ある時期日本に進出してきた。そして婚姻関係を結んで、力づくではあるが、ある程度平和的に政権を奪取し、その後も前政権を形成していた勢力を臣下として従えたというのが実際の歴史ではないか。

 崇神天皇から5代目の仲哀天皇が息長足姫の得た神託を無視したため急死し、代わって息長足姫が、政権の実権を掌握し、三韓を服従させた後、仲哀天皇の二人の皇子を滅ぼして政権を確立し、三韓征伐の時にはまだ腹の中にいたという応神天皇が、その後を受けて即位したというのが古事記や日本書紀の記述なのだが、すでに成人している二人の皇子が政権を継承せず、まだ生まれてもいない息長足姫の子が天皇の地位に定まっているということ自体が、政権が奪取されたという事実を物語っているのだろう。そしてその政権とは、崇神天皇の前の神武天皇を始祖とする政権の復活だったのではないか。息長足姫が開化天皇の子孫だとする系図は、そういうことを意味しているのではないのか。

 昼はいつものトースト、ウィンナの炒め物、スクランブルエッグ、サラダの昼食を取り、午後もずっと部屋の整理と、本の整理をしていた。夜は豚の生姜焼きと野菜炒め、味噌汁。食後はまた日本書紀を少し読んで日記を書く。10時頃就寝。

 

 


 

3月18日(木)

 
 9時頃起床。朝はインスタントラーメンですませ、午前中は『日本書紀』を読んでいた。『日本書紀』の応神天皇6年、天皇は、近江に行幸し、その折、宇治で国見をし、歌を詠んだという。

 千葉の葛野を見れば 百千足る 家(ヤ)庭(ニワ)も見ゆ 国の秀(ホ)も見ゆ

 葛野は今の太秦を中心とする地方で、桂川(大堰川・葛野側)流域だが、古墳時代に入って、つまり応神天皇の頃から急速に発展していった場所である。国見をしたのが、どの辺りということは書かれていないが、平等院から宇治川を渡った所、朝日山の麓には世界遺産になった宇治神社、宇治上神社がある。この神社は、もともと応神天皇の皇太子菟道稚郎子皇子の宮殿があった所だという。皇子は兄の大鷦鷯皇子(仁徳天皇)と皇位を譲り合い、思い余って自殺してしまったという話が『古事記』や『日本書紀』に伝えられている。その傍の、朝日山に登れば葛野の辺りまで見渡せるのだろうか、一度行って見なければならない。

 昼から本を置いているアパートに行き、ミニカに積み込んで金閣寺の店に行く。本棚に本を整理しながら入れてゆく。15本の本棚のうち、文庫、親書を置いている段は、すでに一杯になり、とりあえず二重に置いておく。大型の本を置く棚はまだかなり空いている。これまで集めた本は、圧倒的に文庫と新書が多いということなのだが、まだアパートにはかなりの文庫、新書が置いてある。そして竜安寺の家にも段ボール箱に10箱くらい、500冊以上の文庫がある。最終的には相当数の本を、箱に入れて金閣寺の店の地下の倉庫に保管することになるだろうが、湿気対策も含めて、その管理の仕方を考えなければならない。

 夕方になって少し寒気がして、仮眠をとる。夕食は暖まるだろうというので、妻が豚汁を作ってくれた。

 

 

 


 

3月17日(水)

 
 7時半頃起床。晴れ、時々曇り。妻は今日、入試の監督とのことで、ミニカで花園駅まで送る。帰って餅と味噌汁で朝食をすませた後、右京中央図書館に行く。前回の本を返し、また4冊借りた。京都市史の第1巻、新人物往来社刊「古代豪族と朝鮮」、松尾大社刊「松尾大社」、それに小学館刊「広隆寺と嵯峨野の名刹」。

 図書館を出てから、天気も良く暖かなので近くの寺社や遺跡を廻った。最初は秦河勝の墳墓とも言われている蛇塚に行った。秦河勝は聖徳太子を支えた葛野郡の大豪族で、当時の日本の技術や文化の近代化と仏教の普及に大きく貢献したという。技術の面では桂川(大堰川)の灌漑工事、橋梁、貯水池の建設、広隆寺などの建築や仏像など美術・工芸品の創作、農地開発や養蚕、織物の技術などの他に醸造というのもあったらしい。そのため秦氏の創建した松尾大社は「酒の神」として知られるようになったという。

 蛇塚から梅宮神社に行く。梅宮神社は橘氏の氏神で、光明皇后の母であった橘美千代が相楽郡に創建した。平安時代になって嵯峨天皇の后であった檀林皇后(橘嘉智子)が葛野郡の梅津の地に移した。
 梅宮神社の次は松尾大社と、その摂社の月読神社、そしてついでに少し南に下った所にある、若者に大人気の鈴虫寺に行く。驚いたことに、平日というのに、学校が春休みのためか、混雑するほどに若者たちが訪れていた。その後、渡月橋を渡って天竜寺へ寄って、丸太町通りを花園まで走り、マツモトで買い物をして、2時ころ家に帰る。
 帰ってから遅めの昼食に、きつねうどんを食べ、夜まで、図書館で借りてきた本を読んでいた。夕食はすき焼き。食後、本の保管のために借りているアパートに行き、本の整理。帰ってから寝るまでまた読書をしていた。
 夜中2時頃就寝。

 

 

 


 

3月16日(火)

 
 10時頃起床。晴れ。月に1度通っている上七軒の向井医院に行く。A1Cの値は7.9と横ばいで、その他も変化ないとのこと。8を超えると合併症の危険性が出てくるが、まだ7代なので薬は増やさないでゆきましょうとのことだった。竜安寺クリニックで糖尿病と診断されてもう10年近く経つが、良くも悪くもならないという感じだ。
 向井医院から丸太町のパン屋「ブーケ」で妻に頼まれたものを買い、花園のマツモトで買い物をして帰る。

 午後は本の保管のために借りているアパートに行き、本の整理をする。大型の本はだいたい運び出したが、まだ文庫がかなり残っていて、6畳の3面に置いた本棚はほとんどまだふさがっている。それでも、段ボール箱はようやくすべて運び出した。ブックオフは、売れ残った文庫本を一律100円で売っているが、金閣寺の店を開店したら、古い本は100円、50円、30円、10円などとランクをつけて売ろうかと思っている。逆に新本と同等の情報価値のあるものは、ブックオフのように3ヶ月たったら100円で売るなどということはせず、情報価値が減らない限り、一定の割数の値引きで売り続けようと思っている。

 夕食は昨日の春巻の具が半分残っているのと、賞味期限が切れたハムがあったのをフライにする、後はいつものようにもやし炒めと味噌汁を作る。食後は、明日図書館に返却しなkればならない本を、必要な箇所をコピーし、その後夜中の2時頃まで読書していた。相変わらず、古代史の本を読み続けている。

 

 


 

 


 

 


 

 


 

3月12日(金)

 
 7時半頃起床。午前中は晴れていたが、午後から少し曇ってくる。今日も朝、妻を西京極駅に車で送ろうとして、駐車場へ行くと車の中にガラスの破片らしいものが見えたのでよく見ると、後ろの窓ガラスが割られていた。車上荒らしらしい。警察に届けなければならないので、割れたまま妻を西京極まで送って行き、その後太秦警察まで行く。犯罪で警察に行くのは二度目だが、一度目も車上荒らしだった。またつまらないことで金がかかる。
 太秦警察から帰って、上七軒の「コーナン」に猫の餌などを買いに行って、午後はずっと読書をしていた。「虫めがね郷土史」を書くという趣旨で、葛野秦氏のことを調べ始めたのだが、「日本書紀」を読んでいるうちにまた大和朝廷の成り立ちの謎解解きにはまり込んで来た。これまでも、古代史の謎には何度もはまり込んで、小説も書いたことがある。だから僕の蔵書は古代史関係の本が一番多い。それらの本をまた読み返そうと思い始めている。

 コーナンからの帰り道、北野天神の梅と平野神社の桜を写真に取ろうと思って寄ってみる。平野はまだ咲いていないだろうと思っていたが、何本か早咲きのものは咲いていた。夕食後は本を保管するため借りているアパートの本を整理する。
 

 

 

 


 

3月11日(木)

 
 6時起床。起きてから『日本書紀』今日と明日の二日間、妻は入試の採点の仕事で高槻まで行くので、8時前に家を出て阪急西京極まで送ってゆく。今日は買い物にも寄らず、家に帰ってからは終日読書をしながら、『虫めがね郷土史』のコンテンツを作る記事を書いていた。
 

 弥生時代の山城国の大規模集落跡は、山科盆地の中臣遺跡、稲荷山西麓の深草遺跡、桂川右岸の鶏冠井(かいで)遺跡などがある。 深草や桂川流域は、その後山城秦氏の本拠となる地域である。 先月、2月26日、向日市の元稲荷古墳で前方後方墳の後方の隅角が確認されたという記事が、新聞で大きく報道されていた。この古墳は3世紀後半のものだというから、卑弥呼の時代のすぐ後の時代である。邪馬台国と、それに続く時代の京都では、人々はどんな生活をしていたのか。興味が尽きない。

 古墳時代になると伏見古墳群や鶏冠井遺跡から桂川を少し上流に上った地域に、松尾古墳群・嵯峨野古墳群があらわれる。これらの古墳の多くは秦氏の首長墓であると考えられている。

 秦氏の「ハタ」という名は鮎飼房之進によれば朝鮮半島の慶尚北道蔚珍の波旦という地名に由来するという。日本書紀によれば、応神天皇の時、秦氏の祖弓月君は 灌漑・土木・農業・養蚕・織物などの技術を持った120県の民を率いて渡来しようとした。しかし新羅がそれを阻んだので、弓月君は、しかなたく民を残したまま 日本にやってきた。そこで応神天皇は葛城襲津彦を遣わして、その民を日本に連れ帰ったという。

 その後 『日本書紀』によれば、雄略天皇 の時、天皇が、工匠であった闘鶏(つげの)御田(みた)が天皇しか接することのできない宮廷に使える「采女」と呼ばれる女官に近寄ったと誤解し、処刑しようとしたとき、弓月君の孫の秦酒公(さけのきみ)が琴をひいて、誤解であることを歌に託して天皇に知らせ、御田を助けたと伝える。もしこの伝説が本当にあったとことだったとしたら、こうしたことで、技術者同士の紐帯を太くし、酒公の人望を大きくすることになっただろう。

 雄略天皇15年、秦酒公は、 「諸国の秦氏の民が豪族たちに私的に使役されている。」と訴えた。秦氏一族は、応神天皇の時、朝鮮から日本にやってきて天皇の臣下となったのだが、他の豪族の臣下になったのではない。酒公の気持ちは、そんなものだっただろう。それにに対して、天皇は「愛(うつくし)び寵(めぐみ)給う」と『書紀』に書かれているから、酒公は非常に天皇に可愛がられていたのだろう、天皇は秦氏の一族の技術民らを統括するよう酒公に命じた。こうして秦酒公は技術者集団秦氏の族長となったのである。酒公は天皇への感謝のために、多種多様な庸調の(税として納められる)絹 (きぬ)縑(かとり)を奉献(たてまつ)り、朝庭にうずたかく積み上げたという。それを見て天皇は、酒公に禹豆麻佐(うつまさ)という 姓を与えたと『書記』は伝えている。これが太秦「うずまさ」という姓と地名の由来だということだ。
 太秦広隆寺の傍にある秦氏の氏神大酒神社は秦氏の祖先だとする秦の始皇帝、応神天皇の時に日本に渡来した秦氏の祖弓月君(ゆづきのきみ)、そしてこの秦酒公を祭神としている。

 

 

 


 

3月10日(水)

 
 9時起床。午前中は小雨が降っていた。昼前に花園のライフに買い物に行き、ブックオフに寄って帰る。東京大学出版会刊の『知の技法』などを買う。この『知の技法』は、同じものをブックオフで二度買っていて、3冊めになるのだが、いずれも100円で買った。今回も100円で売っていた。大学の一般教養の教科書として書かれたものだと思うが、わかりやすく、社会人でも役に立つ良書だと思う。この本の定価は1545円だから15分の1の値段で売っていること自体、ブックオフの性格がわかる。そして今の日本人にとって「思想」がどれ程の意味と価値を持つかという証になっているだろう。
 いつも言うことだが、思想というのは、人が社会生活するための、「価値判断の基準」である。そして自分自身の「人生の設計図」である。それが多くの人には100円の値打ちしかないのだ。愚にもつかない目先の快楽や、願望の疑似体験を満たすためのアニメ本より、はるかに無価値なもの、さらには鬱陶しいものだと、多くの人は考えているということなのだろう。
 こういう哲学関係の書籍が、あるいは学者が心血注いで書いた専門書籍が、僕の生活圏の大型古書店で100円で売られている限り、僕は必ず買い占めて、こういう店に置かせないようにしようと思っている。これまでも5千円を超える様な価格の専門書や古典などが100円で売られていたのをかなりの冊数買ってきたが、今後、適正な価格で僕の店で売ってゆきたいと思っている。それは営業利益になるだけでなく、文化を破壊する大型古書店やリサイクルショップの無知蒙昧な行動を阻止することになるだろう。

 


 

 夜はすき焼き。「関公」の最終回を見る。最後は、曹操が、孫権から送られてきた関羽の首を見て、泣きくずれるというところで終わった。このドラマの作者は、曹操を、才能と人間的な弱さを併せ持った、非常に人間味のある魅力的な人物として描いているが、かつての勧善懲悪型の「三国志演義」を脱して、作者の創造性や現代人の共感できる視点を占めそうとしているのだろう。そういう点では同感出来るのだが、関羽の娘が女だてらに、忍者のような活躍をするなどというのはいただけない。日本の時代劇の影響があるのかも知れない。
 日本の時代劇の方はといえば、今やっているNHKの「龍馬伝」を見ると、完全に歴史的事実を無視している。高知市から30キロ以上も離れたところに住んでいた岩崎弥太郎と高知城の城下に住んでいる坂本龍馬がどうして子供時代に一緒に遊ぶ可能性があるのか。その何でもアリというやり方は、今のアニメの作り方の影響なのだろう。山本周五郎や吉川英治、司馬遼太郎の頃の歴史小説家は、学者並みの勉強をして小説を書いた。それと比べると、今の歴史的事実を平気で無視するアニメ型の歴史小説は、もはや歴史小説とは言えないだろう。

 

 

 


 

3月9日(火)

 
 10時頃起きたのだが、ぐずぐずしていて、実際に起きたのは11時頃だった。トーストとスクランブルエッグ、ウィンナの炒め物、サラダと牛乳でブランチを取ってから、ミニカに金閣寺の店に運ぶ本を積んで、その車で妻を洛北の歯医者に送ってから、金閣寺の店に行き本を整理して、棚に詰める。
 5時半頃家に帰って、毎月1度通っている堀部眼科へ行く。やはり軽い網膜症があるということだ。眼科に行き始めたのは右目だけで見ると、視界に、ガラス窓に水滴がついたような染みがあるのに気がついたからなのだが、眼底出血していて、糖尿病が原因だという診断だった。その頃に比べると、染みは少なくなっているように感じるのだが、完全に直ることはないのかも知れない。医者は、進行するようならレーザー治療をした方が良いと言っていた。

 

 


 

3月8日(月)

 
 夜中の3時頃、猫のトラに起こされ寝られないので、そのまま朝まで起きて、金閣寺の店に運ぶ本の整理をしていた。しかし7時頃にまた眠くなって、 もう一度寝る。 今度目が覚めたのは9時頃だったが、頭がボーとしてぐずぐずしていて、しっかり起きたのは10頃だった。起きてから、昨日の夜のミンチカツと魚フライの残り、 そして味噌汁に餅を入れ、それをブランチにして食べた。その後 、昼前に花園に買い物に出る。今日はよく晴れて春らしい光があふれている。気温も暖かで自転車を運転していても気持ちが良い。花園までは山越を経由し広沢池に寄って行く。 宇多野病院の辺りにに、桃の花が咲いていた。大沢池の桜ももうすぐ咲き始めるだろう。右京区役所から南に続く天神川畔の桜並木もきれいだし、平野神社や御室のような桜の名所以外の写真 も取りに行こうと思っている。こんなことも「虫めがね郷土史」のバリエーションになるだろう。

 

 

  花園で買い物をした帰り道はよく、御室から嵐電の南側の沿道を取って帰るのだが、誰が植えて手入れしているのか菜の花が咲いていた。

 買い物を家に持って帰り、そのまま自転車で金閣寺に行き、夕方まで本の整理作業をする。15本の本棚は半分以上が埋まったが、竜安寺の残りの本の数を考えると半分くらいしか本棚には収納できないだろう。店の地下倉庫は使えるのだが、湿気の問題もあり、保管の方法を考えなければならない。

 帰り、白梅町のフレスコで買い物をして帰る。夕食はフレスコで買ってきた、豚肉アスパラチーズカツに、もやしと豚肉の炒め物、味噌汁を作る。今日も「関公」を見る。

 「関公」も27回目で、28回シリーズのいよいよ大詰めである。呉が魏と密約を交わし、突如荊州を攻撃する。関羽は魏との戦いで遠征中だったのが、荊州を守る麋芳や傅士仁などの味方が呉に内通し、背後に敵を受ける絶体絶命の危機に陥る。誠実で民衆から慕われている英雄が、狡猾で背信的な人間達に、よってたかって食い物にされるのだが、そういう構図は今も昔も変わらないということだろう。結局最後は魏の宰相となる諸葛亮のライバルであった司馬懿の子孫が中国を統一することになるのだが、もちろん小心で狡猾な人間が勝利することではない。それはバランスを保った合理性と問題解決能力いうことだろうか。

 

 


 

3月7日(日)

 
 8時に目が覚めたが、ぐずぐずしていたので、起きたのは9時頃だった。今日は夕方、白梅町のフレスコで買い物に出ただけで、終日家にいて、読書と本の整理をしていた。 夕食は昨日の残りのオイル焼きで残った野菜に豚肉を入れ中華味で野菜炒めにしたものを作り、フレスコで買ってきたミンチカツ、そして味噌汁を作る。

 

 


 

3月6日(土)

 
 8時起床、午後まで雨が降る。午前中、雨が降っていたが、自転車で花園のライフとマツモトに買い物に出る。自転車の方が小回りが効くし、ガソリン代もいらない。昼は焼きそば。野菜がいろいろ残っているので、今晩は牛肉と野菜のオイル焼きにしようと妻が言うので、午後、もう一度買い物に出る。花園のライフが黒毛和牛40パーセントOFFと今日の新聞の折り込み広告にあったので花園まで自転車で行く。夜は牛肉と野菜のオイル焼きと味噌汁。

 

 


 

3月5日(金)

 
 7時半起床。朝はカップヌードルで済ませ、整理して段ボールに詰めた本をミニカに積んで、妻を洛北の歯医者に送る。その後金閣寺の店に行って本を書棚に入れる。金閣寺の店の周りは道路幅が狭く、店の前にミニカを置くと、ゴミ収集車のような大きな車が来ると、通れない。そのゴミ収集車がやってきて、立ち往生をしているので、僕が車を移動しようと車に乗り込み発進すると車は動かず、焼けるような臭いがする。3度ほど同じようなことをして、ようやくサイドブレーキを引いたままなのに気がついた。焼けた臭いの分だけブレーキを痛めたことだろう。
 1時半頃、金閣寺の店から帰宅する。妻が歯医者の帰りに買ってきたサンドイッチとミルクで昼食を取り、午後は読書と新聞のスクラップ。時間があると、新聞のクロスワードにまで手を出す。以前は義母がクロスワードに熱中しているのを見ると、他にもっとやる意義のあることがあるのではないかと馬鹿にしていたのだが、今は自分がしている。それを見た妻が今度は僕を馬鹿にする。しかしこれはこれで、頭を錆び付かせないためには有効なゲームかも知れない。「虫眼鏡郷土史」の材料集めのために右京図書館で借りて来た本も読まなければならないのだが、2週間に5冊というのは、今の僕には読み切れないようだ。まあ、必要な所だけコピーしようと思っている。

 今はとりあえず、二つのテーマを追いかけている。花園の法金剛院、そしてその傍にある待賢門院の陵墓に因んで、待賢門院の生涯をまとめること。それは小倉百人一首の歌人である待賢門院堀川や西行法師のこと、待賢門院の愛人であった白川上皇の話や、不義の子として生まれた崇徳天皇のことや、保元・平治の乱、平家物語の話にも及んでゆくだろう。
 もう一つのテーマは太秦地域に蟠踞した秦氏の実像。6、7世紀の話というのは、古事記や日本書紀などに書かれている以外には、リアルなイメージがなかなか持てない。後は当時の河川や灌漑、干拓、田畑の状況、当時存在した寺院や神社、後期古墳や庶民の生活した竪穴住居の実像、出土物など、考古学上の知識をベースにして想像してゆく他はない。ただ学者というのは発見された事物から論証されることしか問題にしないから、事実と矛盾しない範囲で、発見されない事物を仮定し、想像して、当時の社会を頭の中に再現するするという作業は、作家など、むしろ素人の特権だろうと思う。結局僕がやろうとしていることは素人歴史小説家の道なのだろう。

 夕食は、今日もカレー、それとレンコンに挽肉を詰めて揚げたもの、そしてみそ汁。「関公」第25回を見る。

 

 

 

 


 

3月4日(木)

 
 7時半起床。天気は曇りで、また少し寒くなった。朝食はトースト、オムレツ、あらびきウィンナの炒めもの、サラダ。午前中は5日分のホームページを更新していた。他のコンテンツも作ろうと思っているのだが、余裕がない。かつては出勤前に時間を作って、さまざまなコンテンツを作っていたのだが、やはり年のせいで、作業能力だけではなく、思考のスピードも衰えてきたのだろう。まあ、アパートの整理が終われば少しは他のことも出来ると思うのだが。
 妻はまだ風邪が治っていないのだが、バレエのレッスンに行き、昼過ぎに帰る。昼食はトーストとミルクだけで済ませ、午後は本の保管のために借りているアパートに行き、整理をする。もうかなりの本を段ボールにつめて金閣寺の店に運んだのだが、まだ本棚以外に20箱くらい段ボールケースに入れたものがある。まあ、開店はいつになっても誰にも迷惑をかけるわけではないから焦ることもないのだが、アパートの解約が1ヶ月遅くなれば月6万円の家賃と公共料金を払わなければならない。

 夕方、妻が猫のトイレ用の砂を買ってきてほしいと言っていたので、セイバースに買いに行く。498円で通常の価格より100円安い上に、今日は10パーセント引きの日なので、さらに50円ほど安い。2つ買ったので300円ほどの節約になる。他にもいつも買っている猫のエサを2箱買う。これも10パーセント引きで、90円ほどの節約。無収入になった今の僕には390円の節約は大きい。

 夕食は、今日もカレー。カレーを作ると数日続くのは毎度のことだ。あらびきウィンナが残っていたので、今日はウィンナカレー、サラダ、味噌汁のメニュー。「関公」第24回を見る。夕食後は新聞のスクラップをしていた。

 

 


 

3月3日(水)

 
 8時起床。 早春の強く冷たい風が吹いていたが、日差しはもうすっかり春の明るさになっていた。朝は菓子パンとコーヒーだけですませて、午前中部屋の片付けをしていた。本棚や押し入れを整理して、金閣寺の店に運ぶ物を出して段ボールにつめるのだが、その度にまた片付けたり捨てたりする物が増えてゆく。
 11時過ぎに、家を出て右京図書館へ借りていた本を返しに行く。そしてまた次の本を借りてきた。講談社のグラビア本「京都を歩く」シリーズの「衣笠」と「花園」、淡交社の「街道を歩く〜京への道」、京都新聞社の「京都の歴史(1)」、そして河出書房新社の謎の古代〜京・近江の5冊だ。「虫めがね郷土史」の下地を作ってゆこうということで図書館を最大限、利用してゆくつもりだ。京都の歴史や文化に関する書籍や新聞、雑誌から衣笠、花園、太秦、嵯峨の地域の記事を集めてゆくだけでも、意味があるだろう。そして本に扱われることのないようなレベルの、或いは角度の話題や画像を独自に取材してストックしてゆくつもりだ。

 図書館を出てから、蚕の社という名で知られる木嶋神社に行った。前にも一度、妻と一緒に来たことがあるのだが、写真を撮るために、また寄ってみたのだ。京福電鉄の駅名にもなっている「蚕の社」は、古代、この地域を支配した渡来系の豪族、山城秦氏が天御中主神など四柱を祭った神社である。秦氏は養蚕と機織、そして治水・感慨の先進的技術によって、大きな勢力を作り上げていったのだが、それが「蚕の社」という名に残された。神社の奥の森にある三本柱の鳥居は、江戸時代の天保年間に修復されたものだそうだが、その三本柱の鳥居の形は古代朝鮮のもので、飛鳥時代からの様式を伝えたものだ。飛鳥時代、この地域は漢の始皇帝の子孫を称する族長に率いられた秦氏一族が住む、当時の日本ではもっとも先進的な技術をもった渡来人の村だったのだ。木嶋神社は平安時代、干ばつの時には、朝廷によって祈雨の奉幣があり、平安後期には正一位を与えられ、鴨社、稲荷、八幡などとともに、京都でも主要な神社だったらしい。

 

 この太秦の地には蛇塚と呼ばれている横穴式石室だけが残された古墳がある。6世紀末から7世紀初め頃の秦氏の族長の墓と言われているが、その大きさは墳長75メートルあり、飛鳥の蘇我馬子の墓といわれる石舞台古墳に匹敵する大きさである。時代的には聖徳太子を支え、広隆寺を創建した秦河勝の墓なのかも知れない。

 木嶋神社の後、帷子辻駅にゆき、ダイソーで買い物をし、帰り道に秦氏の氏神である大酒神社を写真におさめて帰る。この神社は何ということもない小さな社なのだが、秦氏が太秦に移住した時からの歴史をもっている。祭神は秦始皇帝、応神天皇の時代に日本に渡来したと伝えられている秦氏の祖先弓月君、そして秦酒公を祀っている。横を通っても見過ごしてしまいそうだが、そんなことを知ると、この小さな杜も古代の物語を偲ばせてくれる。

 1時半頃帰宅し、焼きそばにトンカツをのせて、味噌汁をつけて昼食。午後は図書館で借りてきた本を読んでいた。夜食は昨日つくったカレーにウィンナソーセージを炒めたものをのせ、野菜サラダを付ける。

 夕食時、クローズアップ現代でイラクで拉致され日本中から迫害的な非難を浴びせられた高遠菜穂子さんの、その後6年間の軌跡を取り上げていた。僕のホームページでもコンテンツを作って応援していたのだが、彼女は、迫害的な非難のショックで、一時は自殺まで考えたという。その彼女を救ったのは、イラク人の彼女への感謝だったという。

 当時、国家主義を煽り立てるフジ産経グループのフジテレビや日本テレビなどは、連日のように、高遠さんら、拉致されたイラクボランティアのことを、武装ゲリラのスパイ説まで開陳して、まるで犯罪者のように報道していた。かれらは今も無責任なエスノセントリリズム(自民族中心主義)をばらまき続けているのだが、それに比べるとNHKはすごく良心的だと思う。フジ産経グループに巣くう国家主義者らは、このNHKの報道をどう思っているのだろうか。

 国家をファシズムや侵略的な火遊びに誘い込んで、一花咲かせようとする右翼的な若者がどんどん増えている。就職難がひどくなればなるほど、偏差値エリートと、受験競争からこぼれ落ちた若者の落差が大きくなればなるほど、企業の使い捨て的な雇用形態が広がれば広がるほど暴力と火遊びに活路を探す若者が増えてゆく。今年中に日本のGDPは中国に抜かれるという。トヨタ問題が象徴するように、日本式経営はすでに破綻している。
 そんな日本の閉塞状況の中で、農漁業や伝統産業の再生、クリーンエネルギーの構築などではなく、国家を火遊びに引きずりこんで、そのためにトラブルを探すような若者が主人公になっていったら、日本はもう滅んてしまうのではないか。
 

 


 

3月2日(火)

 
  9時起床。昨夜10時半頃に寝たので10時間以上寝ていたことになる。それでも体調は芳しくない。朝はインスタントの焼きそばですませ、雑用で時間が過ぎる。昼は昨夜の焼きめしにスクランブルエッグ、ハムの炒め物とサラダ。食後京都銀行に行き、国民年金3ヶ月分を払い込みに行く。44000円。銀行を出て丸太町のブーケ、花園のマツモトで買い物をし、帰宅。午後はアパートの本の整理。夜はカレーを作る。それに買ってきたトンカツ、サラダ、昨夜の湯豆腐の残り。「関公」の23回目を見る。劉備は漢中王となり、関羽は劉備と別れて荊州を守ることになる。諸葛孔明も劉備の下に去ってゆく。そして次第に暗雲を予感させる出来事が起こってゆく。


 食後は自分の部屋の本棚を整理し、金閣寺の店に持ってゆくものを段ボール箱に整理する。その後読書。花園の法金剛院に住み、その傍に陵墓がある待賢門院について調べようと思っている。読書に疲れて1時頃就寝する。

 

 


 

3月1日(月)

 
 8時起床。晴れ。朝は昨日食べたうどんが半分残っていたので、インスタントのうどん出汁を使って、それですませる。
 午前中、花園のライフに買い物に行く。チキンラーメン5個入りが175円、ポンジュースのペットボトル6本入りが898円の広告を見て飛んでいったという感じだ。チキンラーメンは、1人2パックまでということだったので、2パック買ったのだが、イズミヤに比べたら、チキンラーメンとポンジュースだけで800円は節約出来たことになる。ライフはあまり安売りしないので、来ることは少ないのだが、ライフもとうとうデフレスパイラルに巻き込まれたということかも知れない。今の世の中、明らかにデフレが進行している。そして店ごとの価格差が単なる値引きでは説明の出来ないような事態になっている。広告商品になると、半額という価格差も当たり前になってきているから、店を選んで、広告商品ばかりを買ってゆけば、1日分の買い物で500円以上の節約は簡単にできてしまう。
 開店から少したった頃ライフについたのだが、僕が特売のチキンラーメンはどこにあるのだろうと探していると、アラフォーの女が、猛烈な勢いで僕を追いかけて行った。たぶんこれだろうとその後をついてゆくと、やはりそれだった。100食分だけの特売商品だったのだが、まだ開けていない箱があるので、僕が安心して待っていると、傍で様子を見ている老夫婦もすぐにこれに飛びついた。そして瞬く間にチキンラーメンは売れてしまったようだ。
 昼はさっそくチキンラーメンに白菜を入れ、昨日の残りのイカフライをのせて食べた。チキンラーメンは1個35円、白菜は10円分くらいだ。イカフライは別にすれば1食50円以下の昼食である。
 午後は金閣寺に持ってゆくために本の整理をする。妻の風邪はようやく治りはじめたようで、僕が夕食の準備をするのを手伝った。メニューは残っている材料ばかりで、豚肉入りの焼きめしと湯豆腐を食べる。「関公」の22回目を見る。その後も本の自分の部屋の本の整理をしていたのだが、ソファーで少し休んでいる内に10時半頃ソファーで寝てしまった。
 

 


 

2月28日(日)

 
 夜中の1時半頃目が覚めた。眠れないので、朝まで新聞のスクラップをしていた。昨夜からずっと雨が降っている。自転車にカバーをかけていなかったのを思い出し、玄関を出て自転車にカバーをかけにゆく。朝はトーストとサラダ、昨日の串カツの残りとすまし汁。午前中は花園のマツモトに買い物に行きブックオフに寄る。
 買い物の荷物が大きくなったので、家に一度帰り、もう一度出て丸太町のブーケと白梅町のフレスコで買い物をして帰る。妻はまだ風邪が治らないが、食欲はあるようで、昼はブーケで買ってきたサンドイッチを昨日の残りのサラダ巻きを食べた。僕はレトルトだが好物の天ぷらうどんを食べる。
 妻の風邪はのど風邪に始まったのだが、今は鼻づまりと7度少しの微熱の症状で、症状に合った薬がほしいというので、食事の後、イズミヤに薬を買いに行く。ついでにいなりずしとまぐろのにぎりを追加し、朝、マツモトで買ったサラダ巻きと一緒に、夕食もすしにする。食事の用意はすまし汁を作るのみ。今日は妻が風邪なので、「関公」は休む。

 

 


 

2月27日(土)

 
 7時起床。朝食前に新聞のスクラップをしていた。ちくわが消費期限を越えていたので、朝食はラーメンにもやしと玉子、ちくわを入れて食べる。絶対に食材を捨てることのないようにしないといけない。なにせ、失業中なのだから。
 妻はずっと風邪で寝ている。僕は午前中アパートの荷物の整理をする。その後、いつものように花園で買い物をし丸太町のブーケでパンを買って、金券ショップのトーカイでJCBの商品券を買って帰る。昼食はブーケで買ったパンとサラダ、スープ。昼から金閣寺の店に本や布団などを運び、本を棚に詰める。家に帰ってから、夕食まで新聞のスクラップをする。
 夕食は妻はサラダ巻きが食べたいと言っていたので、朝マツモトでそれを買っていた。妻はそれを食べ、僕は好物のうどん作って、買っておいた天ぷらを乗せて食べる。「関公」第21回を見る。有名な「赤壁の戦い」の場面なのだが、「関公」の中ではすっ飛ばされていて、ナレーションだけで終わった。関羽は曹操の下にいた時の繋がりが心配されて、赤壁の戦いから外され、曹操の退路を断つという後方の任務につけられていたのだが、いくらなんでもひどすぎるという感じがした。
 この後、関羽は昔の義理に縛られて、落ち延びてゆく曹操を見逃すことになるのだが、史実はどうだったのか。或いは関羽は曹操のことをどう思っていたのだろうか。劉備・関羽・張飛が皆臣死んだ後も、諸葛孔明は執念のように北伐、魏の打倒を目指すのだが、関羽は諸葛孔明のような気持ちはなかったのかも知れない。あるいは劉備の下に帰るか、曹操につくかという迷いの中にあったのかも知れない。

 その後、寝間のコタツで用事をしていると、猫のチャーが膝に登ってきて、膝の上で寝てしまう。僕も用事を続けるのをあきらめて休んでいるうち、11頃一緒に寝てしまった。


 

 


 

2月26日(金)

 
 6時起床。もう早春と言ってよい暖かさだが、天気は一日雨。朝食はトースト、ハムエッグとサラダ、スープ。食事の後、妻が洛北の歯医者に行くというので、車で送ってゆく。たとえ220円のバス代でも、それを始末しようというわけだ。
 午前中は書庫にするため借りているアパートの整理をする。買っていたことも忘れていた本で、なかなか貴重なものもある。整理していて飽きない。
 昼は焼きそばを作る。先日買った京セラのスライサーという調理器具は、使い方を誤って、指を怪我することになったのだが、その後も、使うのが面白くて毎日キャベツを切ってサラダを作っている。ただどうしても全部をサラダ用に切ることが出来ず、端は残ってしまう。それを無理に切ろうとして指を切ってしまったのだが、その残った端を使って焼きそばにしようというわけだ。
 食事をしている時、妻が、喉が少し痛くて、咳が出る。風邪を引いたらしいというので、いつも頼んでいる雑誌を受け取りがてら、白梅町のイズミヤに風邪薬を買いに行く。妻は、寒暖差が大きい時、よくのど風邪を引く。最初はそれ程でもないのだが、そのうち熱を出す。暖かくなったとはいえ、2月の気温で、雨が降って湿度が高いから、冷たい湿気が着物を通して身体を冷やすのかも知れない。

 イズミヤととなりのフレスコで買い物をして戻って1時間ほど休んでから、3階の書庫の整理をする。すでにかなりの本を降ろしたのだが、まだ残っている段ボールの中から30年以上昔に作って、その後その存在も忘れていたスクラップブックを見つけた。かなりの量がある。この当時、日本史の中でも、特に古代史に熱中していたのだが、スクラップブックの中には、古代史のファイルもあった。この時代は、クリアファイルなどまだ無かったから、藁半紙に糊で貼り付けてパンチで穴を開け、紙ファイルに閉じていた。その藁半紙も記事そのものも、すっかり茶色に変色してしまっているが、とりあえずこの古いスクラップを再度クリアファイルに入れ、必要があればコピーして保存しようと思っている。記事そのものは、新聞記事でとくに残すべき意味はないが、集め方というのはオリジナルな意味を持っている。だからこそスクラップすることの価値があるのだろう。

 夕方は最近の新聞のスクラップをする。最近、中国で曹操の墓が発見されたというニュースがあったが、その後、その墓のある小さな村は交通ラッシュになっているらしい。秦の始皇帝の「兵馬俑」が発見されたのはもう30年以上前のことだが、ともかく中国の考古学上の発見というはスケールが大きい。曹操の墓というのも、まだ真偽は確定していないが、本物だとすると、「三国志」の背景を裏付ける実際の証拠物件となるだけに、興味をそそられる。僕は旅行で西安に行った時、兵馬俑と永泰公主の陵墓を見たが、即天武后の時代の悲劇の王女の物語がぐんとリアルなイメージで感じられたのを覚えている。

 夜は妻が風邪気味だというので、歯医者の帰りに暖まるだろうとうどんを買ってきていたので、僕がうどんを作った。二人前のうどんを買ってきていたのだが、もう若くない僕らには、二人で一つで充分だ。ただし僕の方はビールとつまみを口にするのだが。今日も「関羽」を見る。第21回、ようやく「三顧の礼」の話で諸葛孔明が登場する。

 

 


 

2月25日(木)

 

   8時頃起床。朝食はスナックだけで済ませて、朝方は日記とホームページの更新、新聞のスクラップをしていた。その後午前中は3階の書庫の本の整理と、竜安寺の店に運ぶものを段ボールに入れる作業をしていた。昼はトーストとサラダとコーヒーの昼食を取り、バレエのレッスンで出かけていた妻が帰ってきた後、竜安寺の店に行く。すでに運んであった段ボールを開け、本を分類しながら棚に詰めてゆく。狭い店なので、どう考えても1万冊は入らないだろう。だから1階の店だけでは、借りているアパートの本は入りそうにない。1本の本棚の棚段の数はもう1段増やせるところも何本かある。それともう1本本棚を置けそうな空間があるにはあるのだが、ただし頼むとなると又5万以上の費用はいるだろう。

 

 


 

2月24日(水)

 

 6時頃起きるが、ぼんやりして何も手に付かず、この前送ってきた「歴史読本」の3月号を呼んだりしていたが、気分をすっきりさせようと朝風呂に入った。僕は風呂嫌いなのだが、朝風呂は好きだ。会社で働いていた時、僕のテリトリーの出張先の金沢でいつも泊まる「金沢セントラルホテル」というビジネスホテルは小さいながらも温泉があって、よく朝に入ったものだった。
 昼食後、妻と国立博物館の「ハプスブルグ家の美術品」展を見に行く。以前から音楽史の世界で、モーツァルトやワグナーをめぐる人物として話しも知っていたし、肖像画も見ていたハプスブルグ家のマリア=テレジアやフランツ=ヨーゼフ、皇妃エリザベートの肖像画の実物を見たいと思っていたのだが、テレビでも話題になった江戸初期の大阪城の屏風絵もなかったし、陳列された美術品の数が少なく、1時間もかけずに見終わってしまった。ウィーンに旅行した時に見た博物館や美術館の規模と比べると子供だましの感じがする。来月また「長谷川等伯展」があるとのことで、懲りもせず見に来ようと思っているのだが、無収入の今の境遇では、一人1400円の出費も痛い。昔は1万円もするクラシックの演奏会に毎週のように通った時期もあったのだが・・・。
 夜は湯豆腐と焼き魚、もやし炒めのあり合わせの夕食。「関公」第18回を見る。

 

 

 


 

2月23日(火)

 

 9時起床。やわらかな春の日差しの一日だった。起きたのが遅かったので、朝は食べず。午前中、先月の電力料金の計算書が来たので、先月に比べてどうだったか見ると、請求金額が1万1千円少なかった。暖房をエアコンから石油ストーブに変えて、使用している電球をすべてLEDに変えたのだが、その効果だろうと思う。石油は1月に3千円ほどかかっているから、8千円ほど節約したことになる。無収入となった今、省エネは生活に直結する現実的な問題になっている。
 昼食はトーストとサラダ、ハンバーグの残り、オムレツ。昼から金閣寺の店の公共料金を自動振り込みにするため、白梅町の京都銀行に行く。その後、円町のトーカイで例によってJCB商品券を買い、「みどり電化」、手作りパン屋の「ブーケ」、「生鮮館」で買い物をして帰る。
「みどり電化」はJCBの商品券が使え、有効期間28日までのクーポン券が新聞の折り込み広告に入っていたので、それを使って買い物をする。「ブーケ」は妻のお気に入りのパン屋で毎週火曜日は20パーセント割引になる商品券を呉れる。「生鮮館」も、野菜や生鮮食品は白梅町のイズミヤよりは安いものが多い。今晩は魚フライにするというので、エビと獅子唐など野菜を買って帰る。夕食時は今日も「関公」を見る。第17回。
 

 


 

2月22日(月)

 

 4時半起床。晴れ。朝はみそ汁に餅を焼いてすませる簡単朝食。午前中はホームページの更新。その後マツモトが10パーセントOFFだったので昼前に花園に買い物に行く。ブックオフで講談社新書「西太后」などを買う。1時半帰宅。昼食は取らず、スナックをつまむだけですます。今日は起きたのが早かった為か、帰ってから眠くなって、2時間ほどうたた寝をしてしまった。夕方、アパートの荷物の整理をする。3月末までには、整理を終えたいのだが、なかなか捗らない、夜は牛肉のオイル焼き。みそ汁。「関公」の第17回を見る。 曹操が突然しかけてきた攻撃で、劉備、関羽、張飛は散り散りになり、関羽は劉備の二人の妻とともに曹操の軍に包囲され、劉備の妻を助けるため、関羽は心ならずも投降し、曹操の幕下に日を過ごすことになる。
 曹操というのは、「三国志演義」では主人公である劉備・関羽・張飛・諸葛孔明などの仇役になるなのだが、人間としてはむしろ、劉備よりも個性的で魅力的な人物だ。才能のある人物にすぐに惚れ込み、やたらヘッドハンティングしたがる。関羽は曹操に降伏するのだが、曹操は関羽に最大限の好意を持って遇する。そういう曹操の体質が引き継がれ、魏の宰相であった司馬氏が中国を統一することになる下地を作っていったのかも知れない。

 日本人にとっては、「愛」という言葉は外国語でしかない。そして「愛」という言葉を日本人が使っても、そこにはすでに「欲」が混在してしまっている。「思いやり」という言葉も駄目だ。「思いやり」という言葉は、初めから注文に嵌めるような絆の形がある。一体感を期待する空手形めいた相互扶助思想であって、 安全・安心・同一化を求める心理規制でしかない。だから、この「思いやり」という言葉は、現津主義を標榜する保守的な人間が好むのだろう。
 「人情」という言葉でも不完全だ。その言葉を使う人によって、その意味が自在に変わってしまう。そして価値を育み、育てるというニュアンスがない。

 結局僕は人間のポジティブな精神を表現する時、「善意志」という言葉しか使えない。法を守る、ルールを守る、約束を守るという形としての「善」ではなく、内発的な 「意志」を持った「善」である。法を破る「善」もある。ルールを破る「善」もある。法を破り、ルールを破ることのリスクも引き受けて、あえて自分の信じる「善」を行う。それが僕の考える「善意志」である。それは法を超えて、ルールを超えて、普遍的な価値を求める故に、自分を生かしている環境や社会の存続と進化のために、生命の類的な本質を体現するがために、自分を育てようとする、そして自分が繋がる人や社会を育もうとする、そしてその為に身の丈にあった価値を創造し、未来に残そうとする。そういう精神を、僕は「善意志」と呼ぶ。

 倫理の本質が「自律」、「自裁」の思想であることは、西洋も東洋も変わらない。そして日本においては「武士道」がその精神を持っている。切腹することの意味は「自裁」の思想から生まれて来る。利益になろうが、不利益になろうが、そんなことでは動かない。道理に従って行動し、帰属する環境と社会のために、なにがしかの役割を果たし、未来に受け継がれるべき価値を残して死ぬ。そしてそれに一番相応しい時を選び、自分の死ぬ時と死場所は自分で決める。それが「武士道」だろう。僕は、それに少しでも近づきたいと思っている。

 

 

 


 

2月21日(日)

 

  7時半起床。終日晴れて暖かい一日だった。起きてから、2階の廊下の本棚の整理をする。そのあと、朝食に天ぷらうどんを食べて、午前中は今日も新聞のスクラップをしていた。昼はトーストと炒めたウィンナソーセージ、オムレツ、サラダ、これも簡単定番の我家の昼食だ。
昼から妻を連れて、金閣寺の店に本を運んだ後、白梅町のイズミヤで買い物、出がけに新聞の折り込み広告を見ると、今日はまぐろと牛肉が安いというので、今日、明日の食事の材料にそれらを買う。その後、御室の京善で石油を買って帰る。
 午後は買い物から帰ってから、本を置くために借りているアパートの整理をする。今週からアパートの整理をし、3月中には金閣寺の店に移したいと思っているのだが。
 夜は湯豆腐、今日買ってきたまぐろの造り、天ぷら、もやし炒め。もやし炒めというのは、カロリーコントロールのために、低カロリーで、繊維を摂ることの出来る食物というので毎日食べているのだが、揚げ物と麺類が何より好きで、そんなものばかり食べているから結局帳消しになってしまうかも知れないのだが・・・。今日も「関公」を見る。第15回。
 

 

 


 

2月20日(土)

 

 7時起床。  朝から、晴れて暖かな天気だった。朝はトーストとサラダと残りもののハンバーグで食事を取り、午前中はまた新聞のスクラップをしていた。昼はインスタントのうどんですませ、午後は竜安寺の店に行き作業をする。ようやく地下の段ボールを全部店に上げた。来週からは竜安寺の家の本と、アパートの本の整理と移動を始めるつもりだが、どれぐらい時間がかかるかわからない。それによってアパートを解約する時期が決まるのだが、1ヶ月早く終われば、それだけで6万円の家賃を節約できる。春休みになれば、引っ越しのシーズンになるので、運送会社の代金が高くなる。それを考えれば、引っ越しは4月になってシーズンが終わってからの方が良いだろう。
 いずれにせよ、60からの人生は「おまけの人生」だ。何も追いかけられるような生き方をする必要はない。残せるものを整理して、誰かに委ねることが出来ればそれで良い。金がなくなって、生活出来なくなれば、それが僕の寿命ということだ。それまでに残せるものを整理して、誰かに委ね、死ぬときは何も残っていないというのが僕の理想の人生の形だ。

 金閣寺からの帰り、衣笠のセイバースと白梅町のイズミヤ、フレスコで買い物をして帰る。セイバースはまた10パーセントOFFをやっている。
 夕食は湯豆腐と焼き魚、それに残り物のハンバーグ。食べる量も少ない2人の食事だから、カレーにしても、おでんにしても、ハンバーグにしても、作った日の残りが翌日、翌々日と続く。「関公」の第14回を見る。

 

 

 


 

2月19日(金)

 

 疲れていたのか、何度も目が覚めたが、また寝てしまい、起きたら10時近くだった。朝のうちは晴れていたが、昼頃から曇るが、風もなく寒くはない。
 寝過ぎたためか、食欲もあまりなく、起きてからインスタントの天ぷらそばを食べ、その後もスナックを食べるだけで、夜まで食事らしい食事はせず、終日家にいてスクラップをしていた。今年になってスクラップを始めたのだが、すでに40ピース、80ページ分のA4のクリアブックを2冊消化し、それ以外にカテゴリーに分類したクリアブックを5冊作っている。最初は切り取った記事を順番にクリアブックに入れるだけだったのだが、次第にカテゴリーに分類するようになり、さらにそのカテゴリーも増えてゆくという具合で、最近10日分の新聞をスクラップするのに昨日から初め、今日一日かかってまだ終わらない。
 考えてみれば、朝刊だけでも新書1冊分ほどの活字数がある。僕は「毎日新聞」と「読売新聞」の2紙を取っているが、それが10日分で、さらに夕刊も加えると20冊から30冊の本を読んで、整理しているのと同じことになる。これまで働いている時に、やろうと思いながら出来なかったのは当然だろう。こんなことは失業者にしか出来ない仕事だ。
 とすると、これは失業者にとっての仕事になるのではないか。金にならなくても、役にはたつ。役にたたなければスクラップブックを作ることもない。役にたつなら、作ってくれと金を出して頼む人もいるのではないか。いや役にたつのなら、きれいに製本すれば売ることも出来るのではないか。スクラップブックそのものを売るのなら、著作権に触れることもないだろう。

 働き口が無くとも、仕事がないなどということが、ある筈がない。金も資格も肩書きもない失業者に出来る仕事がもぐりの廃品回収業かダフ屋だけだというのは、自己限定する先入観が与える幻想だ。

 夜は、ハンバーグを作る。それに、まだ残っているカレーを食べる。「関公」の13回を見る。

 

 

 


 

2月18日(木)

 

 8時起床。終日薄曇り。朝、朝食のサラダを作るために、先日買った調理器具を使ってキャベツを切っている時、指を切ってしまった。相当に深く切れたらしく、血が止まらない。何かきっちりと注文に嵌った感じがする。午前中、金閣寺に運ぶ本を整理、借りているアパートの本も整理し始める。
 午前中、妻は常磐にあるバレー教室に行っているので、昼頃花園のマツモトで待ち合わせ買い物をし、京善で石油を買って帰る。夜は肉じゃがと焼き魚。「関公」の第12回を見る。

 

 


 

2月17日(水)

 
 7時起床。天気は晴れだが寒い一日だった。朝は昨日のフライの残りを焼きそばに乗せて食べる。午前中ハローワークに行く。雇用保険の失業給付を申請した者は、「認定日」と呼ばれる、決められた日にハローワークに行かなければならないということだ。
 ハローワークを出てから、「虫めがね郷土史」の取材で、千本通り周辺の寺院や公園へ行く。まず千本釈迦堂に行き、それから千本えんま堂、そして船岡山公園、今宮神社、大徳寺に行った。
 船岡山というと、学生時代にオーケストラの練習場が、大学紛争でキャンパスがバリケード封鎖されたため、練習場に入れず、船岡山公園まで楽器を運んで練習した思い出がある。ここに来るのはそれ以来のことだ。考えてみれば、京都に住んで40年になるのに訪れた所というのは、よそから来る観光客とあまり変わらないだろう。
 船岡山というのは大徳寺のすぐ南の丘だが、100を少し超える高さがあり、市街地を眺望できるため、戦国時代、京都が政権抗争の舞台になると、戦略上重要な場所として、しばしば戦いの舞台になった。平和な今では、近くの幼稚園の園児たちの遠足場所になっているが、丘からの眺望が、戦国時代武将たちが、市街地の敵の動きを見張っていた物語を想像させてくれる。
 明治時代、織田信長が皇室を尊崇したという評価を受け、この船岡山に信長を祭る建勲神社が創建された。織田信長は自ら神になろうとした人間とも言われるが、天皇制原理主義とは対局にある思想の持ち主で、徹底した合理主義者である。そして猛烈に自尊心の強い人間である。その信長が天皇制原理主義者によって神にされようとは、つまり、他人に政治的、イデオロギー的に利用されようとは思いも寄らないことだっただろう。

  船岡山を下りて、今宮神社と大徳寺に行く。その後、金閣寺の店に行き地下の段ボールを開け本を整理、本棚に入れる作業。今日はかなり動き回ったので、疲れてしまい、竜安寺の家に帰ってから、夜まで眠る。
 夜は今日もカレー。そして残り物のカツ。カレーを作ると1週間続く。「関公」の11回を見る。
 

 

     

 

 

 

 


 

2月16日(火)

 
  7時に目が覚めたのだが、寝床でぐずぐずしていて起きたのは8時だった。朝食はうどんに残り物のえび天を乗せてすませる。午前中、花園のマツモトへ買い物に出かける。昼もまたうどん。最近デフレ下の価格競争でものの値段が混乱していることが多いと思うのだが、うどんの値段というのもよくわからない。僕はいつもマツモトの「嵯峨野うどん」を買うのだが、その値段は25円。しかしイズミヤで売っているうどんはだいたい45円だ。どうして倍もするのか。

 ともかく25円のうどんに、自分でだしを取ってかけ汁を作れば、一食30円で済む。玉子を入れるとしても、マツモトは毎週火曜日を「たまごの日」にして90円以下で売るので、それを使えば一食40円で玉子うどんが出来る。

 考えてみると、食費などというのは大した負担にはならない。1人1日千円、月3万円、2人6万円で充分済ませることが出来る。ところが、医療費は保険料だけで3万円、2人で6万円を超えている。僕は、毎月1度内科と眼科に通っているので、月4万円になる。公共料金は5万円、地代は3万4千円に値上げすると地主は言って来ている。これに加えて住民税や所得税、固定資産税、国民年金が加わり、さらに保険料が加わる。ここにはまだ被服費や寝具、生活用品、消耗品などの費用は入っていない。これからは金閣寺の店の費用も発生する。

 僕らの世代以後は、年金で生活出来る人は希だろう。生活保護以下の年金しかもらえない人も多いだろう。貯金があれば、それを食いつぶして、年金と併せて、ようやく暮らせるというのが相場なのではないか。貯金もなく、働けなくなったら、それこそ暮らしは立ちゆかなくなる。そういう人が、今の日本には、どんどん増えているだろうと思う。


 午後、文英堂の総務のD君が家にやってきた。僕の住民税を代行して6ヶ月分会社から納付したが、その内の1ヶ月分が天引きし漏らしているとのことだった。32000円だというので、それを渡す。会社を辞めてから、僕を訪ねて家に来るのは金をむしり取りにくる人間ばかりである。

 文英堂の総務部はベテランの女性社員が1人だけいるのだが、それ以外は総務部長も、今日うちに来たD君も、入社して2,3年しか立っていない。今の会社の状況を象徴しているような人員配置だが、特に資産を管理している総務部や人事・労担を管轄している社長室は、これまでも社員の入れ替わりが激しい。役に立たないと、追い出されるように辞めていった社員も多く、また特徴的なのは、生え抜きの社員はほとんどおらず、女性社員を除いて、殆どS銀行やB社から来る人で構成されているということだ。最近では、営業部もS銀行やB社からの社員が、管理職を占めるようになってきている。彼らは人柄の善し悪しは別にして、文英堂の過去の経緯を何も知らずに入ってきて、いきなり文英堂の経営に関与し、社員を指揮命令している。
 野球の経験も無いどころか、野球のルールも知らずに、いきなり野球の監督やコーチをし始めるのと同じことだ。これで企業の経営がなり立つのだとしたら、僕の常識や判断力も、相当に変更しなければならないことになるだろう。
 

 


 

2月15日(月)

 
 7時起床。雌猫のミーが、餌をねだりに来て起こされる。最近はいつも朝に餌をねだりに来るようになった。そこで僕は枕元に餌を入れた箱を置いておいて、ねだりに来ると出してやる。そうするとミーは餌を食べて一度部屋を出て行くのだが、僕が起きてコタツで座って、何か書いていたり、本を読んでいたり、パソコンに向かっていると、またやってきて僕の膝に乗って甘えてくる。そういう習慣が出来てしまったようだ。
 朝食はちくわ入りもやし炒め。午前中掛かり付けのM内科に行く。糖尿病の経過観察と検査、投薬が、50歳すぎ頃からずっと続いている。良くも悪くもならずという状態なのだが、それが良い経過ということなのだろうか。家に帰って昼食、またうどん。
昼から花園のマツモトで買い物。今日は10パーセントOFF。その後、すぐ近くのブックオフで中国のDVD「関公」を買う。10枚組で4800円だった。
 夕食は今日もカレーライス。カレーを作ると、数日カレーが続くのが常だ。昨日まで見ていた「孫悟空」は中止し、今日買ったばかりの「関公」を見る。関公というのは、三国志の関羽の物語である。関羽のビデオは以前9枚組の1から4までを買って見ていたのだが、しばらく見ていると今日買ったものは同じビデオであることがわかった。だから1から4まではダブったことになる。まあ、店を始めたら売りに出せば良いのだが。
 

 


 

2月14日(日)

 
 7時起床。朝起きてから、ちらかった部屋の整理をしてから 妻を西京極まで送り、帰ってから朝食を取る。トーストと目玉焼 き2個、インスタントのコーンスープの簡単メニュー。
 朝食の後北大路のビブレに行く。10年前のプリップカードを使わずに放ったらかしにしていたのだが、まだ使えるかどうかを確かめ、買い物をしようと思ったからだが、予想どうりカードは今は使えないとのこと、現金で精算するとのことだった。1万6千円ほど残っていたが、今は無収入の僕にとっては貴重な金だ。ついでにビブレの中の大垣書店で、「なるほど知図帖2010」とハンドブックタイプの京都市地図を買う。「なるほど知図帖2010」は現在のさまざまな情報、統計を日本地図と併せたもので、見ているだけで楽しいし、日本の時事的な問題を考える時に役に立つ。ハンドブックタイプの地図は、「虫めがね郷土史」の取材に使うためだ。
 その後、妻が今日はカレーにするから野菜を買っておいてほしいと言っていたので、円町のフレスコに行き買い物をして帰る。帰ってから味噌汁に餅を焼いて入れ昼食にする。食後、金閣寺の店に行き、地下の本を本棚に詰める。
 店からの帰り、もう一度白梅町のイズミヤと、新しく出来た白梅町の「フレスコ」で買い物をして帰る。イズミヤは昨日と今日、5パーセントOFF。調理器具などを買って帰る。リタイアしてから、家事をすることが増えたのだが、調理器具というのは使ったことがなかったが、家に帰って、それを使ってサラダ用にキャベツを切ってみたら、あっという間にサラダが出来た。今日一番の「感動体験」である。
 

 今日は旧正月である。中国ではこれから1週間の休暇になるとのこと、中国人が休暇を利用して日本にやって来て、秋葉原の電気屋街がにぎわっているらしい。日本経済はいまや中国人なしには考えられないようになっているということだろう。

 

 


 

2月13日(土)

 
 今日も夜中の3時頃に目が覚めた。目が冴えて眠れないので、しばらく日記を書いて、それから風呂に入る。午前中は小雨が降っていた。昼から雨はあがったが、一日中曇り空の天気だった。今日も妻を西京極に送ってから、ラーメンに白菜と玉子、昨日の残りの天ぷらを放り込んだ簡単朝食。午前中はホームページの更新や金閣寺に運ぶ本などの整理をしていた。
 昼もお湯を注すだけのミニ天そばに餅を焼いて入れるだけの簡単昼食。午後から、また円町の金券ショップに行き、京都市交通局のプリペイドカードなどを買い、白梅町の「イズミヤ」、最近イズミヤの隣りにオープンしたディスカウント・フードショップの「フレスコ」で買い物をする。ようやく、イズミヤに競争を強いるような店が白梅町に出来た。これまで、平野神社の前に「生鮮館」というフードショップがあったのだが、イズミヤを脅かすような存在ではなかった。今度は、相当強烈な価格競争を仕掛ける「フレスコ」が、すぐ隣りに出来たのだから、イズミヤも脅かされないわけには行かないだろう。
 一例をあげれば、2リットル入りのお茶は丸太町のフードショップでは178円というのが上限で、広告商品となれば158という値段設定になる。ところが、イズミヤでは、これまで198円で売り続けてきた。しかし、「フレスコ」が隣りに出来た以上、おそらく今後は198円では売れないのではないか。

 最近、新聞のスクラップや税金・年金・保険・独立開業に必要なことがらなど、サラリーマン時代には無視していたような書類の整理でクリアブックをたくさん使うようになって来たので、「イズミヤ」でクリアファイルを買ったのだが、20ピースが136円だった。この前はマツモトやセイバースなどでも買ったのだが、大体200ほどの価格だった。イズミヤで売っているものは、値段が30パーセントも安く、しかも品質も良いようだった。どうも不況・デフレになってから、価格設定が混乱しているように思える。値段が高いものが良いとは限らないし、同じ商品の価格が想像を超えた価格差で売られていることが多い。
 だから、消費者も商品価格について、相当な知識を持っていなければ、無駄な金を使うことになってしまう。花園のマツモトが安いと言っても、すべてが安いわけではない。イズミヤが安いものもある。それを知っておかなければ損をしてしまう。しかも価格差を場合によっては30パーセントを超えるような場合もあるのだ。

 夜は、今日も鍋、昨日の寄せ鍋に使った魚がまだ半分残っていたので、水炊きにしてポン酢と大根おろしで食べる。今日も「孫悟空」を見る。しかしどうも「三国志」や「水滸伝」のような面白さがない。子供番組のようだ。まだ三分の一も見ていないのだが、とりあえず、中止にしようかと思う。

 今日からオリンピックというが、どうも昔のようには関心が持てない。まして熱中などできない。それが「自己実現のドラマ」なら感動するのだが・・・。同胞愛よりも国威発揚にぶら下がるようなマスコミの報道、功名心に煽られたような上昇志向、人の風上に立ちたいだけの自己顕示、排他的競争心・・・。そんなものが垣間見えると興ざめしてしまう。「無償の愛が織りなすドラマ」ならば、何をおいても熱中するのだが・・・。昔は、それを感じたのだが。もちろん今でもそれはあるだろう、しかしそうではないものが混じるともう駄目だ。

 

 


 

2月12日(金)

 

 夜中の1時頃目が覚めた。日記を書き、ホームページを更新してから、夜明け前にもう一度寝た。寒さが戻る。一日曇り空で強い北風が吹き、凍えるような寒さだった。
 8時頃に目が覚める。妻を西京極に送り帰宅。昨日の残りの天ぷらを日清のチキンラーメンに乗せて朝食にする。考えるのがめんどうな時は、即席ラーメンだ。中でも、お湯をかけるだけのチキンラーメンは、文字通り3分で出来る。

 僕らの世代はこの、チキンラーメンとともに育ち大人になった。それは僕の人生そのものかも知れない。身体に良いとは、とても思えない。成人病の原因になっているのかも知れない。しかし、「それがどうした?!」という図太さが、僕らの世代にはある。僕は煙草も、一日一箱吸っている。もちろん身体には悪いだろう。しかし「それがどうした?!」と思っている。
 「愚行権」という言葉がある。殆ど使う人が居ない言葉だが、重要な哲学上の概念である。タナトスという哲学用語もある。「死」や「破壊」への憧れ、衝動だ。諧謔やイロニーは、既成の秩序や観念を破壊しながら、世界を広げ、新たな生命を生み出している。そう、愚行は明らかに世界を広げ、新たな世界を生み出す可能性を秘めている。もちろん、秘めているにすぎないが・・・・。

 プラナリアという動物は、無性生殖と、有性生殖の両方の能力を持っている。クローンしか作ることが出来ない無性生殖の原始的な生物が、環境に適応できる新たな形質を獲得する可能性を得るために、クローンを脱して、他の染色体と合体する道を選んだ。その最初がプラナリアのような生物だという。プラナリアは何十ものかけらに切り刻んでも、すべてがもとのプラナリアの形に再生する。それは、まさに、環境が破壊されない限り、永遠の命を持っていると言えるだろう。ただしそれは、全く同じ遺伝子しか持たない、すなわち進化する可能性を持たないクローンでしかない。

 有性生殖の始まりとともに、生物は進化することが出来るようになった。しかし、個体そのものは子孫が進化するとともに不要となり、廃棄されることになった。つまり、進化するために個体は死ぬ運命を与えられたのだ。人間の細胞も「死の遺伝子」「老化の遺伝子」を持っているという。タナトスというのは、その心理的な発現態様なのだろうか。

 朝食後、ハードディスクを買いに、自転車で吉祥院のヤマダ電機に行く。500ギガ、9580円だった。ヤマダ電気を出て、西京極駅前の阪急そばで昼食。天ぷらうどん、300円。成人病の原因なのだろうが、僕の第一の好物だ。しかも、上等なうどん屋ではなく、立ち食いうどんが良い。そばではなく、うどんだ。それから、天神川御池の右京中央図書館に寄った。「虫めがね郷土史」の材料集めの本探しを始めようという趣旨だ。とりあえず、加藤謙吉著「秦氏とその民」というのと、古寺をめぐる「妙心寺」、同じく「仁和寺」、同じく「妙心寺」の4冊を借りた。
 これから、右京区、北区を中心に、観光案内などが載せないようなアングルの写真や、資料を作ってゆきたいと思っている。

 図書館を出て、円町の金券ショップでJCB商品券と市バス回数券を買う。あわせて1万円分が135円だけ安くなる。JCB券は僕が通常利用するスーパーの「イズミヤ」、電気製品を買う「ミドリ電化」、煙草を買うコンビニのサンクスで使うことが出来る。仮に年200万円、食料、衣料、電気製品、家具、雑貨、その他の消費材を購入するとしたら、2万7千円分は他のことに使える。展覧会や音楽会、旅行などに惜しまずに使えるのだ。これからも、こういう節約法を徹底して行こうと思っている。

 夕方、妻と白梅町のイズミヤで待ち合わせ、買い物。夜は寄せ鍋。「孫悟空」を見る。

 

 


 

2月11日(木)

 

 6時起床。朝からどんよりとした天気で、昼からは雨が降り始め、気温も下がって寒くなる。妻は今日から四日間、大学入試の採点の仕事で高槻まで出かける。 妻を阪急西京極駅まで送って、家に帰る。それから朝食。餅を焼いて吸い物に入れるだけの簡単にすませる。
 午前中はこれまでラジオを録音したファイルを整理していた。毎日、放送されるFMのクラシック番組と「ラジオ深夜便」はすべて予約録音していて いるので、250ギガのハードディスクが半年で一杯になる。今のハードディスクも8割くらい使い終わっていて、次の新しいハードディスクを買わなければならない。また1万円ほどの出費になる。

 昼から雨が降っていたが、自転車で竜安寺の店に行く。店に着いて、地下の本を本棚につめて行く。今日はだいぶん捗ったが、まだ15ケースくらいは残っている。夕方店を出るが、帰りも、まだ雨が降っていた。

 今日は買い物には行かず、夕食は焼きめしと焼売、中華スープ、湯豆腐に昨日の残りの天ぷら。有るものですませた。「水滸伝」は昨日で見終わったので、今日から「西遊記」を見る。1枚目のDVDは以前見ているので、今日は2枚目、豚の化け物の猪八戒が登場する巻からである。このビデオも中国中央電子台制作のもので、「三国志」「水滸伝」と同じようにブックオフで買った。DVD8枚で4800円くらいだったと思う。
 少し古い録画技術のためか、映像が汚い。特撮も昔の50年前の日本のテレビ番組のようで拙い。格闘シーンの演技のレベルも「水滸伝」に比べると、相当に劣っている。

 

 


 

2月10日(水)

 
 6時起床。朝のうちは小雨が降っていたが、昼から上がる。午前中は日記、ホームページの更新、金閣寺に持ってゆく荷物の整理をする。
 文英堂の総務部の人から電話があり、何だろうと思ったら、住民税が1ヶ月分が未払いになっているという。36000円程になるらしい。来週、家まで貰いに行ってよろしいですかと言う。会社を辞めてから、かかってくる電話は、失業者から金をむしり取るようなものばかりだ。
 昼は餅二つを焼いて食べ、金閣寺の店に行く。1時から1時半の間に大阪ガスの代理店がガス警報装置の代金を取りに来るという約束で、同じ時間に倉内工務店も、奥の本棚の不具合を見に来ることになっていた。先に倉内が来て、本棚を見たあと、直す必要が出てくれば、直すから連絡してくれということで話をする。倉内には今後、竜安寺の家の傍に借りているアパートの庭のプレハブの物置を解体処分してもらったり、転倒防止のために家具につけた木枠を外してもらう仕事を頼まなければならない。エアコンも外してもらって、竜安寺の家の2階に取り付けてもらおうと思っている。また金閣寺の店の屋号が正式に決まったら、看板をつけてもらわなければならない。まだまだ金がかかる。
 倉内が帰った後、大阪ガスの代理店が来て、代金を支払う。そしてまだ一度も使ったことが無い風呂を沸かして問題がないか見て貰う。風呂は問題なかったが風呂場の蛍光灯が点かない。グロー球が真っ黒になっているから、それが切れているのかも知れない。

 帰り道セイバースによって、夜はてんぷらを作る。そして昨日の残りの焼売とで夕食。今日も「水滸伝」を見る。最終回。宋江が毒殺され、鉄牛も同じ毒酒を飲んで死んでしまう。
 毛沢東は革命戦争の最中、傍にいつも「水滸伝」を置いていたというが、「忠君愛国」をどこまでも貫こうとした故に、佞臣に謀殺されてしまっ宋江の生き方をどう思っていたのだろうか。中国の革命戦争の時代には、満州の傀儡皇帝はいても、中国の「君」はすでにいなかったから、毛沢東にとっては「君」は無く、「愛国」だけが使命だったのだろうが、「愛国」というスローガンだけでも、無数の佞臣、奸臣が集ってくるだろう。ガンジーも、インドの独立を実現した後に、チンピラ国家主義者に殺された。坂本龍馬もそうだ。佞臣、奸臣、チンピラの類が英雄の業績を横取りしようとする。
 今の日本はさらに危険なことに、いまだ「天皇」がいる。天皇の存在は佞臣、奸臣にとっては利益をむさぼる打出の小槌になるし、チンピラ右翼にとっては、格好の火遊びの道具になるだろう。

 

 


 

2月9日(火)

 
 7時起床。朝のうちは曇っていたが、昼前からよく晴れて、上着がいらないほどの暖かさになる。朝はラーメンに豚肉と玉子、白菜を入れて朝食にする。午前中京都三菱が、ミニカの自動車保険の更新と12ヶ月点検で、集金と車の引き取りにやってくる。併せて約3万円の出費だ。会社をやめて失業状態になった今も、日産の普通車と三菱の軽自動車の2台の車を持っている。金閣寺の店に車で行く時には、店の玄関脇の道路が狭いので軽自動車の方が良いのだが、遠出をする時は普通車の方が快適だから、いまだに二台持ったままになっている。5月には普通車の方が車検になるので、その時までにどうするか考えなければならない。

ともかく現金がいるので、自転車に乗って御室の郵便局に引き出しに行く。その後、双ヶ丘に登った。妻の母校である双ヶ丘中学の横に公園の入り口があり、入り口の前の遊歩道を右に行けば兼好法師が徒然草を書いた庵跡を通って一ノ丘に行き、左に行けば二ノ丘、三ノ丘に行ける。今日は左に道を取り、二ノ丘、三ノ丘に登った。標高102メートルの、ウォーキングには最適の丘で、中高年の夫婦や観光で来ている人などと何度もすれ違った。町中では知らん顔をしている人々も、こういう場所では、自然と挨拶を交わすから不思議だ。
 今日は気温も暖かで、歩いていると暑くてオーバーが着ていられない。鞄にオーバーを突っ込んで歩く。木立に遮られて頂上に出ても、見晴らしはあまり良くないが、それでも木立の間から町並みや遠くの西山が見える。
     

 双ヶ丘を降りて、花園のマツモトで買い物をし、丸太町の金券ショップ「トーカイ」で図書券を買って帰る。一万円の図書券が9600円で、400円の節約になる。最近はいつもこの図書券で買っている。

 家に帰ると、バレエのレッスンに行っていた妻も帰ってきたので、昼食にマツモトで買った豚まんを一緒に食べる。夕方、京都三菱が12ヶ月点検の済んだミニカを持ってきた。夜は昨日の残り物を夕食にする。昨日作った春巻と、焼き魚、もやし炒め。今日も「水滸伝」を見る。主人公が方臘の戦いで次々と死んで行く。「水滸伝」の前半は痛快で、見ている者を好戦的な気分にさせるが、物語の後半は、痛快だった主人公が次々に戦死し、去って行き、見ている者を反戦的な気分にさせてゆく。

 

 

 


 

2月8日(月)

 

 4時半に目が覚める。昨日までの寒さは和らいで、今日 は暖かだったが、天気は曇り空。朝は日記を書いたりホームページを更新したりして過ごす。午前中、妻と花園のマツモトに買い物に行く。10パーセントオフ。スクラップブック用に、40ピースのクリアブックを4冊買ったが、これだけでも116円の値引きになる。昼食用に天津閣の豚まんを買う。この前は小さいのが10個入ったのを買ったが、今日は大きいのが3個入ったのを買う。値引き後内税で257円。1個あたり86円。それが今日の昼食費になる。会社に勤めていた頃には、レストランで千円を超えるような昼食を当たり前のように食べていたし、400円のコーヒーを、1日に2度も飲んだりしていたのだが、今はそんなことが信じられないような生活をしている。
 しかし生活費の節約に熱中している人が、相当増えていることは、マツモトの10パーセントオフの日の混雑が示している。僕の行く京善のような、安値で売っているガソリンスタンドも、いつも客が並んでいる。玉子10個が100円を切るのは当たり前になっているし、90円を切っていることもしばしばある。6枚切りの食パンが60円台で売っていることもある。パンに目玉焼きをのせて昼食にすれば、1食、20円で済む計算だ。デフレスパイラルは確実に進行している感じがする。

 僕の近所、白梅町周辺、立命館周辺の喫茶店は次から次へと閉店した。白梅町にあった「長崎屋」や「サンライズ」、きぬかけの道にあった「からふね屋」もなくなった。そこは休日の朝、妻と二人でモーニングを食べに、よく来た店だったのだが。
 喫茶店などは、5年以上前から、全く行かなくなった。僕はコーヒー好きで日に何杯も飲むのだが、今では挽き売りのコーヒーを買って、ペーパーで漉して飲んでいる。そして一番安い店で、しかも値引きしている日に買いだめしている。こんなことをする人が増えれば、喫茶店がやっていけないのは当然だろう。すべては小泉政権の時代になって、サラリーマンの賃下げが始まってからの現象である。

 

 

 


 

2月7日(日)

 

 8時起床。昨夜も雪が降っていたらしく、僕の部屋から見える庭が雪化粧をしていた。今日は9時に金閣寺の店に大阪ガスの代理店が来るので、8時40頃家を出て自転車に乗って金閣寺の店に向かった。金閣寺へは、竜安寺山門前にある僕の家から「きぬかけの道」と呼ばれてる観光道路を通ってゆくのだが、道路には雪が残り、凍結している所もある様子だったので、恐る恐る自転車を走らせた。

 金閣寺の店の南には、原谷へ行く街道を隔てて、金閣寺小学校と衣笠中学校があり、小学校と中学校の間に馬代通りが通っている。馬代通りは「きぬかけの道」から北はフラワーロードと名付けられて、散策を楽しめるような遊歩道になって原谷街道に続いている。その道で小学生が雪まんじゅうを作って遊んでいる。校庭にはけっこう雪が積もっていたのだろう。

  大阪ガスの代理店は9時過ぎにやってきた。ガスを開栓して風呂やガスファンヒーター、2階のキッチンの湯沸かし器を点検する。ガスファンヒーターがそうとう長い時間点火しなかったので、代理店の人は少し焦っていたが、何度か試してやっと点火する。長い間ガスを使っていなかったので空気が貯まっていたらしい。

 代理店の人は、火災警報付きのガス警報機、「ピコピコ」を付けるように強く進めるので付けて貰う。価格は1万4200円だった。金閣寺の店のために、次々と新しい出費が出てくる。
 

 


 

2月6日(土)

 

  6時半に起きた。朝から雪が降る。今年初めての雪だ。今日は妻の友人が二人遊びに来た。僕は金閣寺の店で使うガスファンヒーターをミニカに積んで、接続するのに必要なガスコードを買うために、丸太町の「ミドリ電化」に行き、それを買って店に行った。
 ところが、ガスがまだ開栓されていないことに初めて気がついた。すぐに大阪ガスの代理店に連絡を取る。今日は駄目だとのことで、明日の朝9時に来て貰うことにする。
 昼も店でインスタントラーメンを食べただけで、夜まで作業をしていた。夕方妻が、友達を連れて店に来る。妻が帰った後も店で作業を続け8時前に家に戻った。帰る時も雪が降っていたので、スリップしないかと心配しないかと少し心配したが、道路には雪は積もっていなかった。

 京都でも、以前には時折、タイヤチェーンが必要になるほどの雪が降ることがあったのだが、温暖化のせいか、近年は雪が降っても、大通りまで出れば、チェーンなしでは走れないというようなことはなかった。考えてみると、それが落とし穴になる可能性もあるだろう。

 夜は焼き魚、もやし炒めと吸い物。僕の簡単食事の定番だ。
 

 

 


 

2月5日(金)

 

 6時半に起きた。今日も寒く、一日中曇り 空だった。最近、僕が起きた頃に雌猫のミーが僕の所にに着て膝にのって僕にすりすりしたり、餌をねだったりして僕の仕事の邪魔をする。しばらくミーの相手をしてから、カップヌードルに葱とハムを入れただけの簡単な朝食をとる。
 午前中は、金閣寺の店に運ぶものを整理して昼食。昼食はトーストとポタージュスープ、炒めたウィンナ、スクランブルエッグ、サラダ。

 昼から大宮中立売にあるハローワークに行き、技術研修を受講の相談をする。パソコンの技術研修があると聞いていたので、それを受けたいということだったのだが、雇用保険受給者のための開講は4月から始まるとのことで、2月17日の認定日に詳しい話が出来るということだった。雇用保険受給者のための技術研修は3ヶ月間で、その間、交通費と一日700円の日当が支給されるとのことだ。この700円という日当は恐らく研修先での昼食代という感覚なのだろうが、弁当を持ってゆけば、その分浮かすことが出来るだろう。

 パソコンはもう8ビット機の頃からやっていて、ホームページを始めてからも10年になるのだが、正式に習ったことは一度もない。どんな内容なのかはわからないが、僕が始める古書店の経理や商品管理、宣伝のためのホームページ作成に役立つ技術が得られればと思っている。

 ハローワークからの帰り、古物商開業の届け出のことに話を聞こうと思い、上京警察に寄る。僕の店がある北区衣笠西馬場町は、北警察の管轄なのだが、上京警察が帰り道だったので寄ってみたのだ。警察というのは、何と言っても、不良やちんぴら、犯罪者などが出入りするところだから、受付の女性警官も構えた感じで応対する。建物の中は薄暗く廊下の壁も、部屋の中もうす汚れていて、客を通すような感じではない。その階段を上って、三階の「生活課」という所に行くが、結局北警察に行ってくれということで、たいした話は聞けなかった。

 帰り、白梅町のイズミヤ買い物をして帰る。100枚入りの茶封筒が100円で売っていた。事務用品も様々必要になるのだろうが、価格シールや商品を入れる袋も印刷会社に頼まなければならない。どれくらいのコストがかかるのか。あるいは判を作って押す方がよいかも知れない。

 夕食は焼き魚、肉じゃが、焼きめし。今晩も「水滸伝」を見る。しかし話はだんだん暗くなってゆき、見ている方も、顔が曇ってゆく。

 

 


 

2月4日(木)

 

 8時起床。晴れたり曇ったりの一日、今日も寒い一日だった。終日竜安寺の家で過ごした。 金閣寺に持ってゆく本や荷物の整理やホームページの更新、新聞のスクラップなどで一日終わる。買い物にも出ず、食事も朝は一昨日マツモトで買った豚まん、昼は餅と味噌汁、夜は焼きぎょうざとおでん、食後のいちご、とすべて残り物で済ました。

 夜はまた「水滸伝」を見る。梁山泊の軍は佞臣高俅の率いる官軍を撃破し、高俅を捕らえるが、宋江は招安(大赦)を得るために助命する。その結果梁山泊一党は一切の罪を許され、朝廷に帰順するのだが、話はここから、次第に暗くなってゆく。「水滸伝」の主役の一人、林冲にとっては高俅は妻の仇、不倶戴天の敵で、高俅が梁山泊から釈放された後もその命をつけ狙うのだが、病に倒れてついに死んでしまう。またもう一人の主役魯智深も、僕の見ている中国中央電子台制作のビデオでは、義兄弟の契りを結んだ林冲の死によって出家を決意し、朝廷から命じられた方臘討伐の前に寺に入ってしまう。その後は主役は殆どが、戦死したり、毒殺されたり、自殺したりして死んで行くことになる。

 「三国志」も後半は、次第に暗い話になり、主役が次々と悲運の死を遂げることになるのだが、そんな所に中国人の民族的な人生観・思想性があるのかも知れない。

 

 


 

2月3日(水)

 

 曇り、この冬一番の寒さになる。午前中は自転車で花園に買い物に行った。ブックオフで「アイーダ」と「ドン・ジョバンニ」のハイライトCD付きの解説書を見つけた。
 発行元はショパンという会社で、廉価版CDを出している「ナクソス」の音源を使っている。「ナクソス」の録音というと、例えばこの「アイーダ」を演奏しているオーケストラがアイルランド国立交響楽団という風に、世界的にはあまり知られていない演奏家を扱っているものが多い。僕は、ミラノ・スカラ座の「アイーダ」のDVDを持っているし、CDやテープに録音した有名な演奏家のものもいくつか持っているから、聞き比べるのも面白い。
 オーケストラだけの演奏なら、一流オーケストラと、そうでないオーケストラを聞き比べても、その差というのはわからないことも多いのだが、オペラというのはごまかしが聞かない。声楽家の実力は素人でもすぐにわかるだろう。三大テノールと言うけれども、パヴァロッティに比べて、カレーラスは、明らかに声が細い。まして一流以下の声楽家と比較すれば一聴瞭然である。しかし三流あっての一流である。聴き比べるのもまた楽しみだ。
 このCD付きの解説書は対訳もついていて1500円の定価だが、Book Off は800円で売っていた。まあCDも未開封の新古品だからリーズナブルな価格だろう。

 また講談社のカルチャーブックスで「エジプト古代文明の旅」というカラーブックが100円で売っていた。定価は1500円。奥付は無いが、読者ハガキが入っていて11年前の差し出し有効期間になっている。10年前の出版でも、新し い歴史の本の価値は寿命が長いから、この価格は安すぎるだろう。硬い本は何でも100円にする「ブックオフ」一流の文化破壊だ。僕が店を始めたらこの本を480円で売ろうと思っている。 価値ある本を破壊的な価格で売ったら、出版文化の社会的使命を破壊することになってしまうだろう。

 ブックオフの後、マツモトで買い物。今日は10パーセントオフの日だったので、多めに買いだめする。リタイアしてから、新聞・雑誌のスクラップをするのでクリアファイルを相当数使うようになった。40ピースのクリアファイルをとりあえず4つ買う。1つ298円で、10パーセントオフだから、これだけでも120円の節約になる。

 家に帰って、昨日の天津閣の豚まんが残っていたので、それを昼食にしてから金閣寺の店に出かけた。整理するべき本は地下の収納庫にあるもの、竜安寺の家のものと、アパートを借りてそこに置いている本とがある。金閣寺の分は来週中には終え、竜安寺の分は2月中には店に移したいと思っている。そして3月中にはアパートの本を店に移して、最終的に3月か、少なくとも4月でアパートを解約したいと思っている。借りているアパートは共益費、公共料金をあわせると6万ほどになる。ひと月伸びれば6万の出費になる。出来るだけ早く引っ越しをしたい。

 今日は、節分で妻が豆を買ってきた。夕食は牛肉の鉄板焼き。マツモトの広告の肉を10パーセントOFFで買ったもので100グラム300円ほどの安いモモバラ肉だったのだが、なかなか旨かった。しかし焼き肉というのはどうしてもビールを飲んでしまう。医者は止めろとは言わないのだが・・・。

 

 

 


 

2月2日(火)

 

 曇り、時々晴れ。5時半に一度起きて、ホームページの更新をするが、飼っている三匹の猫が次々遊びに来て、膝に乗ったり、餌をねだったりして続けられない。最後に雄猫のチャーが僕の膝に上がりこんで、眠りはじめた。甘えながら、気持ち良さそうに寝ているのに、放り出すのも可哀想で、しばらく猫をあやしているうちに、僕もまた眠ってしまった。

 今度起きたのは9時頃だった。午前中、自転車で西京極の、これまでは社会保険庁と呼ばれていた日本年金機構に行った。会社を退職したので、厚生年金から国民年金に切り替えるためである。応対してくれた、おばさん風の担当者は、必要書類だけ作って、僕が60歳になるまでの6ヶ月間の分は、4月になってから一括して払えば良い。払い込み手続きと任意加入申し込みの書類は家に送ると言っていた。
 手続きはすぐに済んだのだが、なにせ何千万件もの記録の紛失や改ざんで騒ぎになった役所だから、すぐに手続きが終わったことも不安・不信の種になる。

 年金機構は西京極の天神川五条上るにあるのだが、竜安寺の僕の家からは自転車だと25分くらいで行ける。交通機関をつかえば、家から歩いて10分の妙心寺北門前から市バス26番に乗り20分かかって西院、それから阪急電車にのって西京極駅まで3分、そこから歩いてまた10分かかる。待ち時間を入れなくても45分ほどかかることになる。京都の市街地での移動は自転車の方が便利なことが多い。それに市バス1本でゆける所でも往復440円かかるから、相当な額の節約になる。

 天神川五条から四条までの間に僕が時々寄るリサイクルショップがある。僕が始めようとしている古書店もリサイクルショップだから、参考になればという意味もあって色々見るのだが、リサイクルショップというのは、仕入れは客次第で、計画的には出来ないから、品揃えが難しい。良さそうなものはすぐに売れてしまうから、つまらないものばかり残ってしまう。だから僕が古書店をする場合、店に売り来る客だけを当てにせず、客引きになりそうな本を他の古書店で手に入れ、買値で売るという方法も考えている。同じ値段で売れば、利益が無いどころか5パーセントの消費税分だけ損になるのだが、客引きのための品揃えは考える必要があるだろう。

 リサイクルショップの後、花園のマツモトで買い物をし、京善で灯油を買って帰る。灯油1リットル64円だった。 マツモトでは、神戸の中華街で売っているような一口サイズの「天津閣豚まん」というのが有ったので、買ってみた。10個入って298円だから神戸の中華街のものに比べると半値以下だから、同じような満足はないだろうと思っていたが、やはり中の具は少ないようだった。味はそんなに悪くなかったが。

 

 

 


 

2月1日(月)

 
 6時起床。一日中雨。手がかじかむような寒さだった。ホームページの更新をしてから、パンとスクランブルエッグとスープで朝食を済ませる。
 午前中郵便局に行き、「歴史読本」の年間購読の振り込みをした。「歴史読本」は、これまで長い間買っているが、年間購読というのは考えたことがなかった。1年購読にすると、年間で1080円安くなる。会社をやめてから、少しでも安くなれば、それにやたら拘るようになった。働いている時には、割引クーポンはおろか、只券があっても使わずに放ったらかしということも多かったのだが。。。

 郵便局に着いた時、初老の女性が二人ATMの前で話をしていた。僕が来る時までもずっと話をしていた様子だったが、僕がATMに近づくと、やにわに話を止めて1人がATMの前に行き、通帳を出した。やたらに時間がかかって、ようやく作業が終わったと思うと、もう一つ、また一つと、何回も出し入れしている。おそらく10件くらいの記帳か入出金をしたのだろう。それだけたくさんするのなら、長話を続けてくれれば良いのにと思った。僕は2万円出金するだけですぐ終わるのに・・・。
 
 昼から金閣寺の店に行き、地下の収納庫に段ボール詰めしてある本を出し、整理しながら本棚に詰めた。またレジカウンターの下に竜安寺の家から持ってきたDVDも再生出来るステレオコンポーネントをセットした。店を始めたら、客の要望に応じてCDやDVDを再生出来るようにするつもりだ。その為に使う液晶テレビを壁に取り付けたいと考えているのだが、それでまた少なからぬ出費が必要になるだろう。

 作業をしているうちに、奥の本棚の外枠の縦板が天地で1センチほどずれているのに気がついた。今の所、棚の移動に支障はないのだが、やはり不満は残る。どこの工務店に頼んでも、何かしら問題は残るのかも知れないが。

 

 


 

1月31日(日)

 
 8時半起床。朝からどんよりと曇り、昼からは雨になる。
 朝は、焼きそばに昨日の残りの天ぷらをのせて朝食にする。体が重く、体調がすぐれない。去年の年末からずっと、のどが荒れていて、良くなったり、悪くなったりしながら、空咳が慢性化している。また10年ほど前から耳鳴りがするようになっているのだが、体調がすぐれないとひどくなる。今年60歳の身体ということだから、色々なところが悪くなってくるのは当然だろう。これまでのように会社の健康診断というのがないから、自分で健康診断を受けるようにしなければならない。
 50歳を過ぎた頃に糖尿病の診断を受け、眼底検査にもひっかかり、今では毎月1度、内科と眼科に通う生活になっている。その後悪くもならないのだが、良くもならない。どうも一生付き合ってゆかねばならないようだ。

 午前中は家に居て、昼食に餅を食べて、金閣寺の店に行く。殆ど工事は済んだので、今日から地下室に入れてあった本を本棚に移す。すでに店に移してある本だけでも、本棚に移して整理するのは1週間以上かかるだろう。その後竜安寺の家の本を移し、さらに借りているアパートの本と家財を移さなければならないが、整理し、仕分けしながらだから、2月中に終わることは出来ないだろう。まあ急ぐ必要はない。出来るペースでやるのが、リタイア後の仕事のスタイルだ。そして、金にならなくても人や社会の役に立つというのがリタイア後の仕事の使命だ。

 夕食は昨日のビフカツの残りとおでん。医者からは、血糖値が高いこと以外はほぼ正常で、カロリー館トロールと運動をすること以外は、とくに食べてはいけないものなどは言われていない。最近はバスで行くような場所は殆ど自転車で行くようにしているし、毎日のように自転車で買い物に行くので、足の筋肉の運動は出来ているだろうと思う。

 

 


 

1月30日(土)

 
 7時起床。晴れ。日中はオーバーを着ていると暑いほどだった。起きてからホームページの更新をする。朝、イズミヤに買い物に行き、帰ってから昨日の天ぷらの残りとチキンラーメンで朝食を済ませる。その後、午前中新聞のスクラップをしていた。1月になってから、スクラップが仕事のようになっている。始めた頃は歴史や考古学、日本文化、仏教美術に関連した記事だけだったのだが、だんだん切り抜く記事が増えてきて40枚80ページのクリアファイルがすぐになくなってしまうようになってきた。
 昼はぜんざいに餅を入れて簡単に食事をすませて、その後、妻と金閣寺の店を見にゆく。工事は殆ど完了していて、1階のレジカウンターの棚板と、2階の押し入れを改造したオーディオラックの棚板を入れれば終わりという状態になっていた。棚板は来週入れるとのことだった。
 夜は残っていたオーストラリア産の牛肉でビフカツを作る。すき焼きにするには硬くて不味かったオーストラリア産の牛肉も、カツレツならばというわけだ。

 リタイアしてから、現実的な問題として凡人の生き方を考え続けてきた。もうぶら下がるものは何もなくなったのだから、ごまかしは効かない。自分で目的を見いだして、自分で実践してゆくしかないのだ。

 主観的には無数の生き方があるとしても、人が生きることの客観的な意味は、明らかに社会的な価値を残すことにある。社会を維持・存続させ、発展させてゆくために相応の役割を担い、次の世代に価値を継承してゆくことにある。
 もちろん人が伴侶を見つけ、子孫を残すということは、人が価値を残すという意味では、もっとも基本的なものだろう。しかしそれだけでは動物が皆やっていることで人間固有のものではない。人間が固有なものとして残すものとはもっと社会的で、文化的なものなのだ。
 社会的な評価がどの様であれ、農家が作物を丹精し、職人がものを作り、商売人が顧客の満足を満たす。それらはみな社会的、文化的な創造的営為である。社会の存続と進化のために、最も基本的な役割の実現である。

 家庭というのも、人間が文化を継承し発展させてゆく最も基本的な空間である。家庭という最小の社会的空間の中で、人は供給者としても、需要者としても、最小の単位での学者であり、技術者であり、芸術家なのである。天賦の才能がどれだけのレベルにあろうと、それらの能力が不断に進化している姿こそ、人として誠実な生き方だろうと思う。

 文字が書けたら、文章を残せ。凡庸・無才であろうと、今自分が見ている風景は自分しか見ていない風景なのだ。記述された風景の中には、必ず誰かのために役に立つものがある筈だ。書くこと、作ることだけでなく、集めることでも、それは創造的な意味を持っている。集めるものによって、集め方によって、見えてくるものは異なってくる。そこに創造的な意味がある。

 僕はたった10坪の古書店を始めようとしている。歴史・古典と芸術・哲学書に限定した専門古書店だが、それでも固有の価値を出せないなら、歴史・古典に特化し、さらに古代史だけに特化してもよい。固有な価値と言えるところまで、細分化し、特化すれば良いだけのことだ。
 「虫めがね郷土史」も同じ発想による。「老人力ネットワーク」の発想は、凡庸・無才の庶民こそ、人間としての普遍性を表明出来るということである。

 「一隅を照らす」というが、照らすべき一隅は日本人の人口の数だけあるだろう。要はそれをするかしないかだ。

 

 


 

1月29日(金)

 
 朝8時起床。晴れ。今日は、地代値上げの件で、妻と二人で烏丸法律事務所へ法律相談に行った。9時過ぎに自動車で出かけるが、予約した10時の30分前に駐車場に着いたので、スターバックスでコーヒーとドーナッツを食べて時間待ちをする。
 予約時間に15分遅れて担当のO弁護士が現れた。O弁護士は地主側の代理人をしているK弁護士と面識があるとのことだった。年は離れているようだが、ネットで確認したところ同じ東大出身だから、つながりもあるのかも知れない。

 45分ほど話をしたが、現行の地代を支払うにとどめて、説明と交渉の場を設けるのか、裁判所の調停を申請するのか、地主側の動きを待てというアドバイスだった。僕の方は今年の3月まで、現行の地代で払っているので、4月になってから対処すれば充分で、値上げになったとしても、4月からでよいということになる可能性も高いとのことだった。
 また、20年前の地代更新の時に交わした、「固定資産税の2倍前後で、スライド制にする」というルールも、新地代を決定する一つの根拠にはなるだろうとのことだ。「近傍の地代」という根拠も、単に近傍というだけでなく、僕の家と同じように20年以上借地している家と、最近借地した家の地代は区別され、経済的に活用されている土地か、そうではなく、風致地区として経済活動を制限されている地域の、もともと活用されていない空き地だったのかも区別されるらしい。つまりかなり厳密に類似した条件の借地を比較して決定されるだろうとのことだった。

 弁護士事務所を出てから、退職金を受けるため会社に行った。総務の責任者は、最初銀行振込が良ければ、その様にすると言っていたのだが、87歳の益井会長が取りに来させろと言ったらしい。益井会長というのは僕が36年間逆らい続けたワンマン経営者なのだが、それでも僕に対して君臨したいということなのか。

 会長が最近の業績不振のことを口にしたので、僕が「社員が〈言われたことしかしない〉のは会長のせいでしょう」と言うと、「そんなことは管理職にまかせてあるんや。(僕がテリトリーにしていた)徳島の成績が悪い。そんな人間にも、こうして退職金は払っている」などと悔しそうに反論する。

 「(わずかな年月しか文英堂の仕事を経験していない)管理職に、今の業績不振の原因を説明することは出来ないでしょう。僕は40年近く文英堂で仕事をして来ましたから、いつでも僕には(業績不振の原因を)説明が出来ます。必要があれば、いつでも説明をしますから、連絡してください。」と言うと、すでに相当に知力の衰えた会長は、ただにやにやと笑っていた。

 会長の知力は、すでに相当に失われているのだが、いまだに何にでも口を出している。

 

 


 

1月28日(木)

 
 7時起床。曇り空の一日、時々小雨が降る。失業給付の説明を受けるため、昼からハローワークへ行く。説明会では、やたらに不正受給のことを言っていた。不正受給をすると3倍の額を請求されるそうだ。また早く就職活動をした人の方が就職率が高いだとか、法律が変わり失業給付期間を残して早くに就職先を見つけたら一時金が支給されると言っていた。とにかく受給者を減らしたいということだろう。そして今日もまた、独立開業する人は、開業の準備を始めたら給付は打ち切ると言っていた。求職者には内定期間も失業給付が受けられるのに、自分で仕事をしようとする人に対しては、開業の準備を始めたら給付を打ち切るというのは明らかに矛盾した話だ。誰がどういう手続きでこんな規定を作ったのか。
 戦後最悪の失業率が続き、年金・医療保険・生活保護制度の破綻などに続き雇用保険も維持出来なくなってゆく可能性があるだろう。こんな社会を作った保守政治家や企業経営者に憤りを感じるよりも、それを支持しつづけた多数の日本人に幻滅を感じざるを得ない。
 理想を忘れた閉塞した社会の中で、僕がなすべきことは、安全・安心、自己利益のみを追いかけるような退嬰的な風潮に汚染されないように気をつけながら、未来のために種を残しておくことしかないのかも知れない。

 ハローワークからの帰り、平野のドラッグストア「ひかり」によって買い物をし、金閣寺の店に寄る。本棚の塗装は終わっていた。工事は明日で終わる予定。

 夜、久しぶりにすき焼きにしたのだが、肉は昨日、安いので買ったオーストラリア産。肉が硬い。しかし失業中であれば節約しなければならぬ。

 あす、地代値上げの件で妻と二人で烏丸法律事務所に法律相談にゆく。その時の質問事項をまとめておく。

 

 


 

1月27日(水)

 


 昨日の夕食の後、いつの間にか寝てしまい、起きたら夜中の1時だった。飼い猫のミーが甘えにきて、その相手をしていたが、結局それから眠れず、日記を書いたり、ホームページの更新をしたり、新聞のスクラップをしたりして朝まで起きていた。
 朝食は昨日の残りの魚フライとハムサラダ、ゆで卵、クリームスープとパン。会社勤めのような体力を必要とする生活から離れたからか、徹夜していた割には疲れもせず、食欲もある。
 朝は妻を花園駅まで送り、一度家に帰った後買い物に出る。今日はまず吉祥院の「ヤマダ電機」に行き、天神川のリサイクルショップによって、その後花園の「マツモト」で買い物をし、御室の「京善」で灯油を買う。ヤマダ電機まで行ったのは、アシスト自転車のバッテリーを取り寄せようと思い、以前、ヤマダ電機がパーツの取り寄せでも10パーセントのポイントを付けていたのを思い出したからなのだが、ヤマダ電気は自転車のバッテリーは扱っていないとのことだった。
 


 僕が長い間会社の中で経験し、あるいは近所の人間関係で経験して思うことだが、社交の中心にいたがる人間、世話役になりたがる人間というのは共通点を持っているようだ。「鍋奉行」という言葉があるが、その言葉がいちばんよくその性格をあらわしているだろう。
 話題の中心にいたがり、自分の土俵に皆を引き込んで話題をリードしたがる。話を面白おかしく誇張したり、歪曲したりして話題になっている人物の評価を操縦しようとする。ひとりだけで熱中し没頭するような自分の世界を持たず、他の誰かの固有な長所や才能が話題になるのを嫌い、話題がそういう流れになると、「共通の話題」に押し戻そうとする。そして何より問題なのは、「問題解決のアイデア」ではなく「共通の利害」を考えようとすることだ。

 リーダーの条件というのは、「皆の話をよく聞いてそれをまとめるのがうまい」などということではない。リーダーの条件とは「問題解決の道筋を見いだす能力」だ。それに尽きるだろう。
 もちろん皆の意見を聞く能力はもちろん必要だし、皆の意見の中にはリーダーが考えた「問題解決の道筋」よりも優れたものもあるだろう。しかしその場合にも、リーダーは、それを埋もれさせることなく見い出し、採用する能力がなければならない。結局、リーダーの条件というのは「問題解決の道筋を見いだす能力」ということに他ならない。

 もし「皆の利害や保身の要求をまとめ、代弁する能力」がリーダーの条件だとしたら、「自分たちさえ良ければ」という状況を作り出すだけで、問題解決の芽をつみ取り、社会をどんどん汚してゆくだろう。

 

 


 

1月26日(火)

 

 7時起床。晴れ後曇り。朝は車のフロントガラスがカチカチに凍りついていた。朝起きてすぐに妻を花園駅に送ってから、簡単な朝食を取り、その後金閣寺の店の工事を見に行く。工事は今週末に終わる予定。金閣寺の店を見た後、衣笠の「セイバース」と平野の「ひかり」で買い物をして帰る。

 昼から、倉内工務店への支払を振り込むために銀行に行く。これでとりあえず、開業のための大きな出費は終わりだが、店の看板、レジスターはもちろん、本を売りに来た人の身元確認のために免許証などをコピーするための機器、2階の会議室には机と椅子を買わなければならないし、オーディオ機器やビデオ機器も入れなければならない。3階にはエアコンをつけていないし、屋上の屋根の老朽化も調べ、いずれ防水工事も必要になると思われる。まだまだ金はかかりそうだ。

 古書店の開業と同時に、僕は3つのことを計画している。ひとつは「虫めがね郷土史」の計画。僕の住んでいる竜安寺・金閣寺周辺の歴史を、ふつうの観光パンフレットなどには載っていないレベルの内容で、写真を撮り、資料を集め、取材をして出版するというものだ。出来れば仲間を募りたいと思っている。

 もうひとつは「老人の能力」「老人の役割」を考え、実践してゆく活動だ。老人問題と言えば、すぐに介護の問題、医療保険の問題、年金の問題が持ち上がる。老人の方はと言えば、少しでも肉体的な若さを維持して、生活を楽しむことだけを目的にして、毎日グループでウォーキングをし、団体バスで観光旅行をすることを楽しみにしているように見える。そんな生活をするのが老人の仕事なら、若者は「老人福祉は社会の無駄でお荷物だ」「遺産を残して早く墓場に行ってくれ」と考えるようになってゆくだろう。

 「老人の価値とは長い人生を経て蓄積した、知識と技術と経験と洞察力だ」と僕は考えている。凡庸・無才の平凡な庶民でも、自分の家庭を守り、なにがしかでも社会で役割を果たして来たのであれば、生活者としてはプロの筈だと僕は考えている。そこには人生の知識と技術と経験と洞察力がある筈だ。平凡であれば平凡であるほど、圧倒的多数の平凡な人の生き方に役立つ筈だと考えている。そうした老人の能力を生かす道筋を作ってゆきたい。

 そしてもう一つはエリートになれない庶民が生き甲斐を見いだし、自己実現してゆく参考になるような本を作ってゆくこと。僕は35年以上、教育図書を出版する企業で働いてきた。その経験の中で見捨てられ、取り残された価値を拾い出してゆきたいと思っている。

 定年までは不本意でも、生活のために働く必要があるだろう。しかし「定年後は金にならなくても、人のため、社会のため、自分のために必要な仕事をする」、それが老人の使命だと僕は考えている。

 

 


 

1月25日(月)

 

 5時起床。晴れ。いつものように妻を大学まで車で送り、家に帰って朝食を取る。朝食の時間は新聞広告を見てスーパーの安売り広告や目玉商品を見つけるのが日課になっている。今日は花園のミールとマツモトで買い物をした。マツモトでは2600円の買い物をするが、今日は10パーセントOFFだったので260円の節約になった。マツモトは普段も値段が安い店だから、10パーセント以上の差になっているものも多い。たとえばふつう100円前後で売られているレトルトカレーやインスタントラーメンが普段でも90円前後で売られているので、10パーセントOFFの日は80円前後になり、結局20パーセントくらい安く買えることになる。だからまとめ買いすれば、この店だけで千円以上浮かせることも可能になる。
 帰り御室のMK石油で石油を入れて帰る。今日は1リットル65円、前に北野のコスモで入れた時は1リットル74円だったが、それより9円安い。18リットルで162安いことになる。

 家に帰ってからは、1人でレトルトのうどんに餅を入れて食べた後、少し昼寝をしてから、夕方までずっとスクラップをしていた。夕食は湯豆腐と焼魚、そしてご飯の代わりに餅。湯豆腐はポン酢で食べる。それに焼いた餅を入れる。僕はこの食べ方が好きだ。

                              ○

 足利事件の検事は、菅谷さんが再三謝罪を求めたのに対して、結局検事は一度も謝罪しなかった。今の日本人の多くは後悔することはあっても主体的に反省し謝罪することがない。「謝罪」するのは権威や多数に追求され、どうにも逃げようがなくなった時に消極的に形式的にするだけで、その時も主体的に反省することはなく、むしろ「自分は運が悪かった」と嘆いているか、「やり方がまずかった」と後悔しているだけなのだ。
 「誠実」という言葉が日本人の会話から消えてしまって久しい。「正直」というのは知恵の足りない、要領の悪い人間のことという本音が蔓延する社会になってしまった。

 

 

 


 

1月24日(日)

 

 8時半起床。晴れ。足利事件の元検事に、菅谷さんが「謝って下さい」と言ったのに対して、菅谷さんを非難・中傷の書き込みをする人の精神というのはどういう風に出来ているのか。そこには、今の少なからぬ日本人の抜き差しならない精神病理があるのではないか。

 日本人の精神の根底には「穢れ」を除く、というのがある。本人の責任の有無に限らず、「穢れ」た者を排除する精神である。菅谷さんは被害者であり、何の責任もない。しかし「穢れ」を忌む日本人の精神は、菅谷さんを「穢れ」として排除するのだ。自分で自分を穢した者も、他人に穢された者も、同じ、近寄ってはならない、「穢れ」なのだ。
 一見、健全に見える神社での「厄除」の祈願にも同じ精神がやどっているのではないか。
 日本では、昔からゴミは村境に捨てに行くということが平然と行われていたという。
「自分さえ良ければ」というのは非難されるが、「自分たちさえ良ければ」というのは非難されない。異質な者を排除することは、非難されるどころか賞賛されるのだ。
 かりに「自分たちさえ良ければ」でやったことが法を逸脱し、公に追求されることがあっても、彼らはやり方が悪かったと「後悔」することはあっても、悪いことをしたと「反省」することはない。

 貧しいというだけでいじめられる。身障者というだけでいじめられる。人と違うというだけで仲間外れにされる。いじめる子より、いじめられる子の方が排除される。親は、「あんな子と遊んではいけない」と言う。差別はいけないという教師が、自分の子は私立6年制の中高一貫校に入れる。どんどん、どんどんと日本人の精神が荒廃してきているように僕には感じられる。

 威圧的な警察官や検事に包囲され、拘置所から二度と出られないように思い、それなら罪を認めて早く楽になりたいと思う。威圧的な刑事から解放されて、威圧的な態度を取らない賢そうな顔をしたエリートの検事が誘導尋問すれば、救いを求める一心で嘘の自白をする。気の小さい人でなくても、こうした心理に追い込まれることはあるだろうと思う。
 無責任に「異質な人」を中傷する「只乗りサディスト」たちは、自分だけでなく、自分を生かしてくれている社会がどんどん壊れていっているのがわからないのだろうか。

 夕方、5パーセントオフの日と勘違いして白梅町のイズミヤに買い物に行く。5パーセントOFFの日は毎月第2週の土日なのだが、何故か勘違いしていた。会社を離れて、毎日日曜の生活をしているとこうなるのだろうか。「ボケ」も少しまじってきているかも知れない。 面白くないので、イズミヤで買い物するのはやめて平野の「生鮮館」と「セイバース」で買い物をする。セイバースは今日まで10パーセントOFFをやっていた。

 

 

 


 

1月23日(土)

 

 9時起床。 曇り。足利事件の再審の報道がテレビ・ラジオや新聞を賑わしている。テレビ・ラジオや新聞では、当然ながら、菅谷さんの立場に立ち、えん罪の温床にメスを入れようとする内容になっているが、インターネットでは菅谷さんの無実を疑問視し、菅谷さんに対してサディスティックな中傷をするような書き込みが目につく。
 その精神性は、数年前にイラクで反戦活動家が拉致された時の中傷の嵐と似たものだ。無責任で匿名的、雷同的な只乗りサディズム、つまり「いじめ」である。

>一連の彼の会見の言葉・態度を見るにつけ、とても警察の誘導尋問に引っかかるような性格ではないようにおもいます。
>ほんとうにやってないなら、いくらなんでも初日に自供はしないと思います。
>罪の意識があるからこそ長い拘留生活にも耐えることが出来たのだと思います。

>あのおっさんはテレビ出過ぎ。
>マスコミはその場を提供し過ぎ。
>メディアは間に受け過ぎ。

 インターネットの匿名性は日本人の荒廃に拍車をかけているのではないか。

 菅谷さんの職場復帰は「疑いが晴れたわけではない」という市民の声で潰されてしまったと聞いた。こうした只乗りサディストの発言や、右翼の暴力的な恫喝で、公の意志決定が動かされてしまうということがやたらに目立つ世の中になってしまった。

 夕方平野の「生鮮館」とセイバースで買い物。セイバースは先週に続いて金・土・日と10パーセント引き。ひたすら値引き広告の店を追いかける毎日だ。リタイアしてから、当然ながら妻は働いていて、僕は家にいるのだから、買い物や食事の用意は僕がする比重が増えた。そしてレトルト食品を使うことも。
 今日の昼食は炒めたウィンナーソーセージとスクランブルエッグ、トースト、夜はレトルトカレー。野菜サラダとゆで卵だけ僕が準備し、後は昨日のハンバーグの残り。という風だ。レトルトカレーでは我が家の味はしないのだが、それでも味は悪くない。ファミレス並みの味はしている。1人前88円で。

 

 


 

1月22日(金)

 

 6時起床。午前中、倉内工務店のK氏が来る。茶の間と廊下の仕切りにしているアコーデオンカーテンの金具が潰れていたのを直してもらう。金閣寺の店の工事は1月末には終わり、2月に入ったら荷物を入れることが出来るとのことだった。リフォーム代金は総額で175万ほどになるとのことだ。先にリフォームを頼み、出来ばえが酷いために、途中で断ったK工務店には、160万支払っており、結局335万リフォームにかかったことになる。倉内工務店に初めから頼んでいたら50万以上は安く済んでいたのではないか。
 結局、個人の工務店というのは技術的にも、金額的にも見通しが悪い。知り合いの紹介だからと安心して頼んだのが失敗だった。

 昼食の後、妻と一緒に金閣寺の店を見に行く。2階への階段の頭上で、頭が閊えそうな所が2ヶ所あり、直してもらうことにしていたが、うまく出来たようだった。2階の床と壁も、大工工事は済んで、後は床材とクロスを貼ればよいようになっていた。
 帰り、白梅町のイズミヤで買い物をして帰る。夜は今日も「水滸伝」を楽しむ。

 

 

 


 

1月21日(木)

 
 5時起床。一日曇り空。気温は今日も暖かい。終日家に居て、部屋の整理をしていた。しかし片づくどころか、ますます散らかってゆく感じだ。
 夜、「水滸伝」のビデオの5巻目を見る。いよいよ宋江が山賊の巣窟梁山泊に入り「天に代わりて道を行う」宣言をする場面になる。日本の右翼の標語は「天に替わりて不義を伐つ」だが、この「不義を伐つ」と「道を行う」との違いは天地雲泥の差があるだろう。

 「不義」というレッテルは、結局何にで貼れる、自分にとって気に入らないものは、何でも「不義」と言い募ることが出来るし、「伐つ」という行為は、建設、創造の努力を要求せず、単に殺戮、破壊することしか目的にしない。
 「道を行う」というのは「社会の存続と発展を可能にする生産と平和と友愛と倫理」を実現しようとする人間的な創造の論理である。「不義を伐つ」というような右翼的な殺戮・破壊の論理とは縁もゆかりもないものだ。

       ○
 

 命の意味は
 喜び楽しむことではなく
 作り、残し、伝えること

 父母が子を育むように
 家族が家庭を築くように
 農夫が作物を丹精するように
 職人がもの作りに励むように
 商人が客の心に叶う工夫をするように

 凡庸でも、無才でも
 同じこと

 それさえ知れば
 不幸も幸福も同じもの
 生も死も同じもの
 永遠の生命

 だから僕はただ
 作り、残し、伝えることを
 それだけを
 喜び、楽しみにして行こう

 

 

 


 

1月20日(水)

 

 午前中、初めてハローワークに行った。会社で貰った離職表と雇用保険の失業給付の申請、求職の手続書類などを提出するが、思いもかけずクレームを付けられた。
 僕が独立開業することは、退職理由として、すでに書類に書いており、現在すでに開業の準備をすすめている。だから求職先は独立開業に関連する業種が希望で、そこで仕事のノウハウを勉強するのが目的になる。そして就職先が見つかっても、働くのは、あくまで独立開業までの間になるので、雇用形態は臨時雇用のパートタイムが希望だと話たのだが、「すでに独立開業の準備をしている場合は失業給付は受けられないんです。」というのだ。
 「現在、僕は失業しており、収入もないんですが、今後の目的が独立開業という場合は駄目なんですか?」と聞くと、「そうではないんです。」「独立開業の準備を始めたら駄目なんです。」というのだ。

 どうも話がよくわからない。開業の準備は会社に勤めている段階からすでに始めているのだ。どうしてそれが問題になるのか。独立開業すると言っても、店を開くまでは無収入で、開業までの準備期間にアルバイトでも、パートでも収入が得られるなら働く意志はあるのだ。

 結局、失業中も、開業の準備作業は1日4時間以内にするということで失業給付の申請は認められたのだが、奇妙な条件だ。つまり収入がなくとも、4時間以上開業の準備をすれば「失業状態ではない」ということになるらしい。

 話を聞いてみると、個人で商売をしている人は「失業保険」というのはないらしい。「雇用保険」というのはあくまで雇用されている人のための保険ということだったのだ。
 商売が立ち行かなくなってハローワークに来る人も大勢いるだろうが、その人たちの失業中の生活保障の制度は何もないらしい。

 

 


 

1月19日(火)

 

 6時半起床。晴れ。3月の暖かさだと天気予報で言っていたが、なるほど暖かい。


 明日、ハローワークへ行くことにし、提出する書類を書き、2枚写真を持参せよというので妻にデジカメで写真を取ってもらい、指示された3センチ×2.5センチの大きさに切って準備しておく。これまでだったら写真屋に行くか、スーパーに行って証明写真のボックスで写真を取るのだが、たとえ何百円でも節約する気持ちが定着するようになっている。

 夕方、金閣寺の店を見に行く。北側の外壁の工事は終わり、壁を塗れば良い状態になっている。本棚も外枠はすでに出来ていた。大工工事は来週の月曜日には終わり、その後内装に入るとのことだ。帰り、平野の生鮮館によって買い物をして帰る。

         ○

 自分が知り得る限りの世界を、自分の持ち得る限りの理性と客観で把握し、自分にかかわる身近なことから、弛まず問題を解決し続けること。

         ○
 
 倹約というのは、使わないことではなく、徹底的に使うということだ。そして壊れたものをなおす技術を少しでも身につけること、今まで捨てていたものも、利用できるものは出来る限り使うこと。
 
 

 

 


 

1月18日(月)
 

 7時半起床。晴れ。今日は少し暖かくなった。朝、妻を大谷大学まで送り、家に帰って一人で朝食を取る。トーストとオニオンスープ、サラダ、ゆで卵、ウィンナソーセージというメニュー。作って食べ終わるまで30分くらい。学生時代よりは豊かである。昼はレトルトの天ぷらうどんに昨夜のカレーの残りをかけ、カレーうどんにして食べる。

 レトルト食品というのも進化していて、天ぷらうどんやきつねうどんで、だいたい90円ほどの値段だが、場合によれば、下手なうどん屋の500円の商品より旨かったりする。コンビニの菓子パンは一つ105円だが、それより内容は豊かなのではないか。

 これからの生活の設計をするために、貯金と今後の出費を計算する。これから始める商売で、どれだけ収入を得られるかというのは、全く当てにならないから、今ある貯金とこれから入る年金だけで計算しておかなければならない。妻は今は働いているが、妻も年金生活に入れば、おそらく貯金を食いつぶして行くことになるだろう。

 同じような不安をかかえている老人世帯は多いのではないか。だから、もし余っている、或いは不必要な食料品や生活用品を、業者に委ねず交換することが出来れば相当な節約が出来るのではないか。金閣寺の店をそのような目的にも使うことが出来れば幾分なりとも老人世帯の助け合いになるのではないかと思う。

 

 


 

1月17日(日)
 

 今日は、朝早くに起きた。5時半に起きて、朝食前にホームページの更新をしたり、新聞のスクラップをしたりしていた。新聞を読んでいると、インタビュー記事に「錆び付かない生き方」をしたいという言葉を見つけた。
 「うん」と僕はうなずいた。

 目先の「楽しみ」などを追いかけていたら、年を取れば取るほど、どんどん錆び付けてしまうだろう。日常のささやかなことでも、「問題解決」する意欲を持ち続けることだ。そうすればけっして錆び付くことはないだろう。

 年を取ってから、新しいことを勉強するという人も多いが、僕は賛成しない。勉強しても「何かを残す」ことにはならないし、「誰かのために役立つ」ということにもならない。脳の使い方も受動的だし、吸収する力は若者には遙かに及ばない。今まで得た知識や経験を補強する目的ならば勉強することにも意義があるだろうが、全く新しいことを勉強するのは、残された人生の時間を浪費するだけだろうと思う。


 

 

 


 

1月16日(土)
 

 ずるずると朝寝して、10時頃にやっと起きた。こんな起き方では気分爽快というわけには行かない。リタイアしたらこんな生活、ということではいけない。夕方までずっと家にいて、ホームページの更新と新聞のスクラップをしていた。
 前に録画していた比叡山の歴史と最澄についての番組を見た。「一隅を照らす」という言葉はよく聞く言葉だが、「凡庸無才の庶人が生きる意味と価値」という僕が言い書き続けているテーマに繋がる言葉だと思う。
 すべての凡庸無才の圧倒的多数の庶民が、日本の片隅で、身の丈に合った自己実現をし、それぞれ一隅を照らすようになれば、その時日本は世界でもっとも輝く国になっているに違いない。
 今の日本の閉塞状況は、物理的な閉塞ではない。精神の閉塞である。すべての日本人が「一隅を照らす」ように、どうすれば出来るのか。それを考えなければならぬ。


 夕方、金閣寺の店を見に行く。階段の天井が2階の押し入れの底になっており、低すぎるので、高くしてほしいと頼んでいたが、もう1ヶ所梁になっている所があり、動かせないかも知れないと、この前に来た時に言われていたが、結局うまく天井を上げることが出来たようだ。ディスカウントショップの「セイバース」が先週に引き続いて、金土日と10パーセントOFFをやっているので、買い物をして帰る。

 

 


 

1月15日(金)

 

 8時半起床。リタイアしてから、ともかくよく寝る。10時まで寝ていた日もあった。それだけ1日の終わるのが早い。10時半頃、妻は近所の同じ借地人の人と4人で、 地代の値上げの件で、第一法律事務所に法律相談に行った。うちと同じく、妙心寺の塔頭多福院の土地を借地している1軒のSさんが予約して、一緒に行ってほしいとDさんに話をし、さらにBさんとうちに声をかけてきたのだ。
 この法律事務所は、25年前、文英堂の労働組合が数年に渡って裁判闘争をした時に弁護を依頼した共産党系の法律事務所で、今回Sさんが予約したM弁護士も、直接担当しててくれた人ではないが顔もうっすらと覚えている。

 数年間に渡った文英堂事件のこと、87歳になる今も君臨し続けている文英堂の益井会長のこと、そして「建設的野党」などと看板を書き換えた日本共産党が戦後日本に与えた影響については改めて詳しく書きとどめなければならないと思っている。

 僕はこの35年以上に及ぶサラリーマン生活の間、「道理は上意に勝る」「職場に法の光を当てよう」と言い続けてきた。しかし文英堂の会長のようなワンマン経営者の多くがそうした倫理観、道義感を敵視するのはもちろん、 少なからぬ社員にとっても、こうした理念は教科書的な空理でしかなく、「利益は道理に勝る」、「付き合いは道理より遙かに大切」であって、果ては「道理に従えば 損をする。『安全・安心』を脅かす」などというポピュリズムに埋没していた。そして労働組合を牛耳り続けていた共産党員のことを言えば、 人によっては個人としての良心はあるとしても、押すボタンは常に「組織の利益」という基準に従っていた。

「道理に従うことこそが、誠実な人間関係を築く」と僕は考え続けてきたし、今も全く変わらないのだが、その結果、三島由紀夫が何かに書いていたように「日本では理に 依れば孤立する」という現実を味わい続けることになった。

 

 


 

1月14日(木)

 

 昼食後、妻を東山三条の大学まで送り、その帰り西陣のコーナンで灯油缶を買って、北野のコスモ石油で石油を入れて帰る。リットル73円で御室のMK石油より5円高かった。18リットルだから90円の違いになる。サトウのごはん1パック分の値段だ。
 毎回こんな話ばかり書いているのだが、これがリタイア後のもっとも大きな僕の「こだわり」になっている。

 思えば、40年前の大学時代、僕は1日200円で生活する計画を立てて実行していた。月6千円である。当時4畳半の下宿代が4500円だった。食費と併せて10500円で生活していた。電熱に小鍋をかけて、ちくわとタマネギの天ぷらを作って、当時出始めた粉末のインスタント味噌汁を入れて、夕食をすませる日が多かった。ちくわは2本入りで10円だったと思う。コロッケは1個7円だったか?。

 ふたたび、これから学生時代の生活を再現しようと思っている。2人所帯だがら、ごはんは焚くより、さとうのごはんパックの方が安上がりかも知れない。朝昼はパンを食べることが多く、1パックを2人で食べきれないから、3個パック288円のさとうのごはんで3日は十分に持つ。おかずは学生時代と同じ、ちくわとたまねぎの天ぷら、ちくわは4本入り105円、たまねぎは1個60円くらいか。吸い物と漬け物を付けて2人で300円くらいだろう。

 リタイア後、出張に行く必要もなくずっと家に居るし、時間もあるので、新聞のスクラップを始めた。食費は切り詰めようと思っているのだが、新聞、本、オーディオ、DVDなどは今もかなりの出費をしていて、新聞は毎日と読売、それに妻が英字新聞を購読している。本やCD、DVDもリタイア後の1月も僕1人で2万円以上は買っている。

 新聞のスクラップは歴史に関連した記事をクリアファイルに入れ、店を始めたら閲覧出来るようにしようと思っている。

 最近は邪馬台国近畿説を補強するような発見が、奈良の桜井市で相次いでいる。去年の秋は纏向遺跡で、後の大和朝廷の宮殿の配置に繋がるような、方位を考えた列状の建物郡跡や、全国の産物が桜井に集積されていたことを示す遺物、それを運搬したと見られる水路跡が相次いで発見され、この地域が大和朝廷初期の都城である可能性が高まった。
 日々の新聞記事にも、飛鳥遺跡や纏向遺跡の発掘や中古以後のものでも新たな文書や資料、美術品などの新たな発見も多く、スクラップも書籍レベルでは補足仕切れない価値がありそうに思う。

 

 

 


 

1月13日(水)

 

 昼頃、追加発注した分の契約書にサインするため、金閣寺の店に行く。工事は昨日始まったばかりで、まだ解体の最中だ。追加発注したレジカウンターの高さなど細部や、暖房用ガスファンヒーターに使うガスコックの位置などを決める。階段部分は2ヶ所、頭が閊え使えそうな所があっってリフォームを頼んだのだったが、1ヶ所は2階の押し入れを高くすることで調節出来るものの、もう1ヶ所は動かせない梁になっており、調節出来ないらしい。出来ないならしかたがない。
 店に来たついでに、正月に近所に挨拶する為に来た時、留守だった3軒のうち、店の並びの2軒先のYさんが在宅だったので、工事で迷惑をかけるお詫びの挨拶をしておいた。やはり老人だけの所帯のようだった。

 僕は、5年ほど前から、リタイアした後何をするか少しずつ考えてきた。そして考えるベースにしたのは、高齢者の役割ということだった。
 高齢者にとって年金は必要だが、何の役にもたたず、ただ年金を当てに細々と命をつなぐような生き方が人間らしい老人の生き方である筈がないということだった。年金を貰えるようになったら、生活のためではなく、儲けにならなくても社会的に必要な、人のために必要な仕事、役割を果たす立場、それが老人の立場だろうと考えた。それは社会的地位や持っている資格や能力の問題ではない。いかなる無才の凡人であろうと、自立して生きて来たというなら「生活のプロ」である筈だ。凡人であればあるほど、手に入れたスキルは凡人の役に立つ筈だ。それを儲けのためにではなく、今度は次の世代の人に伝えるために役立てれは良いではないか。そんな風に考えた。

 僕が住んでいる竜安寺山門前の家の周辺も、新しく手に入れた金閣寺傍の店の周辺も老人ばかりである。その老人たちが意味のある命の営みを考え、実践できる場を作りたい。これから高齢者の仲間入りをする僕は考えた。

 さまざまなことを考えた。「ザラリーマン」や「ミジメスマン」と若者に揶揄されてきた人が、リタイア後に何をなすべきなのか。
 自分が生み出したものが後の人に伝えられることで、永遠の生命が得られるのではないか。ならば無才の凡人が伝えるべきものとは何なのか。「生活者のプロ」であった筈だという自覚と誇りをどうして取り戻せるのか。

 ともかく近所の老人たちが、内に籠もらず、社会に発信できる場を提供したいと考えた。

 

 


 

1月12日(火)

 

今日から金閣寺の店のリフォーム工事が始まった。朝、仕事の妻を円町駅まで送って、いったん帰宅し、9時に店に着けるよう家を出て、自転車で家で店に行く。工務店のK氏と打ち合わせをし、さらに階段部分の頭の上が、2階の押し入れになっており、それが低すぎるので、2階の押し入れを30センチほど高くしてもらうことにした。そして金額が高すぎるので保留していたレジカウンターの設置を値引きしてもらって追加発注する。

 午後、JRで帰ってくる妻を円町に迎えに行き、花園のマツモトで買い物をして帰る。円町の金券ショップっで1万円の図書カードを買う。これで店頭で買う本代を400円の節約出来る。またミドリ電化でプリンターのカートリッジを買い、300円のクーポン券を利用する。これで300円の節約。そして今日はマツモトが10パーセントOFFで300円の節約になった。

 今日1日でちょうど千円節約出来たことになるが、価格の安い時に買う、あるいはサービス券やクーポン券などで、あるいは金券ショップなどを利用することで、安い価格で買い貯めることで、馬鹿に出来ない金額を得ることが出来るだろう。

 かつて40歳の頃に、仕事の出張先で、ジャケットやカッターシャツの安売りを見つけると、まとめ買いで買い貯めたのだが、結局、それが貯まりに貯まってリタイアするまでの15年ほどの間、ジャケットやカッターシャツは1枚も買わずに済んだ。いまだに新のカッターシャツがタンスの1段を使うほど残っている。

 この先、10年単位くらいで、必要な公共料金、税金、保険料、地代などを先行して確保することが必要だろうが、生活物資も、安価で手に入る時に、出来るだけ確保しておく方が、預金で置いておくより合理的だろうと思う。

 

 

 


 

1月11日(月)

 

 

10時半まで寝ていた。よく晴れて、暖かだ。昼過ぎ、倉内工務店のK氏が追加の見積もりを持ってくる。明日から金閣寺の店のリフォーム工事が始まる。予定は2週間とのことだ。

 夕方、近くにあるディスカウントショップ『セイバース』に買い物に行く。9日から11日まで10パーセントOFFのバーゲンをやっている。1月中に3回、10パーセントOFFをやるようで、来週もまたやるらしい。
 退職後は、妻が仕事に行き、僕が一人で家に居ることが多く、インスタントやレトルト食品ですませることが増えている。生麺の鍋焼きうどんが80円ほどだがら、コンビニで菓子パン1つ買うより安いし、インスタントラーメンにくらべたらまあそこそこの味だ。セイバースでは3000円ほどの買い物をしたのだが、10パーセント引きなので、300円ほどは浮いたことになる。

 また退職後は、妻が仕事に行く時は行き先の大学か、駅まで車で送るようにしている。妻の交通費を節約するのが目的なのだが、安売り探しと妻の送迎で月に2万円くらいは浮かせることが出来るだろう。
 電灯もLED電球に出来る所はすべてLEDに変え、これまでエアコン暖房をしていた僕の部屋も石油ストーブに変えた。これで1月の電気代がどれだけ減ったかは、まだ1ヶ月経っていないのでわからないが。50ワット時で1円と換算すれば、電灯だけでも、少なくとも千円以上は節約出来る筈だ。

 

 


 

1月10日(日)

 

 昼から花園のブックオフに行き、『水滸伝』のDVDを買った。中国のテレビ局が制作したものだが、10枚組で4980円だった。 店を始めたら、このDVDも『三国志』や『西遊記』と一緒に並べようと思っている。ただしセットではなくバラ売りでだが。
 店にはMDやDVD、コピー用紙や、写真用紙なども、一枚単位のバラ売りで店に置こうと思っている。今の世の中、家電販売店などの量販店化でまとめ買いを強いるような商品の売り方が定着しているが、DVDなどは1枚だけでは売っていないし、MDも売っているにしても1枚100円くらいはするだろう。それをまとめ買いに近い価格でバラ売りすれば、それも顧客の希望を叶えることになる。

 夕方、妻と一緒に白梅町のイズミヤに買い物に行く。第2土曜・日曜は5パーセント引きなので、茶とかコーヒー、猫のえさなどをまとめ買いする。考えていると、5パーセント割引の日ではなくとも、イズミヤで使える買い物券を金券ショップで買えば、何パーセントか安くなるだろう。サービス券やクーポン券、そしてバーゲンや金券ショップを有効に活用すれば、相当な金額になるだろうと思う。

 夜、今夜も食事をしながら『三国志』のビデオを見る。今回は蜀軍が長安をめざし北伐に向かう話。「出師の表」「泣いて馬謖を斬る」段である。本で読んだ物語を映画やテレビドラマで見るというのはよくあるのだが、中国の話は本ではやはり想像しづらいところがあるから、映画やテレビドラマで見ることができるのはうれしい。しかも中国が制作したものは、とくに兵士の数など、日本に比べてかなり多く使われているようで、それだけ戦闘シーンなどにリアリティが感じられる。

 その後はNHKの大河ドラマ『龍馬伝』の2回目。龍馬が、堤防工事の差配を命じられるが、農民の内輪もめや、農民を工事に駆り立てる下士(郷士)を嫌悪していることに苦慮する話と平行して、龍馬を慕っている娘の気持ちを知らず、傷つけるという話が絡み、龍馬が人の気持ちがわからず悩むというストーリーだった。

 僕の実家は父方も母方も高知で、先祖は坂本龍馬と同じ郷士だった。そして家も坂本龍馬の生家のすぐ近くにあった。明治維新の時には土佐勤王党に加わり、父の母の実家には政府の高官になった人物も出た。なので郷士の生活や考え方についてはいろいろ聞かされている。上士との差別はさまざまあったことは事実だが、『龍馬伝』の初回に描かれたほどのいじめや虐待が当然のようにされていたとは聞いていない。もしあれば、必ず父母から聞いていただろうと思う。歴史小説はどこまでフィクションが許されるのか。作者も、脚本家も、どんどん若くなり、どんどん当時の実際の姿が失われていくのではないか。

 

 


 

1月9日(土)

 

 終日、しまってある品物の整理をする。60年ため込んだ品物の数々は、いかに平凡な庶民の生活品とはいえ、膨大な数になる。1万冊以上の書籍、5千枚に及ぶCDやレコード、まとめ買いして、まだ使わずに残っているカセットテープやMD、いつの間にか貯まったパソコンやオーディオ機器、50年前の子供時代に集めた切手もある。毎年海外旅行に行っていた頃に使い切れずに残った外国の貨幣もある。それら一切を自分が死ぬまでに役にたててくれる人の手に渡さなければならないと思っている。可能な限り再利用されるようにすること、それが古書店を始める最大の意義なのだが、本当に役立ててくれる人であれば、究極は只で人に譲っても良いと思っている。

 夕方、自転車で石油を買いに御室のMK石油に行く。 満タンで815円だった。この前入れたときは千円を超えていたように思うのだが、石油が安くなっているのか、ガソリンスタンドで相当に値段が違うのか?。リタイアしてから、100円の違いでも相当に気になるようになっている。

 今日も夕食を食べながら『三国志』のビデオを見る。今日の巻は「南征」「諸葛孔明が7度敵の王を捕らえ、7度許す」という話。長安を目指し、北伐に向かう為には、南方の異民族を制圧しておかなければならないが、武力だけでは兵を撤退したら、また反乱を起こされる可能性がある。そこで7度許して、蜀に心から帰順させようとしたということである。蜀に限らず、多くの異民族に取り囲まれた漢民族の歴史的な問題が、こうした物語にも反映しているのだろう。

 

 


 

1月8日(金)

 

 午前、 健康保険料の振り込むために、自転車で西陣の銀行まで行く。出版健保加盟の退職者のための保険なのだが、去年の所得がベースになっているので、かなりの額になる。健康保険、地代、公共料金など、これからの20年に、生活費以外に、どれくらいの金が必要になるか計算してみた。すると概算で、3千万ほどになることがわかった。これから始めようとしている商売で、どれくらい収入があるか、皆目見当がつかないが、それによって生活が相当に左右されることになるだろう。

 昼食後、妻を東山三条の大学まで送ってゆく。帰り、五条通から天神川通りを通って、花園で買い物をして帰る。

 今週、地代値上げの問題について、協議の場を設けるように連盟で申し入れたDさんと連絡を取り合いながら対策を相談しているのだが、地主の多福院の関係者がこのホームページを見ていないとも限らないので、その内容については今は書かない方が良いだろう。ただ多福院の住職のやり方については書いておきたいと思う。

 多福院の住職は契約期限を迎える昨年12月末近くの26日になって一片の文書で、それまでの地代の3倍に値上げすると通告してきたのだが、それまで一度の協議や交渉の場も作らず、住職本人は姿を一度も見せず、弁護士を代理人に立て、期限の1週間前になって通告してくるなどというやり方に、その人格、人となりが現れているだろうと思う。だいたい、企業や組織を相手にするのならいざ知らず、庶民のサラリーマンや商売をしている人を相手に、家賃や地代の値上げを弁護士をやとって実行するなどという話など聞いたことがない。

 地代や家賃というのは、本来、借地人や借家人との対等な交渉によって法律に基づいて契約されるのが本当だが、この住職のやり方は、法の精神を空洞化して、ただ法律をつまみ食いして、自分の要求を通そうとするものだろう。

  1月からは借地人は新しい契約に基づいて地代を払わなければならないのだが、多福院の住職は、借地人が旧家賃で支払って来たら1月分からの地代については、新家賃との差額に利息を上乗せして請求すると言って来ている。しかも文書で通告してきた12月26日からの一週間の間に交渉の場はおろか、説明の場を設けることもしていない。これは実質的には交渉の拒否ということではないか。

 これから、交渉するにせよ、裁判所の調停に委ねるにせよ、それに必要な時間というのは地主の多福院に責任があるのであって、利息を取るなどという権利がどうしてあるのだろう。

 法は、人間によって人間のために作られる人間的なものだが、この住職は自分の利益のために、法を物のように利用しようとしているのではないか。

 


 

1月7日(木)

 

 午前、 金閣寺の店のリフォームを頼んでいる倉内工務店のK氏が来る。保温とセキュリテティーのためには、玄関のドアの内側にもう一つ引戸をつけた方が良いと考え、変更を依頼。また勝手口はにスクリーンをつけ、保留していた2階の会議室の引戸を付けるように頼む。最初にリフォームを頼んだ木村房工務店に支払った額と合算するとすでにリフォーム費用は320万円を超えることになる。さらにレジカウンター、看板、会議室に入れる家具などを入れると500万を超えるのではないか。最初から倉内に頼んでいたら50万以上は安くてすんだのではないかと思う。木村房は知り合いの紹介で頼んだのだが、作られた本棚が使い物にならず、他にもさまざまな手抜き工事が発覚し、結局途中で断ることになった。コネで頼むというのは却って怖い。

 昼から、妻と一緒に白梅町の京都銀行に行き、倉内工務店への工事代金と店舗の取得税を振り込み、イズミヤで買い物をして帰る。

 夜は、最近、毎日のように寄せ鍋にしている。寒いからということもあるのだが、妻は1月中多忙のようで、作るのが簡単だということもある。そして寄せ鍋を口にしながら、ブックオフで買った『三国志演義』を楽しむ。

 

 


 

1月6日(水)

 

 午後、 会社に行く。離職表を受け取るのと、仕事の引き継ぎをするためだ。いよいよ僕も会社を離れて独立、或いは失業したのだという実感。1月中にハローワークに行かねばならない。店を開業するまでの間、5ヶ月間雇用保険を受け取り、準備期間に当てるつもりだ。

 家に戻ると、旧知の高松のM書店のM氏から書籍小包が届く。先月、会社のU氏がM書店を訪問した折、僕の近況が話題になったらしく、M氏から電話があった。1月に京都に行くので連絡するとのことだ。M氏とは、最初は仕事で知り合ったのだが、大学が僕の同窓で、しかも僕が所属していたオーケストラと同じ、文化団体連盟傘下のギター部に所属していた。当時、僕は文化団体連盟の役員をしていたので、ギター部の連盟委員であったT氏を知っていたのだが、そのことから学生時代の話題に花が咲き、仕事のことを超えて話をする間柄になった。
 僕が独立開業するにあたって、いろいろM氏からアドバイスが貰えたらと思っている。

 夜、姪から電話があった。近々、京都に遊びに行きたいと。妻が1月は忙しいのでというので、2月に来るように返事する。

 

 

 

 


 

1月5日(火)

 

 午後、近所に住むDさんが家に来た。昨年末に地主である、妙心寺の塔頭の多福院が、今年1月から地代を3倍に値上げするという文書を郵送で送りつけてきたのだが、6軒ある借地人のうちの1軒、Dさんが地主の代理人弁護士に、交渉の場を設けるように申し入れる内容の文書を連盟で出したい、と先日言って来た。そのことで、9日の金曜日にDさんが弁護士に相談に行くので質問すべき点を整理しておきたいということだった。

 僕の住んでいる家は、名義は僕の妻と妻の姉が半分ずつ所有しているのだが、住んでいるのは僕ら夫婦だけで、妻も僕もDさんの提案にはすぐに応じる気持ちになった。しかし、結局署名したのはDさんと僕の家と2軒だけだった。

 こういうシチュエイションは60年生きてきて、何度も経験し、世の中で数限りなく見てきたことで、ある程度予想されたことだったのだが。
  ともかく、2軒だけででも、値上げの合理的な根拠を説明する責任が地主側にあることを糺すことから始める他はない。

 

 


 

1月4日(月)

 

 年末、年始の寒さからはいくぶん暖かになったようだ。今日もよく晴れて暖かだった。昼食後、妻と花園の「ライフ」に買い物に行く。いつもは白梅町の「イズミヤ」に行くのだが、「イズミヤ」は付近に競合するスーパーとの競争がないためか、全体に値段が高いようだ。花園には、「ライフ」や「まつもと」、「卸スーパー」、ディスカウントショップの「セイバース」、それに「京都生協」などが集まっており、価格競争をするために値段が安い。これからはどれだけ収入があるかわからないのだから、無駄遣いは出来ない。1パーセントでも安ければ、安い店に行こうと思う。

 しかし、安い物を買うこと以上に、家に有る物を有効に使うことの方が、より大切なことだろう。壊れた機械を修理出来る技術を持っていれば、新しい機械を買ったのと同じ価値を生産したことになる。家の中でリサイクルできるアイデアと技術を高めれば、それだけ新たな価値を生産することになるのだ。

 

 

 


 

1月3日(日)

 

  

 去年から竜安寺の家の本やCD、レコード、その他さまざまな所持品の整理をしているのだが、いつまでたっても片づかない。少なくとも、僕一人で整理するには手にあまるほどのガラクタが家の中に埋蔵されている。リタイアしてからは時間は十分にある筈なのだが、時間が足りず追いかけられているような気持ちが今でも続いている。 

 夕方、新しい石油ストーブを買いに円町の「みどり電化」に行く。ついでにLEDの常夜灯を1つ買った。年末から家中の電灯をすべてLEDに変えた。玄関の外、玄関の中、階段、廊下など、そして仕事机の電灯など10ヶ所ほどになる。計算では年間で1万円以上の電気代の節約になる筈だ。

 夕食後、年賀状がなくなったので立命館大学正門傍にあるファミリーマートに買いに行くが年賀状は売り切れていた。しかたがないので50円切手を買って帰る。

 

 

 


 

1月2日(土)

  

 正月早々、僕の部屋で使っている石油ストーブが壊れてしまった。最近は修理するより、新しいものを買った方が得になるようなので、結局そうするしかないかなと思い、明日にでも電気屋に行こうかなと思ってい る。それにしても寒い。

 昼から、古書店をはじめるために買った西馬場町の店に行き、近所の家に挨拶に行く。北向かいの家は町内の副会長をしているそうだ 。おくさんが出てきて話をしたのだが、ご主人が腎臓透析をしなければならない状態で、家で療養しているそうだ。療養しながらも、ご主人は歴史が好きで、たくさん本を買っている とのこと。
僕の店の良いお客さんになってくれるかも知れない。

 この金閣寺周辺の住人は、僕の住んでいる竜安寺周辺と同じく、殆どが60歳以上のようだ。僕も、今年7月には60歳になるのだが、高齢者の存在意義、役割というものが、形になるように、近所の人々と繋がってゆければよいのだがと思う。

 

 

 

 

  

           

 

年頭所感

  明けましておめでとうございます。年末に文英堂を退職し、いよいよ「残日録」を始めることになりました。
これまでの人生で得たものを整理しながら、残すべき価値のあると思えるものを、受け取ってくれる人を見出し伝えてゆくことが、これからの残された人生の意義だと思っております。

 僕が60年の人生で得た結論は、「道理に従う精神」と「問題解決する意志」を保ち続けることこそが、自己実現への道である、ということでした。「道理は上意に勝る」という言葉がありますが、道理は威圧や傲慢にも勝るでしょう。策略や狡猾にも勝り、詐術や虚言にも勝り、無視や否認にも、卑屈や臆病にも勝るでしょう。
 しかし、僕がこれまで多くの人々と接して、少なからぬ人々の中に見たものは、「理屈と膏薬はどこにでもくっつく」と言い放ち、自分(達)の立場や利益に引き寄せて、事実をつなぎ合わせ、あるいは歪曲し、憶測で、あるいは意図的に、自分に不都合な人の陰口をたたく人々でした。そして問題を解決するのではなく、問題を回避する、あるいは否認する人の多いことでした。
 彼らは、そんなことは当然で、誰でもそうしているのだ、と言うのかも知れません。しかしそんな「にせ物根性」「借物根性」「ぶらさがり根性」が、自己実現する力を与えることは決してないでしょう。

 今の世の中、政治家や役人、企業などが、常識のように「安全と安心」という言葉を使うのですが、この言葉は単に制度や商品の信頼性を確保しようとする意思を意味しているだけではなく、むしろ権威や多数にぶらさがり、問題を回避する自己保身、自己利益にしがみつく心理を表明しているように、僕には感じられるのです。

 競争主義を煽り焚きつけ、人に勝つこと以外に生きる目的はないと吹聴しててきた人々が、不安の時代になると、今度はやたらに「安全・安心」という言葉を使います。しかし威圧や傲慢が、迎合や卑屈に転じたところで人々の自己実現する意志は生まれないでしょう。自己実現するためには「安全・安心」も犠牲にしなければならないのです。

 圧倒的多数の人々は競争に負けるのです。その圧倒的多数の、競争に負けた人々が、どれだけ自己実現しているかで、社会の豊かさが決まるのです。僕はすべての戦いに負けようと、自己実現する意志を捨てない 気持ちを持ち続けたいと思っています。そしてすべての人々が自己実現できるような社会を作るために、残された命を使いたいと思っております。

 

 

 


信条

1.育む心こそ真の生命である。育む心が愛である。自分を育み、隣人を育み、社会を育むために人は生きている。

2.自己実現することを忘れなければ、樹木が枯れる時まで年輪を加えるように、人は人生の終わりの時まで成長し続けるだろう。

3.自分の時間は朝食の前に作れ。仕事や生活に流されることがないし、疲れた夜よりはるかに頭は活発に働く。

4.疲れた時は静かに眠れ。理想への道程を思い描きながら。そうすれば明日の生活が少しずつ変ってゆくだろう。それが疲れて何も出来ない時の自己実現だ。

5.人より劣った能力でも、身につけたいと思う気持ちこそ大切だ。たとえ最後になっても初めて自転車に乗ることが出来た時の喜びを思い出せ。
 得意なものだけに執着するより、苦手なものを克服する方が、はるかに人間は成長する。「一芸主義」は精神的な不具者を作るだけである。

6.好奇心を持って雑学を増やせ。中年になると、新しい知識を記憶する力は既存の知識との関連付けでしか出来なくなるからだ。

7.いかに科学が進歩しても、人は、つねに人智を超えたものに生かされている。それを知り、それに身を委ねる信仰 がなければ、見える物しか信じられない人間になってしまう。

8.自然がその摂理を全うし、人が自己を全うすることが神の意思なら、神は決して呪縛しない。呪縛するものは神ではない。

9.競争するなら自分と競争せよ。親しい友と、お互いの意思で競争せよ。決して人や世間に煽られて競争してはならぬ。
 まして人と競争する心が利己心ならば、決して競争などをしてはならぬ。それは究極、人も社会も退廃させる。

10.古来、勤勉と誠実、義理と人情こそ日本人の美徳であった。いま非人間的な管理と利己的な競争を煽り焚き付ける支配イデオロギーが日本人の美徳を果てしなく破壊している。
 日本人の美徳を取り戻せ。勤勉と誠実、義理と人情を。