
扶助者聖マリア 江戸のサンタ・マリア巡礼堂
聖ドン・ボスコは、最初の宣教師たちにむかって次の方針を与えたのです、「助け手聖マリアとご聖体のイエズスに対する信心をいつもすすめなさい」と。日本におけるサレジオ会員たちもこの方針に従い、1964年富士山の二合目に扶助者聖母の立派なご像を立てて全日本を聖母のご保護に委ねました。 日本における キリスト信者の助け手 聖マリア |
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| 7、江戸のサンタ・マリア巡礼堂 Santa Maria di Edo(碑文谷カトリック教会) |
Santa Maria di Edo 江戸のサンタ・マリア |
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この銅版は、上野博物館に保存されているキリシタン関係のかずおおい史料のなかで、そのいわれの知られていなかったものですが、専門家たちの研究によって、シドッティ神父がもってきたあの「江戸のサンタ・マリア」と判定することができました。それはちょうど、目黒区碑文谷の新聖堂の建設中のことでした。
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このお聖堂は、江戸のサンタ・マリアにささげられましたが、ことさら将軍時代の古い呼び名をとった理由は、この新しいお聖堂に、いわゆる「江戸のサンタ・マリア」と題する貴重な聖母ご絵の“うつし”が安置されているからです。 「江戸のサンタ・マリア」は、ドルチ画伯(イタリア人で、1616年生まれ1686年没)の作とされている「かなしみの聖母」のご絵で、原画は、上野博物館に保存されています。 30p×25cmの銅版にえがかれたこのご絵が日本にあるのは、迫害時代に、有名な殉教者ヨハネ・バプチスタ・シドッティ神父がもってきたからです。シドッティ神父は、江戸の名高い「キリシタン屋敷」(キリシタンをとじこめた“ろうや”)で、1715年帰天したため、神父のもっていた聖母のもっていた聖母ご絵も、「江戸のサンタ・マリア」と名づけられるようになりました。シドッティ神父の裁判官だった新井白石は、その著書「西洋記聞」のなかで、このご絵についてくわしく書きのこしています。
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2001/3/13up
マリアを通してイエズスへ [Ad Jesum Per
Mariam] by Gracy (Japan)
キリスト教・カトリック・聖母マリア
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