灰の水曜日の聖書朗読と黙想
Ash Wednesday Fast and Abstinence
カトリックの典礼暦
キリスト教・カトリックの光

2004/2/25(水) 灰の水曜日C年
2001/2/28(水) 灰の水曜日C年
 
灰の水曜日の聖書朗読

ヨ エ ル 記 2,12〜18
詩 篇 51,3〜6cd
Uコリント書  5,20〜6,2
マ タ イ  6,1〜6
16〜18


ノート

灰の水曜日から四旬節に入ります。

この日、前の年の枝の主日(御受難の主日・・・復活祭の1週間前です。)に持ちかえった枝を焼き尽くし、その灰をかぶります。キリストの十字架のおん父への奉献は全焼の捧げ物で、ミサの時、私たちもその奉献にあわせて、感謝と賛美を捧げるわけでありますが、全てを焼き尽くす神への賛美のいけにえに心をとめ、焼き尽くした後に残った灰。その灰を純粋なものと受けとめ、かぶることに心の目を向けたいと思います。

四旬節は、復活祭前日までの六週間年。イスラエルの40年間の荒れ野の旅、キリストの40日間の悪魔からの誘惑、その期間の断食。40という数が試練や苦しみの象徴となっています。

四旬節は灰の水曜日にはじまり、復活祭(復活祭は毎年、春分後の最初の満月の次の日曜日です。)まで、46日のうち六回の主日(日曜日)を除くと40日間になります。イエズスの断食にちなんでこの期間中、断食をする習わしがあります。断食というのは、ただ、食事を控えるという事だけを意味するのではありません。

断食は、目を見張るような修行の成果を期待するのが目的ではなく、最終的には、自分がどれほど神に愛され、赦されていることと、忘れかけていた、あるいはまた、気づかずにいた恵みに感謝するところへ、導きます。そして、尚且つ、他者にたいする、人間の人格的尊重と愛をさらに深めるものだろうと思います。

人によって、環境によって神が求められる断食は、それぞれ異なる事でしょう。日本のある学校新聞かなにかの記事に、世界の中の貧しい国の子どもたち、というようなテーマのビデオを見て感じた事、自分達ができる事は何かという記事欄に、こんなことを書いている子供の記事を見かけました。

「貧しい国の人達は、与えられたものを大切に感謝して使っているし、物を粗末に扱ったり、すぐ捨てたりしない。ビデオを見て、ぼくは日本の事を思い出だした。随分前にお母さんが言っていた事だけど、短くなった鉛筆やいらなくなった学用品や衣類を集めて、それを貧しい国の子供に使ってもらおうと、いうのより、日本は今までも、十分、物がすぐ手に入って、他の事でも贅沢しているから、新しい鉛筆を、貧しい国の子どもたちに送って使ってもらい、そして、自分たちが短くなった鉛筆を、大切に貧しい国の子たちが使うだろうところまで使ったらいいと。本当にそうだなと思った。お金や物をあげられなくても、普段の生活の中で自分ができる事があるんだと思う。」

何かよい事をするのに、物やお金がない貧しい人、弱い立場にある人、子供が、何もできないのではなく、むしろ、神様の慈しみを示す心の純粋さを、人に与える力が現れているように思います。上と下の関係で、関わる事から、同じ目線での関係は、さあ、あなたを助けてあげましょうというところからは現れないのではないかと思います。むしろ、一緒に助けられ、一緒に感謝する事で、神を賛美するのです。神様は一人や片方だけ救われたいのではなく、一人を救うとき、必ず誰かも共に救われるのです。神の御摂理は、わたしたちの人生の途上に試練や苦しみも、おのずとあります。物質的な事であれ、肉体的な事であれ、精神的な事であれ、人それぞれ、立場、環境、時によって、違うかたちでありましょうが、そんな時、本当に心の支えとなり、助けてくれるのは、同じような試練と苦しみを体験した人でしょう。そして、その人は助けてあげましたとも言いません。その人本人も助ける事ができているのを知らない場合が多いでしょう。人目にもつかないけれど、恐縮や上下関係なしに、まったく無償の奉仕をしているでしょう。施しをするときは、右の手のすることを左の手に知らせてはならない。あなたの施しを人目につかせないためである。そうすれば、隠れたことを見ておられる父が、あなたに報いてくださる。(日本聖書協会『聖書 新共同訳』マタイ 6,3〜4)

神様の望まれる断食とは、心の内側からの出発点からの現れにおん目をとめられるもだろうと思います。困難や苦しみにあっている人への親切や思いやり、真の愛の行ないです。ですから、施しをするものがないと、悲しまないでください。裕福な者にも、貧しい者にも、強い者にも、弱い者にも、健康な人にも、病気の人にも、神様はどんな立場や環境に置かれた人も分け隔てなく、その人にできる崇高な方法をお定めになりました。

一人一人の心の内側からの現れは、政治や経済、医療や教育に、実際そこにたずさわっている事がないとしても、全く無関係ではなく、見えないかたちで影響を与えていることでしょう。政治や経済、医療や教育等は、一人一人の生活に大きな環境的影響力をもっていますから、権利を主張することと、一人一人の責任を分離することはできないはずです。信仰や真の誠実さと別のものに考えたり、無関心であってもいけないでしょう。みんなどこかで、つながっています。

聖書引用は 聖書 新共同訳: (c)共同訳聖書実行委員会 Executive Committee of The Common Bible Translation
(c)日本聖書協会 Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988
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2004/2/24up
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