
1度は聴いておきたいJazzの名曲 Part 1
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| 「Waltz for Debby 」ビル・エバンス/スコット・ラファロ |
| 「Suger」 スタンレイ・タレンタイン |
| 「My Favorite things」 ジョン・コルトレーン/エリック・ドルフィー |
| 「Shinny Stockings」 エラ・フィッツジェラルド/カウント・ベイシー |
| 「Milestones」 マイルス・デイビス |
「Waltz for Debby 」ビル・エバンス/スコット・ラファロ
あまりセンチメンタルなこともロマンティシズムなことも書きたくないが、もしあなたが孤独を怖いと感じるようであれば、Jazzは似合わない。Jazzこそは他の誰とも共有できない自分の感性で聴くものだから。言い換えれば、プレイヤーと聞き手の対話とも言える時間だから、他の誰をも介入できない排他的な音楽とも思う。そういう意味では個人的なぼくの環境は、Jazzを聴く態勢が整っていないので、当然この10年余りのブランクはやむを得ない。それというのも自分が孤独ではないことに原因があるのだが、しかし、同居者がいたとしても余計に孤独を感じてJazzを聴きたくなることはある。
幸か不幸か、現在の奥様との対話は、Jazzを聞くまでもなくJazz的な会話を1日中しているので、改めてJazzという音楽を聴くまでもないというわけなんだが、ご理解いただけるでしょうか?
しかし、若者よ、またその他の中高年者よ、孤独であることを怖れてはならない。「プラトーン」という映画の冒頭では、「若者よ!若いうちに楽しめ。」というクレジットが現われるが、何もそれは酒池肉林の快楽に溺れなさいという意味ではないように思うのだが・・・。孤独を楽しむことができる人は、人生において最も心強い親友を得ることと同じに思えるのはぼくだけか? もはや、孤独とは縁遠いぼくが言っても説得力はないが・・・。
レコードに針を落とすと、マイ・フーリッシュ・ハート、愚かなりし我が心というJazzスタンダードナンバーが流れる。そうすると、一気にぼくの心はあの薄暗いJazz喫茶の片隅にタイムスリップする。1歩その店の扉を開けて外へ出ると、多分「泳げ、たいやきくん」のメロディがどこかの家のラジオから流れているかもしれない。また、ロッキード裁判の模様がニュースで放送されているだろう。そんな世相を浄化するかのように、ビル・エバンスのピアノの旋律は美しい。このままその音楽の中に身も心も溶け込ませたくなる。
そして、レコードのシャーという音に続いてワルツフォーデビーが流れる。このLPはライブなので、演奏中お客の会話が始終聞こえるし、コップがカチャカチャ擦れ合う音が聞こえる。これを雑音と感じてはいけない。またこれらの音を消すなんてそんな野暮なことを言ってはいけない。これら雑音もJazzなのだ。レコードはいつのまにかスコット・ラファロのベースアドリブに突入する。
1961年6月25日、日曜日、ニューヨークのビレッジヴァンガードでこの演奏は録音されたが、その10日後7月5日、スコット・ラファロは自動車事故で急逝した。この天才ベーシストはこの時25歳だったそうだが、彼にとって幸か不幸か、この時の演奏は不朽の名盤となった。
この曲が耳に入ると、ぼくは自分の本名を呼ばれた時と同じ反応をしてしまう。
「Suger」 スタンレイ・タレンタイン
Coolな音楽とはこういうのを言わずして、何を取り上げられるというのか?
FENという進駐軍向けのラジオ短波放送があった。そこでは1日中アメリカの音楽が流れていて、ぼくは夜中になるとその局にラジオをチューニングし、聞き入っていたことがある。そこで突然流れ出した曲がこの「Suger」で、あまりの格好いいフレーズに胸がときめいた。そして、今でもこのフレーズを聞くと、すべての人生の辛酸を舐め尽くし、酒も女にも飽きて、底無しの孤独に身を沈めているハードボイルドな主人公になりきってしまう。
「My
Favorite things」 ジョン・コルトレーン/エリック・ドルフィー
この曲は、本来映画「サウンドオブミュージック」の挿入歌で、詳しいことは知らないが、ぼくの感覚ではヨーロッパのどこかの国の古くから伝わる民謡にも思える。何故かというと、他の挿入歌とはいかにも異質なメロディに思えるからだ。コルトレーンとドルフィーはヨーロッパ公演でこの曲を必ず演奏していると思う。だから、この時期彼らは多くの録音を残しているが、ぼくが聞いている「My Favorite Things」は、現在どんなCDにも入っていないだろう。多分録音が悪いので、試聴盤として残っているだけかもしれない。がしかし、相当こなれたアドリブをしていることもあって、現在聞けるものと比較するとスピード感があり、かつまた一種異様なコルトレーンのメッセージ性の強い作品になっているので、JBL222Aという大きなスピーカーで聞いていたら、隣近所の人は、ぼくがヘンな宗教にでも入ったのではないかと心配すること必然。
1960年代といえば、今ほど情報量が多い時代ではなかったけれど、その情報の質を考えると明らかに昔の方がレベルは高かったように思う。多分、マスコミは垂れ流し的なドウでも良いニュースを取り上げてはいなかったはずだし、作る番組も今ほど視聴者に媚びてはいなかったような気がする。とはいっても、自由と言う意味では格段の差があったかもしれない。ところが、その自由という意味も無責任さが伴うと、WEBにおける無政府主義的な世界となってしまい、権利も義務もその価値観が本末転倒となることもある。
そばやのお兄ちゃんが、アート・ブレイキーの「モーニン」を口笛で吹きながら、自転車に乗って出前をしていた時代のことである。
「Shinny Stockings」 エラ・フィッツジェラルド/カウント・ベイシー
サンタモニカ・ジャズ・シビックと言って、3枚組みの豪華ジャケットのライヴ版レコードにこの曲が入っている。日本版「絹の靴下」は夏木マリが有名だ(知らないだろうなあ・・・。)。
エラさんはすごく高音がきれいに発声できて、すごくかわいい声をしているのでお顔を拝見したくなりますが、見なきゃよかったと思ってしまう。それで、最初は声と顔が一致しないので違和感がある。しかし、人間はどんな環境にも慣れる動物なので、いつか慣れてしまってそのうち、こういう声をしている女性は××なんだと固定観念を持ってしまうのだ。でも、××なので人をうならせる歌唱力やテクニックがあるのかもしれない。サラ・ボーンという歌手は××ゆえに、ステージで歌っていたら顔面にトマトをぶつけられたことが原因で整形手術をして見られる顔にしたそうだが、失敗したみたい。多分エラさんはしてないでしょう。
よくこの二人は比較されましたが、乱暴に分けると高音のテクニカルな歌唱と、中低音の情緒的な歌唱の違いがあると思います。
ところでこのライヴ盤、聴いてるだけで人生楽しくなります。
「Milestones」 マイルス・デイビス
マイルスがJazz界の帝王といわれる所以は、モダンジャズの先駆者。そのモダンジャズを発展させていったJazzの巨星たちに多大な影響を与えた。生存中は常にJazz界をリードしていた。ということなどが挙げられる。
そのマイルスもチャーリー・パーカーという人の弟子だったが、パーカーはバードと言われ、アルトサックスの演奏テクニックは神業で、そのアドリブをスキャットでなぞっても不可能だ。そういう意味では彼は天才と言われるが、マイルスは帝王となる。
晩年は、Jazzの衰退を予言したかのようにフュージョンな音楽を作っていたが、あのマイケル・ジャクソンもスリラーで「Human
Nature」を歌っていたし、シンディ・ローパーは「Time
after time」を大ヒットさせた。それらにしても、マイルスはJazzの殻を破って音楽界をリードしていた。
だから、彼の作る音楽は数歩先であったため評価が分かれたこともあったが、結果的には現代の音楽は彼にひれ伏していた。しかし、現在マイルスはこの世にいない。
その彼の勇姿を生で見たのは25年前で、ステージの間近で見ることが出来た。前から3列目の席で大音量の音楽に包まれた。そして、いつのまにかぼくはその大音量のマイルスの音楽の中で不覚にも眠り込んでしまった。今わかった! なんでライブの時、みんなが立って体を動かしているのか。じっとしてたら寝ちゃうもんね。その後何回か彼の公演を聴きに行ったが、80年代半ば「Jazz
Live under the Sky」の姿がぼくにとって最後だった。交通事故で再起が危ぶまれたこともあったが、彼は不死鳥の如く何度も甦り、その都度センセーショナルな話題を提供し、ぼくたちJazzファンは彼の行動に一喜一憂した。どんな世界でもこのような真のスーパースターがいなくなると、衰退は坂道を転げ落ちるように加速度がつく。
「Milestones」はそのスペルから察することができるように、一里塚とマイルスの音を掛け合わせているのだが、この曲、ぼくスキャットで、彼らがミストーンした音もひろってアドリブ部分を唄えます。でも、今の環境では忘年会の隠し芸にもなりません。