皇帝
ブリガディアジェラード
brigadier gerard
 牡・鹿毛・アメリカ (1968 〜1989 )
 父: Queen's Hussar
 母:
La Paiva(Prince Chevalier)
 競走成績:18戦17勝(2着1回)
 主な勝ち鞍:
 キングジョージ、英2000ギニー
 セントジェームズパレスS、サセックスS、
 クイーンエリザベスUS 2回、
 英チャンピオンS 2回、エクリプスS

 英国最多連勝記録保持馬
 (但し、欧州記録はリボーの16連勝)

  
  世界一、無敵のマイル王、そして英国15連勝記録樹立馬
   
   
  えーと、ブリガデ..
     ブリガジェラ...??
     ブリガデラジェララジェー...!?$*!!
     あ〜! 読みにくい!!!

     が、最初の印象です。(かつてファビラスラフィンの名前を始めて知った時の記憶がよみがえりました)
     日本ではかなりなじみの少ない名前ですが、海外ではとても有名です。
     20世紀の名馬を挙げたら必ず5本の指に入るだろう、と言われてます。
    特にマイル(1600mちょっと)までの世界であれば無敵との声まであり、対抗出来るのは
     
歴史的に見ても、米国2年連続BCマイル覇者の歴史的豪牝ミエスクぐらいとされてるようだ。

    マイルまでなら無敵、さらに2400mのキングジョージY&クィーンエリザベスSまでも圧勝してしまう。
    そしてこの馬が評価される理由として、常に超一流の対戦相手を前に圧勝を収めてるところにあるだろう。
     ラムタラと同じ欧州三冠馬で競馬史上に名を残すミルリーフや、マイスワローといった怪物とも言える相手さえも
     子供扱いにしてしまう。あのミルリーフが本気で走って勝てなかった唯一の相手である。
     ただ残念なことに種牡馬としては全く不振に終わり、現在
ブリガディアジェラ−ドの名を知る手段は少ない。
     ということで簡単に競走成績を説明しましょう。
     
     1970年。
     ブリガディアジェラ−ドは、とりわけ良血ともいえない血統の為か3歳デビュー当時は最低人気続きだったが、
     直線一気の競馬で挑むレース全てに勝利し、3歳時を4戦全勝で終了。周囲を驚かせた。
     だが、同期の
ミルリーフ、マイスワローの3歳離れしたレース内容の方を評価されて、3歳チャンピオンにはなれなかった。
     そして
しばらく休養の後、4歳春にステップレースを使わずいきなり2000ギニーに登場する。
     わずか6頭立てだったが出走馬は、後の欧州三冠馬ミルリーフ、マイスワロー 、ミンスキー ( Nijinsky の全弟)という
     超豪華メンバーであった!! 
     ここでブリガディアジェラ−ドは、ミルリーフ、マイスワローに次ぐ3番人気。
     レースは ブリガディアジェラ−ドはいつもと変わらぬ後方待機、マイスワローの逃げをミルリーフがマークする展開になった。
     最後の直線、残り3ハロンでミルリーフがマイスワローを捉え、勝ちパターンに持ちこんだと誰もが思った瞬間。
     神がかりな追い込みを見せたブリガディアジェラルドが、直線一気でライバル2頭を抜き去った。
     ミルリーフは一瞬で3馬身も引き離されてしまった。
     レース後、場は暫くシラケタ空気に包まれていたそうだ。

     その後も無敗のまま、6戦6勝で4歳時を終えた。
     5歳になってからもクィーンエリザベスUS,エクリプスS,キングジョージY&クィーンエリザベスSなど大レースをことごとく制覇し、
     現在の英国最多連勝記録、怒涛の15連勝で欧州記録としてもリボーの16連勝に次ぐもので、自身の競走成績も15戦全勝とした。
     だが16戦目、ヨーク競馬場ベンソン&ヘッジスGCで1歳下の英ダービー馬、ロベルト に不覚を取り2着に敗退。
     くしくも連勝記録は15でSTOPした。
     当馬のこの敗北は、競馬歴史上で意外な出来事であったともいえるだろう。
     そして17戦目の引退レース、英チャンピオンSは圧勝し無事引退。
     見事年度代表馬に選出された。

     今は荒廃しつつある競馬発祥の地、英国の競馬全盛期を支えた名馬の一頭である。


                              HOME