不世出の天才と”英国の至宝”
セントサイモン
 St.Simon 
  1881 - 1908.4.2 (GB)

  牡・黒鹿毛・イギリス産
   父:Galopin
   母:
St.Angela
   競走成績:10戦10勝
    (一つは非公式戦)
  1890〜1897、1900、1901年
  
英国首位種牡馬
 
主な勝ち鞍:
    アスコット・ゴールドC
    エプソム・ゴールドC
    グッド・ウッドC

 ◆伝説の天才ジョッキーが恐れた史上最凶の”無冠馬”


   ”アーチャーが乗ればカタツムリでも勝てる”


   
そう言われたアーチャーがこの世を去ったのは、1886年11月8日未明、寒い冬の出来事だった。
    ピストル自殺。
    ニューマーケットの自宅で、1発の銃声とともに、彼は自らの命を絶ったのである。
    まだ29歳という若さだった。
    愛する娘を亡くし、妻にまで先立たれ、孤独な身に残されたのは、ただつらい減量苦の毎日。
    精神的に追いつめられ、そのうえ病にまで冒されたアーチャーが選んだ最後の”決断”だった・・・


    19世紀末に実在した伝説の天才ジョッキー、
フレッド・アーチャー(1857-1886)
    若干29歳にして英国クラシック21勝。首位騎手13回。天才の名を欲しいままにし、数々の未曾有の記録と
    栄光を築き、通算成績は2784勝を数え、何と勝率は34%を超えていた。
    今でも「歴史上の名騎手を3人挙げろといわれたら、そのうちの一人はアーチャだ」と言う人がいるくらいで、、
    忠誠心と、馬へ注ぐ情熱さで絶大な人気をはくし、英国では波乱万丈の人生を題材にした本が数多く出版されている。
    馬を勝たせることへの情熱は人一倍大きく、同じ失敗は2度と繰り返さなかったという。特に名馬ベンドア(1877〜1903)
    のダービーでは、調教中に暴れ馬に腕を噛みつかれ腕を引裂かれる重症を負ったにも関わらず、気絶するような痛み
    に耐えて”腕1本だけ”で優勝を導いたアーチャの執念は絶賛された。
    アーチャーこそは、まさに19世紀最高の大天才騎手なのである。


    
    Frederick J. ARCHER (1857-1886)

   
 そのアーチャーが生前、「生涯最高の馬だった」と語ったのが・・・セントサイモンなのである。
    19世紀を代表するもう1頭の
歴史的名馬オーモンド(16戦全勝の主戦ジョッキーも務めていたアーチャーだが、
    知人から聞かれた際も、「2頭を比べたら、もちろんセントサイモンが上だ」と、すぐに答えた。

    「英国の競馬が見た恐らく史上最高の馬」(英国平地競馬事典より)
    セントサイモンは、19世紀が生んだ英国の至宝である。
    桁違いの能力で10戦全勝、他を圧倒した凄まじいレースぶりの数々は、既に伝説の領域で語られ、
    種牡馬として世界中を席巻した事実は、現在のノーザンダンサーの功績をも凌ぐ程である。
    昔の馬だから、日本人になじみが薄いのは当然かもしれないが、海外での歴史的名馬価値といったら、
    それは大変なものがあって、以前19世紀の名馬としてグラディアテュール(仏)を紹介したが、
    いやセントサイモンの方が上だ、と主張する声も多い。

    アーチャーは語っている。
    「この先の私の人生、2度とこんな馬に出会うことはないだろう。あれは馬ではなく走る蒸気機関車だ・・・」

    

  ◆たった1年のキャリアで伝説になった”乞食馬”

    「いいかよく聞け! スタートしたらすぐに飛び出して、あの”乞食野郎”の喉を掻き切っちまうんだ!」

    1883年10月24日、ニューマケット競馬場で500ギニ-を賭けたマッチレース(1200m)。
    ジョンポーター調教師は怒りをあらわにして、キャノン騎手に怒鳴りつけていた。
    優秀な3歳馬デュークオブルッチモンド側は、どこの骨ともわからない駄馬と同等に扱われたことに
    激怒していた。

    ”乞食野郎”と罵られていたのは、まだ名も知られないセントサイモンという馬であった。
    だが、その”乞食野郎”に絶大な自信を持っていたドウソン調教師側は、愛馬をけなされたことに大変腹を立てて、
    挙句の果てには、「そのセリフを、奴らにそっくり返してやれ!!」と相手側に聞こえるくらい大声でアーチャー騎手
    に怒鳴りつける始末。
    まるでカーレースをやるかのように、スタート前から両者で睨みあいが続き、威勢とボルテージは最高潮
    に高まっていた。
    しかし、勢いよくスタートしたかと思えば、”乞食野郎”とデュークオブルッチモンドの差は歴然だった。
    セントサイモンは最初の2ハロンで20馬身以上をつける大差をみせつけると、アーチャーはレース途中
    にも関わらずセントサイモンの手綱を引いてデュークオブルッチモンドが追いついてくるのを待った。
    そして追いついたとみるや、今度は相手側への屈辱を与える為か、正確に3/4馬身差を保ったまま
    ゴールまで同伴したのである。
    ちなみに英国レーシングフォーム上では”3/4馬身差でセントサイモン側が勝利した”としか表記されて
    ない。


                       


    名騎手アーチャーとの無敵のコンビで突き進む快進撃と、破天荒なレースで多くのファンを喜ばせた
    英国が誇る史上最良のサラブレッド、セントサイモン。
    フランスの著名な思想家サン・シモン(Saint Simon)の名が与えられた当馬は、競走馬として10戦全勝、
    種牡馬としても英国首位種牡馬に9回も輝き、競馬史に不滅の金字塔を残したスーパーホースである。

   
 しかも驚くことに、この馬は生涯でたった1年のキャリアしかもっていない。
    正確に言うなら、1883年7月31日から1884年7月31日までの約1年である(デビュー戦と引退レース日が
    重なった)
120年も語り継がれる程の伝説の名馬が、実はたった1年しか走ってなかったなんて・・・
    如何にこの馬の登場がセンセーショナルだったかが、これだけから簡単に想像がつく。
                    

    しかし、マッチレースで”乞食野郎”呼ばわりされてたように、もともとは大して期待されない馬だった。
    普段から牛みたいに太っていて、おまけに歩き方まで牛そっくりにノロリノロリ・・・
    おまけにセントサイモン自身、高齢馬からの出産(母セントアンジェラが17歳、セントサイモンは8番目の仔)
    馬で、近親に活躍馬が殆どいない血統柄だったこともあるのだろう。
    オーナーのポートランド公ですら、当馬の価値や魅力といったものを全く理解できておらず、ドウソン調教師の
    再三に渡る強い薦めに折れて2歳セリ馬でしぶしぶ購入した、というのはあまりに有名な話だ。

    これはセントサイモンの前のオーナーであるバチアーニ公も同じであった。当馬はバチアーニ公によって
    生産されたが、前述したように活躍馬がいない血統柄だった為か、あまり期待もしておらず、クラシック登録は
    2000ギニ-(日本では皐月賞にあたる)だけしかしていなかった。
    しかも、そのバチアーニ公は当馬が2歳の時に心臓発作で急逝した為、当時の規定により、2000ギニ-の
    出走権を抹消されてしまったのである・・・
    だから、セントサイモンは間違い無く英国クラシック3冠を取れる器であったにも関わらず、ひとつのクラシック
    タイトルも獲っていない(獲れなかった)のである。
    コローネ-ション(戴冠)の国ともいわれる本場英国で、このような無冠の馬が”至宝”扱いされることは極めて
    異例な話だし、このようなケースはセントサイモンただ1頭である。


                               
    

    以下がセントサイモンの全競走成績である。 

セントサイモンの全競走成績(10戦)
月日  レース名  距離  成績 着差  特記
 1883年(2歳時)
7.31 ハイネイカーS 1000m 1 6馬身  2着は後にグロシェーヌ賞を勝つリシェリューだった。
8.1 メイドン 1000m 1 1馬身  前走の次の日。2歳で60.3キロの斥量
9.1 デヴォンシャー・ナーサリー・プレートH 1000m 1 2馬身  ‐
9.14 プリンス・オブ・ウェールズ・ナーサリー・プレート 1400m 1 8馬身  2000ギニ-2着馬には大差をつけた
10.24 マッチレース 1200m 1 3/4馬身  マッチレース
 
(相手に20馬身差をつけた後、手綱を引いた。)
 1884年(3歳時)
5.15 トライアルマッチ 2400m 1 6馬身  7歳強豪トリスタンとの非公式トライアルマッチ※1
5.30 エプソム・ゴールドC 2400m 1 -  1頭だけの単走
6.12 アスコット・ゴールドC 4000m 1 20馬身  暴走事件発生。ゴールで静止せず、そのまま8ハロン
 先まで全力疾走した。
6.26 ニューカッスル&ゴスフォース・ゴールドC 1600m 1 不明   -
7.31 グッドウッドC 4000m 1 20馬身 セントレジャー馬に20馬身差

 ☆表※1)賞金も賭けもなく非公式レースだったが、レーシングカレンダーに記載されてる為、戦績を加え全10戦とした。 

  どうだろうか?いやー実に美しい(笑)
  いくらセントサイモンが”乞食馬”に見られていたといっても、2歳のデビュー前の調教では、既に6歳の古馬相手を
  簡単に負かしていたと言われてるくらいだから、やはりその能力は垢抜けていたといわざるを得ない。

  数多くの名馬を育ててきたドウソン名調教師も、後にこう語っている。
  「私は生涯で、真に偉大な馬といえるものをたった1頭だけ調教できた、それがセントサイモンだ。
  わずか1ハロンだろうと、24ハロンの長距離でも、全く同じ調子で疾走した。この馬には距離の長短はいささか問題に
  ならなかった・・」
  わずか1年のキャリアというのも驚きであるし、距離も斥量も強硬スケジュールも、そしてどんな対戦相手も一切
  おかまいなしだったというのは、”伝説の名馬”といわれる所以なのだろう。


  では、あとは気になる表記の”暴走事件”について、ちょっとだけ話しておきましょう。


 

 ◆「その馬、凶暴につき」

    セントサイモンの”稀に見る凶暴性”は、今日でもよく知られる。

    それも生半可なものではない。
    極めて短気のうえ、何かを強制しようものなら手が付けられなくなり、手がける調教師や騎手は、何度も命が
    危険の目にあっている。過去にゴドルフィンアラビアンやキンチェムの例があるように、猫など他の動物を友達に
    させることで気性が落ちついたという話を聞きつけた関係者は、ある日セントサイモンの気性難を改善する目的で
    馬房に猫を入れたところ、あっという間に天井に叩きつけて殺してしまった。
    また競走馬引退後も、すぐには種牡馬されず、オーナーと調教師の判断で1年間は”精神治療期間”にあてられたと
    いうのだから、まさにお墨付きの暴れん坊である(笑)。
    結局この凶暴性は死ぬまで変わらなかったそうだが、面白いことにコウモリ傘だけは大層怖がったと言い、
    暴れてどうしてもどうしようもなくなった時は、馬丁がステッキに帽子を被せてこれに見立て、やっと馬を落ち着かせた。


    そんな”凶暴性”を示した、こんなエピソードが残っている。
    1884年、長距離路線で名誉あるアスコット・ゴールドC(芝4000m)に出走したセントサイモンの背には、
    今までずっとコンビを組んでいたアーチャー騎手ではなく、この時だけ代理のウッドという騎手に代わっ
    ていた。悪い気性難が出ないかとヒヤヒヤした関係者に対し、意外と素直だったセントサイモン・・・。
    しかし、ウッド騎手もアーチャーのような天才騎手と比べると経験もなく、見劣りするのは仕方なかった。
    4000mという長距離で、序盤を抑えすぎるというミスを犯したウッド騎手は、馬群から大差はなれた
    後方を走ることになる。残り6ハロンで手綱を緩めると、待ちきれんとばかりにセントサイモンは一気に
    エンジン全快。凄まじいスピードであっという間に先頭馬を追い越すと、ゴールした時は後続に20馬身
    をつけていた・・・、が完全に暴走状態に入ったセントサイモンは騎手の再三の静止命令を聞かず、
    なんと短距離レースを走るようなスピードを維持したまま暴走し続け、ようやく止まった時はゴール版から
    1600mも離れていた(笑)。アスコット・ゴールドCは4000mのレースである。

    こんな暴れ馬がよく10戦無敗で自滅せずにすんだものと感心させられるが、ウッド騎手の例も考えると
    アーチャーが乗ってたからこそ一度も土がつかなかったのだ、と思わずに入られない。
    アスコット・ゴールドCはセントサイモンの並外れた能力を示したが、同時にアーチャーが如何に素晴らしい
    名ジョッキーであったかを裏付けたレースでもあるとも言えるだろう。


 ◆100年に1頭、”怪物”クラスの大種牡馬セントサイモン
   
  
 かの偉大なマンノウォー(米)は、米3冠馬を輩出するなど種牡馬として一流の成績を残したにも関わらず、
    同じクラスの名馬として、どうしてもハイペリオンや、セントサイモンなどの功績を期待されてしまった為、
    ”二流の種牡馬”という誤ったレッテルを貼られてしまった。

    しかしはっきり言えば、ハイペリオンやセントサイモンの方が”異常”なのである。
    セントサイモンは競走馬として素晴らしい名馬であったが、種牡馬としてはまさに”化け物”クラス。
    例えば、こんなことを考えたことはないだろうか。
    もしも日本で、競馬場で走る馬がみんなサンデーサイレンス産駒になってしまったら・・・
    牧場で売れる馬もレースで勝つ馬も、種牡馬もほとんどがサンデーサイレンス産駒になってしまったら・・・、と。

    その先例がセントサイモンなのだ。
    英国首位種牡馬になること実に9回。うち1890年〜1897年は7回連続首位で、これと同じ功績を出す馬がようやく
    現れたのは、ほぼ100年後の1998年、あのサドラーズウェルズである(現在、11年連続合計12回で記録更新中。
    英国歴代史上1位のハイフライヤー〔1785〜1796、1798〕まであと一つ。)
    種牡馬ランキングではセントサイモンの他、彼の子であるデスモンド、チョーサー、ウイリアム・ザ・サード、
    セントフラスキン・・・によって占領され、桁違いの種牡馬実績を残した。
    「このままでは、競馬界はセントサイモン系の馬で埋め尽くされてしまう」といった懸念も出たほどである。
    
    しかし、セントサイモン系が世界中で増えすぎた結果、近親交配の弊害(と言われる)の影響で、1930年代半ばには
    英国からセントサイモン系が崩壊寸前までの危機に直面したのである。

     全く血縁関係のないカーバイン(NZ)の血を混ぜて改善を図ろうとしたが、これは失敗に終わった。
    かくしてセントサイモンの血は世界中にばらまかれる結果となり、今度はアメリカ以外の主要競馬国で多くの活躍馬
    を輩出するに至っている。セントサイモンは、たった1頭で世界を変えてしまった恐ろしい馬なのだ。
    現在、全サラブレッドの10%以上はセントサイモン系だといわれている・・・



 「本気」を出したのは、生涯で一度だけ

    最後に、アーチャーとセントサイモンにまつわるエピソードを一つ紹介しよう。

    兎にも角にも、セントサイモンは競走馬として無敵を誇ったわけだが、アーチャーの話によるとセントサイモンが
    本気で走ったのは生涯で只一度だけだったと語っている。
    しかも、それはレースではなく、調教の最中の出来事だった。

    こんな話である。
    4歳春のセントサイモンの調教をつけていたアーチャーが、どうにも動きが鈍いと感じ、試しに拍車※で
    セントサイモンの腹を叩いたときのこと・・・ (※拍車:馬具の一つ。靴のかかとにつけ、馬の腹を刺激する金具)

    急に豹変したセントサイモンが物凄い形相になって走りだし、厩舎にいた調教師の目に止まらないスピードで、
    あっという間に姿を消し、よその厩舎間を瞬く間に突き抜けてしまった。
    恐るべきスピードで全く衰えることなく走りに走り続けたセントサイモンは、厩舎から遥か遠く離れたニューマーケット
    の街の手前まできて、ようやく止まった。

    アーチャーは、レースとはまるで別馬のような覚醒した走りを見せるセントサイモンにしがみつくだけで、静止命令を
    出す余裕さえなかった
という。
    「もう2度と、2度とこの馬に拍車は入れない。セントサイモンは、にぎり立つ蒸気機関車のようだった」
    青ざめたアーチャーは、ただそれだけ言ったそうである。

    セントサイモンが本気で走る時。
    それはドッグ・レースで使われるグレイハウンドそっくりだった、と言われる。

 
                       


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