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知名町正名ヤッコ踊り保存会
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ヤッコ

活動実績

正名字
知名町正名に伝わるヤッコの伝承経過について
私たちの住む沖永良部島は鹿児島を離れること530Km 沖縄の北端より北に30kmの洋上にあり私たちの集落は知名町役場所在地から西へ7.5kmの所にあります。我が沖永良部島は大和文化(奄美文化)と琉球文化の接点にあると言われております。その代表的な琉球民謡と踊りがなんと言っても「かぎやで風」御前風ではないかと思います。

歌詞
今日の誇らしゃやなほにぎゃなたてる蕾でをる花の露たゃたごと
解説
今日の喜びは難易に例えよう蕾んでいる花が露を受けて咲出ずる喜びとのことの意味です。

これは今から500年程前尚円王が即位の時その恩人奥間鍛冶屋が国民を代表して詠んだもので後で「かじや手風」となりその後「かぎやで風」と称するようになったと伝えられています。もう一つの伝説は400年ぐらい前尚元王位継承の問題が正しく納まった時義臣大新城安基が喜びのあまり歌われたと伝えられています。その後琉球では国家同様歌われるようになり国王の前で演奏され民間一般家庭でもこの曲が祝の座で先ず最初に演奏され又踊られています。そこで現在知名町正名に伝承されているヤッコも沖縄本島から離島並に民間の郷土芸能として唄い踊られてきたものと思います。歌は琉球の方言で唄われており正しくヤッコの由来を説明されている著書もなく沖永良部島でも唄も三味線の弾き手の唄い文句のみで過ごして参りました。ヤッコとの言葉は中国にもあります。中国のヤッコは苗作りとの事、田園の苗づくりとの事でヤッコは中国から琉球を経て沖永良部へ唄い踊りが伝わったのではないかと思います。
さて、今から約300年程前我が奄美諸島は琉球服属時代で公的に又は私的に琉球との交易がありこの時代を奄美では特に「那覇の世」と言われ太平無事な黄金時代として那覇旅行、那覇見物は当時島民の憧れの的でもあった。日頃琉球の民謡と踊りを見て稽古に意欲をもやしていた方々が琉球の人々の中に入って踊られたものと思考されます。当時我が沖永良部には詠人知不のサイサイ節(酒酒節)が唄い踊られていたものと推察されます。当時琉球商人の方々は沖永良部島の着物(染色用)さらに原料(アイ玉糸)アイ染布、小魚、琉球カスリ芭蕉布、焼酎等の商いで出入りがあり、琉球から最も近い屋子母海岸付近、水がある沖泊、和泊町の畦布海岸その他の海岸において商いがなされたとの事を先人たちから言伝えがあります。昼間の苦労を忘れるため商い人や島の人々が夜になるとお互いにサイサイ節「酒酒節」とヤッコ踊りを交わしたものと推測されます。
琉球の男性の方々の空手技法的ヤッコ踊りを見て沖永良部の元気溌刺たる青壮年が親睦的に踊られたものがヤッコ踊り(沖永良部)の始まりと推測されます。

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masanayakko@geocities.co.jp

Last Update 2001/03/14
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