BARILOCHE

 

1997年3月27日からのSemana Santa(復活祭)の4連休で、ブエノスアイレスから南西に1700キロ、チリ国境の町バリローチェに行ってきました。

人口7〜10万人、山間の静かな街で風景が美しかった!

しかしながら斬ってのハイシーズンで、普段の航空券が270ドル前後なのに561ドル!!580ドルでビジネスに乗れるから、後から考えればキャンセル待ちしてでもビジネスの方が良かったのですが。

アルゼンチン航空の食事はいつも通り最悪。89センターボのビスケットと飲み物のみ。あれなら1人2ペソくらいしかかかっていないでしょう。

しかも膝が前の席に当るほど狭い。機内誌は必ずしもない。ラジオサービス無し。

マイレージ無し。

そのくせアメリカと違って競争が無いから値段はべらぼうに高い。

 

1日目はお昼の便で出発。トラブルで出発が一時間遅れで結局ホテルには4時頃に着いたからその日は市内を見るだけ。空港はgateが1つしかない小さな空港で、観光地のメッカとしてはお寂しい限り。もっとも大部分の人は23時間掛けてバスでやって来るから、飛行機なんか乗るのは金持ちだけかもしれませんが。

空港からはアルゼンチン国旗みたいな色をしたタクシーに乗ったのですが、いきなり物価の高さを実感。11キロ離れた街まで15ペソかかってしまいました。

アルゼンチンの南の方は物資を運ぶのが大変なので全体的に物価が高いのだとか。

 

ログハウス調の家々、湖のほとりの散歩・・・

復活祭には付き物のタマゴの形をしたチョコレートを街のあちらこちらで売っていました。なんでタマゴなのかは知らないけど、きっと「復活」だからでしょう。

テレビは35チャンネルあり、その内の一つはキリストの誕生からの様子をずーっと再現していました。

 

Casita Suiza泊ったのはCasita Swizaという、まあちょっとカワイイペンション系の宿。

窓には花壇があってスイスのイメージにしてある。

1泊70ペソだけど、ここではこれでも安い方。ここのいいホテルを見ると日本の那須あたりでアルパの演奏をホールでやっていたホテルと変わらないけど料金も200ドルと高い。

 

翌日からの予定を何も入れていなかったので、街中で見つけた旅行代理店で翌日と翌々日のツアーを申し込んで、その後飛行機の「食事」ではもの足りずお昼を食べようと入った所もログハウス調の暖炉のあるレストラン。

最も気温は20度くらいあったから暖炉は必要無かったのですが。

ここはスイス系の人が自分の国に似ているといって沢山移民しただけあって、名物料理はチーズフォンデゥー、ホットチョコレート、鱒料理。

顔もどことなくゲルマン系っぽくって美人が多い。

 

自転車が借りられるというので、湖沿いを散歩しながら探したけど見つからず、近くのチャペルを見学して帰ってきました。

 

街の中心に行って見たら、博物館がある。入るといきなり嫌いな剥製!!

パタゴニアの動物達を剥製にして展示したものらしい。

2階はこの辺りに住んでいた先住民族の生活の様子や探検家に関する展示とかだったから安心してみていたようだが、これで2.5ペソは高い!!と妻はぶつぶつ言っていました。

 

外に出ると汽車の形をした市内観光バスがとまっている。乗ろうとしばらく待っていたが、ビラを配った後いっこうに出発する気配が無い。

一杯になったら出発するといっているわりには来たお客を返してしまって広場で絵を売っているおねえちゃんなどと楽しそうに話し込んでサンドイッチかなんかを食べている。こっちの人の商売っ気の無い事ったら・・・

ビラを配ったら直ぐにチケットを売ってしまって出発しなくてもバスに乗せてしまって待たせておけばいいのにねえ、などと経営学論議に花が咲いてしまいました。

それ以外に広場にあった商売その2「パトラッシュと写真を撮ろう!」

あのパトラッシュの様な丸々太った犬が首の所に小さな樽を付けていかにもスイスの犬のようにしてある犬と写真を撮って大きく引き伸ばしてくれるらしい。10ドルと結構高いので余りお客が沢山いるとも思えなかったけれど3人が同じ商売をしていた。

手作り民芸品市場でマプーチェ族のマントなどなど見たりして、いい指輪があったから試してみたが、どれもこっちの人用のサイズでぴったり合わず断念。

 

バリローチェは正確にはSan Carlos de Barilocheですが、この名前は誤解でできたとか。本当はDon Carlos de Buriloche(ブリローチェ)で聞き間違えたんだといっていました。cheはマプーチェの言葉で人々を表わすとか。それ以外の意味はよく聞き取れませんでした。

 

2日目は8時半にホテルに迎えが来て12人乗りのマイクロバスで出発。

1時間ほどで最初の湖のほとりに着く。そこで散歩して戻って来ると、ゆれるバスで酔ってしまって参っているおばさんが座り込んでいる。

救急車を呼ぼうとか言っていたけど山の中でそれもままならない。

しかたなく運転手兼ガイドがその夫婦を街の病院まで送っていく間の1時間、湖岸沿いをゆっくりと散歩しました。

バスが戻ってきて更にゆれるバスで奥地へ。

さっきは小さい子供を含めた親子5人が3人の椅子に座っていたので、2人減ったおかげでちょっと余裕が出た。

しかし悪路で気持ち悪くなったのはこのおばさんだけではなく一番小さな6ヶ月くらいの子供も同じ。途中2回位Vomitarしていました。

お母さんはびしょびしょですぐ着替えていたけど、子育ても大変です。

 

いくつかの湖を通り過ぎていく。時々馬に乗る人、テントを張ってキャンプをやっている人、釣りをする人達が見える。街にキャンプグッズを売っている店が多かったのがうなずける。

今度来る時は夏にRaftingと馬乗り、とはなしが咲きました。

途中標高800メートルでここより右は太平洋へ、左は大西洋に流れているという分水嶺を通過。

昼食は公園の中のレストランでエンパナーダとパスタで食事。

ちょっと曇っていて寒かったのでここの暖炉が心地よかった。

ここで親子ずれの女の子2人が前に座ってから、ひたすら日本語を教え続けることになる。

 

1〜10、おとうさん、おかあさん、おねえさん、いもうと、おとうと、くも、かばん・・・・

 

このあたりから風景を見る余裕が無くなって余り覚えていない。長女の方がことさら熱心で、凄い勢いで質問していました。

しち、はち は難しいらしく しつ、はつ になってしまう。

 

次に行ったのが氷河が溶けて真っ黒になっていて陸地のように見えるのですが実は60メートルの厚さの氷で水に浮かんでいるんだとかいう場所。

 

最後が3400メートルの山の絶壁からいく筋にもなって落ちる細い滝。

高い所から落ちるので下の方はまとまった水の流れにならず風に流されて霧のようになっている。

 

夜はレストランから少し坂を上がった所の「Jauja」という名前のレストランでにんにくポタージュ、鱒のムニエルなどで食事。

にんにくポタージュはいたく気に入っていました。

(ブエノスに帰ったら2キロ太っていた)

 

ホテルの部屋のとなりが休憩室の様になっているのですが、本当は誰でも入れるのに構造上うちの部屋の専用みたいになっていたのでスィートルームのごとく自由に使っていました。

 

3日目はジャオジャオ岬まで25キロバスで行って、そこからハンカチ港を出て湖を船で28キロ先の港まで。そこから3キロだけバスに乗って寒湖(Laguna Fria)を往復する船に乗って帰って来るという行程。

 

ジャオジャオというのは、「豊かな」とか「すばらしい」とかいう意味のマプーチェの言葉。バリローチェで一番いいホテル「ジャオジャオホテル」がある。ここまで行くバスは、右側が湖、左が高級別荘地で、「夢、夢」といいながら別荘群をビデオに納めていました。

 

湖の上は国立公園になるので入場料として5ペソとられます。アルゼンチン初の国立公園で、確か1936年位に制定されたといっていました。

 

Nuel Uapi湖は300人乗りの大きな船で、最初甲板に出ていたのですがこれが少々寒い。

小さな島のマリア像を通り過ぎる時、船が汽笛を鳴らして通り過ぎていく。

冷たい風を避け、中に入って念願のホットチョコレートを頂いていると間もなく港へ。港といっても他の船は一隻も止まっていない。

ここから両側ジャングルのように木が覆い被さる未舗装道路を3キロバスで行く。途中に樹齢600年という木がありました。こんなのを見ると樹齢何千年という屋久杉を帰ったら見てみたいと旅愁を掻き立てる。

3キロ行った所に別の湖Laguna Friaがある。水は何処までも乳白色のエメラルドグリーンで美しい。

山のはるか上の方を何羽ものコンドルが旋回しているのが見える。

ラパスの動物園で見たあのコンドルと同じだが、はるか人間の手に届かない所を旋回するコンドルを見ていると、古代の人達がこの動物を崇拝した理由も分かるような気がする。

鳥葬なども、あの雄大な鳥によって天に帰るという思想が生まれたのかなあなどと思いを巡らせる。

 

向こう岸は国立公園の人が住む小さな家があるのみ。

山道の入り口に矢印が有り「チリ国境、税関」と書いてある。

興味があってマリア像を安置するちいさな御堂を通り過ぎてひたすら登っていくが、だんだんと道が険しくなり、倒れて苔むした木が前をはだかる。

水の音が聞こえる。もう少しだろうと進むが、腐葉土と化した地面がやさしく歩みを包み込むだけで、前は木と草に覆われて後ろの湖も前の水の正体も見えない。

諦めて帰り始めると間もなく船の出発を知らせる汽笛が聞こえる。

「急いでかえらねば」

はやる足を、途中であった子供の手をひくお父さんがにぶらせる。

「ゆっくり、ゆっくり!船は出て行きやしないよ。知らせているだけさ」

 

船は湖を引き返し、またバスに乗って途中の休憩所で休憩。

いつまで経っても列の消えない食事を求める列を横目で見ながら国立公園の展示を見た。

 

ハンカチ港に戻る船に乗って間もなく別の岸に着く。

山道を上がっていくと滝が、そして更に15分、誰もいない別の湖が姿をあらわす。歩いてすっかり熱くなり、上着を脱いで歩いた。

すっかり晴れ上がって暖かくなった船の甲板でうとうとして、ハンカチ港に着いた。

 

夕方少々散歩をした後、ホテルのレストランで念願のチーズフォンデゥーを食した。他のテーブルではこれを前菜として食べた後ステーキを食べていたが、小食の我々は小瓶のちょっと高級なワインとこれのみ。

ほろ酔い加減で寝てしまった。

 

最終日は午後に出発しなければならなかったので、近くの丘Cerro Ottoにケーブルカーに登るツアーに参加した。町からのバスを含めて1人15ペソ。

メインストリートにあるボックスに丁度出勤してきた係員をつかまえ、金を払って間もなく来たバスに乗った。(朝9時半)

 

昨日行ったジャオジャオ岬までの道と同じ湖沿いの道を4キロ、ちょっと山側に登って1キロ進んだ所にケーブルカーの乗り場があった。

朝一番のバスの、しかも最初にバスを降りた客だったので、我々はまさにいまからケーブルを動かす一番先頭に乗った。

 

朝日が美しく湖に輝いている。街も一望できた。

頂上まで着くと、早速外の展望台へ。雲一つない晴れ渡った空だ。

湖に点在する緑の小島を見ていると「ああ、松島や、松島や」という光景に思えてくる。

反対側には万年雪を頂いたトレナドール山(二日目に訪れたところ)が近くの山に囲まれた遠景に見えている。

 

円形をした室内展望台の方に行って見る。

途中階段を登っていく途中で冬で雪をかぶったこのあたりの風景の写真展示が有り展望台に行くと喫茶店になっている。

何と床ごとソファーが展望台沿いに回転するではないか!!

銀座で一度だけ行った回転するスカイレストランを想いだしてしまった。

 

その後11時から無料のトレッキングがあるというので参加した。

やはり何百年という樹齢の木や、大きな岩の上から紅葉を通して見る湖などおつでした。

参加者は10人少々だったが、静かな山の散歩で、ここから数百キロのリオネグロやネウケンあたりの小さな街から来ている田舎の人が多く、気軽に話し掛けてきていい人達だった。

他の大部分の参加者はその先1時間くらいでいける終点まで歩いていったが我々は飛行機の時間もありガイドと一緒に戻ってきた。

本当はマウンテンバイクのガイド付きツアーもあったのですが、これも時間切れで断念。(冬はカントリースキーツアーもあるらしい)

ケーブルで山を下りた。

バスに乗ろうとすると昨日のツアーであった人達が声を掛けてきた。

ブエノスアイレスに住んでいるから是非遊びに来てくれと電話番号をくれた。随分こちらの人の生活に密着してきたものだと自分達で感心していた。

 

3時少し前の飛行機でブエノスアイレスに戻った。

 

 

 

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