DESEMPLEO

 

失業Desempleo

 

2年前の1998年、国際的な2つの大きな事件がありました。1つはロシアが外国から借り得ている借金を返さないよ、と宣言してしまったこと、そしてアジアの国々が次々と経済危機に陥ったことです。一般的には、これらの国や南米諸国、アルゼンチンも引っくるめて「発展途上国」と呼ばれていますが、この頃から『発展途上国はどこも一緒で危険だ、お金を貸したら二度と返ってこないかもしれない』という不穏な空気が世論に広がり、アルゼンチン対してもお金を貸さなくなってしまいました。

 

さらに1999年1月、ブラジルは自国の通貨(レアル)を、1米ドル=1.2レアルくらいで維持していた為替相場政策を放棄し、いきなり2.0レアルまでブラジルの通貨が安くなりました。この結果、ブラジル側では月給1000レアルの人の給料が、外国から見れば800ドル(1000レアル÷1.2)から500ドル(1000レアル÷2.0)に下がったことになり、対外輸出品としてブラジルはアルゼンチンよりも低賃金・低いコストでの生産が可能になりました。特に革製品や衣料品などです。ちなみに革製品はアルゼンチンの主要生産品でもあります。

 

1998年、1999年のこれらの出来事が重なり、アルゼンチンの経済は極端に冷え込んでしまいました。お金の廻りが悪くなり、何かを生産しても売れなくなってしまい、結果として中小企業の倒産や従業員のリストラが相次ぎました。日本の現状も同じですが、こうしてアルゼンチンでも深刻な失業の問題が発生してしまったわけです。

もともと失業者の割合が多く、1998年5月でも失業率は12.4%でしたが、それが2000年5月には15.4%に跳ね上がりました。ちょっと計算してみましょう。アルゼンチンの人口は約3700万人です。このうち労働者は1380万人、その15.4%は214万人、12.4%は171万人にあたりますから、ざっと40万人が新たに失業者になったわけです。

 

 私たちの身近なところでも、下に記したような事例で生活に困っている人々がいます。

 

例1:

いつものように勤務先の会社に朝出社してみると、門が閉鎖されて倒産していることが分かった。事前に何の通達も受けていなかった従業員達は門の前で唖然と立ちつくし、そののち古タイヤを燃やして抗議した。中にはまだ役員などがいたが、テレビ局のインタビューにはまったく応じなかった。

 

例2:

働いていた会社から既に4ヶ月間も給与が支払われていなかった。ついに労働裁判所に訴え本格的に裁判になった。結果的に会社からは遅配分の給与が払われたが、退職金もないままに失業した。

 

例3:

若い頃スポーツ選手として名を馳せ、現役を退いてからも審判員や指導員として活躍し、家を持つなど平均以上の生活をしていた。しかし兼ねてからの不況で仕事は激減、審判をするような企業主催の大会も減って、間もなく全く仕事が無くなった。ついに家の維持費も払えなくなり売却を決意、物価がアルゼンチンよりずっと安い他の南米諸国に移住して、家の売却代金の利子で何とか生活して行くつもりだ。

 

例4:

現在の給料の半分は、離婚した前妻との間に生まれた二人の子供の養育費として支払っている。しかし、次々とリストラで勤務先を去る人が相次ぎ、次は自分も、との不安が重なる。そんな折、再婚した妻が妊娠した。新しい妊婦服も買ってあげたいが、今はとてもそんな余裕はない。

 

以上はほんの一例に過ぎません。理不尽に仕事を失う人はこれからも増え続けるのでしょう。アルゼンチン以外でそうした矛先が一番先に向けられるのは、

やはり近隣国から出稼ぎに来ているボリビア人などで、その多くが携わっていると言われる縫製工場などが不況で閉鎖されると、一度に数百人単位の失業者を何の生活補償も無しに出してしまうことになります。大家族を抱えて家賃も払えず路頭に迷い、街角で物乞いをする彼らの姿は、南米きっての大都市・ブエノスアイレスのもう一つの顔になりつつあるのかもしれません。

 

この冬、アルゼンチンを襲った厳しい寒さは、まさにそうした社会を克明に表現していたかのように受け止められたものでした。

 

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