DINERO ARGENTINO

 

アルゼンチンのお金の単位は「ペソ」(PESO)。

アルゼンチンはこれまでインフレが激しくて、何度もお金の単位が変更になりました。「ペソ」の下の補助通貨の単位は、ペソの100分の1で「センターボ」といい、「ドル」の補助通貨の「セント」と同じです。

最近では1991年に「アウストラル」という単位が1万分の1になって「ペソ」に変更になりました。

その2年前の1989年は5000%のインフレ、つまり1年後にお金の価値が50分の1になって、100円の卵が1年後5000円になるくらいのものすごい物価高に見まわれました。

そして現在の「ペソ」。1ペソの価値は1991年からずっと1ドルと全く同じになっています。ですから、レートの換算は非常に簡単で、アメリカに旅行に行っても全く困りません。

その上、アルゼンチンでは「ペソ」と「ドル」の価値が同じなので、お店では大抵どちらで払っても同じように受け取ってくれ、海外旅行客には特に便利です。

「ドル」のお札は偽造が多いので、たまにいやがるお店もあるようです。ここのお店はどこでも、特に50ペソなどの高額紙幣はすかしなどを食い入るように見てからお釣りを渡しています。地下鉄の券売所では2ペソのお札でも、すかしを確認しています。

アルゼンチンから他の南米諸国に行った場合は、「ドル」と「ペソ」のレートが少し違い、「ドル」の方が有利です。全く同じ価値なのになぜ?といわれれば、「ペソ」はアルゼンチンという国の信用を元に造られていて、「ドル」は合衆国という国の信用を元に造られていて、アルゼンチンの方が合衆国より将来の信用が低いから、ということになると思います。

では、なぜ10年間もの間「ペソ」と「ドル」が1ペソ1ドルで交換されているのでしょうか。

「お金」は、「国」が将来かならず相応の価値のあるものを払います、という「国の信用」を元にした「国の借金」の一種です。まあ「国」だから安全だろう、と誰もが思ってその国の「お金」を使っているわけです。しかし、南米の国々では、過去に「国」の信用などというものがもろくも崩れ去って、「お金」が紙屑同然になったわけで、先ほどお話しした1989年のアルゼンチンも、タンス預金などしたお金は全くの紙屑に近くなったわけです。

そんなわけで国民は「何もない状態」では、たとえ「国」といえども信用しなくなりました。

そこで1991年、アルゼンチンの「国」は「ペソ」という新しい通貨を発行するとき、「この新しいペソという通貨は米国のドルと同じ価値です」といって発行したのです。ただ言葉だけでは国民は信用しませんから、アルゼンチンの「国」は、「ペソ」を発行するときには必ず国の財産として「ドル」を保有します、と約束し、毎日「国」が保有しているドルの残高を発表して、「ちゃんと裏付けがあります」と情報公開するようになりました。

このドルを裏付けにしてペソを発行する制度を「兌換法」とか「コンバーティビリティープラン」と呼びます。日本が明治時代に行っていた「金」を裏付けにした「円」の発行「金本位制」などと同じ様なものです。

この制度と全く同じ仕組みをつかっている他の国はありませんが、「パナマ」は米ドルがそのまま流通していますし、「香港」も「香港ドル」は複数の先進国の通貨を組み合わせて、通貨発行の裏付けとして使用しています。

アルゼンチンの新聞で、最も重大な関心事項の一つは、この10年間続いている制度が、果たして将来いつまで続くか、ということです。

1999年12月10日、この1ペソを1ドルに固定した大統領であるメネム大統領が約10年の政権の座を降り、新しい大統領である別の政党のデ・ラ・ルーア大統領に代わっています。新しい大統領も、現在のペソをドルに固定する制度を続けると行っています。

ペソをドルに固定したことで、インフレがなくなり、安心してローンが借りられるなど、「買い物をする際の安心感」が生まれました。

 じゃあ良いことばかりだったかというと、そうでもありません。日本も円高になると「輸出競争力が落ちる」などといいますが、アルゼンチンは、現在では世界最強の通貨である米国の「ドル」に「ペソ」を固定したために、他の通貨に対して割高になってしまい、比較的物価の高い国になってしまいました。それでアルゼンチンで作った製品の値段も上がって、輸出するときに他の国の製品に負けてしまうという現象が起きました。

輸出ができなくなると工場が閉鎖されたり、そして失業する人が多くなったりして、それが今のアルゼンチンの社会問題になっています。

 

一つが良くなると他がうまくいかないのは常にあることです。どちらの社会が良かったか、アルゼンチン人は今のところ現状の安定した物価の方がいいと判断しているようです。

 

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