DORADO

 

1998年5月、我々はバスで北部のコリエンテス州に向かった。コリエンテスとはスペイン語で「流れ」を意味する。途中通過するエントレ・リオス州のエントレ・リオスが「川と川の間」を意味することでもわかるように、この一帯はウルグアイ国境を流れるウルグアイ河と、世界最大の河口幅を誇るラ・プラタ河の上流に当たるパラナ河という2つの大河に挟まれた大湿地帯だ。そこはイベラ湿原と呼ばれ、この年はエル・ニーニョ現象による度重なる豪雨で大洪水が起こり、湿地帯の面積が拡大するほど水位が上昇、多くの民家と農地が水没した。この事態を受けて、コリエンテス州に対しては、州立の銀行などを通じて毛布や乾燥食品などの救援物資が次々と送られ続けた、そんな直後のことだった。

ブエノスアイレスから約700キロ、約10時間の夜行バスの旅は、バスの出発時刻が2時間遅れるというラテンアメリカ的洗礼を受けて始まった。コリエンテス州の町メルセデスのバス停に着いたのは朝8時、既に宿の車が我々を迎えに来ていた。メルセデスの町から更に四駆の車に乗って未舗装道路を走ること約1時間、ようやく50キロ離れた目的地の宿である「Rincon del Diablo(訳すと"悪魔の街角")」に到着した。

 宿周辺はここ数ヶ月の雨続きで水嵩が増し、宿までは水が到達していなかったものの、門などは既に下半分が水没していた。ここは、このイベラ湿原でドラード釣りを一般の釣り客に対し解放している唯一の釣り宿だということだ。

紅茶とパンをご馳走になって、しばしバスの疲れを癒すべく休憩を取ったあと、早速小さなモーター付きのボートで湿原に向け出発した。無数のピンク色をしたカタツムリの卵が、葦の至るところに付着している、そんな中をボートは静かに進んでいく。30分はボートに乗っていただろうか、かなり奥の方にやってきた所で、今回、釣りガイド兼船頭をしてくれている青年がボートを止めた。周りは既に家はおろか陸地も全く見えない湿地のど真ん中で、ところどころ葦の先が水から頭を出しているだけの場所だ。どうやらここで最初のドラード釣りを始めることになるらしい。

小さいドジョウのような餌を生きたまま釣り針につけ、それが自然に泳ぐがままにまかせて水に流す。この生き餌は、針を差し込むたびに「きゅう」と泣くので、なんだかちょっとかわいそうになってしまうのだが、彼の話によると、この生き餌を使うとドラードの食らいつきが最もいいということだった。ところが、最初のうちは餌が水中の水草の間に逃げ込み、釣り糸が絡まるだけで「引きが来た!」と何度も勘違いして、リールを巻きあげては餌が外れた。それで数時間、水草に針を引っかけては糸が途中で切れてしまったり餌を失うばかりで、どんどんバケツの中の生き餌が減っていった。まだ一匹も釣り上げていないと言うのに・・・!

太陽が傾きかけ、餌も残りあと数匹となり「もう帰らなくてはいけないのかなあ」と思った頃、凄い力で竿が引っぱられた。水草が引っ掛かったなんて言うものではない。気を許せば竿ごと持って行かれてしまいそうなほどの力で、こちらは無理に竿を揚げることもできないのだ。とりあえず糸が緩まないよう気を配りつつ両腕で竿を固定させ、強い引きのために釣り糸がリールから勝手に出ていくのにまかせてみる。そして、ちょっと引きが緩んだところで竿を揚げてはリールを巻くことを繰り返す。

 数分の格闘の後、ようやくドラードが水面上に跳ね上がった。美しい黄金色に光るその姿は、魚の王者の名にふさわしい。暫く掛かってドラードをボートの脇まで引き寄せ、最後はそれを網で掬い上げた。今日初めての獲物の姿にしばしの間、興奮は収まるところを知らなかった。記念撮影をするために持ち上げるとずっしり重く、魚体はぬめぬめしていて脂っぽく、今にも滑り落ちてしまいそうだ。釣り雑誌によれば17キロくらいの大物も、この付近で1年に1度くらいは釣れるのだという。ドラードとのツーショット写真を撮ってもらい、その重さと大きさを素手で確かめると、再びドラードを水に離してやった。初めのうちはドラードも先ほどの格闘で疲れ果てていたのか、手の上でじっと動かなかったが、すぐに尾ひれをビクンと動かしたかと思うと、雨で濁った水の中にあっという間に消えていった。

この日の収穫は結局この1匹だけだった。やがて夕闇が迫り、ボートはゆっくり宿へと引き返すことになった。水面に反射する夕暮れの光は心が洗われるほどに美しい。空には家路を急ぐ鳥たちが眼下に自分の影を映しながら遠く彼方を過ぎ去っていった。自分たちの他には誰もいない、そんな静寂の中を、一筋の流れだけが後方に道しるべのように残されていく。

 

 

 

 

 

 

 宿は先だってと変わらず、玄関先まで水浸しだった。そのギリギリのところでボートを降りると、宿の主人が飼っているという巨大なカピパラがどすどすと歩み寄ってきて我々を出迎えてくれた。アルゼンチンでは「カルピンチョ」という名前で知られており、その皮は稀少品、高級品として手袋やハンドバックにも利用されている。我々を出迎えに来たこのカピパラは、なぜか片目がなかった。後で宿の人に聞いたところ、子供の頃、泳いでいるところをワニに襲われ、傷ついていたのを拾ってきたのだという。見ると可哀想だが、飼われているというより自然のままに生きている、そんな感じがした。実は、ここにいるカピパラは彼1匹だけではなく、更に数匹がこの「宿」で生活していたのだった。夕食中も食べ物欲しさに、水掻きのついた前足で僕の膝に乗り上げたりして付き纏うので、かわいさ余ってちょっと辟易したが・・・。

  翌日も朝からボートで釣りに出る。写真は宿の様子だが、水嵩は前日から一向に減る様子が無く、ご覧の通りの水に囲まれた孤島のようになっていた。午前8時、再びボートで水浸しの門を通って湿原へ繰り出した。 

 この辺りはドラードの宝庫だというが、何せ雨が続いて水嵩が増した為に水がかなり濁っており、水上からは魚が動く様子を全く確認できない。普段は水がもっと少なく、魚が集まる場所がもっと容易に特定でき、しかも泳いでいるドラードの黄金色に輝く魚体がボートの上からでもハッキリと確認できるのだという話だ。

 この時期、イベラ湿原は釣りをするのに決していいコンディションとは言えなかったが、つかの間の晴天に恵まれたこと、そして水平線の彼方まで続く手つかずの大自然が織りなす光景は何ものにも替え難かった。

 この日、最初に釣れたのはドラードではなかった。確かに昨日のドラードの時よりは引きが弱かったが、それでもぐぐっとくる力強さは決して水草ではなかった。釣り上げてみると、歯がびっしりと生え揃ったコワモテの魚で、ガイドが言うにはピラニアの一種だそうだ。こんな魚も生息しているということ自体、この湿原がいかに豊かな生態系を持っているかが伺えるというものである。昨日同様に写真を撮って、そのまま水に放した。   

 ガイドはとにかく目が慣れているらしい。「あそこに何がいる」と我々が全く気が付かない遠くの場所を指して教えてくれる。例えばこのワニがそうだ。このあと何回かワニに出会ったが、かなり遠くにいるのを指してガイドが「あそこにワニがいる」と教えてくれた。ここのワニはアメリカ原産のアリゲーターの仲間で、クロコダイルと呼ばれるアフリカ産の大きいワニではない。現地ではカイマンと呼ばれているメガネワニだ。ちょこんと水面から顔を出して、辺りの様子を静かにうかがっている。カピパラに限らず、湿地帯の動物たちにとっては天敵だ。

余談だが、宿の主人は、自分がワニを養殖しているのだと話してくれた。最終日に養殖場にも案内してくれたが、養殖場と言うには広すぎる、ほとんど自然のままの環境と変わらない状態で育てていた。同じ場所で鳥も飼っているそうだが、何羽も食べられた、と笑って語る様子は、一向に食べられたことを気にしていないふうだった。何の目的で養殖をやっているのか尋ねなかったが、果たしてワニ皮で一攫千金を夢見ている、なーんていうことは決してないのだろう。

  湿原の中には、インディヘナの住居跡もあった。水没していて現在は放置されているのだという。この湿原は釣りを目的としない人でも、自然が好きであれば十分に楽しめる場所だと思う。ただし、トイレが無いことは予め知っておかねばならない。特に女性の場合は尚のこと。湿原のど真ん中に陸地は無く、枯れた葦の多い場所を選んで、葦を踏み固め、そこに隠れて用を足す覚悟は必要だ。 

この日の収穫は夫婦で1匹ずつだった。もうダメかと思った夕暮れ時、妻にも当たりが来た。さっきは慌てていて糸を緩め、獲物を逃してしまったので、「今度は糸を緩めないようリールで調節して」と声を掛けながらようやく釣り上げ、妻の顔にも笑顔がさした。これで2人とも満足して帰れるというものだ!

今回、一緒にこの場所を訪れたS氏・A氏の2人は釣りが趣味とあって、単に楽しみでやってきた我々に比べると遙かに本格的だ。こちらは釣り上げるのが比較的楽な「生き餌」を使っていたが、彼らは意地でも「疑似餌」を使ったフライフィッシュにこだわる、釣りの哲学を最後まで通していた。やはり、釣りをしているときの眼差しが違った。

  彼らの竿さばきも本格的で、もう一台のボートで振られている長い竿の先を見ているだけでも気迫が感じられる。悪条件で釣りにくい疑似餌での釣りにも拘わらず、それでも1匹ずつは釣り上げていた。焦らず騒がず・・・さすがだった。そのうちの1匹は水に放たず、今日の夕食用に宿に持ち帰ることになった。彼らの合図を受けて、我々も釣り糸を静かに引き上げることにしたのだった。

 

 

そして再び葦を両脇にたたえた水道を通り抜け、家路につく。昨日と同じように水面が夕日に照らされ、湿地帯を渡る風が心地よく頬を撫でていった。この水は遙か数百キロ先の大西洋、そしてイグアスの滝まで繋がっていると想像しただけで、自ずと雄大な気持ちになってくる。

 

 

 宿に帰ると日はとっぷりと暮れていた。早速、釣りたてのドラードの料理にかかる。宿の料理人に頼んでドラードをさばいてもらい、裏庭のアサード用の大きな網に乗せ、炭火でじっくりと焼く。焼いている隣では、宿の家畜の豚たちがぞろぞろとぬかるんだ柵の中を歩き回っていた。藪蚊が現れてきたので、我々は宿に引き上げ、出来上がるのを待つことにした。 

 

そうして初めてドラードを食べてみた。小骨が多く淡泊な薄味で、凄く美味しいという魚ではない。でも今日の獲物を食べるのは、それはそれで格別の味わいだった。自分たち以外誰もいない、アットホームな居心地のいい宿だった。シャワーもベッドも決して使い心地がいいものではなかったが、あまり気にはならなかった。

夕食後、2人から「釣り」についての奥義をあれこれ聞いた。釣り好きの日本人が、旅行社に釣り目的でわざわざ旅行をアレンジさせ、日本からやって来てこの宿に泊まり、ドラード釣りを愉しむ、なんていうこともあるらしい。また、南米中を釣りして歩いた長年の経験(といってもまだ若いのだけれど)から生ずる話はどれも驚きとユーモアに溢れ、夜が更けていくのも忘れて聞き入ってしまったほどだった。

 翌日、帰りの道すがら、宿の人が蚤の市(フェリア)に連れていってくれた。会場の真ん中には聖人の像が据えられ、足下には蝋燭だの花だのが添えられている。日曜日ごとにこうして町の人が集まり、聖人を「参拝」していく習慣があるようだ。売っているものも宗教関連の小物が目に付いた。子供達は盛んに「買って」「寄付して」とねだり、我々の後をいつまでもついてくる。

 前出のワニ園を見学した後、宿の人が車でメルセデスの町まで送ってくれた。たった二日間のことだったが、釣りのアドバイスに始まり、ドラードを引き上げるときには手を貸してくれたりと色々世話になった。別れてから数分後、バスターミナルに到着した長距離バスに我々が乗り込むと、バスは一路ブエノスアイレスに向かったのだった。

 

先頭へ