Familia

 

「しゃべる」で、アルゼンチンのスペイン語がイタリア語の影響を受けているという話に触れましたが、アルゼンチンこどもたちでは現在でもイタリア移民の末裔が人口の多数を占めています。よって、家族のスタイルや日常の生活習慣においても、イタリアの影響を強く受けているように思われます。

 

その一つに、アルゼンチン人は概して大家族で、祖父母との同居や子供の数が3人など当たり前です。都市部では経済的な事情もあって、核家族で暮らしている家庭もありますが、誕生日や休日、長期の休みでも一度は必ず家族全員が集まる習慣は、脈々と受け継がれているのです。

 

ブエノスアイレスでは、日曜日に家族全員が揃って教会に行く習慣は時代と共に薄れています。それでも日曜日ごとに行われるミサへ足を運ぶ人々は多く、教会が未だに心の支えとして重要な位置を占めているのが分かります。

 

(日曜日は家族の日)

ブエノスアイレスの、まだ結婚前で両親と暮らしているポルテーニョ、ポルテーニャ(プエノスアイレスっ子)は、週末のうち、友達や恋人と過ごすのは土曜日、そして日曜日は家族と過ごす日、と決めている家庭が多いようです。ですから土曜日の夜にディスコなどで翌朝まで踊り明かしても、日曜日は家族と過ごす、というのを習慣にしており、仲間内でも「みんながそうするもの」と考えているために、そうした習慣を守りやすい環境があるのだと思います。また、子供達だけでなく、大人達も土曜日は自分たちの友達や仲間と外食を楽しんだりして、それぞれの領域を尊重し、大切にしています。

 

クリスマスになると、24日のイブの夜は仲間や恋人同士で過ごしますが、クリスマス当日はやはり家族と過ごす習慣があります。母の日や父の日も、子供達は友達との約束を入れず、家族が集まって祝うことを優先しています。

 

(家族のあり方)

「日本ではこの数年、家族の関係が希薄で、夕食も一緒に取らない家庭が増えた」という話を耳にします。これには理由として様々な社会環境の変化が挙げられますが、恋人や友達と過ごす時間をつくっても、家族と過ごす時間を大切にする人が少ない、ということも手伝っているのではないでしょうか。

これは両親と暮らしている若い男女に限ったことではなく、親の側にも同様のことが言えます。では、一人一人が家族で過ごすことに楽しさや居心地の良さを感じられないのは、いったいなぜなのでしょう?それは、家族間の

「ルール」が守られなくなったからではないかと思います。かつては各家庭にも存在していたであろう様々な「ルール」が家族を繋ぎ止めていたものだとすれば、それが徐々に失われてきた結果、時間を共に過ごす意味や楽しみが感じられなくなってしまったと考えられます。逆に、家庭外では信頼しあえる人間関係が築かれていて、それが安心材料となり、家庭に求めない場合もあるのかもしれません。

 

アルゼンチン人は、家族の絆を心底大切にします。多民族国家にありがちな、裏を返せば、血の繋がっていない他人は全く信用できない世界が根底に存在しているからかも知れません。故に、徹底した個人主義を通していますが、

家族だけはいつも特別な存在なのです。会社内においても、家族の誰かが病気に掛かると遅刻や早退を認めたり(それ故、病院の待合室で患者がたった一人で待っている光景は実に希と言っていいほど見かけません)、サービス残業はせず定時に帰宅の途につき、寄り道も殆どしない人の方が圧倒的に多いことからも、日本のそうした問題が、この国ではまだまだ無縁といって過言では無いでしょう。もちろん、社会の仕組みがそういう状態ですから、仕事や家族以外の人間関係で全く問題が無い、とは言えませんが・・・。空港などでも一家総出で送迎をしている光景を良く見かけ、それを「大袈裟だなあー」と感じるより先に、単純にとても微笑ましく思ってしまいます。

 

(親子のあり方)

親子の間でも、抱き合い、頬にキスして、という光景をよく見かけます。それは父親と息子の間でも同じです。親子が仲良くベタベタしている様子を全く隠そうともしません。日本ならマザコン、ファザコンと揶揄されるようなシーンはいくらでもあります。高校生くらいの年になっても、遠距離と言うことで毎回、習い事に親が迎えに来るのは序の口ですし、自分の子供を人前で褒め称えることに何のためらいもありません。また、親子は容姿以前にしゃべり方や仕草がそっくりで、すぐに認識できてしまうくらい似ているのも特徴と言っていいでしょう。そんなところにも、親子の関わり合いがいかに密接かが伺えます。

 

日本もアルゼンチンも、それぞれの家族のあり方があるのだと思いますし、良い部分は良い部分として見習っていきたいものです。

 

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