-心優しきサンティアゲーニョ達へ-

 

 住み慣れた土地を離れ、見知らぬ土地で暮らすことになった者にとって、家以外にどこか「居場所」があるというのは嬉しいもの

だ。そこに行けば自分を迎え入れてくれる暖かい空間と声を掛けてくれる誰かがいる。私がそんな「居場所」に巡り合ったのは、ここに来てまだまもないころのことだった。

 

 ふとしたことからその場所に一軒の店があることを知ったのがきっかけで通い始めたペーニャ。初めは通りすがりで入ったただの外国人客であったが、外目にもブエノスアイレスのような大都会の真中にひどく不釣合いなほどの暖かさをそこに見たような気がしたのだった。店の名は「EL MOJON(道しるべ)」といい、今ではブエノスでも数少なくなったフォルクローレのペーニャで、フォルクローレの本場・サンティアゴ・デ・エステーロ出身の演奏家達など大勢が出入りしていた。もともと日本にいた頃からフォルクローレが好きで、プロの演奏家達の話もぜひ聞いてみたいとと思っていたので、その日のペーニャ終了後迷わずこちらから話し掛けてみた。不意の珍客に対していくらか驚きは隠さなかったものの、後日もっと早い時間にここを訪ねてくれればゆっくり話も出来るよ、と穏やかに答えてくれた。

 

 数日後、彼らの言葉に半信半疑になりつつも、開店前で照明の落とされたペーニャの扉を押して中に入ると、数人の演奏家達がすでに集まっており、寛いだ様子で振り向きこちらに手を挙げて見せた。彼らは非常に気さくで、プロの演奏家ということを忘れてしまうほどであった。私は日本にいた頃から彼らの音楽にとても興味を持っていたことを伝え、傍らに置いてあったギターで数日前ペーニャで聞いた曲のさわりを奏でると彼らは手を叩いて喜んでくれた。それからまだブエノスアイレスについて間もないスペイン語も満足に分からない外国人を相手に、長い時間音楽の話に花を咲かせ、故郷の自慢話(といってもいかにサンティアゲーニョがのんびりとしていて働くのがきらいか、などの笑い話だったが)をしたりと、薄暗い地下の空間に笑いは絶えなかった。また彼らは人のふれあいのない殺伐としたブエノスアイレスが好きではないが、サンティアゴにいたのでは仕事がなく暮らしていけないんだ、と演奏家としての厳しい現状も時折だが語ってくれた。何度か開店前の店に通っているうちに、この土地に来て初めて廻し飲みのマテをご馳走になり、彼らに受け入れてもらえたのだと思い嬉しくなった。そこは故郷に想いを馳せた彼らの唯一の憩いの場に違いなかったが、同時に私自身にとってもすでにそこが大切な場所となっていることを悟ったのだった。

 

 それから幾度そのペーニャに通ったことだろうか。週末はしょっちゅう寝不足だったが、例えば新人の演奏家らが回を重ねる毎にギターの音色や歌声が力強さと自信を帯びていくのを感じ、ベテランの演奏家達が奏でるチャカレーラやサンバのリズムに聴衆が酔いしれ、共に唄い踊り出す姿には心底感動してたので、夜が白白と明けて行く中帰路につくのがむしろ心地よいくらいだった。演奏家たちは舞台の上から決まって「日本から友達が来ている」と客席に向かって紹介の言葉を掛けてくれ、その都度照れくさく嬉しく思ったものだった。私も店を去るときには必ず挨拶をし、演奏家達へ「Hasta luego!」の一言も欠かさなかった。習い始めたばかりの踊りをフォルクローレの演奏に合わせてすれば、客からも「私の故郷の踊りを踊ってくれてありがとう!」などと暖かい声を掛けられ肩を叩かれ、握手を求められた。そうして言葉を交わすうちに客の中にも少しずつ顔見知りが増えて益々週末が楽しみになった。

 

 また、開店前の空き時間を見つけては彼らからギターを教わった。教えてもらう以上は僅かな時間でもいくらか払わなくてはと尋ねると「別に友達からお金を取るつもりはない」などと返事が返ってきた。フォルクローレの演奏で食べていくのがどれだけ大変なことなのかは彼らを知っているものなら誰の目にも明らかだったが、結局一銭たりとも取ることはなかった。これは店が忙しくなるに従い長くは続かなかったが、そののち改めてギターを習い始める上で貴重な下地となった。そうしたことのすべてが初めてのブエノス生活に大きな愉しみとなって浸透していった。

 

 あるとき、「今度自分のグループが店に出演するんだ。観に来てくれるだろう?」と尋ねられた。アルゼンチンに来て最初の三連休のことで、既に旅行の計画を立ててしまっていた為、残念に思いながらも断らざるを得なかった。が、これがサンティアゴ・デ・エステーロの代表的なグループ「Los Carabajal」の「MOJON」で行った最初で最後の演奏だった。そのとき私は「MOJON」が永遠にそこにあり、チャンスはまたあるに違いないと信じて疑わなかったのだと思う。

 

 数ヶ月の時が経って徐々に生活にも慣れ、身の回りも少しずつ変化し始めた。そして気がつくと週末に予定も多くなり、自ずと夜の遅い「MOJON」への足が遠のいていた。ある時久しぶりに行ってみようと出掛けてみると、オーナーもモッソも変わり、かつての顔見知り達はそのほとんどがいなくなっていた。お客の数も最盛期に比べかなり減っていたように思った。入り口で顔を見るとすぐにステージの前の席に案内してくれたチャーミングな女性もいなかった。がっかりしたと同時に永らく訪れなかったことを後悔したのは言うまでもない。それから閉店に至るまでは時間が掛からなかった。

 

時折店の前を通ると、今もまだそこに残る閉ざされた扉の向こうから様々な想い出が音楽の乗って聞こえてくるようでならない。彼らは今どうしているのだろうか?彼らは沢山のことを教えてくれた。何よりも私に「居場所」を与えてくれた。今、私はフォルクローレを演奏し踊りを習い、あの頃より更に音楽を身近に感じているが、それは彼らとペーニャが私に残してくれた、アルゼンチンで暮らしていく上での最初の「道しるべ」だったのだと思っている。

 

                                         終わり

 

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