風情 FUZEI

 

   アルゼンチンの秋から冬に向かう今頃の季節には、日本からやってきた 私たちに  とり風情を感じる時期でもあります。パンパの大草原に防風林として植えられたポプラの木々の葉が黄色く染まり、はらはらと落ちていく光景は本当に美しいものです。

   よく手入れされたエスタンシアと呼ばれる観光荘園の庭には、白いベン チが芝生の上に置かれ、その芝生の絨毯の上につもった落ち葉が、寒さを しのぐように寄り添っているガチョウの一団が泳ぐ沼に映る光景などは、 映画のワンシーンのようです。

 

   スペイン語で「風情」とか、「情緒」とか、「趣」とか、何ていうんだ ろう、とふと考えました。アルゼンチンの生活には、アルゼンチン人が風 情を感じているような状況が思い浮かばないからです。手始めに和西辞典を調べてみます。sabor,  elegancia, encanto, graciaなどの単語が出てきます。しかしencantoは「魅力」という意味ですし、eleganciaは「優雅、上品、エレガンス」、saborは「風味」ですから少し近い感覚もありますが、graciaになると「優美、長所」ですので全く違う語感です。

   日本人の持つ「わびさびをともなった風情」という感覚をアルゼンチン人は持ち合わせていないようです。このことで、アルゼンチンの友人が次のように解説してくれました。

   一歩ブエノスアイレスを離れれば、そこは見渡す限りの大草原、北の方ならジャングルで、自分が自然の恵みの中にいるということを感じることすらない。自然の恵みに風情を感じるのは、例えば都会に住んでいる人が、ふと田舎を旅したときに感じる気持ちであり、いつも自然と向かい合って生きている人たちが感じる感覚ではない、と。

   確かに日本の美しさを詠んだ松尾芭蕉も「奥の細道」を行く旅に出るまでは町で暮らしていましたし、多くの美しい詩歌を詠んだ貴族も京都で暮らしていました。都会から、失われた美しさを感じる感覚が風情であるのかもしれません。

   日本では源氏ほたるが田圃の上を飛ぶ光景に情緒を感じます。アルゼンチンにもアルゼンチン北部からパラグアイ、ブラジルにかけての大森林地帯には、体長が10センチ以上にもなる巨大な蛍が、お尻ではなく目の周りをぼーっと光らせるそうです。こんな巨大な蛍が、顔に当たるほどたくさん飛んでいる光景に風情は感じることはない、と住んでいた人が言っていました。

   南米の大自然は、戦い、克服して付き合うものであり、自然に美しさを感じて守ろうという意識は、先進国から輸入された感覚でしか存在しないのかもしれません。

 

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