GAUCHOS ARGENTINOS

 

ガウチョの置物アルゼンチンでもっとも知られている一冊の本がある。それは「マルティン・フィエロ」という、詩人ホセ・エルナンデスが1800年代の終わり頃著したガウチョ文学の最高峰といわれている作品で、アルゼンチンの学校の授業では必ず一度は読むという。

タイトルと同じ名を持つ一人のガウチョの人生物語を、詩の形式で綴ったものだが、19世紀当時の大草原(パンパ)に新しい時代が訪れたこと−すなわち大自然の中に生きていたガウチョから自由が奪われ、原住民の反乱鎮圧を目的とした国境警備隊としての役割を強いられるようになったこと−に物語は始まる。

これは決して英雄伝ではない。あてどなくさすらい、社会に背を向け孤独に生きつつ、しかしガウチョとしての誇りを決して捨てなかった一人の男の生き様がただ淡々と綴られているにすぎない。

が、主人公マルティン・フィエロがそうであったように、パジャドール(即興詩人)によってひとたびこの物語がギターに合わせ語られ出すと、途端にロマンと哀愁を帯びた物語となって聞く人の心を打つ。

パジャドールの奏でる単調ながら味わい深いギターの音色も感動を誘う。「マルティン・フィエロ」は現在に至るまで様々な形で読まれ、語られ、伝えられてきた。それは「アルゼンチン」を語るとき、「パンパ」を語るとき、忘れてはならない「ガウチョ」の存在が、今の時代にも憧れとして映るからではないかといわれている。

では現代のガウチョとは、どのようなイメージの人物なのだろうか。

 

アルゼンチン人は時に「ガウチョ」という言葉を「英雄」の意味を込めて使う。何かに長けている男を指すこともある。かつて牛を追って広大なパンパを移動していた時代には、ガウチョたちは常に大自然の危険と隣り合わせだった。そんな中では勇猛果敢な男でなければ生き残れない。

現代のガウチョたちも同じように牧畜に携わり馬を自在に操っているが、それぞれの「土地=領域」の中に限られている。だから身に危険が降り掛かることはあまりない。しかしそれでもガウチョたちは男らしさを色々な形で表現し、Cosquin市郊外で出会ったガウチョそれを誇りとして生きているのだ。

例えばその風貌である。陽に焼けた顔に口ひげをたくわえ(そうでないガウチョもいるが)、シャツの袖を肘まで捲り上げ、独特のボンバチャ(作業用のズボン)を履き、腰にはファハと呼ばれる牛の皮でできた太いベルトを巻いている。このベルトには銀貨がいくつも付いており、常に財産を携帯していた時代の名残だ。

ファハの後部にはファコンと呼ばれるナイフを差している。かつては戦いや肉を切るために使用していたのだろうが、現在では「ガウチョの象徴」のような存在と言ってもいい。

そして皮製のボタ(ブーツ)にフェルトのつば広帽子。首にはスカーフを巻き中央で絞る。ガウチョスタイルの出来あがりだ。

これにフィエスタの時にはそれぞれ出身地特有のデザインを施したポンチョを肩から掛けるか一張羅の上着を着るのだ。

伝統的なこのスタイルはやはり見ていても格好がいい。

 

次に馬を自在に操ることが挙げられる。

ガウチョの多くはまるで自分の手足のごとく馬を自由自在に操るのだ。幼少の頃から乗っていれば当然であろうが、その見事な手綱さばきには目を見張る。

言うことを聞かない馬には平然とムチを入れ、力関係をはっきりと示す。しかしガウチョにとっての馬は、昔からかけがえのないものなので、自分の馬には必ず自分より先に食事をさせるという話だ。

また一方で、荒馬に跨(またが)り、ヒネテ(騎手)の手綱さばきを競うDOMAという競技も現在のガウチョたちの間では盛んに行われる。

このDOMAはカピタル周辺や地方のフィエスタでは定番の競技で、鞍有り・鞍無し・あぶみの有り無しなど階級別に競われる。馬の方もヒネテを振り落とそうと必死に暴れるため、かなり危険な競技となる。

有名なところでは、コルドバ州で毎年1月に行われる「JESUS MARIA」があるが、この祭りで優勝することは、牧童であるガウチョとして大変な名誉であると同時に、所属するエスタンシアにとっても、そのガウチョの存在が大きな財産となるのだ。

優勝者の腕や顔には落馬が原因と思われる傷や怪我の跡もあったりするが、すべては「勲章」ということだろうか。

 

それから、ガウチョの中には音楽や踊りの優れ者がいる。

楽器はもちろんギターだ。

その昔ガウチョはパンパをさまよう時にギターと馬を道連れにした。そして夕日が沈む頃、大きなオンブー(パンパに生えている巨木)の根元で薪に火をつけギターを弾いた・・・などという名場面が幾つもの歌や詩に残されている。

かつてガウチョたちの間では「パジャドール」は尊敬された人物だった。人生の悲しみや苦しみ、そして喜びをギターに合わせて即興で歌い、人々を感動させ、また遠い町で見聞きした珍しい出来事を歌に乗せて村人に伝えるのだった。

今ではパジャドールは減ってしまったが、ビクトル・ベラスケスなど優れたパジャドールはまだ現役で健在だ。

また「コントラプント」と呼ばれる即興詩による対決もある。2人のパジャドールがテーマを決めて、4行ずつの詩を即興で作り、ギターを弾きながら歌うものだ。即興で詩を歌うには、DOMAと同じようにかなりの訓練が必要だし、知識もセンスもいる。現代のコントラプントでは「原爆」さえもテーマになりうるのだ。したがって勝者は人々から識者としても大きな尊敬を受けるわけだ。

「マルティン・フィエロ」の主人公も、この「コントラプント」に長けていた。それはガウチョであり続けた彼の人生から自然と滲み出した言葉ゆえだったのかもしれない。

 

Ballet Brandsen en Cosquin 98 そして踊りの面では、ガウチョがボンボ(太鼓)のリズムに乗せてサパテオ(足技)を競う「マランボ」がある。馬の足の動きを模したサパテオは大胆かつ繊細、スピード感に溢れ、何よりも野生的で迫力がある。踊り手の顔も真剣そのもので「敵」を威圧し、胸を張って女に強さを見せつける。

「マランボ」は、ガウチョの世界が男だけで構成されていることを示している。それもより強く、勇敢な男達の世界を。

 

こうして考えても、ガウチョの世界は奥がとても深い。男らしさと強さ、それから芸術を愛する心。今の世の中にあって、現実社会では求められない世界を描き出すところが「ガウチョ」を憧れの存在へと導くのだろう。

Dia de Gaucho

 

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