El Museo del gaucho

 

BUENOS AIRESから113キロ北西にSAN ANTONIO DE ARECOという小さな町があり、そこにリカルド・グイラルデスという作家にちなんで作られたガウチョの博物館が有ります。

 

博物館は、まず入り口に昔のガウチョの社交場となってたボリーチェと呼ばれる酒場兼雑貨屋(西部劇などにもよく出てくる)を再現したロウ人形があります。この時代を象徴して、またちゃんとしたブーツであるボタではなく、馬の皮をはいでそのまま水に浸して足型に整形した足先が開いている靴下のような靴をはいていました。

 

SAN ANTONIO DE ARECOで開墾が始まったのは1740年代。この時代にはBUENOS AIRESから約100キロの当たりまでが開墾地域でした。それから30年後の1770年になると、LA PLATA河から約300キロ一帯にまで開墾地域が広がります。

 

ガウチョは最初牧場主から馬や牛を盗んでこの頃の時代に始まったようですが、そのころは盗賊として軽蔑の対象でした。特に1800年代後半にはサルミエント大統領の義務教育制度の確立とガウチョ撲滅運動のため、あるものは有刺鉄線に追われて街に出て、あるものは放浪罪で捕らえられて国境警備などの労役につかされました。

 

アルゼンチンにはガウチョに関して2人の有名な作家がいます。1人は1920年代くらいに活躍したマルティン・フィエロですが、もう一人は1950年代に活躍したリカルド・グィラルデスで、彼はSAN ANTONI DE ARECOから約10キロのところに住んでいました(現在その家は5つ星ホテルになっているらしい)。

彼は日本でも放映された映画(Don Segundo Sombra)の作者で、ガウチョに憧れる少年を描いたものです。

 

マルティン・フィエロが消え行くガウチョを嘆き、抵抗運動の色彩を帯びているのに対し、グィラルデスはガウチョを美化し、憧れの対象としている(彼はヨーロッパに留学できるほどの金持ちであった)。

つまり第二次世界大戦以降、ガウチョが消滅していく過程とともに、ガウチョがアルゼンチンの1つの文化のように語られ始め、それと共に、その気ままで自由な生活がアルゼンチン文化そのもののように美化されて語られるようになったようです。

 

展示物はこれ以外に馬車、絵画、ギター、ナイフ、小道具などが有りましたが、強烈だったのは井戸の作り方です。井戸の縁がすべて動物の骨を積み重ねて作られ、桶をつるす紐は馬の皮が毛付きのままで使用されていました。

 

とにかく天気が良くて、広々した野にある博物館は、ガウチョの生活を偲ぶのに十分なものでした。

 

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