EL DIA DE LAS RAZAS

 

10月12日は「人種の日」、「民族の日」何と訳すかは定かでないが、移民の国アルゼンチンらしい祝日だった。

 

1996年10月11日の金曜日、仕事を早めに終え、我々はその夜、夜行バスの中にいた。

ブエノスアイレスから北へ約500キロ、東京から大阪位の距離があるサンタ・フェ州の州都サンタ・フェ市へ向かった。

バスはパンアメリカーナという名前の高速道路を行く。夜の月明かりでパンパの大牧場しか見えない道をパラナ河に沿ってひたすら北に走るのだ。

バスはイベントに参加するダンス・チームのメンバーで賑わっている。多くはボリビア人かボリビア系アルゼンチン人で、20歳前後の若者達ばかりだ。

彼らはとにかく元気だ。

一晩中クンビアを大音量で流しながら、バスの狭い通路で踊ったり、仲間と談笑したりしている。

彼らだって今日まで仕事があったんだろうに、既に修学旅行のような気分で、気の置けない友人との会話をそれこそ寝る間を惜しんで続けている。

仕事では面白くない単純労働が多い彼らにとって、親しい友人との週末の旅行はこの上なく楽しいものに違いない。

修学旅行の時に消灯の時間を過ぎて先生に怒られながらも話を続けたときの事を思い出す。

彼らが静かに寝はじめたのは、既に明るくなってずいぶん経ってからの朝7時で、バスがサンタ・フェに到着した頃は、彼らはもちろん、大音量のバスの中で必死に寝ようとした我々も寝た心地はしなかった。

 

サンタ・フェは小さな町だ。ただ、道の至る所が緑地で隔てられており、広々とした感じが心地いい。

町の中心部はブエノスアイレスと変わらないが、少し郊外に外れれば原生の姿そのままの蛇行して幾重にも分かれたパラナ河が、延々続く野原の中を地平線の彼方まで流れていく様子が見える。ここはパラナ河がアンデスやアマゾンの各地から集まってきて大河となる合流地点で、ここから更に河口に下ってラ・プラタ河と名前を変えて大西洋に注いでいる。

 

宿泊所(一応ホテル)はサンタ・フェの街からパラナ河をまたいでいる橋を渡った郊外にあった。

出発したときのブエノスアイレスは、夜なのに半袖でも過ごせるほど暖かかったので、北に行けばもっと暖かいだろうと思って、あまり服を持っていかなかったのは間違いだった。

朝からどんより曇った空は日差しを遮り、暖かいはずの町は冷え込んでいた。

それでも宿泊施設の庭には、亜熱帯でなければ綺麗に咲かないブーゲンビリアの棚に見事な花がついていた。

ホテルの前やいたるところには、日本では絶対に見られない野生のケシの花が一面に咲いていた。これが中国を狂わせた阿片のもととは思えない美しい大輪を咲かせている。

 

会場はサンタ・フェの町の中にあった。一応、遊園地のような体裁をしているが、あるのはステージと客席、それに広い蚤の市とレストラン、少々の子供の遊び場だけだ。

蚤の市には、各店毎にサンタフェ、コルドバサルタ、フフイ、フォルモッサなどのアルゼンチン各州の名前と、エクアドルペルーボリビア、ブラジルなどの南米各国の名前、それに中国、エジプト、シリア、チェコ、スロバキア、ロシアなどの世界各国の名前が並んでいる。

 

アマゾニアと書かれたブースにアマゾン先住民の民芸品が売っていたが、売り子が紛れも無い、アマゾン先住民の子孫の顔をしていたのは驚きだった。

ペルーのブースの1つでは、ほら貝をケナーチョの先に付けたような木製サックスを店の人が吹いていたが、金属製に負けず劣らずいい音が響いていた。

 

ステージは、競馬場のように配置された客席から、芝生の中のステージを見下ろすようにして配置されている。

みんな気ままな場所に座ってステージの様子を見守っている。

日が沈む頃になってようやく雲の間に陽が西からのぞいてきた。

明日は良い天気になって気温も上がる事だろう。

 

祭典はチリ側のマプーチェ族の音楽から始まった。

音楽というよりは、まるでシャーマンの呪文を聞いているようで、太鼓やビヨーンビヨーンという音がする歯で鳴らす小さなオルガン、甲高い女性の歌声・・・

更に踊りが入ってくる。みんな葉のたくさん付いた枝を手に持って丸太の周りをぐるぐる廻る。特に何の飾りも踊りのテクニックもない。ただ廻っている不思議な光景だ。

 

その後あまりレベルの高くないアンデス・フォルクローレの演奏を挟んで、アルゼンチン側のマプーチェの音楽、アルゼンチンフォルクローレの演奏、ペルーの踊りと続いた。

 

Danza Boliviana Llamerada最後に出てきたのがボリビアの踊り。踊っているのは、昨夜バスに乗り合わせた連中だ。7,8種類の踊りがあったが、中でもトーバ(TOBA)の踊りは、今まで閑散としていたステージが満席となり、立ち見が客席を覆うほど人が集まっていた。この踊りは初めて見たが実に興味深かった。

男性は皆、薄黒い肌の色の、極めて彫りの深い顔立ちの面を付け、面の両脇にはフラミンゴから毟り取ったままのピンクの羽を付けている。

頭には1メートルはあろうかという高い帽子に、色鮮やかな鳥の羽をふんだんに使ったオレンジ色の衣装に身に纏って高く飛翔する。

手には長い槍。頭には猫からそのまま引っぱがしただけではないかと思うような毛皮。妙に高くした鼻・・・

女性はビキニスタイルだが、ビキニは動物の縞模様の毛皮で、ところどころに羽根をつけている。頭には孔雀の羽を広げている。手には斧を持ち、やはり空高く跳躍する。

ボリビアでもアルティプラーノと呼ばれる高地の踊りではない。低地のアマソニアの踊りであろう。全体がリズミカルで、アルティプラーノにありがちなベタベタしたステップは無く、見ていて潔い。

ステージが終わったときは既に夜中の12時、それでも蚤の市はまだ開いていた。

夕方5時には店仕舞いとなる日本とは時間帯がだいぶ違うらしい。

大人だけではなく、子供、老夫婦もこの夜の祭典を楽しんでいた。

SANTA FEという名の地ビールを飲んで、ほろ酔い加減で会場を後にした。

ホテルに帰ると停電だった。ここでは懐中電灯が必需品というのを忘れていた。

不幸中の幸い、昨日のバスでの睡眠不足を取り戻すべく、朝までぐっすり眠った。

 

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