MISIONES

 

10月10日からの三連休を利用して、アルゼンチンを北へ1000キロくらい行ったミシオネス州の州都・ポサーダスという町に行ってきました。

その際、河幅およそ3キロのパラナ河(下流に行くと名前が変わってラプラタ河となる)に架かる橋を渡り、国境を越えて、隣町のエンカルナシオンEncarnasionにも行ったので、同時にパラグアイもほんの少しですが覗いたことになります。

 

San Igunacio10年くらい前に、ロバート・デ・ニーロ出演の「ミッション」という映画がありました。それを最近になってビデオを借りて再び見ていたら、その舞台となったトリニダード遺跡(パラグアイ側)、サン・イグナシオ遺跡(アルゼンチン側)がたまらなく見たくなり、せっかくアルゼンチンにいるのだから、このチャンスを逃すことはない!一目見ようと思い立ったのです。

1700年頃、ブエノスアイレスにいたスペイン副王から半分独立した状態のこの国に、スペイン本国よりキリスト教宣教師らがやって来ました。原住民に対する布教が当初の目的でしたが、人間として扱われずにいた彼らの中に入って生活を共にするうち、キリスト教を何の疑いもなく受け入れる原住民らの純粋な人間性に触れ、宣教師らは徐々に本国の政策に対し不信感を強めていきました。その結果、本国から反発を買い、宣教師らが原住民の側に立って本国と戦おうとしたところで、あえなく倒され殺されてしまうーーというのが映画の大筋であり、この遺跡の歴史です。キリスト教教化政策を実施していた17世紀から18世紀の200年間に原住民の手で建てられた自らの居住跡と教会、工場、広場などが、すなわち、これらの遺跡ということです。

さて、ポサーダスへは前の晩から長距離バスに乗って昼過ぎに到着しました。朝の9時には到着予定だったのが、どういうわけか4時間も遅れ、結局15時間以上もバスにいたことになります。

バスターミナルは町のはずれに位置し、舗装道路と赤土の道が交差していました。

着いた当初は空も晴れ渡っていたのに、これから出かけようとした矢先、突然雷が鳴って土砂降りとなってしまいました。これでは遠出するどころか、ホテルから去ることも難しく、止むまでしばらく部屋で雑音ばかりのテレビを眺めていると、今度は長旅の疲れのせいか睡魔が襲ってきたので、そのままベッドに倒れ込み、雨の音を子守歌にしばしのあいだ眠りました。

 

目が覚めると、既に部屋の時計は5時半を指していました。

雨は止み、通りには人が出始めたらしく、商店もぽつぽつと店を開けたようです。

イグアスと同様の湿気を含んだ独特の空気が漂っています。雨上がりのせいか、普段より少しは涼しいのかもしれません。クーラーの効かない部屋にいるよりかずっと気持ちいいと感じました。

歩きながら町を一周すると、メインストリート以外の通りには、それほど商店もなく、バーらしき店が幾つかあるのみでした。車もあまり見かけません。バスが時たま走っていますが、かなり古い車両でブルンブルン轟音を立てて行き過ぎていきます。どれも埃っぽいので行き先の表示が見えません。

暗くなってきたので、ホテル近くのバーでミラネッサのサンドウィッチにコーラを注文し、食べ終えたあと、ホテルのフロントに寄って、明朝タクシーを呼んでもらうよう頼んで、そのまま部屋に戻りました。明日は何が何でも晴れてくれないと困る・・・。

 

さあ、願いが通じたのか、そうなる運命だったのか。

翌朝はからりと雲一つない晴天でした。相変わらず空気は湿気をめいっぱい帯びています。

9時ちょうどにタクシーがやって来たので、早速、遺跡巡りのツアー開始。

なぜタクシーを呼んだのかと言えば、近年遺跡を訪れる観光客が少ないため、他の観光地のような大型バスを出す旅行社が町には無く、したがって個人タクシーが近郊の遺跡までお客を連れていくのが一般的、という理由からでした。さもなくば、市バスを乗り継いで行く手もあるのでしょうが、果たしてこの炎天下にそれを実行するのも、なかなかどうしてしんどそうです。

 

運転手は気を遣ってクーラーを最大限に効かせて走り始めました。

舗装道路はまもなく終わり、続いて赤い色をした大地が現れ、周囲の光景から家並みが少しずつ消えかけた頃、再び国道らしき舗装道路が現れました。国道12号線を、傍らにパラナ川を見ながらほんの数キロだけ走ると、今度は突然、折れ曲がって赤土道沿いの緩やかな勾配を下り出し、車体をがたがた震わせながら暫く行くと、正面に何か見えてきました。最初の遺跡、ラ・カンデラリアLa Candelariaです。

遠目にも保存状態が悪く、かなり痛んでいましたが、間違いなくそれは一つの「遺跡」でした。道端には牛が3頭、のどかに草をはんでます。遺跡の入り口には管理人小屋らしき建物があって、中から面倒くさそうに人が顔を出し、身分証明書の提示を求めてきました。パラグアイの国境が近いためか、理由はよくわかりません。

遺跡の規模は小さめで、石積の壁はほとんど崩れて建物の原型を留めておらず、草も生え放題という有様。ところどころが鳥の巣になっていたり、もう自然に還元されてしまったかのような状態でした。人が暮らしていた様子はあまり感じられず、小規模の教会、といった感じでしょうか。

タクシーはさっき来た道を戻り、国道を更に進み、次にロレートLoretoという名の付いた遺跡に立ち寄りました。

 

Encarnacionしかし、なかなかいい風景で、緑がどこまでも続くのんびりした中にあって、入道雲の出ている日差しの強い夏の気候が久しぶりで気持ちよかったです。

しかし1989年にドイツとイタリアの協力で完成したという国境の橋はすごく立派なんだけど、パラグアイは闇の輸入以外に商売がないのかと思うほど。

軍事政権だし、極貧国の一つだけど、日本の移民は極めて多かったらしく、あちらこちらに日本人名前の商店なんかがあって、こんなところでも日系人が生活してるんだなあなんて。

 

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