PATAGONIA

 

(その1)

 

Map Patagonia1998年年明けの年末年始はアルゼンチンの南、パタゴニア地方に行ってまいりました。4ヶ月ぶりの泊りがけの旅行にわくわくしていました。

行った場所は南極を除く最南端の街ウシュアイア、そしてアンデンスから落ちてくる大規模な氷河などが見られるカラファテで、12月30日から1月5日まで滞在しました。

 

30日、朝7時過ぎに家を出発。家の前ですかさず流しのタクシーを拾い空港まで。空港まで6ドルくらいで行ける距離にあるのがいい。

日本もこればかりは見習って欲しい、と思うがこれは無理か。

 

チェックインはあっという間に終わり。LAPA、アルゼンチン民営航空とでも訳せばいいのか。サービスが悪い以前に設備投資がまったくされていない。だからチケットの発券も座席の番号のついたシールを貼ることによって成り立っている。途中トレレウとリオ・ガジェーゴという空港を経由していくのですが、途中降りる人に何番の座席を発券したのかわからないのでトレレウなど途中で乗る客は自然と自由席になる。

しかし、飛行機が遅れたり、ダブルブッキングの恐れがあるなどでも客が察知したら、ただでさえ列の割り込みなど平気のアルゼンチン人のこと、収集つかなくなるのは当たり前でしょう。

現に帰るときにリオ・ガジェーゴで2便があい前後して出発するのに、掲示はおろか、ろくなアナウンスもなく、係員もだれも来ないでそのまま1時間過ぎ、客の殺気立つこと、大変なものでした。

10年前に言葉も分からず南米を旅して、何をみんな怒っているんだか分からなかったときに比べればましですが、それでも楽しい旅行の最後にこういう状態だとげんなりしてしまいます。

 

空港では日本人ツアーの人たちも沢山来ていました。

さぞかしガイドさんも大変だったでしょう。

 

ウシュアイアまで約6時間。アルゼンチンの国内線ではいくら長くても食事が出ない、というセオリーがあるのですが、さすがに6時間、でましたでました。ハムとチーズが入ったサンドイッチ2切れ、炭酸飲料1杯。以上。さすがです。

しかも機体は「アラビア語」で解説が書かれているところを見るとサウジアラビア当たりで使っていたものの中古。

ここまで経費を切りつめても440ドルもするチケット。

合理的な経営が出来ないのか、それとも政界と癒着して私腹を凝らしている奴等がいるのか・・・・日本の比ではありません。

食事が出ないのを知っていたのであらかじめ前日買っておいたパンとポットに入れた紅茶を機内食として別途いただきました。

 

Usuaiaウシュアイアは南米最南端の街で人口41000人。冬は雪に閉ざされるので四駆の自動車を持っている人も多い。なぜかスズキが多い。

政府の僻地優遇政策で、70年代から消費税免税(これは21%のアルゼンチンでは画期的なこと)、輸出入税免税などフリーポートとして発達しており、市民の生活レベルも賃金水準も高く、乞食は一切見かけない。

失業率14%の国にあって4,5%台なのだから当然かもしれない。

1947年までは佐渡島のように刑務所の街だった。

 

ウシュアイアは真夏になると、日が沈むのが11時半、明るくなるのが3時半夜中の間も山の上はボーッと明るいのでこれを白夜と言うのでしょうか?

店は夕方7時くらいの日が高いうちに閉まってしまうので拍子抜けです。

年末で観光客が多いから、と言う理由では店の営業時間を延長したりはしないようです(カラファテは違いました。観光客の半分はアルゼンチン国外から来ているこの街は、10時くらいまでどこの店も開いていて、夕方ツアーから帰ってきてから余裕でウィンドウショッピングできました)

 

ホテルから街までは3キロ、送り迎えのバスの時刻と合わないので歩き始めたらあいにくの雨、いくら夏でも雨が降れば寒いので丁度真ん中くらいまで歩いたところで挫折してタクシーに乗りました。

初乗り1ペソ、100メートルごとに5センターボ。良心的です。

 

ブエノスでは12センターボづつ上がるのですが、街に5センタボより小さい1センタボのコインが流通していないお陰で常に運転手と切り下げ切り上げでもめます。アバウトなので30センタボ違うなどもざらです。文句言えば「Claro。無い物は仕方ない」・・

お釣がないなら用意しない運転手側が悪いから運賃が少なくなっても仕方ない、なんて思う良心的な人もいますが希です。

 

そんなこんなでウシュアイアでは都会の殺伐としたやり取りから離れ、人間味のある暖かい人間関係で心が落ち着きました。

 

ウシュアイアでは「蟹を食う」に徹しました。

蟹はCentolla。Centolla Naturalといえば一匹丸ごと茹でたのが食べやすいように身を出した状態で出てきます。13〜16ドル。

ブエノスアイレスでは食べられません。食べる人がいないのか、輸送賃が高いのか、ここではこんなうまいものが食べられるのに、と思うと残念です。

1日目 蟹オムレツ、蟹ミートパイ(エンパナーダ)、Centolla Naturalとまさに蟹を堪能しました。

 

 

(その2)

  

翌日大晦日、この日はフエゴ島国立公園へ。

「世界の果て」(Fin del Mundo)という名前のものが沢山あり、その一つ「世界の果ての列車」という蒸気機関車に乗った。

もともと1900年初期から1947年まであった刑務所の労働施設として造られた列車で両脇の木はその時燃料などとして全て切り裂かれていて見る影もない。寒冷地で生育が遅いので、元の20〜30メートル

の木が育つのには100年以上かかるとか。

こんなになってから「国立公園」に指定して、「自然の草木を採ると罰せられます」なんて書いてあってもぴんと来ない。

 

さらにあっちこっちに立ち枯れの跡。理由は分からないけど、富士山のすそ野を見ているみたいで、自然の美しさを鑑賞すると言うよりは、「こんなに壊れているんだぞ」というところを見学してエコツアーしている気分になってくる。

国立公園のキャッチフレーズに「知ってください。それが守ることにつながります」

自虐的な言葉だ。

「そうか、ここはオゾンホールに穴が空いているんだっけ」なんて思い出して慌てて日焼け止めを塗ったりした。

 

「環境」の重要性が叫ばれていて、その割に学校では「社会」だったり「理科」だったり「道徳」だったりして一貫して認識できない構造になっていたりする。だから「ある種の野鳥が絶滅しました」というのと「それが自分の生活にどう関係あるの」というのが結びつかないし、「もののけ姫」じゃないけど「経済」とのバランスの取り方もあんまり自覚がない。

そのうち「コンピュータ」の授業が導入されたように「環境」の授業なども導入されるのかなあ、なんて考えていました。

(「性教育」の方が早いかも!?)

 

午後は「進化論」で有名なダーウィンも通ったというビーグル水道に船で。ダーウィンが乗っていた船がビーグル号なのでこの名前になったらしい。

遠くの島にかもめが群生して止まっているところや、オタリアが群れて寝ているのが見える。

オタリアとアシカは同じ種類だと思っていたらどうやら違うらしい。

オスのちょっとでかいのにメスが何十頭も群れている。

「これが、ハーレムかア」

なぜ人間が一夫一妻制を基本としているのか、性はどうして食事や睡眠と違って抑圧の対象になったのか、などの話題を提供してくれました。

 

「あ、双眼鏡あったよね?」・・・・・ホテルに忘れてきたのでありました。

前回は劇場で双眼鏡と言って取り出したのが髭剃りだったことから我が家ではこれを「髭剃り」と呼んでいます。

 

港ではブエノスまで3400キロ、アルゼンチン最北端のボリビア国境ラ・キアカまで5071キロの表示が。一人で陸路ボリビアに行ったときに通過したラ・キアカと言う文字に痛く感激して看板と共に写真をとった。日本ではせいぜい「大阪300KM」程度の標識しか見たことがないので、学生時代に通過したパリ郊外で「リヨン700KM」の看板で「こんな遠いところの標識を出している」とびっくりしたものですが、更にびっくりでした。ここはブエノスから続く国道3号線の終点なのでした。

 

世界の果て博物館午後の船旅から帰ってきて、市内の簡単な見学を申し込んであったのでガイドさんに連れられMuseo Fin del Mundo(地の果て博物館)へ。

と、ところが閉まっている。

普段の日は8時までやっているらしいけど今日は大晦日。

5時で閉館だったよう。

市内ツアーで行った博物館が閉まっていたなんて前代見物。

他のお客さんなんか「明日帰るんだから見られないじゃない」など文句ぶーぶー。

結局ガイドさん20分くらい走り回り、他の博物館が開いている(開けてもらえる?)のを確認。そちらに移動した。

ガイドさんの説明は「海洋博物館」。

確かに入ると船の模型展示などがずらり。

でも、なんか様子が変だ。あ、ここ刑務所だ。

それから日本でみた「ラテンアメリカ 光と影」、EL Viajeという映画のシーンで出てきたウシュアイアの学校じゃあないか!!

しまった、寝間着に使っている縞縞の服でくればいい写真が取れたのに・・・・

振り替えで偶然行った博物館でしたが、非常に盛り上がってしまいました。塞翁が馬。

 

 

大晦日の夜は前日予約しておいたレストランへ。街はほとんど閉店。

8時半にレストランに行ったらまだ電気も点いていなくって、主人が普段着のまま慌てて中に入れて待たせてくれました。

それで始まったのはまだまだ明るい10時。

客は6組くらいのこじんまりした感じで実に家庭的。

あまりに家庭的なんで最後会計するのも忘れそうでした。

 

蟹づくしの年末料理蟹が大皿で全て向いた状態でどっさりと中央のテーブルに持ってこられたので、すかさず3杯。

飲む方も飲み放題なのをいいことにシードル、白ワインときて新年乾杯用のシャンパン。

まだ空に薄ら明かりの残るころ、前の通りから車の往来が消えて自分の腕時計を見つめて新年を確認しました。

他の客たちもちゃんとした時計を持っていないのでカウントダウンはなし。

日本人にはちょっとさみしい。

しかし新年を確実に迎えた頃、ブラジルのサンパウロから来たと言う客たちがFeliz An~oとグラスを持って他の客を回る。こちらもつられて「乾杯!」

スプーンに蜂蜜を注いで回り、新年が甘い一年であるようにこれを飲むんだとブラジル流の押し付けがましさのない明るい口調で勧めて来る。

店はおばさんも娘たちも総出で手伝っていたが、みんないい人でした。

飲み放題、食べ放題で30ドル。日本以上に物価の高いパタゴニアでしかも温かいもてなしで新年を迎えられてありがたいことです。

 

帰り、当然タクシーがつかまらずとぼとぼ歩いていると、車が向うから止まってくれた。ブエノスだったら危なくて乗れないけど、極めて感じのいいおばあさんが助手席から「帰りの交通手段がなくって困ってるんでしょ。どこのホテル?ああ、トルケジェンならすぐだから乗っていきなさい」

乗ることにしました。

息子たちと正月を迎えて帰るところだとか。

途中で通ったちょっとひなびたアパートを差して「これが私たちの家よいつでも遊びにいらっしゃい」

周りは大きなトラックなら十分運べる簡単な簡易住宅。

その後ちょっと高級な別荘地を通る。

「いい家ですねえ」

「私たちには広すぎるわ。ほしくないわねえ」

どこまでも無欲な人たちでした。

自分たちのアパートは決して豊かな感じのしないもう30年くらい建っていそうな建物。でも人って互いに親切に生きられた方が豊かな感じがします。鉄格子を窓にはめて壁沿いも高い壁でおおった家に住まなければならないブエノスは、「安全な都市」とはいっても暖かみの消えてしまった大都会なのかもしれません。

 

 

(その3)

 

新年、エスコンディード湖とファグナーノ湖へ。

ウシュアイアは夏の期間1ヶ月のうち1日くらいしか晴れないとの某観光ガイドを尻目に昨日に引き続き快晴でした。

バスで2時間、舗装もあまりされていない国道3号線を通って、途中で止まる。山の中に入ったせいもあり当たりは霧と雨。

ガイドが「歩きましょう」といっても「こんなところを歩かせるつもりか!」

ガイドは「ちょっと降りれば雲から出て晴れます。景色もいいですよ」などと説得しても動かず。「ちょっと無理なお願いでした」と引き下がってしまった。われわれが「降ります」といって2人だけで山道のくだりを歩き始めた。

 

ガイドの言った通り15分ほど下がったところで雨が止み始める。

何も音のない世界で新年歩くのも気持ちがいい。

まもなく眼下に美しいエメラルドグリーンをしたエスコンディード湖が霧の合間に見えてくる。まさにエスコンディード(隠れた)。

他の人たちは一足先にバスで湖畔のロッジで待っていた。

 

その後フエゴ島でも最大級のファグーナ湖へ。いきなり湖畔で止まる。湖畔には何もない。焼けた森林が続くだけ。

20年前に酔った材木業の従業員たちが火の不始末をして見渡す限りの森林を焼いてしまったんだとか。

湖の美しさと対照的に背後はまだ墨になって残っている森の跡でした。

 

パタゴニアは羊の産地。広大なパタゴニアい放牧して羊を飼っている。

人間は2500平方キロに1人、人口密度0.004人/キロの超過疎地。

寒冷で草もいいものが生えないので牛は飼えない。

飼えてもえさを与えない放牧方式だと1平方キロに1頭のみ。

 

というわけで、ちょっと遅いお昼ご飯は名物羊料理で焼き肉にしたものを頂きました。

あまり食べ過ぎて夕ご飯が食べられなくなるくらいでした。

 

翌日2日はウシュアイアを離れリオ・ガジェーゴまで。

その前に大晦日に行きそびれた地の果て博物館に行ってきました。

1940年代のNacion銀行の建物を使っているらしく、金庫の跡があり、金庫の中は当時の銀行の様子が再現されていて興味深いものでした。

それ以外にもやはり同年代の雑貨屋が再現されている部屋などみて「サルタあたりの洋服屋ならいまでもこんな感じだなあ。50年間変わらないってことかあ」など感心しておりました。

さすがに航海の街の博物館、真ん中には航海の安全祈願を願う船の舳先につけられていた女神が鎮座しておりました。

 

飛行場は街から2キロくらいしか離れていないのであっという間。

リオ・ガジェーゴまで40分。ここから316キロの道をカラファテまでバスで行く。氷河があって観光客が必ず訪れるカラファテに空港はあるのだが、滑走路が短いのかあまり便がなく、大半の観光客が5時間もかけてリオ・ガジェーゴからやってくるのは不思議。ブエノスアイレスからの直行もない。この316キロの道のり、ひたすら両脇は羊の放牧。

といっても羊は遠くの方にぽつんぽつんとしか見えない。

道の両脇は鉄線で囲いがしてある。

イギリスで18世紀だかに土地の囲い込みが始まり、世界的に普及して土地の移動の自由がなくなり先住民が住めなくなったと言うある本の話を思い出して「これがそうかあ」と感心していた。

1つの牧場は数十キロ単位。もっとも大きいというこの道の南側にベネトンが買った2200平方キロの巨大な羊牧場は度肝を抜く。

 

何もないから遠くまで良く見える。はるかかなたに雨が降っているのまでわかる。

 

途中半分のところで数件の家が集まってエスペランサという集落を形成していてそこで休憩。

朝から何も食べていないので食べようと思うが、高価な上に対応が遅くってパイを暖めるだけで15分もかかっている。ハムとチーズしか入っていないサンドイッチ一切れ2ドルもおどろいた。

帰りに通りかかったときはこれに懲りてスーパーで調達した食料で済ませたので当然何も買わなかった。

 

ここでひらめいた。「旅のブラックリスト」という旅行雑誌でも作ってよってはいけない店や、それを避けるための事前の準備など紹介した本を作れば売れるかなあと。大手旅行社は絶対に出せない本だからニッチで結構いけるかも。この手の情報は結構貴重だし。

 

 

(その4)

 

カラファテについたときは夜7時。といっても太陽はさんさんと輝いていた。

ここも南極から2000キロと離れていない。暗くなるのは10時を大きく過ぎてからでした。

カラファテは人口1500人。店があるのはメインストリートの500メートル区間だけ。しかも外国人が多いこと。氷河ツアー、トレッキングなどのメッカで夏だけ人口が異常に多くなるとか。

家は雪に備えてみんな屋根の傾斜が急にしてある。

アルゼンチンとしては一番大きいと言う1500平方キロメートルあるアルゼンチン湖の湖畔にある。

 

ここのガイドはすごい。スペイン語、英語だけでなく、ドイツ語、イタリア語、フランス語なども話せる。同時に3カ国語で通訳などあたりまえ。

イタリアからの客が多いとか。

日本人も結構いるから、ガイド日本語で、といえばどこかの地元旅行社が雇ってくれるのはきっと間違いないでしょう。

アジア系言語のガイドはとんと見かけませんでした。

 

街のレストランでは、炭で肉を焼いているのが見える。ブエノスアイレスなら牛肉か豚肉に間違いないでしょうが、ここはパタゴニア、見かけはブタのような大きさの肉でもきっと羊に違いありません。

6時にはまだ赤い色をしていた3頭分の開きになった羊肉は、7時頃になるとずいぶん色が着き、8時頃初めて1頭分が半分に裂かれて食卓に上ったようです。買い物が終わる10時過ぎくらいに通りかかったときには、最後の1頭が半分になって炭も残り火になっていました。

 

サラダは全部北から空輸で運ぶらしく、異常に高い。

なんせレタスとトマトしか入っていないサラダが5ドル。

肉の値段と変りがない。

それでも健康嗜好の西洋人は頼むんだなあ。

長くここに住んでいて、けちして野菜食わなかったら壊血病になりそう。

 

日本からも客が多いようで、レストランなどではJCBカードが使えるとのシールが貼ってあり「いらっしゃいませ」とかいてある。

でも一方で「現金10%引」など堂々と表示してあるところもある。

クリーニング屋さんなんかは世界中の旅行者に書いてもらったんでしょう、世界20カ国語くらいでサービス内容を表示してあった。

もちろん日本語もあって「2時間で出来ます。1かご8ペソ」。

なかなか広告らしい書き方だったのでもしかして専門家が書いたのかも。

 

1本しかないメインストリートから舗装されていない道に曲がり、まだクリスマスの飾り付けでイルミネーションが光る公園のクリスマスツリーを横目で見ながら宿に帰っていきました。

 

(その5)

 

1月4日、アルヘンティーノ湖を右に見ながらバスは舗装されていない道を埃をたてながら進んだ。地表のミネラルを削り取った氷河が溶けて、乳白色のエメラルドグリーンが美しい。

しかしこの埃っぽい道と飾り気のない茶色の岸では不釣り合いだ。

 

Muella de Banderaにつく。「旗の波止場」。しつこいくらいにアルゼンチンの水色の旗が桟橋の両側にびっしりとはためいている。

Glaciar Perito Moleno双胴船は2船が一緒になって湖を進んでいった。

アルゼンチンで最も広い湖と言うことはある。片道ゆうに2時間はかかった。

エメラルドグリーンの水に青い色をした氷が通り過ぎていく。

大きいものもあれば、白鳥やカタツムリのような形をしているものもあり、見ているだけでも楽しい。

でも船が遮る風は、甲板に立つと身に染みる。

上着を首まで覆う。

光も妙に眩しい。

サングラスを掛けるのは本当の色が見えなくなるようであまり好きではないのだが、サングラスを掛けてもまだ眩しいというのも初めてだ。

 

しかしこういう大きく船は客室に入れば暖かくて快適だし、速いからやきもきしない。

あらかじめスーパーで買ったハムなどはさんでサンドイッチも食べられる。

寒くなれば客室に入ればいい。

チチカカ湖でおととし乗った船は手こぎボートを少し大きくしたくらいで古いモーターがついているだけでどんどん他の船に抜かされていくから時間もないので気が気ではなかった。

それに寒かった。

 

氷河はウルピサ氷河といって、アルゼンチンで2番目に大きい。

60キロも向うから「流れて」くる。

双眼鏡で見たって一番向うは見えない。

霧もかかっているのではるか天上の世界から流れてくるようにも見える。

 

船で更に進んでもう一つの氷河に着く。

周りには山の途中で氷河が終わってしまって湖まで届いていない氷河なども見える。

目の前の氷河が上の方から少しずつ連続的に崩れていった。

氷の細かい煙が湖から沸き上がった。

 

タイタニック号は氷山に当たって沈んだと言う。

こんな氷が浮かぶエメラルドグリーンの湖に、飛び込まなくてはならなくなったらさぞかし寒くて心細いに違いない。

「そうなったら助けてくれる?」

「言葉では何とでも言えるから答えないことにしておく」

とだけ伝えた。

 

甲板の上は記念撮影の場所取り合戦が続いていた。

船の船長も良く心得たもので、極めてゆっくりとだが右に旋回、左に旋回して氷河の見える位置をずらしていく。

その度に人も移動して行く。

氷河が見え始めた頃は盛況だった甲板も、その内強い風と寒さに耐えられなくなり、1人また1人と客室に戻っていく。

その内われわれ以外二人くらいしかいなくなった。

誰もいなくなった甲板でゆっくりと写真を撮った。

 

氷河の後、湖を進んで誰も住んでいない岸に船が着いた。

小屋が立っており、中をのぞくとやかんなど生活の匂いがする。

家畜を飼っていた後の柵や火の残りもあるが、さてどこにいってしまったのか家畜も家の主もどこにもいなかった。

特段の解説もなかったので、そもそもどうしてこの岸に降りたのかも良く分からなかった。

誰もいないのに「Vienvenidos」の看板だけが掛かっていた。

時間が合ったので近くの山に登っていった。

普段は牛か羊が草をはんでいる場所だということが草の合間に落ちている「落とし物」の量で分かる。

だんだん雨が強くなってきた。

振り向くと湖が雨の中でひっそりと息を潜めていた。

湖に浮かぶ氷は雨に削られ、また長い時間かけて誰も知らない間に自然の造形を変えていくのだろう。

 

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