SAN PABLO

 

サンパウロは南回帰線より赤道よりだからきっと暖かいだろうとたかをくくっていったら大間違いで、ブエノスアイレスよりは暖かいもののホテルにもレストランにも暖房はなくて、かえって寒い思いをして風邪気味で帰ってきました(もう直りました)。これはサンパウロがちょっとした高原の上にある都市だからと知ったのは現地の人に聞いてからでした。

 

エレベーターそれぞれにボタンを押すだけの女性が座っているのと、出してくれるコーヒーが異常に甘いのが印象的でした。

後でブエノスアイレスに帰ってからエレベーターを押すだけに人材を使用しているという話しをしたら、日本だってエレベーターガールっているじゃあないか、といわれて一瞬納得したのですが、やっぱり違う!

エレベーターガールは売り場の案内やお客の安全に気を配っている付加価値があるが、ただボタンを押すだけなら何の付加価値も無いじゃあないか!

 

ブラジルはアルゼンチン以上に貧富の格差が大きいらしく、こういった職業でも作り出さない限り失業がおさまらない状況のようで、ブエノスアイレスではほとんど見かけない黒人層を中心にあまり付加価値のない職業(最低賃金月120ドル近辺の職)についているようです。

 

治安は概してよくないらしく、しょっちゅう銃犯罪や引ったくりは起きているようで、あまり外を歩きたがらず、車で通勤している人が多いので、駐車場は地下4階まである広大なものでした。

 

しかし流石サンパウロ、100万人の日本人がいれば何でも作っているので、リベルタージの道一本日本人街(最近は韓国人や中国人も多数流入しているので東洋人街と呼ばれている)で、すし屋、カレー屋、カラオケ、本屋、居酒屋、日本の漫画を多数置いた食堂など、全く日本と同じような生活が出来ます。

ブエノスアイレスでは手に入りにくい生ヤキソバ、紅生姜、あんぱんなど、沢山お土産として買ってきました。

 

物価は一時非常に安かった時期も在るようですが、1996年レアルプラン(1ドルを1レアルに固定する為替制度)のため、非常に物価高になっており、新聞でも南米では常に一位だったブエノスアイレスを抜いて最も物価の高い都市になったとありました。

確かにタクシーは初乗り2.6ドル(ブエノス0.96ドル)でしたし、そんなに安い感じはしませんでした。

 

San Pabloの鳥居ブラジルに日本が貸付・援助したお金は、ブレイディ債という形で割り引かれて延滞され、日本は沢山の損失が出た訳ですが、色々と使途を調査していくと、結局4割くらいのお金はどこに消えたかわからない使途不明金になっているようで、およそ政治家や役人のポケットに入ってしまったのでしょう。

なんでこんな国に貸す必要があるんだ、というのが未だに大方の日本人の見方のようで、経済復興に伴ってこの国で一儲けしたいと思う反面、どこに消えてしまうかわからないといった不安を持って商売しているという状況です。

 

 

 

 

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