TREN A LAS NUBES

 

サルタ観光の目玉といえるのがこの「雲の列車」に乗るツアーだ。もともと普通の列車だったが、90年代の民営化によって次々に長距離路線が廃止となる中、観光化して生き残った。当初は気温が下がる冬場だけ毎週土曜日に行っていたが、人気が高くなり、現在は、冬場は土日を含む月10回、冬場でも月に2本程度運行するようになった。

 この電車はスイッチバックやループを繰り返しながら、標高1300メートルのサルタから標高4200メートルの場所までの230キロを往復15時間かけて進む。ツアーの料金は1人95ドルとかなり高いが、これから紹介するように盛りだくさんの内容で十分に楽しむことが出来た。 参加したのは2000年2月12日。

  朝6時半、まだ暗い中を眠い目を擦ってサルタの鉄道駅までタクシーをとばした。サルタのタクシー料金は安いと思っていたブエノスアイレスより更に安く、初乗り80センターボ(約80円)、100メートル毎に7センターボ(7円)上がっていく仕組みで、ちょっとした市内ならすべて2ドル以内だった。

 駅に着くと、早速顔をピエロのように塗った2人が駅の中に案内してくれる。駅にはいると今度はフォルクローレグループの生演奏が迎えてくれた。しかもこのロス・チャルチャレーロスばりの演奏が駅舎に響いて何ともいえない良い演奏だった。

 

 朝7時5分、空が白み掛けた頃、アルゼンチンにしてはめずらしく時刻ぴったりに列車は出発した。まだ薄暗い空の下、明かりを付けた家々の光景が過ぎ去り、やがて景色は山の光景になった。線路は川沿いに造られ、所々にサボテンが見える光景が続く。

 列車の中ではミネラルウォーターのお湯と冷水はいつでも飲める。我々もマテ茶を取り出して窓の光景を眺めながら時を過ごした。

 

 列車は終着まで1300回のカーブを繰り返す。カーブを曲がる毎に先頭車両が見える。列車と平行して国道51号線が通っている。国道51号線はそのままチリ国境を抜け、チリのアタカマ砂漠から太平洋岸のアンタファガスタ港まで続いている。 

 

 

 途中には、グランドキャニオンのように波だった山肌の光景が見える。巨大な赤い山肌が見えてもガイドの解説もない。しかし、この辺りは1999年にインカ時代のミイラがほぼ完全な形で発見されたことからもわかるとおり、考古学上の資料が豊富に出土する場所でもあるという。グランドキャニオンのようにセスナ機やヘリコプターでも飛ばせば十分に観光資源になるような場所だ。アルゼンチンにはまだまだ未開発の観光資源が山のように眠っている。

 標高が上がるつれ、寒くなると思ったが、昼になるに従い気温が上がっているのと相まって快適な気温が続いた。しかし3000メートルを超える頃から、頭痛はしないものの眠気が襲い始める。高山病の症状だ。 12時過ぎに車内販売でエンパナーダを売りに来た。3個で2ドルと値段もリーズナブル。あつあつで美味しかった。

 客車は全部で6両。冬などの人気のあるときはもう2車両程度更に連結するのかもしれない。それに食堂車、カフェ、控え室、郵便局が付いている。客車は1両で64名座れ、ほぼ満席だったから今回は約30人の人が乗っていたことになる。

  食堂車は予め時間の書いたチケットを売りに来た。11,12、13、15時の4交代で希望者が食事をする。13時の回に申し込んだ。値段は11ドルに加え飲み物代。ただ飲み物代もミネラルウォーターなら1ドル、ワインのミニボトル6ドルとなかなか手ごろな値付けだった。

終着の場所の少し手前で機関車を先頭から後ろに付け替えた。そこから終着の大きな橋の架かる場所までは、他の車両を機関車が後ろから押す形で進んだ。線路はこの先のチリ国境付近まで続くが、観光列車はこの標高4200メートルの地点から引き返す。

 14時20分、目的地に到着した。列車は約30分ほど停車するが、この短い間、地元のインディヘナがしきりにものを売りに来る。彼らの生活は貧しい。男性は鉱山などで働いているのだろうが、月収は最低賃金方で定められた200ドル程度。月に何回かの列車到着の日に、それもたった30分の間に売れた土産物の収入で、女と子供が家計を助ける。子供達は土産物が売れないとわかれば、すかさず小銭や飴をねだる。戦後の日本の子供と米軍兵士のように、インディヘナと観光客の間の格差は歴然としている。子供達は埃まみれで、日焼けし、頬はただれている。ここはもうボリビアと同じ文化圏だ。

  高地なので高い木は生えない。低木と草の地に野生で暮らすリャマにであった。

 

 

 

 

 銅鉱山の町San Antonio de los Cobresでも30分ほど停車した。ここでも短い時間ものを売るインディヘナと観光客で駅はごった返す。銅といえばチリのチュキカマタ銅山が有名だが、アルゼンチンでも銅は産出する。太平洋側の海に近いところに銅山があるチリは、船ですぐに日本などへ輸出できる。アルゼンチンの銅山はチリと違い、産出してもアンデスを越えるか、大西洋側まで1000キロ以上を運び出す必要がありお金が掛かるため、銅は大量にあってもコストが合わないため、あまり資源として開発されていない。現在の地下資源が掘り尽くされて価格が上がるか、または画期的な輸送方法が開発されれば、アルゼンチンは一躍資源大国に躍り出ることだろう。 

 高度が下がるにつれ、風景にも緑が多くなっていった。ブエノスアイレスよりもずっと西にあるにもかかわらず同じ時間帯であるため、2月のこの季節でも夜は8時を過ぎても明るかった。

 帰りの列車の中では、トレーナーやポスターを当てるゲームが行われた。電車の中で「早春賦」を歌い見事ポスターをゲットした。それ以外にも演奏グループが4組、2時間以上の間電車の中での演奏を続け、まるでミニライブハウスのようだった。正直言ってここまでサービスするとは思っていなかったので、非常にリーズナブルなツアーという気がした。演奏では他の客に混じって列車内でフォルクローレも踊った。

   翌日、朝は大雨で申し込んでいた古代人の壁画を見るツアーが中止になってしまった。市内の教会などを見ながら過ごした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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