TREN A LAS NUBES

〜「雲行き列車」に乗りながら〜

 

この時期サルタへ行くことは、アルゼンチン人に言わせると「こんな時期にあっちへ行っても、ただ暑い思いするだけで他にいいこと無いって!」だそうだ。実際、北西部行きのチケットは冬場の方が値段も高いがツアーも多い。それに冬は気候的にも安定している。けれど「雲行き列車」が以前と違って夏期も運行すると知って以来、選択肢が広がったことを私は無条件に喜んでいたのだ。よーし、これで前回の旅行で乗りそびれた「列車」に乗れるぞー!列車は週一回の土曜日のみ運行。ここは暑いのを覚悟で、ひとつ行ってみようじゃないか。

 

そんなわけで、今回、3度目にして初めて夏のアルゼンチン北部を訪ねるきっかけを手にしたのだった。

 

「雲行き列車」ツアーの朝は早い。駅までは市内のホテルからタクシーで10分と近いが、空はまだ真っ暗だった。駅の周辺だけがこれから列車の旅をしようと集まった人々と、菓子や缶ジュース、新聞、高山病防止のコカの葉などを売る地元の人々でわずかに賑わっているくらい。どこかで見た光景。そうだ、ペルーのマチュピチュ行き列車に乗った時のクスコ駅とよく似ている。クスコはサルタよりもっと標高が高いため早朝の寒さは厳しく、駅周辺はといえばひどく物騒なので、タクシーを降りて即、駅構内に飛び込んだものだった。それに比べたらサルタはずっと安全かもしれない。物売りの大人に混ざって子供達が声を張り上げて働いている姿が、なぜかとても懐かしく思えた。

 

ふと、駅構内からフォルクローレが聞こえてきた。赤と黒のサルタ・ポンチョを肩に掛けたガウチョ姿の二人組が、ギターを弾きながら「サンバ」を歌っている。「サンバ」はサルタの十八番だ。乗客が思わず足を止め音楽に聴き入っている。駅舎に響き渡るその声に出発時間が迫っているのを忘れそうになり、慌てて車両に乗り込むと同時に発車の合図が聞こえた。7時。ほんの僅かに空が白みかけている。

列車のチケットは出発前にブエノスのセントロにある代理店で購入した。街なかの旅行社では航空券・列車の切符・ホテル・送迎が含まれたパックツアーのみ取り扱っているので、金曜のうちに出発できる人にはマコトに好都合なツアーだ。「雲行き列車」ツアーは毎週あるわけでは無いから、切符のみ買う場合はまず航空券より先に列車の出発日を確認しなくてはいけない。また、料金はサルタで買うより若干割高なので、時間に余裕があればサルタに行ってから現地で予約する方がいいかもしれないが、国内外で人気のあるツアーなだけに、なるべく早いうちに予約しておきたいと思うと、高いのを承知でブエノスで購入するのも仕方がない。列車が決まったところで次に航空券を手配し、ホテルはインターネットで検索すると2つほど案内があったので、そのうちのひとつに決め、Eメールで予約した。こうしたインターネットを使った予約サービスを行う地方のホテルも、これからは少しずつ増えていくのだろうか。

 

さて、列車がサルタの町を抜ける頃、ようやく太陽が姿を見せはじめ、朝の張りつめた空気がだんだん緩んできた。夕べの寒さは雨のせいだったのか、今朝はTシャツにトレーナー1枚で十分なくらいの温度だ。甘く温かいコーヒーとサンドイッチが配られ、口にすると眠い頭が目覚めてきた。窓を開けて車両がガタンガタンと規則的な音を立てるのに耳を傾けてみる。心地よくなって窓際に頬杖をついていると、線路沿いに生えている木の細い枝が頬を引っ掻いた。「アブナイですから窓から手や顔を出さないでください・・・」アナウンスの声に言われるまでもなく肘と顔を引っ込める。

町は家並みが徐々にまばらになったかと思うと、あっという間に今度は何もない乾いた大地に変わった。

時々、大地の割れ目を川が走っているが水量は少なく、今にも干上がってしまいそうなほど頼りない。

12月から2月頃まで雨期をむかえるアンデス地方一帯は、一日のうち何度か雨が降る。その雨によって大地に僅かな植物が育ち、動物たちや寒村に暮らす人々の生活は支えられているのだが、彼らを取り巻く環境はあまりにも厳しい。けれどそうした光景は、訪ね見る人々の心を捉えて離さないから不思議だ。かくいう自分も今回を含め、アンデス地方には8度も足を運んでいるし、これからだって機会があれば行きたいと思っている。なにがそんなにいいの?と聞かれると困るけれど、いつも「碧い空が見たいから」と、まるで詩人のようなことを言っている(でもそれは本当のこと)。だから私には「夏のサルタは暑い以外に何もない」だなんてまるで関係ない。唯一気にしているのは「これ以上、日焼けをしたくないなー」なんていうことくらいだ。陽は益々高くなり、まぶしい光が窓越しに入ってきた。気温も上昇し、日差しで腕や顔がジリジリしてくるのがわかる。

今までずっと遠くに見えていた山や谷が迫ってくる。列車は谷に沿ってカーブを繰り返しつつ高度を上げながら進む。各車両毎に付いているガイドが、この一帯の解説を始めた。サルタのこと、列車の歴史、インディヘナの暮らしと信仰などなど。乗客は一様に熱心に聞き入っていた。トンネルをくぐる度、違った光景が姿を現し、この地方独特の色鮮やかな谷が様々な造形美を持って我々を楽しませてくれ、また想像を掻き立てる。先ほどまで低く小さかったサボテンが巨大化し密集し、サボテン林の如く姿を変えていく。

 

線路と平行に走る道路上を一台の観光バスが列車を追いかけていた。バスの上にはざっと15人ほど人が乗り、こちらに向かって度々手を振っている。彼らもまた列車同様、終着駅の「サン・アントニオ・デ・ロス・コブレス」を目指すが、その後はサルタには戻らずチリ側へと抜けて行くそうだ。

幾つかの小さな駅を経て、初めて15分ほど停車した。と、列車が止まるや否や子供達がわっと車両を取り囲み、あれこれと土産物やら菓子やらを、開いている窓に向かって売り込む。乗客が顔を覗かせると、我先に「買って!」と叫ぶ。同じ物を手にしている子供達からどれかを選ぶのは心苦しいと思ってしまうが、そんな気持ちをよそに彼らは逞しく、発車直前まで次の客を探し続けていた。

やがて昼食の時間が訪れたので食堂車両に向かう。昼食は希望者が4回交代で取るようになっていて、食事はきちんと陶器の皿で出てきた。3000メートルを越えた地点にいたので、高山病にならないようアルコールは控える。お腹一杯食べることも控え、後はゆっくりするのが一番だ。

そうこうしていると、列車の速度が落ち、目前に長い陸橋が現れた。それこそが「雲行き列車」のハイライト・シーン。写真を撮るのに最高のポイントだ。窓から身を乗り出して陸橋を進む列車にカメラを向ける。窓の下は橋桁がすとんと数十メートル落ちていて度肝を抜かれた。眼下には先ほどの観光バスが到着して、頭上高く渡る列車に向かってシャッターを切っているようだった。澄みきった空に列車だけがくっきりと曲線を描いた、それこそ「絵のような」光景に自分はもちろんのこと、誰もが深く感動していたように思う。

 

終着駅のサン・アントニオは銅山の町だが貧しく、ここでもやはり子供達が母親と物売りに専念していた。もっと小さな子供がキャンディーをくれとねだってくる。けれど私は南米を旅して子供達にガムやキャンディーを極力あげないよう心がけている。そして替わりに果物やクラッカー、時には文房具をあげることにしている。貧しい子供達は虫歯になっても歯医者にかかるだけのお金が無いからだ。このことをもっと多くの人に知って欲しいといつも感じる。必死に生きている彼らを心から応援しつつ。

さて、帰途は車両毎に、乗客全員が一団となってくじ引きを行ったり歌合戦?をしたりと思いのほか楽しいひとときとなった。フォルクローレのグループも乗り込んできて、車両は一時的にペーニャ(ライブハウス)状態となり、踊りに興じる場面もあった。そして次第に夜も更け、サルタの町に近づく最後の瞬間までそれは続いた。

 

全行程およそ15時間に及ぶ列車の旅人たちは、疲れた体に満足感を携えて、出発の朝と同じ暗闇の駅舎から消えていったのだった。(「カタマルカ編」に続く)

 

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