CATAMARCA〜TUCUMAN

 

カタマルカの「秘宝」はどこにある?

 

「雲行き列車Tren de las Nubes」を楽しんだその夜遅くから朝に掛けて、サルタ一帯は豪雨に見舞われた。そのため未舗装道路は完全に水没してしまい、翌日に予定していたサルタ郊外への洞窟絵見学のツアーがボツになってしまった。まだまだこの一帯は舗装道路が一部にしか敷かれておらず、いったん豪雨に襲われると、あっという間に周辺へのアクセスが断ち切られてしまうのである。それでもなんとか車を出してもらえないかと粘ってみたが、やはり無理なものは無理なようだ。ふう、困った困った。

 

そんなわけで、少し早めの昼食にパリージャを食べた後、サルタから次なる目的地・カタマルカを目指すべく、早速バスターミナルへと出向いてみる。サルタのターミナルは結構ボロい。チリやボリビアと言った周辺の国からのバスも乗り入れているのに、なんとなく田舎のターミナルみたいだ。加えて、窓口に誰もおらず、「○○時に戻ります」と書かれた紙切れがガラス窓に張ってあるバス会社のブースがやたらと目に付く。そういえば、まだこの辺りの州には根強く「シエスタsiesta」の習慣があって、町中の商店でさえも昼の1時から遅ければ5時まで閉まってしまい、その時間やっているのはレストランとキオスク(売店)くらいになる。でもまさか、バスターミナルまでもがそうだとは誰が想像するだろうか。もちろん、すべてのバス会社が閉まっているのではなく、おそらくその時間帯に発着の無い所だけがシエスタをしているのだろうけれど、生憎、目的地へのバスはほとんどがそのシエスタに当たってしまっていた。

 

町へ戻って作戦を練り直し、カタマルカより先にチリへ行くことも考えた。カタマルカでは以前から興味を持っていた「サンタ・マリア文化Cultura Santamariana」について調べてみたいことがあった。土産物などでも見かける、子供が描いたようなニャンドゥやフクロウ、コンドルの絵。単純ながらかわいらしく、生き生きとした動きがとてもいい。気に入って絵の由来について尋ねると、意外にも店の人からまともな答えが返ってこないケースが多かった。「アルゼンチン北部のアボリヘナ(原住民)の絵」ということ以外、あまり知られていないのかもしれない。偶然、この旅行に出る前に立ち寄った「カサ・デ・カタマルカCasa de Catamarca(カタマルカ州観光局)」で、サルタとの州境に同じ名前の村があることを知り、そこへ行けばもっとあの絵についてわかるかもしれない、と思ったのだった。そしてもう1つ、トゥクマン州との境にあって「ロドクロシータRodocrosita・通称インカのバラ」と呼ばれる鮮やかなピンク色をした石を産出している鉱山の見学もしてみたいと考えていた。透明度の高いものほど価値があり、産出量もごく僅かにして貴重な石。目的はこの2つだった。しかしチリに行くにしても、いずれにせよ、やはりバスの時刻や出発の曜日を知らないことには何も進まない。町なかのカフェテリアのテラスで日曜の昼下がりを過ごしながら、自分には時間がまだまだあると思いつつも、こうして実際は時間を気にしていることを、ちょっとおかしく感じた。お隣の老紳士は、背筋を正して椅子に座り、ニコニコとしながら辺りを眺めている。

 

日が傾きかけてきたので再びバスターミナルへ。今度は比較的どの窓口も開いていた。そこで片っ端から出発時間と到着時間、それに値段を聞いて廻る。過去の旅の経験で、適当に1つ2つだけ聞いて決めるのではなく、手間でもこうして聞いて廻るのが、ベストな情報を集めるのに欠かせないと思っている。チリ行きのバスが2種類とも金曜日出発しかないことがわかり、カタマルカ行きが先と決まった。思いの外、まさに目指していたサンタ・マリア行きのバスを見つけ、早速、乗車券を購入。出発は明日の朝7時。値段も聞いた中ではまあまあの19ドル。バスの設備はもはや期待できないけれど、トイレくらいはあって欲しいなあと願った。

翌朝、空はまだ薄暗く雲がかかっていた。ターミナルは人でごった返していて、背中のリュックが頻繁に人にぶつかる。やっとの思いで乗り込んだバスが満員だったのにはちょっと驚いた。出発後も途中途中でどんどん人を乗せては先を行く。仕舞には通路もいっぱいとなり、これじゃあボリビアで乗った長距離バスと変わらないな、とふと懐かしさを覚えた。このあとバスは1度だけ朝食のために40分停車した以外は、最初の停留所であるカファジャテCafayateまでひたすら走り続けた。途中、この一帯独特の7色の谷の向こうから朝日が徐々に昇り、なんとも言えず美しい光景が広がった。窓越しに外気が上昇しているのがわかり、乗客が次々にジャケットを脱ぎ始める。標高も少しずつ上がってきて、太陽が前よりも近くなった。このルートを行くのは前回、ボデガBodega(ワイナリー)見学でカファジャテを訪れて以来のことで、うる覚えだった記憶がどんどん蘇ってくる。

 

カファジャテに着くと、車内の清掃のため1度バスを降ろされ、再度乗り込まなくてはいけなくなった。サルタからの乗客の殆どはここで下車し、自分と僅かな乗客だけが残ったが、カファジャテからは新たに大勢が乗り込み、好き放題に席につくので、危うく自分の席を失いそうになった。地方便はとかく、こうしたトラブルが多いけれど、それをトラブルだと思っていないところが、また地方らしいところだったりする。

 

程なくサルタの州境を過ぎてカタマルカ側に入った。とはいえ、家並みも何も変わらない。この辺はアドベ煉瓦の壁にトタン屋根の組み合わせの家が多く、庭にはパンやエンパナーダを焼くための、同じ煉瓦で出来た竈(かまど)があるのが特徴的だ。昼時のせいか細い煙が竈から上がっている。家と家の間に時折、広い葡萄棚が現れ、太陽と大地の恵みを受けてキラキラと葡萄が輝いていた。しかし、家々の間隔は次第に広くなり、何もない乾いた土地がバスのあげる砂埃の向こうに現れるようになり、やがて目の前から本当に何も無くなってしまった。

 

終点のサンタ・マリアへは1時間遅れの午後1時半に到着。村はシエスタの時間で外には誰もいない。村の中心にある広場が真昼の空のもとにぽつんと佇(たたず)んでいるだけで、他に野良犬すらいないのだ。静まり返った広場のベンチに座り、これからやるべきことを頭の中で反芻してみた。

宿を探して、何か食べて、観光局を探して、それからそれから・・・でも果たしてここに目的のものはあるのだろうか、と、いつになく不安になってしまったのだった。

 

サンタ・マリアの黄昏

 

長いシエスタが終わって、ようやくサンタ・マリアの博物館に人がやってきたのは、日も傾きかけた(とは言ってもまだまだ夏のために外は明るい)頃だった。村はこの地方特有の切り立った7色の山肌を背景にこじんまりとその麓に鎮座している。周囲には小さな川と畑と低い木ばかりの林が広がっており、どこからともなく集まってきた子供達が土埃を巻き上げながら道端でサッカーを始め出した。

 

民宿の人の話によると、この村に観光局は無いが博物館の一部に事務局があり、従って遺跡のことなら博物館の館長に尋ねるのが一番いいと言うことで、早速、夕方になるのを待って目的の話を聞くべく、館長らしき男性を訪ねたところだった。

 

広場に面した博物館は、入り口に例のスリ(ダチョウ)が描かれていて、はるばるやってきた甲斐があったかもしれないと期待が膨らむ。中にはいると、あまり広くない室内に土器や織物、壺などが展示してあり、その数は決して多いとは言えなかった。

 

サンタ・マリア文化の概要については、紀元1000〜1470年くらいにかけてサルタ・カタマルカ・トゥクマンの州境にあるカルチャキ谷一帯に広がった文化で、人々は農耕民で村を作り、その数は約1000世帯ほどあったとされる。他の時代に比べて抜きん出た特徴は無いが、日常で使う物の他に儀式用のセラミカ(陶磁器)を制作し、人々の信仰の対象であった大地や雨の神に捧げものをしていたことが発掘によってわかった。しかし、なんと言ってもこの文化最大の発見は、葬儀用の瓶(かめ)に描かれた独特のタッチの絵柄であろう。親しみやすい動物たちと幾何学模様で象られた顔を持つこれらの瓶は、驚いたことに皆、子供達の埋葬にのみ利用されていたのだ。それも乳児からせいぜい2歳くらいまでの子供だけで、遺体は丁寧に皮で包み、生前使っていたと思われるわずかな道具類と植物の種を添えて、一体ずつ瓶に入れ、地中深く埋葬されていたという。当時の人々の信仰の中に、幼くして命を失った子供達の、新しい命の再生と復活を願う気持ちが強く込められていたのではないかと学者は見ているという話だった。

 

確かにこれらの瓶は見ていてとてもかわいらしい。幾何学的な線で顔の輪郭が取ってあり、目や耳などは動物の体の一部で表現されている。土産物にはこうした表現がほとんど用いられておらず、単にダチョウの絵だったりフクロウの絵だったりするのだが、考えてみれば葬儀用の瓶をそのまま土産物に作ったところで買っていく人はいないのかもしれない。これらの絵が意外なものに描かれていたことを知って驚いたが、その歴史がわかった上に実物を見ることが出来て素直に嬉しく思った。それに、例えばダチョウ(スリ)=空気、カエル=繁栄、コンドル=風、ヘビ=水など、動物たちが人間によって何かのシンボルと化して信仰されていたことも興味深かった。

 

しかし残念ながら、サンタ・マリア文化はカタマルカ州の財政的問題で研究が進んでいないと言うことだった。博物館の奥には、手つかずのままの瓶がまだ数十個も眠っている。かわいらしさ故に、瓶に描かれたシンボルだけが一人歩きして世に知られ、肝心の歴史的な側面の調査や解説が進んでいないなんて、ちょっと皮肉な話だ。と私が考えている傍らで、館長もふっとため息を付いた。

 

ところで、村に観光局が無いと言うことは、ここを拠点としたカルチャキ谷の遺跡巡りのツアーなど、もちろんあり得ないということになる。個人的に誰かに頼む手はあるが、ここは一度サルタに戻るか、カタマルカの州都に行ってそこからアクセスした方がいいかもしれないと思った。はるばるやって来て、その日のうちに村を出るのは宿の人にも何だか申しわけない気がするなあと考えつつも、その日の夜中、カタマルカ行きの夜行バスに飛び乗った。

さて、カタマルカの州都には翌日の朝7時半に到着。バスターミナルはこぎれいで、さすがにサン タ・マリアよりは何もかも整っている。中心に位置する広場までタクシーには乗らず、リュックをしょってゆっくりと歩く。寝不足で頭痛がするが、空気が冷たくて気持ちがいい。歩行者天国の両側は店がまだ閉まっていて、あちらこちらに警官の姿があった。その人数の多さに「もしかして暴動でもあったのかな?」と不安がよぎる。

 

その日の昼間、地図とカメラだけを持って街を散策。日差しが強く、まともに日向を歩いたら日射病になりそうだ。当然、この時間はシエスタでどこもひっそりとしていて、店舗はすべて閉まっている。カテドラルの前にプラザ(広場)があり、中央に立派な銅像があるあたりは、南米の都市ではお決まりの姿である。地図に従って行くと、考古学博物館まで約1キロ。丘の上にあるらしい。

しばらくして坂の上に見晴らしの良い公園が現れた。その裏手に博物館はあると書かれているが、近づいてみると、かなり前に閉館となっているような様子だった。更に歩いて観光局を訪ねると、どう見ても使用されている気配が無い。その並びのだだっ広い手工芸品市の平屋に入ってみたが、そこも女性が2人お喋りをしている以外に客はおらず、聞いてみるとやはり観光局はこの場所では現在やっていないということだった。

暑さも手伝って、ふと脱力感が襲ってきた。・・・シエスタが終われば何か得られるのだろうか。がらんとした展示コーナーにある、埃をかぶったピンク色の鉱物「インカのバラ」を横目に、目的がもう1つあったことを改めて思い出した。そうだ、ここで自分は谷巡りの他に「ロドクロシータ」の鉱山も見たいと思っていたのだ。けれど、サンタ・マリアに続いて、またもやシエスタが終わるのを指をくわえて待つしかないのか・・・。

どうも都会的な感覚を持って地方を訪れると、しばしば裏切られたような気持ちになって良くないかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「トゥクマンの月」に願い託して・・・  

 

トゥクマン行きのバスの中で考えていたことがある。

先に訪れたカタマルカは、これまでに訪れたアルゼンチンの他州に比べて、なんというか覇気がない。

こんな事を言っては申し訳ないけれど、誰もがシエスタ(昼寝)から目覚めないまま一日を過ごしているような、ちょっとズレた感覚を持っている気がしてならなかった。

 

目抜き通りの土産物屋の店員は、出入りする客に近寄ることもなく、ただ何となく見ているだけで、声を掛けることもなかった。開店時間は午前中と、シエスタが終わる五時からたったの四時間だけだ。カフェテリアに入って注文しようとすれば「今日はメディア・ルナとパンが届いていないんだ」と平然と言う。どちらもよくこれで商売が成り立っていると思って感心してしまったほどだ。

 

街でようやく探し当てた観光局も、こちらの思うような返答をしてはくれず、例の「サンタ・マリア文化の遺跡を見学したいのだけど」と聞けば「ツアーはないからレンタカーでも借りれば?」だし、「それじゃあ、ロドクロシータの採掘場の見学ツアーはあるの?」と聞くと「そんなの、やってないわ。誰が鉱山になんか行きたがるの?」とそっけない答えが返ってくるばかり。カタマルカをもっと知って貰おう!なんていう気持ちはまるで無さそうだ。それとも、自分が投げかけた質問が余程、意外に思えたのだろうか。いづれにせよ、この街には「サービス業」が限りなく不足しているような気がして、気分が沈む一方だった。

 

唯一の救いは、セントロから少し外れた所に私設の博物館を見つけたことだ。本屋で見つけた一枚の絵はがきを頼りに探し当てたこの博物館は、沈んだ気持ちに光を投げかけてくれた。入場料の一ペソを支払い中に入ると、そこは学校の理科室みたいに質素な作りだったが、展示の内容は思ったより充実していて、サンタマリアの発掘品も何点かあった。傍らの地図を見ると、カタマルカとトゥクマンの間くらいに遺跡のマークがあり、そこが発掘現場だと示している。受付の女性に詳細を尋ねると、一言「バスで行くしかないわね」と言われ、心の中で「そう、その通りね」と苦笑してしまった。

 

この州が観光資源を何一つ持っていないのではない。ただ人々がそれらを利用し活用する術をまるで知

らないだけなのだと思う。この街に漂う無気力さは、案外そんなところからきているのだろうか。教会に足げく通うカタマルカの人々は皆、寡黙だった。

 

これから行くトゥクマンは果たしてどうなのか。まさに「期待と不安」を胸に、四時間の後、バスを降りた。

 

・・・とにかく蒸し暑い。低地に降りてきた感触がある。正午のトゥクマンの首都は活気に溢れていた。交通量も人もサルタ、カタマルカに比べ遙かに多い。トゥクマンは昔から貿易の中心地として栄えてきた街だ。その名残なのか、観光局でホテルのリストを見せてもらうと数ページ分も紹介されているくらい充実している。セントロは雑然として、狭い裏通りの交差点の角には、信号機の替わりに青と赤の旗を手にしたお巡りさんが、高さ二メートルほどの台の上に立って交通整理をしていた。人々の歩くペースもブエノスアイレス並みに早いし、ビジネスマン風の男性も多い。地理上の関係とはいえ「アルゼンチン北西部」と一括りにしてしまうには、なにか抵抗を感じる光景だった。

 

さて、例によって旅行社探しを始めた。観光局で手に入れた情報では、トゥクマンからタフィ・デル・バジェを抜けてキルメスという遺跡を訪ねるツアーがある、という話で、なんとしてもそのツアーを申し込みたい。シエスタに入る直前に駆け込んだその旅行社では、確かにツアーはあるが、人が集まらないと催行は無理ということだった。今までにも幾度となく聞いた返答に、今回は簡単に引き下がれないと思った。ここで諦めると、カタマルカからトゥクマンにやって来た意味がなくなってしまう。そこで夜の九時まで他に申し込みがあるか待ってみることになった。半信半疑もいいところだけれど・・・。

 

この旅に出て四度目、シエスタ中の街をまたもや歩く。主だった商店は相変わらず閉まっているが、三日ぶりに人の活気に触れて気持ちが少しほっとしたようだ。それにサルタを発って以来、まともに食事をしていなかったことを思い出し、久しぶりに何か食べようという気になった。食事時はもう過ぎ、客がまばらになったレストランの片隅から街を眺めていると、やがてカテドラルの鐘が三時を告げた。

 

夕方、再び街が活気を取り戻し始める。歩行者天国の両側に立ち並ぶ商店やショッピングモールが夕闇に浮かび上がった。仕事を終えた人々の足が、吸い込まれるようにカフェテリアやブティックに消えていく。ブエノスだったらとっくに閉まっている郵便局もシエスタを挟んで八時まで営業しているのが新鮮だった。商店はどこも賑わって、九時近くになっても閉店の様子が伺えないのだ。

 

ホテルへ帰る途中、件(くだん)の旅行社に立ち寄ると、やはりツアー希望者は集まっていないという。おおかた、問い合わせの電話一本も無かったのだろう。そこで最後の選択だったが、自分一人のためにツアーを催行して貰えないかどうか切り出してみた。案の定、相手は「二人分の料金を支払うならば」と言ってくる。これは実は自分の中で幾らか覚悟していた、相手からの答えだった。交渉しても、どだいこちらが分が悪いのは分かり切っていたからだ。それに、ホテルのフロントから別の旅行社に問い合わせた時も、まったく同様の返事を既に受けていた。そうして最終的には、ツアーの内容をこちらの望むようにさせて貰うことを条件に二人分を支払った。出発は予定より三十分早めに、とにかく遺跡を見学する時間を十分確保して、などなど、相手はこちらの要求に半ば呆気に取られていたようだが、こちらも今までの経過があるので黙って従ってもいられなかった。やった!これでようやく安心して眠れるぞ・・・。

 

商業都市・トゥクマンの夜の月は、この小さな商談成立の喜びをじっと見守ってくれていたようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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