その1 −「失われた世界」は本当にあった!−

 

ベネズエラの首都・カラカスに到着したのはちょうど真昼だった。今しがたまで眼下に広がっていた碧いカリブ海とは今回の旅程の最終日までしばしおさらば。目指すは「ギアナ高地」なのだ。

ギアナ高地は、数億年の間に地形の侵食が進み、その結果残った硬い岩盤上の部分を指し、120万平方キロに渡って100の平頂山(テーブル・マウンテン)がある。その存在は知っていたものの、実際に訪れるとなると「秘境」の二文字が頭を何度も過り、どこか神々しささえ感じていた。

「ロスト・ワールド(失われた世界)」を書いた小説家コナン・ドイルによってその存在が世に知れ渡ったが、「ギアナ高地」の名はどうやら日本でのみ通じるものらしく、地元の人たちは数々の平頂山を尊敬の意をこめて「テプイ(神々の棲む家)」と呼んでいることがわかった。今回はそのテプイの姿をこの目で見ようと、はるばるベネズエラの地へと出掛けたのだった。

 

カラカスから飛行機に乗り1時間ほどでカナイマに着いた。そこは、これから訪れるカナイマ国立公園の入り口で、上空から見ると密林の中にぽつんとそこだけ開けたような村だ。小奇麗なロッジがラグーナを囲むように立ち並び、手前には白砂のビーチまであって、ちょっとしたリゾート気分に浸れる。かつてはここも海の底だったのだろう。

カナイマはトレッキングで数あるテプイの中でも最も大きい「アユン・テプイ」のふもとまで行く際の出発点となる。また、ここから直接セスナ機でテプイを上空から見る遊覧飛行の発着地点でもあるのだ。トレッキングはとても魅力的だったが、足の怪我のため諦めざるをえず、遊覧飛行でアユン・テプイの全貌を見ることに決めた。

飛行は早朝のみで翌日の予定だが、天候によっては飛ばないと聞き心配になった。何とか無事に飛んでくれるといいのだけど・・・!ラグーナの対岸の奥に見えるテプイが、そんな自分に微笑んでいるような気がした。

 

翌日は6時に目が覚めた。というより、天気が気になって殆ど眠れなかったのだ。表へ出ると、昨日の祈りが通じたのか快晴だった。前日の朝フライトが取りやめになってあえなくカナイマを離れて行った人たちを思い浮かべ、自分は運が良かったのだと思った。

太古の光景を流れる蛇行した川

10時、およそ20名を乗せてセスナは飛び立った。村を離れるとすぐに濃い緑のじゅうたんが一面に広がった。幅の広い川が蛇行しながら緑の上をどこまでもどこまでも続く。

あんなに近くに見えていたテプイはずっと遠くにあった。それもしばらく行くとだんだん近づいて、10分もすると上空を覆っていた雲の間から切り立った崖のような岩肌が姿を現し始めた。心臓がどきどきした。

いよいよテプイの上を通過するんだ。テプイは地上から約1000メートルの高さにその平らな頂上を持ち、下界とはまったく異なった世界を確かに我々に見せてくれた。太古の地球を彷彿させる、ごつごつした地表が水を湛え、いまにも古代生物が出現そうな景観。

周囲は霧が一層深くなり、視界さえ危うくなりそうな激しい気流が渦巻いている。遠目には見えないが地上と生態系の違う動植物が存在しているのも納得してしまうくらい、人間界とはかけ離れた別世界なのだ。

平頂山「テプイ」

まもなく落差979メートルのエンジェル・フォールに近づいた。乾期ということもあって水量は雨期に比べ少ないらしいが、それでも岩を削りながら落ちる水の激しさは十分伝わってきた。実際に滝壷から見上げたなら一層その激しさを肌で感じたことだろう。平頂山に初めて到着したアメリカ人冒険家の名を持つこの滝も、地元では「ケレパクパイ・メル」と下を噛みそうな名で呼ばれている。すべて先住民の言葉だ。今も彼らは厚い信仰心を持ってテプイを眺めているという。「神々の棲む山」は長い間人間を寄せ付けることなく姿を雲と霧に隠し多くの謎を抱えて存在していたのだ。

そこへこうして足を踏み入れること(上空から覗くこと)は、もしかしたら神の領域を荒らすことになるのだろうか?と、ふと考えたりした。テプイの数だけ神が棲んでいるかもしれないと想像したりした。このような大自然を目の前にすると人間はなんてちっぽけなのだろうなどと哲学者ぶってみたりもした。飛行中、夢中で見ていたにも拘らず、なんだかいろいろなことが頭を巡っていたようだ。

飛行のラスト、パイロット席からの撮影許可が出たので、乗客が交代で一人ずつカメラを持って撮影に行った。そこから見たテプイは実は一番美しかった。わずかな飛行時間だったが、「失われた世界」の一幕は十分堪能できたと思う。

セスナ機がカナイマに戻り、発着所に降り立ったすぐ後、私は次なる目的地のサンタ・エレーナ行きの便に乗り換え出発した。

 

 

その2 −大平原の村の隠れた珍味「クマチェ」−

 

一時間の飛行の後到着したサンタ・エレナ・デ・ウアイレンは大平原(通称グラン・サバンナ)の中にたたずむ小さな村で、周辺には数多くの滝があることで知られる。遠くにはテプイが連なり、中でもひときわロライマ山が美しい姿を見せているのが印象的だ。空も相変わらずの碧さを保ち、空気は湿気を一切含んでいないところがとても爽やかだった。

ここからは頑丈な4WD(四輪駆動)でひたすらこの大平原を走ることになった。運転手兼ガイドを兼ねているフランクリンさんは、このカナイマ国立公園内のガイドが専門で、車同様がっちりとした体格の頼もしい人だ。彼を含め合計4人のグループで「グラン・サバンナ ツアー」は始まった。

グランサバナの光景とテプイ

「グラン・サバンナ」と呼ばれる所以は言うまでもなく「サバンナ」に景観が似ているからで、確かに木陰からライオンが出てきたり象の群れがのしのし歩いている姿があればアフリカにも見えるのかもしれない。

ここからはロライマ山へ歩いて5日間で行けるという。道の途中には盛りを少し過ぎたベネズエラの国木・アラクアネの黄色い花が大地に色を添えていた。乾期で小さな川はどれも干上がっている。こんな場所のどこに滝があるのか全く予想もつかなかったが、小一時間走ったところで遭遇したのは、それまでの乾いた大地が嘘のような豊かな川だった。

その向こうに高さはないが幅の広い滝が見え、近づいて手を浸すと水は太陽の日差しを受けて温かかった。滝にもそれぞれインディヘナの言葉で名前がついていた。周辺に暮らす彼らはトタン屋根の家に住み洋服を着て、すでに文明化された生活を営んでいたが、言葉だけは今でも使われ続けているということだった。

続いてブラジルとの国境を目指した。なにしろ広大な土地なので次の目的地への移動には時間が掛かる。が、こういう旅をいつも楽しいと感じるのは性に合っているからかもしれない。国境周辺は常にありがちな物々しい空気もなく、実にのんびりとしていた。高台には2つの国旗が風に翻り、ブロンズ製の功労者の胸像がそれぞれ国境をはさんで置かれ、同じ方角を見つめている。穏やかな時間の流れを肌で感じた。

さて、その夜、宿で出された食事はとても奇妙だった。

「その土地の(郷土)料理を口にする」を旅のモットーにしているのだが、幸運にも今まで超まずいものには出会ったことが無かった(そのかわりおなかを壊すことはあったけれど)。その日の夕食にはアレパというトウモロコシのパン、ユカ芋を茹でたもの、プラタノ(バナナ)のフリータと塩漬け牛肉の焼いたものにサラダが添えられていた。

そしてよく見ると焼肉のそばに黒っぽい「たれ」が置かれていたので名前を尋ねると「クマチェ」と教えてくれた。地元の料理には欠かせないものだから焼肉につけて試してみたら?と勧められ、食べてみると結構これが辛いのだ。アレパやフリータに甘味があるので辛いものも悪くはない。が、口に中に何かつぶつぶが残る感覚があり、何かの実に違いないとソースを蛍光灯の下で見てみると、なんとそこには命果てた無数の蟻が・・・!!

以前、確かにどこかの国で蟻を食べると聞いたことはあった。けれど自分は大の苦手である虫だけはゼッタイに口にしないつもりだった。もはや悔やんでも仕方ないし、それは決してマズイものではなかったから、苦笑いを浮かべつつ『日本語でこれは「アリ・ソース」って言うんだよ』と話した。ガイド氏は嬉しそうに「アリ・ソース」の名を繰り返していたが、きっと次に訪れた日本人客にも「アリ・ソース」と言って喜ぶに違いないのだ。

こちらとしては「予防策」のつもりだったのだけれど・・・。

 

 

その3 -大自然の懐に抱かれて-

 

いつになく爽やかな朝だった。

毎晩のごとく夜空を見上げては満天の星を数え、一番明るい星カノープスが地平線に沈んでゆくのを見届け、それから眠りに就いた。そして朝を迎えるのが、この旅の日課となっていた。

 

昨日は国立公園内に点在するインディヘナの村々を訪ね、子供達と一緒になって川で遊んだ。皆、陽に焼けて真っ黒。元気いっぱいだ。川は良く澄んでいて、子供達の遊び場からだいぶ離れたところには、おたまじゃくしがここそこと無数にいる。そっと手で掬おうとすると、おたまじゃくしの方から手の中へ飛び込んできたのには驚いた。何という警戒心の無さだろう!嬉しくなって夢中で彼らと戯れた。

こんな自然とのふれあいは、もう忘れるほど久しく無かったと思う。なんだかとても清々しい思いが胸を駆け抜けて行った。

 

さて、ベネズエラの旅も後半にさしかかり、「グラン・サバンナ」滞在も3日目、すでにジープで相当の距離を走った。今日はチヴァトン村からイボリウ村へ向かい、そこからカヌーに乗って川を下り、滝見学の予定だ。ジープは連日の土埃で白っぽくなり、我々の荷物も同様だった。乾期でも通常はスコール(通り雨)くらい降るらしいが、今回に限っては今の時点まで幸か不幸か全く降ったためしが無かった。

 

一時間半ほど走ると、イボリウ村に到着。村の脇を豊かな川が流れている。川岸には二艘のカヌーが止まっていた。いや、よく見るとモーターが付いている。原始的な作りのカヌーにモーターは不釣合いだったが、走り出すとこれが妙に早く、うっそうとした木々の間を抜ける時などは、鳥がモーターの音に驚いて逃げ出してしまった。

グランサバナにある大滝

このちょっとしたアマゾン探検気分の川下りは三十分で終わり、そこからは歩いてチナック・メル滝へ。落差はおよそ百メートル、水は真下に向かって二本の筋がまっすぐに落ち、滝壷の手前で更に一段突き出た岩盤に当たって白い飛沫をもうもうと揚げている。先ほどカヌーで下ってきた滝上の川の穏やかな様子からは想像できない姿だ。以前、川を下り続けて船着場を通り越し、勢い余ってこの滝壷にカヌーごと落ちた観光客がいたそうだが、もちろん誰も助からなかったという話。

滝下へは険しい崖を降りると行きつくことができた。遠くには小さな滝が幾つか見え、これらの水が集まってひとつの流れを成し、やがては南米三大大河のひとつ・オリノコ川へと繋がるのだろうか。強い日差しを頭上に受けながら、しばしの間、滝を見続けていた。

 

夕方、宿に戻るとまもなくスコールが降り始めた。気温がぐっと下がり、水しか出ないシャワーが更に冷たく感じられる。部屋には暖房も無いので早々と食堂に向かった。そして温かい料理を食べ満足していると、宿の従業員が手品を披露してくれると言う。

なかなかの手つきの良さと芸の細かさにこちらが度々拍手を贈ると、興に乗っていよいよ手品にも熱がこもり、大まじめであの手この手と披露してくれた。こちらも思いつくままクイズを出すと、唸りながら懸命に答えを模索した。

気がつくと既に0時を回っており、食堂には我々以外に客は一人もおらず、彼らは仕事をほっぽり出したまま、皿の一枚も洗っていないではないか!

でも彼らはいたって満足げで、心配無用といった表情だった。これといった娯楽が無いであろうこの宿の人々にとってみれば、こうした客との間の小さなコミュニケーションが、案外大きな楽しみなのかもしれない。手品を見せる時の彼らの笑顔がいつまでも瞼に残った。雨はすっかり止み、再び星空となった。

 

翌日。カナイマに始まってずっと見続けてきたテプイとは今日でお別れ。国立公園のシンボル・ロライマ山を後に我々を乗せたジープは北上した。大平原を過ぎ、緑が段々と濃くなるにつれ気温も上昇し、光景もすっかりジャングルに変わった。

森からは「鐘つき鳥」の声が聞こえる。最初は雄、その後に雌が鳴く。初めて聞くその鳴き声はギーコギーコと金物を切るような音だったが、姿はとうとう最後まで見ることはなかった。

 

金の町El Dorado

目指すプエルト・オルダスまでの道中、「エル・ドラード」と書かれた看板が目にとまった。金鉱の村の名で、かつて豊富に掘り出された金やダイヤモンドによって世界にその名が知れ渡った所だ。

村では今も金の売買が行われており、店の数だけで大小ざっと五十件はありそうだ。どの店も無防備なくらい開けっぴろげで、店員はお喋りに花を咲かせている。金鉱は現在も掘られ続けていて、周辺の国々から出稼ぎにくる者があとを絶たないそうだが、現在採取できる金の量は僅かで、鉱夫が丸一日掘り続けても手のひらにビーズ大の金の塊が数個発見できるだけだった。かつての繁栄ぶりはどこにも見当たらないほど、村は寂れ殺伐としていた。

 

ジャングルの赤茶けた一本道を走ること数時間、やがてアスファルトの道が現れ、プエルト・オルダスに到着した。オリノコ河口に開けた港町で、石油やバナナなどの輸送に重要な役割をしている。目の前の整然としたビルの群れが、これまで過ごしてきた光景とのギャップを一段と大きくした。都会へ戻ってきたのだ、

ということを否応なく認識させられたと言うべきか。妙に淋しさを感じた。なぜだろう?知らず知らずのうちに大自然の懐に抱かれて心地よさを覚え、そこから今離れなければならないからなのだろうか。毎晩見上げた星空も、都会の夜ではもう見えない。最後にガイドのフランクリンと別れの挨拶を交わすと、「マタアイマショウ」と日本語で返ってきたのが憎らしいほど胸に響いたのだった。

 

 

その4 -旅の終わりに-

 

大自然グラン・サバンナの旅から首都カラカス戻ると、いよいよ今回の旅の締めくくりである最後の目的地・カリブ海の島ロス・ロケスが待っていた。数ある島々の中でもこのロス・ロケス島はマルガリータ島と並んでベネズエラでは人気があるが、外国人観光客にはまだ知名度が低いらしく、せっかくベネズエラにやって来てエンジェル・フォール見学はしても、ここには寄らない人が多いという。実にもったいない話と思った。

 

ところで、島へは早朝に出発する小さな飛行機に乗って1時間少々で到着できるのだが、当地の旅行社の予告どおり(ここがポイント!)、時間を大幅に遅れての出発となった。国内線で2時間半も待たされたのはさすがに初めて。もう怒りを通り越して呆れ果ててしまった。空港内は冷房の効き過ぎで冷蔵庫さながら、風邪を引く一歩手前だった。

 

お昼近くになってようやく島に到着。

Islas Los Roques

真っ白でさらさらの砂浜、どこまでも澱みない蒼い海、空にはカモメやペリカンが群れを成して飛び、えさの魚を求めて頻繁に海面に向かってダイビングする姿があった。

太陽は頭上で大きなスポットライトのごとく、この美しい景色のすべてを照らし出している。カメラを向けようにも眩しすぎて困ったほどだ。波の音が耳に心地よく響いてきた。

ロス・ロケスは幾つかの小さな島が寄せ集まっているため、空港のある島から水着などに着替えた後、カタマラン(双胴)船に乗って島を周遊し、所々で止まっては泳いだり、シュノーケリングを楽しんだりするのが一般的だ。国立公園に指定されているため、例えば島での喫煙・飲食は禁止、靴やサンダル着用で砂浜に降り立ってはいけないなどの規則があるが、カリブでも指折の美しさの海と砂浜を考えれば納得して従えるというものだろう。

ツアーの場合は、カタマラン船中で美味しい昼食やコーヒーが出るので食事の心配は無用だ。島では海と戯れ、裸足で砂を感じ、心からのんびり過ごすことが、最も大切で貴重なひとときなのだから。そう思って、とにかくひたすら船のデッキで、そして砂浜で寝そべって過ごした。今までの旅を振り返り、ああ楽しかったなあ・・・。しかし!カリブの日差しは想像以上の強さということを忘れていたのだった。

小1時間、水着で砂浜にいるだけでも相当の日焼けをしてしまい、これには後々まで痛い思いを引きずってしまった。以後、侮るべからず・・・。海面からすぐのところには小さな小さな魚の群れがいっぱいいて、数日前に川で見た無数のおたまじゃくしを思い出して、一人嬉しさに微笑んでしまった。本当にこの国は自然が溢れている!

 

Musica Venezulana en Vistarroyo

午後四時、飛行機は空港を飛び立ち、再びカラカスへ向かった。島での宿泊も可能だったが、夕日に光る波に見送られながら首都へと戻って行った。最終の夜にどうしても行ってみたい場所があったからだ。ベネズエラの伝統音楽を聞きながら郷土料理が食べられるレストラン「Vistarroyo」は、地元の人も好んで足を運ぶという店で、ようやく調べて探し当てた所だった。旧市街にあるその店は肉料理中心で、他にも珍しい料理をたくさん揃えていた。ステージのまん前を陣取って食事をしていると、まもなくベネズエラの典型的なアルパ(インディアン・ハープ)、四弦楽器のクワトロ、ギター、マラカスを従えたグループがやって来て伝統曲の数々を披露してくれた。

ずっと昔に聞いたホローポというリズムの曲が好きでリクエストをしたかったのだが、曲目が思い出せず残念ながら聞くことは叶わなかったが、明るくてちょっとメキシコ音楽に似たベネズエラ音楽を十分堪能したのだった。

そしてもう一つ特筆すべきは、曲の途中で一頭の馬にガウチョ?が乗って店内に入って来たことだ。馬はしっかりとリズムを刻みながら店内の長い通路を何度も往復し、居合わせた子供達は大喜びではしゃいだ。こちらも思いがけないイベントに驚きつつも、地元の人が「馬のレストラン」と呼んでいたことになるほど!と納得。旅の最後にガウチョ?に逢うとは、そろそろアルゼンチンが呼んでるのかな。

店を出ると、夜空はもうブエノスアイレスと同じ、星の見えない都会の姿をしていたのだった。(終わり)

 

先頭へ