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日輪山遍照光院曼陀羅寺曼陀羅寺


宗派 西山浄土宗
創立 正中元年(1324)〜元徳元年(1329)完成
開祖 天真乗運上人
本尊 阿弥陀三尊
 日輪山曼陀羅寺は、浄土宗西山派に属する寺院で、通称飛保の曼陀羅寺と呼ばれている。浄土宗の古刹で尾北における最も格式の高い霊場である。寺域1300坪、桧皮葺の正堂を中心に、庫裡、大書院、小書院、曼陀羅堂、地蔵堂鐘楼、宝蔵、続いて中門、南門(矢来門)が甍を連ねている。山内には更に塔頭の八か寺が現存しており、尾張徳川藩より、寺領231石余りを給知されていたなごりを留めている。

  開山天真乗運上人は、藤原師継の八男で、後醍醐天皇の御母の檀天門院の弟にあたり、徳望学識が高かった。後醍醐天皇は、深く帰依せられ、正中元年(1324)乗運を宮中に招き、浄地を僻地にもとめ、寺院を建立し、帝業の隆盛を祈り、戦死した勤王の士の冥福を修し、北条氏調伏を祈祷するよう詔勅を賜った。そこで藤原師継の所領である村久野庄に地を求め、正堂を紫宸殿に中門を建礼門に擬して多くの伽藍を創建し、元徳元年(1329)に竣工した。

  元弘3年(1333)北条氏は滅び、建武元年(1334)いわゆる建武の親政が成就した。しかし、ほどなく足利氏の反逆となり、当寺は後醍醐天皇勅願寺の故をもって、天真乗運上人は尾張国代によって拉致され、寺領は没収され、寺は荒廃し一時無住時代が続いた。永亨元年(1429)に至って乗運の法孫召運が第2世住職となるにおよび、ようやく寺運復興の気運がきざしてきた。この頃には、足利氏の権勢が全国的に及んでいたので、南朝系の縁故を忌み、寛正3年(1462)曼陀羅図出現感得を機として寺名を現在のように日輪山曼陀羅寺と改称し政治的転身がはかられた。以後、曼陀羅図は寺宝として伝えられている。

  明応元年(1492)曼陀羅寺は寺院炎上のため、勅願寺の綸旨が焼失し、着衣のことが断絶していた。天文10年(1541)第12世顕忠の代に、後奈良天皇より改めて勅願寺、紫衣着用の綸旨を受けその格式を得た。ついで戦国争乱の世に入ったが、歴代住職ならびに寺僧はよく信長、秀吉、家康など時の権力者との折衝よろしきを得て、寺院寺領を守り続けた。

  寛永9年(1632)阿波国守蜂須賀家政は、幼時本寺塔頭本誓院に学んだ縁によって正堂を再建寄進した。その後当寺は尾張代々の藩主の庇護のもとに、前飛保村231石の寺領を維持して明治に至った。維新以後寺領を失ったが、以後の住職らは大寺経営のよろしきを得て今日に至っている。

「江南市史 資料一 宗教編」より    

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