「劇症肝炎に近い数値です すぐ救急車を呼んで下さい」

2001年6月12日午後11時過ぎ 夕方診てもらって血液検査をした近所のクリニックから電話がかかってきた 

劇症肝炎・・・・数少ない私の病気に関する知識の中で 劇症肝炎とは”死”を意味する病気のひとつだった

横で聞いていた夫は 慌てふためいて知人の医者に連絡・・・
その診てもらったクリニックのお医者さんが慌ててどこの病院も紹介してくれなかったので
夫の友人のお医者さんから近畿大学医学部付属病院の救命救急センターに行くよう指示を受ける
                     
 ・・・救急車で到着・・

当の私は”大丈夫です”といいながら 病棟に歩いて入ったのだが 
看護婦さんが「3年ここにいますが救命に歩いて入ってきた人は あなたが初めて・・・・」と 驚かれる・・・
スンマセン・・・
しかし 診察が始まって採血の結果やCTスキャンの結果がでてくれば
お医者さまの顔色が変わっていくのが見える
とてもひどい状態であったようだ
いろいろ説明を受けながら 瞬く間に胸から点滴の針を刺され腕にも刺され心電図の装置はつけられ
血液中の酸素の濃度を測定する機械もつけられ 線だらけになっていく体・・・・
一口も水も飲んだらいかん 動いても あかん・・・ETC・・・

”死亡率ってどれくらいですか?”

処置を受けながらずっと気になっていたことを 尋ねてみた
その場の空気が凍ったことが余計に不安になる

「あなたはまだ意識がはっきりしているから ちゃんというね・・・
劇症肝炎になれば 総輸血や透析などありとあらゆる手をとっても5割の方が亡くなられます
あなたは劇症の一歩手前だからまだ大丈夫・・がんばろうね・・・」

その答えに”そっか・・・私死ぬかもしれないんだ・・・・”と妙に頭が冴えわたる



救命センターの中の集中治療室に入って夫と面会
夫も予断は許されない状態と説明を受けたらしく
彼がこんなに落ち込んだ姿は今までみたことないくらいだった

夫の手を握りながら
”私は今まで好きなことさせてもらったし 39年間で終わったとしても後悔はしないよ・・ありがとうね”
・・って伝えてみた

ふふふ
後から考えると よ〜っゆーた〜〜っ!!
でも マジに思えたのよね・・・
子供のためにもっと生きたいって思えたけど・・・・





でも奇蹟は起こった

翌日5900もあったGOTの数値が3000台に・・(正常値は50以下)
毎日下降線をたどって順調に下がっていく
お医者様も看護婦さんも「奇跡的!」って口々に・・・

点滴のほかに まぁこんなゼリー状のまずい薬がこの世の中にあるの?
・・ってくらいの飲み薬も”生きるため・・生きるため・・”と呪文を唱えながら飲んだ
でもね・・・水も飲むなと制限されている身・・・
生きるか死ぬかじゃなかったら飲めない薬でありました(苦笑)

そんなこんなで救命センターで10日間の入院を経て
あとは肝臓を休めさす安静入院でいいということになり普通の病院に転院して
ただ暇な・・・でも生きる幸せを実感できるときを過ごしたkakoでありました




結局A型B型C型のいずれのウィルスも発見されず
自己免疫の何か不都合と疲れがたまっての肝臓ストライキであったようです

交通事故などで一夜にして生きるか死ぬか・・というようなことがあるとは思っていたけれど
生きている上では何が起こるかわからない・・・

よく死を垣間見た人は人生観が変わるという
私の周りの人たちもちょっと期待したようだが・・・(笑)
私も”私”をみつめなおした結果・・・

やっぱり私は私であることが一番
やりたいことをやり しなくてはならないこともし
会いたい人に会いたい時に会う
一瞬先は誰にもわからない
やっぱり”今”を大事にしたいと思う

・・・死にかける前とまーったく変わらず そう思えたのでした





わかってはいたけれど 家族の存在はやっぱり偉大で・・・・
今回の入院によって家族の中の”妻”と"母”という目立たぬ存在であっても
私ひとりが欠けるとうまく回らなくなる
それでも生きていく上で何とか回さなくてはならない
そうなると妻と母の部分を夫が代わってやって行かねばいけない

夫は元々マメな人で背中のボタンがとれると「脱がなくていいで」と言って器用につけてくれるし
冷蔵庫の中の残り物で一品作る・・なんて結構上手だった
しかし 洗濯機や食洗機の回し方も知らないし
お弁当だって作れる? 仕事もある・・塾のお迎えは・・?その上私の面会・・
でも 彼はすべてをこなしてくれた

母に「こんないいだんなさんいないわよ」と諭される前に
”えぇだんなや・・”
・・・と感謝したのは言うまでもない
でも 「かこが戻ってこれればそれだけでいい」と言ってくれた言葉の上に
ドンとあぐらをかくつもりでもある・・・ふふふ





それから・・・
家族だけでなく 多くの友人の有難さも実感しました

HPを持って古くからの友人以外にこんなにkako個人を見てくれて理解してくれる人達と
めぐり合えることがあるんだなぁ・・とずっと感謝していたんだけど
今回このようなことがあって
遠くに離れていても 心のそばで励ましてくれる友人達には”ありがとう”の言葉では足りない
大きな大きな感謝の気持ちでいっぱいです

突然生きるか死ぬかということになってしまったので夫にTammyとぽっとには知らせてほしいと頼みました
彼女達なら後のことは私がこうしてほしいと言わなくても わかってくれると思ったのです
案の定彼女達は HPのこと 心配してくれてる友人への連絡・・etc
素早く動いてくれた上に お守りや安眠できるようにとサシェなど速達で送ってくれました

顔も知らないネット上の友達も 手紙をくれたり携帯にメールや電話をくれたり
お見舞いに来てくれたり・・・・
よそ様のHPのBBSでも気遣ってもらったり・・・
なんかね・・
こういう時の人の暖かさってジワ〜っとしみわたります
同じ急性肝炎で入院経験のある人からの励ましは より心強かったです
ラッキーの元のミサンガまで送ってくれました

本当に本当にありがとう・・・
生きて帰って来れてよかったです・・・・

またこれからも ”今”を大事にして生きていきたい
私は一人で生きているのではなく たくさんの”あなた”と共に生きていること
そして その喜びをかみしめながら・・・・

これからも
どうぞよろしくお願いいたします


2001・7月 kako