「告白」(L'aveu・監督コスタ=ガブラス、フランス映画)

 この「告白(L'aveu)」は実際にあったスランスキー事件を元にした、分類で言えばサスペンス映画に
なるのでしょうか。

 スランスキー事件とは、1951年にチェコ=スロバキアでチェコ共産党書記長のスランスキーを始めとする14人の
政府高官が突然チトー主義者、トロツキスト、アメリカ帝国主義の手先として逮捕され、公開裁判で裁かれ11名が死刑、
3名が終身刑になった事件です。これは後にスターリンの死後、フルシチョフによるスターリン批判を始めとして事件が見直され、
実はこの事件はスターリンが逮捕を指示し、裁判での自白はすべて22ヶ月間にも渡る監禁の中、強要されて行われたものと分かり、
後にその終身刑になり56年に名誉回復して釈放されたアルトゥール=ロンドンによってその経験の手記が書かれました。
その手記を元に社会派映画監督の筆頭、コスタ=ガブラスによって映画化されたのが、この映画です。

 この映画はコスタ=ガブラスの3部作の一つで、王政下のギリシャで起きた王室・政府による野党政治家ランブラスキ暗殺事件を
描いた「Z」、そしてウルグアイで起きたアメリカ人誘拐事件を描いた「戒厳令」に並ぶものです。その中でも「告白」は、
スターリニズム下の恐怖のメカニズムを極めてリアルに描いています。

 ソ連のスターリン独裁での強制された自白、というと、拷問を想像し、爪をはいだり、殴ったり、さまざまな拷問を思い浮かべがちですが、
この映画で描かれている中には、少なくとも私たちがイメージする「拷問」はあまり描かれていません。まず、この映画の元となった
アルトゥール=ロンドンをモデルにした主人公ジェラールが、自分が副大臣を勤める外務省の入り口のシーンが続き、ジェラールが出てきて
車に乗り込むシーンから始まります。車に乗り込もうとするジェラールは、見張っているのを隠そうともしない黒服の男たちが、
ジェラールを待ってたのが明らかに分かるように車に乗り込み、車を発進させると隠そうともせず車でつけていきます。
ジェラールは友人の家へと行きますが、そこにはジェラールと同じくスペイン内戦において義勇軍として戦った仲間たちがいます。
そして自分たちの状況が悪そうなこと、仲間の治安大臣すら、尾行している男たちが誰か知らず、スペイン内戦を戦った人間が
ターゲットにされていることなどを話し、解散します。

 次の日、いつものように外務省の仕事を終え、車で帰途につこうとしたジェラールの車に、いつものように尾行していた車が突如として
割り込み、停車したジェラールを捕まえ引きずり出すと、目隠しをして車に押し込みます。そして連れて行かれた薄暗い部屋で
目隠しが外され、黙々と所持品を調べられ所持品の調書をとられます。そしてそれが終わると、独房に入れられますが、
座ろうとするジェラールに、「歩け!(マーチェ)」と看守から命じられます。狭い独房の中を、ぐるぐると延々と歩けというのです。
止まると「歩け!」と命じられ、歩かせられます。暴力自体は一切加えられません。

 ただ、止まって横になって寝て、「歩け!」といわれても立たない場合は、バケツで水をかけられますが、基本的には従うのは、
「牢獄での態度は毎日党に報告する」と言われ、党への忠誠心から従います。そして「食事」は与えられますが、
食事を皿に入れられたのが置かれたかと思うと、だいたい30秒くらいで片付けられます。そして、睡眠をとるときは、
仰向けに寝ていなければならず、そして1時間に一回ほどの頻度でしょうか、深夜にドアほガンガンと叩かれ、
「立て!登録番号を言え!」と叫ばれます。それに大声で答えなければなりません。答えると「よし、寝ていい」となり、
そして一時間後、再び・・・と続きます。

 ですから、名目としては明確な拷問は行われません、ただ、「食事を与えた」、「暴力は振るってない、牢獄の中では
運動できないため歩かせている」「睡眠は与えている、逃亡防止のために本人確認している」という、名目だけ
守られて、実際は精神的肉体的にも拷問としてジェラールに与えられます。

 ちなみにジェラールの家にも家宅捜索が入りますが、ジェラールの妻は「捜査令状はあるの?」といって、拒否し、
捜査令状がとられるまでは家宅捜索がストップします。そういう意味では、形だけは手続法を守っていますが、
捜査令状が出るやいなや、深夜にもかかわらず家中がひっくり返されます。ジェラールとジェラールの妻は
ナチス時代フランスでレジスタンス運動をしていましたが、この捜査方法に「まるでナチね」とジェラールの妻ははき捨てます。

 そして尋問が始まりますが、ジェラールは「党」が間違った逮捕をするわけがない、党の上層部にかけあってくれと言いますが、
恫喝をされ「罪を告白しろ」と言われます。当然、何の思い当たるものがないので、「いったいなにを!?」と何度も叫びますが、
「ごまかすな!罪を告白しろ!」と何度も恫喝されます。そしてそういわれているシーンで、ジェラールは、
当時の心理を回想します。

「はじめは党への忠誠心から、自己を見つめ、どんな罪を犯したか理解しようとした。
党に損害を与えた過ちを認める気だった。長年受けた教育のせいで、党は過ちを犯さないと
信じていたのだ・・・。従順な態度を誇りに思い、党への信頼感を失いたくなかった」


 そして、党の命令で「スパイ容疑と反逆行為の容疑」で逮捕されたと言われ、「もっと高位の者も関わっており、ソ連邦と党に協力したまえ」、
と言われ、党員として、社会主義者として、「真相の究明をずっと党に求めてきた、質問には答える」と答えます。しかし、
始まった事情聴取の第一声は驚くものでした。「2月4日火曜日、私は・・・アメリカの諜報機関とはいつ接触した?」
「(アメリカのスパイとされた)フィルドと会ったきっかけは?」まったく身にも覚えがないので、当然ジェラールは「一度もない!だれとも!」
と叫びますが、「黙れ!真実を話せ!」と恫喝されます。

 そして、取調官の高位の人間の前に連れて行かれていきます。
「お前たちはみんな虫けらだ。ガス室で死ねばよかった」
「党員のくせによくいう」
「説教する気か!裏切り者め!」
「党の要のつもりか!お前たちは除名された!」
「ウソだ!それは規約違反だ!身分は保証されている」
「プチブル的な発想は通用しない!」
「緊急の場合中央委員会が決断する。お前の党員証だ。バレスや治安副大臣のザボツキ
のもある。お前たちはスペインとフランスで罪を犯した。」
「(あなたは)中央委員じゅない!」
「我々は中央委員に優る!中央委員会に潜む裏切り者を暴く。プロレタリアート思想の権化だ」
「お前の仲間は捕らえた。口を割る。連中を見習え。ザボツキはすべてを告白した。
治安賞の人間だから保身術は心得ている。」
「・・・ザボツキが・・・告白した・・・?・・・何をだ??」

 そして取調官たちかわるがわる途切れなく、さまざまな「疑惑」を問いかけられます。
それに対して最初は冷静に反論していきますが、「仲間」たちの「署名付き自白による自分の告発」
や不眠不休に近い取調べにより、どんどんと反論する知的能力、気力が削がれていきます。

「ー党も同志も私を見捨てた。犯罪者だと決め付けられた。ライク裁判と同じだ。
決して過ちを犯すはずのない党が、無実のものに罪を着せるのか。何を言えばいい?」

 これは社会主義者にとっては、特に「党」の無謬性を信じているスターリン下の人には衝撃でした。なぜなら、
「党」は間違ったことは言わないはずなのに、自分はスパイではないのにその「絶対間違わない党」がスパイだと言う。
そして最初はジェラールは「党が言うのだから、自分になんらかの問題があったのではないか」と自問自答しますが、
やがてたとたどしくも、「党」の言うことに論理的に反論し・・・そして、取調官の揚げ足取りや罵声、不眠不休に近い
取調べなどによって、屈服しかかりつつも、それでも耐えて無罪を主張します。

 ここで、「何故、共産主義者は絶対『党』は間違わない」と思っていたのか、ということですが、
それは一つはレーニン主義的少数精鋭の党内民主主義において、マルクス主義の弁証法での、「正」「反」という対立する概念が
あったとして、それが議論などの弁証法によって止揚され、「アウフヘーベン」として、「真理」に近いものが生まれる、ということから、
それら弁証法を尽くしたはずの頂点である「党」は「真理」に限りなく近いことを分かっているはずだ、という、思い込みがあります。

 そして、第二の理由としては、これは個人的な意見ですが、よく指摘されるものとして、スターリンの支配するソ連共産党と
コミンテルンによる支配は、中世カソリック教会秩序に似ていた、ということがあります。つまり、なぞらえるならば、
ソ連共産党がバチカンで、それは絶対的に正しく人々(各国共産党)を指導する立場で、かつ、そこでの共産主義においては、
その教会たるスターリンを頂点とするソ連共産党や各国共産党に対して忠実で絶対的信用を持つことが、正しく美徳である、
とされていたことがあるかと思います。ちなみにスターリンは少年時代、神学校の生徒でした。

 しかし、なかなか屈服しようとしないジェラールに、新しい取調官が担当につきます。
その取調官はナチスドイツ占領下のときには共産主義者や反ナチス主義者を弾圧していた警察署長でしたが、
戦後はその手腕を買われ、皮肉なことに共産党における反共産主義者の取調官になったという人です。その取調官は穏やかに、
ジェラールに対して接し、穏やかに、「まず客観的事実だけを調べよう。主観的なことはあとで取り調べるから」といって、
ジェラールが後に冤罪ですがアメリカのスパイとされたライクから、終戦後に結核の療養費として支援金を受け取っていたことなど
を聞き出していきます。ジェラールはあくまで結核の療養費で受け取っただけだと主張しますが、「客観的事実を最初に調べる、
主観的な事実はあとから調べる」と穏やかに諭されることで、徐々に「客観的事実」を認めていきます。不眠不休に近い取調べが
行われていることをジェラールが訴えても、「そうなのか。それは看守の判断だから仕方ないが」と、穏やかに受け取り、ジェラールは
じょじょに取調官の言う「客観的事実」、例えば「私は外交文章などを通じてイギリスの後にスパイとされた平和活動家と連絡をとっていた」
「私はスペイン内戦時代やフランスでのレジスタンス活動において後にトロツキストと分かった人間との交流があり、
結果的に外務省内でのトロツキスト集団のリーダーであった」など、じょじょに、取調官の描いている、もっていきたい「結論」へと、
「自白証言」を得てはジェラールに自分の自白証言であるとサインさせます。

 そしてジェラールはだんだんと取調官が、究極的に言えば「党」が望む結論、それに従うよう屈服し、「客観的事実」として取り調べられて、
その後どんどんと「スパイとしての自白」として内容が変わっていった内容を受け入れるようになり、その代わりジェラールの待遇は
好きなときにタバコを吸うことができたり、睡眠を十分にとったり、改善していき、「党の言うとおりに自白することが正しいのだ」という
ように、心理が変容していきます。そして、裁判の日が近づくと、ジェラールは裁判における「問答集」、つまりあらかじめ決まっている
裁判官からの質問内容とそれへの模範解答を、暗記して答えられるよう、取調官とともに練習するようにすらなります。

 いわば権威への屈服とも言えるのかもしれませんが、一番は、「この事件は党の根幹を揺るがすものであり、
ジェラールの協力が必要であり、党への忠誠のために党の言うことに従う事が正しい」「党の言うとおりに自白することが正しいのだ」
という心理の変化があり、いわば、「絶対的に正しい『党』が、告発した数々の容疑を共産主義者として『党』に忠実に裏づけ、
絶対的に正しい『真実』として裏付けることが、共産主義者の責務だ」との考えから、ジェラールは取調官、『党』の言うとおりに、
あらかじめ決まっている裁判での質問とそれへの答えを、黙々と暗記することになります。

 そして裁判の日が近づくと、医師団が各被告を回り、ビタミン剤やカルシウム注射などを行って健康的に見えるよう手当てをし、
裁判の日、まるで処刑場に行くような、もしくは絶望と諦めを感じさせるような、BGMとともに、被告人それぞれが、一人づつ、
独房からスーツ姿に着替え出てきます。それまではそれら被告人たちはお互いに会話する機会がありませんでしたが、
被告人たちはそれぞれがかつての仲間の「スパイ行為」を裏付ける証言を行い、お互いの後ろめたさから、会話はなく、
法廷へと向かうことになります。

 法廷のシーンは詳しくは割愛しますが、弁護人はつきますが、弁護人が裁判前に被告に言うことは、罪を認めれば罪状が
軽くなるかもしれない、否認すれば死刑だ、という、西側的な弁護人ではなく、あくまで「裁判劇」で、弁護人がついているという形だけの
パフォーマンスにすぎません。最初に検察官が「罪状」を読み上げますが、アメリカのスパイであることを告発し、いかにアメリカの
スパイの脅威が共産主義国を脅かしているか、それを訴える、「罪状」を読み上げるというより、「裁判劇」での政治的パフォーマンスをします。
また、被告人の名と身分を読み上げるのに、身分として「ユダヤ人」という言葉を多用しますが、これはソ連において、
ユダヤ人迫害が行われていたことがあったのを受けてのことです。

 前述の通り、裁判官はあらかじめ用意された質問を問い、被告はあらかじめ記憶させられた答えを答えます。法廷の横には
取調官の詰めている部屋があり、少しでも「台本」と異なる発言をしたら、マイクを切り、裁判を非公開にするように、見張っています。

 この「裁判」という政治ショーにおいては、見た目は弁護人がつき、法律で定められたとおりの適正な取調べがあったかという事が
確認されたりと、実際の取調官たちの脅迫を知らなければ、適正な裁判であるかのように進んでいきます。しかし、
あえて特筆しておくならば、地方委員会の書記であった被告人が証言を台本どおりする際、証言の途中に痩せてかベルトを
しめていなかったのか、ズボンがずりさがり、トランクスが丸見えになることで、法廷中が裁判官や検察官、取調官以外での
人間の笑いの渦が巻き起こり、その書記は笑いを抑えきれないまま、面白さ笑いながら、内容的にはスパイ行為を行ったという
重大な証言なのに答え、裁判の証言の信憑性が疑問視され、本心からの証言でないのではないかと人々に思わせてしまう
シーンがあります。

 その結果かどうかは分かりませんが、判決はジェラールら3人が終身刑なだけで、他は全員死刑、判決を受けて、
事前に聞いていた判決予想である懲役刑とは異なることで、被告たちは取調官をうつろな声で呼びますが、かわりに来るのは弁護人で、
死刑判決は形だけだが、控訴すれば死刑は確実なものとなる、控訴は絶対行うな、と、被告たちを説得し、結果として、
法廷に戻った被告たちは、「控訴するか?」との質問には「私は判決を受け入れ、控訴はしません」と答え、その後、
ジェラールら終身刑の3名と死刑判決を受けた11名は廊下で取調官に遮られ別れ別れになり、先述のズボンが脱げて
法廷の笑いを誘った書記が笑顔でジェラールらに手を振る姿に重なるように、死刑判決を受け死刑を執行された人々の
焼かれた死体の灰を雪道に巻く取調官の姿が重なり、ジェラールの長い回想シーンは終わります。

 結果として数年後、スターリンの死後のフルシチョフによるスターリン批判を受けて冤罪だったとして釈放されたジェラールは、
このスターリン主義における「粛清の地獄の論理」をフランスにおいて本としてまとめ、チェコの作家同盟から出版することで、
チェコ=スロバキアの人々にスターリン主義の恐怖の論理を訴え、真の社会主義を訴えようとします。
チェコ=スロバキアにおいてはスターリン主義者が追い出され、真の意味での社会主義と民主主義へ変革しようとする動きが起き、
ジェラールは「ついに社会主義は大衆のものとなったのだ」として、その運動に参加するために、あえてフランスでは出版せず、
チェコ=スロバキアに向かうことになります。

 しかし、ジェラールがチェコについたその翌日、ソ連軍がチェコに軍事侵攻、チェコ=スロバキアで行われようとした
真の意味での社会主義、民主主義への変革への動きがソ連軍によって武力で圧殺され、潰されていく姿を、ジェラールは目にします。
チェコの人々が抵抗し、最後のシーンで壁にペンキで書く文章は、スターリン死後でも、ソ連の完全な変質を現しているかもしれません、
「目覚めよレーニン、やつらはついに正気をうしなった」

 この映画の主題は、もちろんスターリン主義の恐怖の論理を描くことにありましたが、同時にそのスターリン主義に対して、
どうして共産主義者たちが、かつての中世の異端審問やゲシュタポの拷問のようなものを受けることによってではなく、
最終的には自主的に、「それが正しい事」と思って、「行ってもいない罪の自白」を行ったのか、という、当時の共産主義者の
心理が非常に興味深いです。それはいうならば前述のように中世カソリック教会秩序における、「敬虔な信者」のように、
例え間違っている内容だったとしても、「教会=『党』」が常に正しい存在である、と証明することの方が、重要であったという、
現代の私たちにはなかなか理解しにくい心理ですが、一種の「崇拝と屈従」の心情があったのは興味深いです。