島 唄 歌 詞 編

シュンジョシュブシ
〜 俊 良 主 節 〜


 明治維新の頃の名瀬金久村の与人"基俊良"。素封家(大きな官職や領地はないが、非常に大金持ち)として知られていた。
 その妻、"みの加那"は、新婚間もない頃、潮干狩りに行って深みにはまり溺死してしまった。新妻を亡くした俊良を慰めようとして、村人達がその頃良く唄われていた「ぎんどろ節」の曲に、「泣くな嘆くな伊津部ぬ俊良主---」という詩を作って唄った。その詩が広がり「ぎんどろ節」は、「俊良主節」といわれるようになり、俊良の名声をさらに高めることになった。
 明治23年に行われた第1回衆議院議員総選挙で、64歳の俊良が、新進気鋭の大島信を破り、大島地区から初の代議士に選ばれたのも、その「俊良主節」が貢献したのではないでしょうか。(25年の第2回総選挙は、大島信に破れる。)
 「この曲は、明治から大正にかけて最も広く歌われた曲であるが、初め『ぬぶしぬたかさ』とも『うくまた節』とも言った歌が、少しずつ変わり、『ふなぐら節』となり、明治になってから『ぎんどろ節』と変わり更に『俊良主節』となった(恵原義盛署・奄美の島唄)」ので、「俊良主節」は悲しいお悔やみの言葉ですが、元々は、美しい曲であり美しい歌詞も多い。
 龍郷町中勝では、「俊良主節」は、「唄の三献」の一つになっていて、唄の席では必ず詠われる詩になっております。


俊良主に関する唄

なくな なげくな
 いつぶぬ しゅんじょしゅ
なん とぅじぬ みのかなや
 ちもりありょてぃど
にぎゃうしゅやみしょし

泣くな嘆くな
 伊津部の俊良主
貴方の妻のみの加那は
 宿命だったので
苦潮を召し上がったのです

 嘆き悲しまれることは解りますが、伊津部(小金久と唄うこともある。)の俊良主よ、貴方の奥様<みの加那>は、定められた宿命だったので、塩水を飲まれたのでございましょう。それ以上泣くものではございません。もう悲しんではなりません。元気を出すことこそ<みの加那>も喜ぶことでしょう、との意。
 若い妻を亡くされた俊良主にお悔やみを申し上げ、元気付けようとする村人の気持ちが詠まれております。

なくな なげくな
 いつぶぬ しゅんじょしゅ
みのかな かわらぬ
 ば-かな やらしゃろが

泣くな嘆くな
 伊津部の俊良主
みの加那に変わらぬ
 ば-加那を嫁がせたもの 

 もう、泣く事はないでしょう。もうそれ以上嘆く必要はないでしょう。<みの加那>に劣らない美人の妹<ば-加那>を、また娶ったではないですか。との意。
 みの加那の郷里では、俊良主の嘆き悲しみの深さを知り、<みの加那>の妹<ばー加那>を嫁がせ、慰めているところです。

しゅんじょしゅがいなむん
 さんきんとげかたむてぃ
  わくしがいもりゅり
うちうちぬねせんきゃぬ
 わくしぬなまさてぃ
  しはらいむちさいばんがかり 

俊良主の倅は
 三斤唐鍬担いで
  仕事に行かれる
家内(家人)の若者が
 仕事はなまくらで
  支払い持ち出し裁判沙汰

 素封家・俊良主の倅は、畑に出て仕事をする必要はないだろうに、根切りや開墾などに使う大きな三斤唐鍬(とうげ)を担いで、仕事に出かけて行きます。というのは、俊良主の若い使用人が、仕事はなまくらで、しかも支払いに廻すべきお金を持ち出したが為に、裁判沙汰になっていて、仕事をしていないからなんです。
 どんな徳望家でも、それに甘んじていたら足下をすくわれてしまう、という教訓でしょう。

鴬ライン
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