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京都の空襲、原爆の投下目標だった京都
京都の空襲

 京都市内の主な空襲

 昭和20(1945)年1月16日  東山区馬町(東山空襲)
             3月19日  右京区春日
             4月16日  右京区太秦
             5月11日  上京区京都御所
             6月26日  上京区出水(西陣空襲)

西陣空襲時の爆弾の破片
 東山空襲と西陣空襲

 東山空襲 → 死者 41人  重軽傷 56人  家屋破壊 141戸
 
 昭和20(1945)年1月16日午後11時23分頃、京都市東山区馬町(渋谷通東大路)東入付近に突然、米軍機から爆弾が投下された。寒い冬の深夜で多くの人々は眠っていた上、京都市では初めての空襲体験だったので、人々は飛び起きたものの、とっさには、何が起こったのか分からず、戸外に出て破壊された家々と火の手を見て、ことの重大さに気が付いたと言う。

 西陣空襲 → 死者 50人  重傷  66人

 昭和20(1945)年6月26日の朝、空襲警報のサイレンとともに京都市上空に現れた一機のB29爆撃機から7発の爆弾が京都市上京区出水付近に落とされた。そのうち2発は、不発だった。これが京都市内であった最大の空襲だった。

  
 報道規制

 最初の空襲の後、厳しい報道規制が敷かれた。
 警察などによる公式発表では、「一般的に被害は軽微」というだけで、被爆地の様子については詳しく触れられなかった。新聞にも被爆地については、「京都市の一部」としか示されず、多くの市民は詳しい様子を知ることが出来なかった。
 「デマを飛ばすな」「流言は敵の謀略だ」「被爆地の写真撮影を禁ず」などのビラが張り出された。
 1月18日の京都新聞には、「一昨夜、B29一機が京都市に侵入、投弾」と報道はしていたが、被害については、「ごく軽微」とされていた。
 京都市の初めての空襲であり、夜更けで警戒警報も出ないまま、突然、爆撃されたので、警察などは人々が動揺することを怖れたための報道規制だと考えられる。

                           参考文献 「かくされた空爆」「日本の空襲」
                                  「昭和の戦争記録」

原爆の投下目標だった京都

 第二次世界大戦中の空襲において、アメリカは京都や奈良の爆撃を控えていた。それは、京都や奈良の古い文化財を守るためであった。このような話は、戦争体験のある年輩の方だけでなく、若い人の間でも広く「常識」として定着している。
 しかし、・・・・

 第一目標は、京都

 昭和20(1945)年5月10・11日、原子爆弾の投下予定の目標都市が選び出された。
@京都
 この目標は、人口100万を有する都市工業地域である。それは、日本のかつての首都であり、他の地域が破壊されて行くに連れて、多くの人々や産業が京都へ移転しつつある。心理的観点から言えば、京都は日本にとって知的中心地であり、京都住民は、この特殊装置のような兵器(原爆)の意義を正しく認識する可能性が比較的大きいという利点がある。
A広島
B横浜
C小倉

 文化財を守るために爆撃を控えるどころか、京都が原爆投下の第一目標に選ばれていたのである。

 原爆投下目標の選別基準

@直径3マイルを越える大きな都市地域にある重要目標であること。
 直径3マイル(4.8km)の円が描けるほどの市街地を持つ都市、という意味である。

A爆風によって効果的に破壊しうるものであること。
 原爆の爆発によって生じる爆風が、最大限効果を発揮できるような条件を持った都市、という意味である。

B来る8月までに攻撃されないままでありそうなものであること。
 8月投下の時点において、通常の爆撃によって、まだ破壊されていない都市、という意味である。


 理想的な投下目標は、
@100万人の人口を持つ大都市
A戦時下で罹災工業がこの都市に流れ込んでおり、軍事目標を持つ
B市街地の広さが、東西2.5マイル、南北4マイルであり、人口密集地が広い
C日本人にとって宗教的意義を持った重要都市であり、この破壊が日本人に最大の心理的ショックを与えることができ、その抗戦意欲を挫折させる
D三方を山に囲まれた盆地であり、爆風が最大の効果を発揮できる形
E知識人が多く、原爆の何たるかを認識した彼らが政府に早期降伏を働きかける期待ができる
F未だ爆撃による被害を被っていない

京都は、このような点で理想的な投下目標とされていたのである。

 
 京都、原爆投下の除外決定

 京都の投下除外決定は、政治的理由によるものであり、文化財保護説は、戦争終結後に原爆投下に対する非難への弁明の一環として生まれたものである。

 戦時下のうわさ

 戦時下の日本では、戦局に関する正確な情報が伝わらず、庶民の間では様々なうわさやデマが飛び交っていた。
 「京都は名所旧跡が多いから空襲がない」といううわさなど・・・。つまり、文化財が多いことが、アメリカの爆撃を控えさせているという安心感から、そのようなうわさが広まったのである。
 京都は、「文化都市だから、文化財が多いから、米軍は爆撃を控えているのだ」といううわさは、空襲が始まったかなり早い時期から、市民の間に流布していたもので、それが現在に至っている。

                    参考文献 吉田守男著 「京都に原爆を投下せよ」
                           黒木雄司著 「原爆投下は予告されていた」


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