会津鶴ヶ城 (福島県会津若松市)
― 遥かなる時を超えて輝く歴史 ―






 鶴ヶ城の歴史

会津鶴ヶ城は至徳元年(1384)葦名直盛が造った『東黒川館』が始まりと云われていて、後に会津領主の
葦名盛氏が改築し、現在の城郭の原型を築きました。当時の名前は『黒川城』でした。

文禄2年には蒲生氏郷が本格的な天守閣を築城し、名前も『鶴ヶ城』と改められました。この時に積まれた
石垣が400年以上経った今でも朽ちることなく、往時の姿を忍ばせています。

慶長16年(1611)に会津地方を大地震が襲い、石垣や天守閣は大きく傾いてしまいました。
その時に天守閣を改修し、西出丸・北出丸といった出丸を築き、ほぼ現在の姿の鶴ヶ城ができたのです。

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 戊辰戦争から明治維新、そして昭和へ

慶応4年(1868)、鳥羽・伏見の戦いを皮切りに戊辰戦争が勃発、やがて戦火は会津へと移りました。
ここで白虎隊の悲劇が生まれます。城下では激しい攻防戦が続けられましたが、鶴ヶ城がその戦火で
消えることはありませんでした。約1ヶ月に及ぶ篭城戦を耐え抜いた鶴ヶ城は、奥州一の名城として
その名を天下に知らしめたのです。しかし、その天下の名城も明治政府軍陸軍省の命により、明治7年に
取り壊されてしまいました。

その後、城跡は旧会津藩士・遠藤敬止らの尽力により陸軍省から払い下げされ、昭和9年に国から史跡
として指定を受けました。そして、市民らの強い要望もあって、昭和40年、昔の姿そのままに復元された
のです。復元にあたっては当時の構図や資料をもとに造られたので、より本格的なものとなっています。
材料や技術も昔ながらの伝統を受け継いでいます。比較的新しい時代まで城が残っていたということも
あるので、記憶や写真をたよりに造ったとしても、十二分に本格的な城となったと思います。

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 博物館

現在の鶴ヶ城内は郷土博物館となっています。1層から4層には多数の国指定重要文化財、県指定文化財、
市指定文化財など数百点の会津を代表する文化財が展示されています。また、最上階の展望台からは、
会津磐梯山、白虎隊自刃の地・飯盛山、新選組局長・近藤勇の墓がある天寧寺などを始め、会津の町を
一望することができます。

<鶴ヶ城内部>
5層  展望台
4層  松平容保公画・自刃白虎隊士画
3層  戊辰戦争関係資料
2層  武器・武具・甲冑・印籠 etc...
1層  会津の歴史

(※特別展などが開催されるため、時期によって展示内容は異なります)

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 干飯櫓・南走長屋

『干飯櫓』とは鶴ヶ城内にあった11の二重櫓の中で一番大きかった櫓で、食料庫であったと言われる建物
です。『南走長屋』は表門と干飯櫓を結ぶ建物で、武器庫であったと言われています。いずれとも重要な
建物でしたが、明治7年に天守閣と共に取り壊されてしまいました。

しかし、平成9年、復元工事を開始し、平成13年に見事復元され、同年4月に一般公開となりました。
干飯櫓・南走長屋も発掘調査や資料調査に基づいてその設計が行われ、工事には往時の工法や
技法を用いて本格的に復元されました。
  

天守閣からの眺め                      干飯櫓・南走長屋

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 呼び名

『黒川城』から始まり、『鶴ヶ城』と名を変えた会津のお城は現在、『若松城』とも『会津城』とも呼ばれて
います。市の名前が会津若松市なので、若松城と呼ばれることも多いです。それでもやはり一番多い
呼び名は鶴ヶ城です。ちなみに、この鶴ヶ城と対を成すように建っていたのが、猪苗代の亀ヶ城です。

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 天下の名城

鶴ヶ城は奥羽の要・鎮守の意味もあり、名立たる戦国大名や勇将が相次いで入部しました。葦名氏の祖、
佐原義連に始まり、独眼流で知られる伊達政宗、天下人と目せられた蒲生氏郷、関ヶ原で名を馳せた
上杉景勝、加藤嘉昭、そして名君の誉れ高い保科正之公です。

<会津歴代領主・藩主>
1189年→1589年  佐原氏・葦名氏
1589年→1590年  伊達氏
1590年→1598年  蒲生氏(92万石)
1598年→1601年  上杉氏(120万石)
1601年→1627年  蒲生氏(60万石)
1627年→1643年  加藤氏(40万石)
1643年→1868年  保科氏・松平氏(23万石)

このように名高い武人らが築いた広大な縄張りは、今もなお東日本屈指の規模を誇っています。

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