格闘家 home
男は、誰でも一生のうち、一回は地上最強を夢みる。
程度の差はあるけど、これは誰でも見る。
けれど、誰もがそれをどこかであきらめてゆく。
兄弟喧嘩に敗けたとき、ガキ大将に出逢ったとき、
父親の拳骨の痛さを知ったとき・・・。
99.999999・・・ぐらいの人達は、途中で他の夢にいってしまう。
けれど、ほんの一握り、何があっても、だれに出逢っても、大人になっても、
決してこの夢をあきらめない人達がいる。
バカバカしいけど。そんな夢見る男達がいる。
●プロレス
- プロレスラーは技を逃げちゃいけない。敵の攻撃は全て受けてみせる。たとえそれがどんなに危険な技でも受けきってみせる。プロレス道とは、理想のプロレスとは、プロレスラーの王道とは、肉体を・・・ 否。骨を断たせて、肉を斬る。それがプロレスだ。
- 格闘家は気楽なものだ。技を受けなくてもいい。相手の技を自由に防御していい。プロレスラーに言わせりゃ夢のようなナハシだ。そんな甘ったれたことは許されない。たとえ250キロの男がフライング・ボディプレスを仕掛けてきてもプロレスラーはよけない。相手の技は全て受けきる。格闘家には無理な芸当だろう。
- たったイッパツのヒジ打ちで簡単に倒れてしまう。なぜこうもプロレスラーと格闘家のタフネスに差があるのか。覚悟の量が違うのだ。相手がどんな殺人技を仕掛けてきても、瞬時に覚悟をキメる。そのダメージに負けないだけの量の覚悟をだ。その量を見誤ると天国行きだ。
- プロレスは甘くない。敗北ギリギリまで相手の攻撃を受けきり、紙一重で逆転。敗北寸前まで敵に攻めさせ、紙一重で逆転する。プロレスは甘くない。
- なにがあってもレスラーはケンカに負けてはいけない。プロレスラーはリングの外でこそ強くあらねばならないのだ。リングの外での敗北は許されない。プロレスラーを支えてゆくのは格闘(ケンカ)の強さだ。
●ボクシング
- 100年前・・・。ジョン・L・サリバンが世界ヘヴィ級チャンピオンのベルトを腰に巻いたその日から、プロボクシングのヘヴィウェイトこそが「世界最強の男」の代名詞だった。
- ヘヴィ級チャンピオンこそ、武器を持たぬ、もっとも恐るべき、生きた殺し屋(キラー)なのである。その両手が、くたびれはてて動かぬようになるまで、優に五十人は殺すことができるだろう。いや、百人近くかたづけることができるかもしれない。
- ボクシングのヘヴィ級チャンプていうのは。この地球上で一番強い男のことを言う。
- しかし、ボクシングは格闘技としてあまりにも不完全すぎる。グラブをハメる。蹴り技がない。組み技がない。投げ技がない。極め技がない。以上の理由で闘技者として不完全だ。
●相撲
- 相撲はマワシを捕るのも小指からだ。小指が命綱なのだ。力士は、横綱クラスなら小指で4分の1トンもある力士も転がせる。立ち技最強の格闘技は案外、大相撲なのかも知れない。
●古流柔術(合気道)
- 危害を加えようとする敵の力に対し、己の力を加えて敵に返す。敵の加える攻撃の力が強大であればあるほど、敵自身に返る力は強大になってしまう。完全な武だ。
- 打ち込む以前(まえ)に力量を理解(わか)らせる。歯向かう気概をなくさせてしまう。さればこそぶつからぬ。これも武だ。
- 何もしてこない相手には何もする必要はなく、したがって、そこには争いが生まれようもなく、勝ちもなければ、負けもない。理想の世界です。
- 真の武。真の護身。護身の完成が富士の頂きとするならば、その師にして麓を踏んだばかり。余程の才能をもってして、生涯を武に費やし、八合目までを踏めるかどうか。そもそも突かれたらこう躱(かわ)す。蹴られたらこう捌く。このような些末な技術にとらわれているようでは下の下。真の護身を身につけたなら、技は無用。真の護身が完成したのなら、危うきには出逢えぬ。己の危機に気付くまでもなく、危機(そこ)へ辿り着けぬのだ。
●中国拳法
- この世で一番強い格闘技?。グレイシー、K−1・・・いろいろある。ただ たった一つだけというのなら、やはり・・・中国拳法だ。ただである。中国拳法と申すものは、それはそれは膨大な学問である。その全てを修め、身につけるとなると、とてもとても・・・。
闘いたくて、しょうがない男達がいる。
闘うことでしか心の平静を得られない人種がいる。
闘争をすることなく日常生活を営める我々日本人の中にも、
ボクシング・ジムや空手道場に通い、
日夜、人を倒し仕留める技術を身につけようとする男達がいる。
これは冷静に考えると驚きである。
その中には生涯をその道に捧げる人達だっているのだ。
「リングの中にくらべたら、日常は余りにも退屈だ。」
この言葉は多くの格闘技者の思いを代弁しているように思えてならない。
●力の流れ
- 格闘技は、神に選ばれた者だけの領域である。天才と言えばワカリやすいか。力の流れが見える者。単純に小指を握るという動きの中にも、複雑な力の流れがある。闘いのランダムな力の流れの中で最も効果的な動きを身体が選択してくれるもの、そいつが神に選ばれし者だ。
●真の敗北
- 倒されることなど真の敗北ではない。真の敗北とは、心が折れることを言うのだ。心の折れる音さえ聞かぬなら、たとえチンギスハーンでも勝利を奪うことはできない。
●油断
- 行住坐臥(歩く・止まる・坐る・横になるの意。日常生活のこと)、闘いと言わねばならぬ格闘家があろうことか。武闘場に入ってから油断をするとは。不意をつかれたから倒されましたでは言い訳にはなるまい。
- 真剣勝負は一瞬の油断も許されない。「止め」の合図があったなどという言い訳は通用しない。
●不良の才能
- 不良でい続けるための才能。それは野性の世界とよく似る。眼の前のにいる相手の戦力を瞬時に見抜く才能、それは時として喧嘩の強さ以上に重要になり得る。
●タイマン
- タイマンってやつは技術(わざ)じゃない。タイマンは、性根でやるものだ。タイマンは度胸と根性。度胸と根性なんてカンタンなものだ。度胸と根性を出せばいいのだ。
●「盤面この一手」
- 将棋の言葉。死んでしまうのかも知れない。けれどこういう人生(プロセス)を歩んだ以上、勝算があろうがなかろうがこの局面ではこの一手を打つしかないんだ。取るに足らない人生だけど自分の人生はこうするしかない。
男子なら誰でも一生のうち一度は夢見る「地上最強の男」。
それがどんなに価値あることなのか。
必死で戦う選手達の姿をみて教えられはする。
でもワカってない。
勝手に傷ついてゆく選手ひとりひとりに、
親が、奥さんが、子供が、恋人が、友人がいるはず。
もしかたら一番深く傷つくのは選手じゃなくその人達かもしれない。
●脳内麻薬エンドルフィン
- 運動は長く続けるとこれ以上できぬという限界が必ずくる。脳がこれ以上運動を続けることは危険であるとサインを出すのだ。そのサインは苦痛となって現れる。通常、競技者はここで休憩を取るわけだが、しかし人体とはさらにその先がある。休憩を要求する苦痛(サイン)を送り続ける。これを無視してさらに運動を続ける。すると脳はオモシロイことを始める。苦痛を取り去ってしまう。苦しくなくなるなんてものではない。気持ちよくなってしまう。それはエンドルフィンという分泌物によってもたされる麻薬だ。最強の麻薬と言われるモルヒネの1000倍もの麻薬効果を持つエンドルフィンが脳から分泌されるのだ。これが登場した時の競技者は強い。死ぬまで動き続けられる。一流といわれる運動家(アスリート)、一流といわれる修行僧、彼らのほとんどはこの体験を経ている。( 肉体に生じる苦痛が限界を超えた時に分泌される。その高揚感は想像を絶し、全ての苦痛を取り去ると聞く。そして通常をはるかに超越(こえ)た能力を発揮する。)
●復元
- 肉体的苦痛があるレベルを超えたとき、苦痛はむしろ陶酔感と変化し、肉体は爆発的な負担を跳ね返す耐久力を宿す。人体にそのような能力(ちから)存在することを近年西洋医学にて証明されたと聞く。古代中国拳法で言うところの復元。我々の稽古は復元を日常化することを伝統とする。
●その一線を越える
- いかに厳しい鍛錬により生みだされた肉体があっても、こと格闘技に関しては不十分と言わざるを得ない。絶対不敗の境地に辿りつきたくば運動神経を超越える(こえる)しかない。人は死に直面した時、その生涯の全てを一瞬にして垣間見るという。死という非日常が生み出す一瞬の奇跡・・・。それは運動神経などという生やさしいものではない。しかしその非日常の集中力を日常化せずして真の闘技者(グラップラー)はあり得ない。この集中力でとらえるならボクサーの左ジャブもムエタイのキックも、欠伸(あくび)がでるほどノロマに見える。死に際の集中力。これを会得せよ。
地上最強を目指してなにが悪い。
人として生まれ、男として生まれたからには、
誰だって一度は地上最強を志す。
地上最強など一瞬たりとも夢みたことがない。
そんな男は一人としてこの世に存在しない。
それが心理だ。
ある者は生まれてすぐに、
ある者は父親のゲンコに、
ある者はガキ大将の腕力に、
ある者は世界チャンピオンの実力に屈して、
それぞれが最強の座をあきらめそれぞれの道を歩んだ。
医者、政治家、実業家、漫画家、小説家、
パイロット、教師、サラリーマン、
しかし、あきらめなかった者がいる。
偉大なバカヤロウ。
この地上で誰よりも、誰よりも最強を望んだ者。
そういう者がいる。
先頭へ
home