1. ブレッサンについて
ブレッサン(1663-1731)は17世紀から18世紀にかけて活躍した木管楽器製作家です。
この人はもともとフランス人でPierre
Jaillard Bressanという名前でした。フランスのおそらくパリで楽器製作を学んだ後、1688年にイギリスはロンドンに移住し、楽器製作家としての地位を確立しました。当時はまだトラヴェルソよりもリコーダーが盛んだった時期でもあり、ブレッサンの手による現存する楽器はトラヴェルソよりもリコーダーの方が数多くあります。また、オーボエ、バスーン等も製作しており、当時から評判は高かったようです。
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<<PuI BRESSANと紋章のロゴ>> P: Peter(もしくはPierre)
U: PとIの間に刻印されているこのマークは
馬蹄をかたどったものではないかといわれています。
I: Jaillard(JをIと書いています)
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この人が活躍した時代はバッハやヘンデルがまさに活躍をしているその時期と重なっており、またそれまでの音楽からギャラント様式といわれる新しい音楽シーンがそろそろ現れようとしている時期にあたっていると思います。同世代の楽器製作家としては同じくイギリスのステンズビー(父親,
Thomas Stanesby)、ドイツのデナー(Jacob
Denner)らがいます。
ブレッサンという名前はリコーダーをやっている人にとってはある種特別な存在ではないかと思います。というのも、著名なリコーダー奏者のCDのクレジットによく使用楽器としてブレッサンのリコーダーの複製が使われている旨書かれていることが多いからです。トラヴェルソではロッテンブルグが最も良く複製されていることで有名ですが、恐らくリコーダーではブレッサンが一番多く複製されているのではないでしょうか。全音のプラスチックのリコーダーでもブレッサン・モデルがあります。リコーダー好きなら、いつかは木製のブレッサン、と一度は憧れた経験があるのではないでしょうか。
リコーダーはソプラノ、アルトだけではなくテナー、バスも現存しています。また最低音がD’でトラヴェルソの曲が吹きやすくなっているリコーダー(ボイス・フルート)も結構残っています。楽器の設計等はフランスの影響が強い、とされています。
このようにリコーダーでは非常に有名なブレッサンですが、ことトラヴェルソに関してはあまり知られていません。というのも、当時トラヴェルソは18世紀に入りようやくフランスから各国に普及をし始めていた時期でした。当時の主なトラヴェルソ奏者はまだフランス人が多く、イギリスではリコーダーがまだまだ人気だったようです。
とはいえブレッサンはトラヴェルソも製作していました。現存しているのはほんの数本ですが、ほとんどはオトテールのトラヴェルソと同様3本つぎの楽器で、これらのピッチはA=400Hzぐらいのフレンチ・ピッチのようです。その中で唯一ブレッサンの4本つぎのトラヴェルソが私の使っている楽器の複製元となった楽器です。
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2.V&A Museum Bressan Traverso
この4本つぎの楽器はイギリスのVicroria
& Albert Museumに保存されているものです。4本つぎのトラヴェルソが製作され始めたのは大体1720年代からとされており、ブレッサンがなくなったのが1731年なので、オリジナルの楽器の製作年代は1720年〜1731年の間、ということになります。
同時期に製作されたJ.デナーやI.H.ロッテンブルグ等のトラヴェルソとともに、ブレッサンのトラヴェルソは後のG.A.ロッテンブルグやA.グレンザーの楽器とは異なって、曇りがあって落ち着いた音色のする「バロック期」のトラヴェルソの特徴を持っているといえるのではないでしょうか。
写真を見て頂くとわかるかもしれませんが、いわゆる普通のトラヴェルソとは違う、ちょっと独特な形をしています。

まず一番目立つのが、その直線的なスタイルです。トラヴェルソといえば普通ジョイント部分は少し膨らんでいて丸みを帯びたデザインになっています。それに対してこのトラヴェルソはジョイント部分もまっすぐのままです。
キーも通常は足部管の膨らんでいるところにつけられますが、18世紀後半の楽器によくあるように台座部分以外をカットしてキーが取り付けられています。こうした処理によって全体として直線を強調されたデザインになっていて、まるでルネサンス・フルートに先祖帰りしたかのようなデザインでもあります。

次に目立つのが銀の装飾です。ジョイント部分、頭部管、足部管のエンドキャップなどに幅広の銀のリングが使われています。私の持っている複製楽器にはないのですが、オリジナルの楽器では歌口や指穴のまわりをはじめとして銀を使ったきれいな装飾がほどこされています。
その他に外観上はあまり目立ちませんが、他の楽器と比べると良く分かる違いとして円錐形である中部管〜足部管の絞り方が、ロッテンブルグ等のモデルと比べて非常にゆるやかで、あまり絞ってありません。また、管の内径も太目(ワイドボアともいいます)です。
また、頭部管と左手中部管の接続部分も変わっています。通常中部管を頭部管に差し込むようになっているものですが、この楽器の場合は頭部管を中部管に差し込むような作りになっています。そのため中部管の替え管を用意するためには、その替え管に対しても銀のリングを取り付けなければなりません。ということはもともと替え管をつけることは想定していない楽器なのかもしれません。
これと同じような設計はステンズビー・ジュニアのトラヴェルソにもあてはまります。
このような独特なスタイルに一発でまいってしまって、以来ずっとこの楽器の複製を使っている次第です。(もちろんデザインだけでなく音そのものも気に入っているからですが。。)
楽器の材質は黒檀を使用しており、オリジナルのピッチはA=410Hzぐらいとされています。(私の複製はA=415Hzです)また頭部管のコルクにはスクリューがつけられていないので、よくあるようにコルクの調整は直接棒でコルクを動かします。このあたりはごく普通の作りです。
ところで、この楽器は現在博物館で音出しすることはもちろん、計測することもできないそうです。80年代に最後に計測した人の一人がトラヴェルソ製作家のロッド・キャメロン氏だそうで、V&A
ブレッサンは彼の製作する楽器の中でも代表的なモデルということです(製作家はそれぞれ代表的なモデル、自信のあるモデルというのを持っているみたいです)。
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3.インプレッション
ここで私の持っている複製の楽器のインプレッションを書いてみました。勝手な思い込みも入っていると思いますので、これからトラヴェルソを手に入れてみようか、とか既に他のトラヴェルソを持っている方ではあれば、こんな楽器もあるのかね、ぐらいの参考程度にご覧ください。
楽器を手にとって見ると、まずはじめにその重さに一瞬びっくりします。黒檀という材質を使っているせいもありますが、それ以上にジョイント部とエンドキャップに使われている銀の装飾もかなり影響しています。
また、木材も黒っぽい上に、全体的に少々ごついデザインという見た目からくる重いイメージも、実際以上に重さを感じさせている原因になっているかもしれません。
もちろん重いといってもせいぜい7〜800グラム程度のものでしかありませんので、演奏には全く差し支えありません。他の一般的なトラヴェルソから持ち替えたときにその差に気づく程度です。
取り上げた後に楽器を構えてみるとまた少し驚きます。というのも管の内径が太目なため、管の直径も太くなっており、頭部管から中部管、足部管が全体的に他のトラヴェルソと比較して太くなっているからです。
そのため歌口に唇をあてたり、楽器を左手で支えたりと、体に触れる部分の感触が他の楽器と少々異なります。(これももちろんすぐに慣れる程度のことでしかありませんが。。)
ずっしり感はあっても楽器を構えたときの重量のバランスが良いからか、演奏していて肩がこる、というようなことはないです。
音を実際に出してみると、見た目のごついイメージとは違ってとてもまろやかな音がでます。でも一方で密度のある太目の音でもあります。音質的には少し暗めで落ち着いた、シリアスな音、そんな感じでしょうか。そのためバロック時代の曲を吹くにはちょうど良い雰囲気を醸し出してくれるのではないかという気がします。
音の芯の部分はすこし弱いかもしれませんが、音がぼやけることはなく、全体的に暖かでホッとするような音色で私は大好きです。
歌口の穴は小さ目の真円に近い形をしていて、音の反応はいい方だと思います。指穴が他の楽器と比べて大き目ということもあるせいか、音量もわりと大き目です。
この楽器は普通のバロック期のトラヴェルソとは違って第三オクターブ目のF'''を出すのがとても楽です。また、最高音のA'''の演奏も容易で、最低音から最高音まで、ストレスなく音を出すことができます。第一オクターブ目は厚みのある低音、第二オクターブではまろやかな音色、第三オクターブではよく透る、それでいて耳障りにならない高音が出せます。
この特徴は私の持っているvon
Hueneワークショップのものだけでなく、キャメロンさんの楽器でも同様なので、恐らくブレッサンによるオリジナルの楽器のデザインが優れているのだと思います。
このように演奏に際して優れた特性を持っている楽器ではありますが、細かいニュアンスや音の強弱を使った表現を試みようとすると、それなりに音の支えが必要になり、そこそこ演奏する人の実力が問われます。その意味で音出しは容易とは言うものの、楽器の鳴らし方はきっちり教えてくれる楽器でもある、といえるのではないかと思います。
ところでV&A Museumのオリジナルのブレッサンは見た目の美しさと音の良さは絶品なのになぜかイントネーションがボロボロで、実際の演奏にはとても使えたものではないそうです。そのためその複製を製作する時は、ある程度オリジナルの楽器を計測した数値を使ったとしても、それを「まともに」使えるように現代の製作家が再設計をするそうです。プロの演奏家がこの楽器をあまり使わないのはこの辺りも原因があるのでしょうか。
私の楽器は最初F#がかなり低く、1_2_3_4_
_ _key、という正規の指使いできちんとした音程をとるのは困難でした(そのかわりに1_2_3_
_5_6_keyという替え指を使います)。
後で確認してみると、これはこの複製楽器の設計思想において、正規の指使いをして、楽器を外側にまわして音程をあげることでF#の音程をとるよりも、替え指(ちょっと音程が高めです)を使った上で音程を下げる方が楽、ということからvon
Hueneワークショップではそのようなセッティングにしてあったようです。
設計の思想を知らなかった頃、まだトラヴェルソを習いに行っている時にはずいぶん先生に音程の悪さを指摘をされました。もともとトラヴェルソのF#は低めなものですが、それを考慮しても低すぎました。(この時は替え指が標準の指使い、とは考えもしませんでした。)
発表会直前になってあまり気になるので、無理を言ってリコーダー&トラヴェルソ製作の中川隆さんに見て頂き、トーンホールを調整して頂き、音程もよくなりました。
この時は楽器設計についてvon
Huene側の思想がわからないので、どこまで調整していいか判断が難しい、ということで、緊急避難的にピンポイントでF#の音程だけを上げて頂きました。その時に自分でもできるよ、とホールの調整の仕方についても教えて頂きました。
この楽器は買ってから一度も設計・製作元のvon
Hueneワークショップに調整してもらっていませんでした。そこで最近になってこのワークショップに F#の音程をはじめとして楽器全体のバランス調整などもお願いしました。事前に電子メールで調整を希望する内容についてワークショップと打ち合わせをしてから楽器を送りました。
楽器が帰ってきてみてビックリ、こちらの希望どおり
F#の音程を調整して頂いただけでなく、全体の鳴り、音程がとても良くなっていました。もう大満足で、楽器を吹くのがいっそう楽しくなっています。
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4.楽器製作家
このブレッサンのトラヴェルソは、いろいろな点で私の趣味にぴったりくる楽器で、これからも大事に使っていきたいなと思っています。
ところで私の使っているのはvon
Hueneワークショップのものですが、その他にもこの楽器の複製を作っている製作家はいます。ご参考までにそのうち何人かを次にあげてみました。
- フォン・ヒューネ( 米国、von
Hueneワークショップ)
- ロッド・キャメロン(米国、Roderick
Cameron)
- ブライアン・アッカーマン(英国、Brian
Ackerman)
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5.音源
この楽器を使って録音されている例は残念ながらあまり多くないようです。一つだけ確認できているのが
「Antonio Vivaldi - Integrale des Sonates
pour Flute Traversiere」
演奏:
Jean-Christophe Frisch, XVIII-21 Musique des
Lumieres
レーベル:Accord(フランス),
241882
というCDです。
この中でFrischがキャメロン作のブレッサンを演奏しています。すこし雲った音色を堪能することができます。
この他ではイギリスの女流演奏家リサ・ベズノシュークがやはりキャメロンのブレッサンを使っているそうですが、CDについては未確認です。