六 郎 光 明 の 本 棚

ここでは私の本棚の中から、おおむね歴史関係以外の本をランダムに選んで、ご紹介してみようというものです。
大層なものではありませんが、見てやって下さい。


私は鳥が嫌いです。嫌いなんてものではなく、大嫌いです。
どうも幼児体験から来ているらしいのですが、写真を見るのも、イラストを見るのも嫌いです。
その私が、何が悲しゅうてこんな鳥がでかでかと、それもオールカラーで出ている本を買ったかといいますと、
トキにだけは特別の思い入れがあるからです。
かつて、本州最後のトキは、能登半島にいたのです。
たった1羽だけ残った能登のトキ、いいえ、本州のトキは昭和45(1970)年1月8日に捕獲されて、
佐渡のトキ保護センターに移されました。
私の誕生日に捕獲されたこのトキは、残念なことに翌年の3月13日に急死してしまいます。
当時子供だった私は、これらのニュースを妙に記憶しています。
時が経って大人になった私は、もし自分に子供ができたなら、なんとかしてトキのことを伝えたいと思いました。
その頃に出版されたのがこの本です。迷わず買いました。
一番上の娘が小学6年生になったとき、初めて本棚の奥にしまってあったこの本を渡して、読ませてみました。
娘もこの本を読んで感動し、感想文に書いて学校に出したところ、先生からこの本を読みたいと連絡があり、
お貸ししたこともありました。
今では中国のトキを借りての繁殖計画が順調に進行していて、嬉しい限りです。
かつて日本の大空を飛翔していた、この美しい鳥が見られるのはいつなのだろうかと心待ちにしています。

DATA:『ニュートンブックス トキ 黄昏に消えた飛翔の詩』山階芳麿・中西悟堂 監修 教育社刊 1983年


私はムーミンが大好きです。虫プロ制作以前の、カル○ス劇場の最初の頃から見ていますから、半端ではありません。
本屋さんで「おさびし山の歌」?の楽譜を見つけたときは、即、購入しました。
ですから原作を初めて読んだときに、アニメとのあまりのイメージの違いにとても面食らってしまいました。
原作者のヤンソンさんがアニメ版に怒りまくったという話もよくわかります。
最近は原作のキャラクターもあちこちで見かけるようになって、市民権を得たのだろうと他所ごとながら思っています。
ただ、私にとってはムーミンといえば、虫プロの前のキャラクターなのです。
思えば罪作りなことをしてくれたものですが、それはともかく、好きなことは大好きです。
自分がムーミンぐらいの年から、さて、ムーミンパパ程度の年齢になってみると、ムーミンパパと似たり寄ったりの
生活をしている私も、ムーミンパパ同様、自分の青春期を子供たちに語りたくなってしまいます。
父にも母にも子供時代や青春時代はあったわけで、家族の誰も見向きもしないものが、じつは当人にとって見れば
当時から大切にしてきた宝物だった、という話はどこにでもあるはずです。
病気になって気弱になったムーミンパパが、ママの勧めで「思い出の記」を書くところから、この物語は始まります。
私の場合は、娘たちが中3と中1になったとき、学生時代に家内と歩いた奈良の町に連れて行きました。
もうちょっと大きくなったら、京都にも連れて行ってみようかと思っています。

DATA:『ムーミンパパの思い出』トーベ・ヤンソン 作 小野寺百合子 訳 講談社文庫 1980年


これは私の尊敬する、高柳健次郎先生の自伝です。
内容は中学生以上向けで、それほど難しくはありません。
表題でもお分かりのように、世界で初めてブラウン管に画像を映し出すことに成功した話がメインです。
それまでは機械式受像装置が主流で、世界各地でその実験と改良が行われていました。
しかし高柳先生は、電子式にこそ未来があるとの信念から、大変なご苦労をされてこの快挙に成功しました。
時に大正15年12月25日。以後、数々の苦難を経て、ついに日本にもテレビが誕生したのです。
と言って、高柳先生は、ご自分では天才でも秀才でもないとおっしゃっておられます。
むしろ学校の成績も悪く、体質的にも虚弱な人間だったと書かれています。
それでも10年先20年先に求められるものを考えて、ひたむきに努力せよと繰り返し語っておられます。
それと研究成果はオープンにせよ、とも語られています。
さすがに第一人者の言葉で、謙虚なお人柄が偲ばれます。
かつて電気屋さんに勤めていた頃、社長の本棚にこの本があり、早速購入したものです。
個人的に思うのですが、今世紀最大の発明はこのテレビではないかと思うのです。
原爆などの兵器も歴史を変えましたし、コンピュータの発達も目を見張るものがありますけれど、
これほど世界中の人々に使われ、楽しまれているものはないのではないでしょうか。
それが天才でも秀才でもない、1人の日本人の発明によるものということで、私はひそかに誇りを持っています。

DATA:『テレビ事始』高柳健次郎 著 有斐閣 1986年


私は現代美術やアートと称されているものが、じつは大嫌いです。
もともと学生時代を奈良京都で過ごし、時間があると古美術を見て回っていました。
そこでの私の鑑賞方法は、鑑賞とは名ばかりの、徹底したにらめっこでした。
要するに作品と相対して勝つか負けるですが、さすがに国宝重文クラスとの勝負は、当然のことながら負けがこむばかり。
ところが、そういう眼で現代美術とにらめっこすると、勝手に相手が敗れていってしまうのを強烈に体験したのです。
…現代美術って、この程度なのか?と、不遜にも思いました。
以来、古美術作品を手に取り、じっくり観察する機会にも恵まれた私は、そのことをずっと考え続けてきました。
1つ思い当たったのは、現代美術には、作品を作り出す「技術」が決定的に不足しているということでした。
つまり、後世に残すほどの技術すなわち「わざ」が、ほとんど使われていないということです。
しかも作品を生み出すバックの思想性というか、哲学性がやたらと薄っぺらいらしいことにも気づきました。
そんなおこがましい考えの、私の前に立ちはだかったのが、岡本太郎です。
正確なデッサン力を持っているのにもかかわらず、それらを蹴飛ばして気迫あふれる衝撃的な作品を生み出し続けた彼は、まさに芸術家だと思いました。
自慰と自己満足にいそしむ、フィーリングだけの、現代の芸術家と称されている連中とは、根本的に違う、そう思ったのです。
もちろん、現代芸術や現代アートと呼ばれるものの中には、面白いなと思えるものも数多くあります。
しかし、私はもともと史学科出身ですから、芸術も美術の教科書ではなく、歴史の、それも五百年後、千年後の歴史の教科書に記載されるようなものが、本当の芸術と呼べるのではないか、とも思っています。
現代には、数人の芸術家と、「技」を持つ一握りの職人、そして年月という時間の洗礼を乗り越えられない、自己満足者が満ちているように感じられてなりません。
作品を創り出すことイコール生きることに、誰よりも真摯だった岡本太郎に匹敵するような芸術家は、これから本当に現れてくれるのだろうか。
…今回の意見は、きつ過ぎますか?

DATA:『芸術は爆発だ! 岡本太郎痛快語録』岡本敏子 著 小学館文庫 1999年