リアル!戦国時代 Vol.2

第2回 中世という時代 〜時代区分から その1

私個人の考えなのですが、中世と言う時代の話を進めていく上で、とりあえず時代の話を先にしておこうと思います。
戦国時代からかなりさかのぼった時代からの話なので、戦国時代の話をを期待された向きにはご勘弁ください。
それで時代の話なのですが、難しくいうと「時代区分論」ということになるのですけれど、私自身はあまり厳密に考えていません。

古代と中世の境は鎌倉時代と言われており、これは源頼朝の右大将任官または征夷大将軍任官のどちらかの時点から中世が始まり、以後何百年か続いたということになっています。
この場合は、右大将という実をとるか、征夷大将軍という名をとるかの違いなのだそうですが、そこまで厳密に考えなければならないのだろうかという気がします。
要は鎌倉における武士政権の成立から、今までの京都=朝廷の一元支配が京都・鎌倉の二元支配に移ったということに違いはないわけで、その時点をどっちにとるかという議論です。
乱暴に言うと、「どっちだからどうなんだ」という気がしないでもなく、むしろその後の影響の方が大切なような気がします。

土地制度からいうと、荘園制度に地頭=御家人という要素が加わったに過ぎず、そう大した違いはないのですが、政治制度は大きく変化する要素を持っていました。
それまでは天皇を頂点とする朝廷にせよ、上皇を頂点とする院政なりの制度ができあがっていましたが、この二つは基本的には京都に本拠を持つ政権で、両方とも「以前からの権威」というものを持っていました。
ところが、鎌倉の武家政権はいわば「新しい権威」であり、その意味で、以後も「新来の権威」が出てくる可能性が出てきたわけです。
当時の人々はそこまで考えていなかったと思いますが、実はこれは画期的なことで、朝廷が認めて初めてできたものとは言え、「前例」というものを作ってしまったことになります。

今でこそ「前例」があるから何なんだということも言えるのですが、何しろ「前例」がありとあらゆるところに関わってくる時代ですから、これはえらいことです。

極端な例えですが、律令制度というものは、法制度上は明治時代まで続いていまして、それまではずっと「前例」と「律令の法解釈」で世の中が成り立っていました。
ですから鎌倉時代以後、武士政権は豊臣政権を除いては全て幕府政権となってしまいました。
幕府を作らなければ、武士としての正式な全国政権とは認められなかったということです。
これが「前例」の力なのです。

政治的には「前例」という後世に多大な影響を残した鎌倉幕府ですが、もう一つ、後世にとてつもない影響を与えました。
京都以外の地方に、初めて「都市」というものができたことです。
それまでの地方の国府にせよ、国衙というものはそれほど大量の人間が集まるものではなく、当然物資の流入も限られていました。
ところが鎌倉はそうはいきません。東国中心とはいえ一応全国規模の政権の中心地ですから、とにかく人が集まります。
そうすると今まで京都にだけ向いていた商人も鎌倉を重視し始めて、それが相乗効果をもたらして、鎌倉はどんどん都市として発展し始めました。

今まで一ヶ所にだけ流通のポイントを絞ればよかったのが、二ヶ所になってどんどん流通も盛んになり、それに伴う利権が次々と生まれてきます。
当然目先の利く人々はこの新しい利権を確保しようと動き出し、田畠だけを一所懸命守る武士とは別の、流通や交通権を基盤にした連中が全国的に増加します。
よく中世の交通は関所によって妨げられたと言われますが、交通や流通が盛んになったからこそ通行料としての関銭を稼ぐ場すなわち関所というものができたのです。

このように鎌倉時代は、新しい政治都市を出現させ、同時に新しい経済の流れを作り出しました。
この動きは当然「文化」にも波及し、新しい武家好みの文化や宗教の出現・発展をもたらしていったのです。

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