リアル!戦国時代 Vol.30

中世のキーワード 「座」 シリーズ 第14回 中世の度量衡

前回、少しだけ度量衡について書きましたので、今回はちょっと本格的に書いてみようと思います。
ただ、戦国時代を含む中世は度量衡もかなり地域性が強く、ごくごく全般的なことに限定させていただきます。

度は長さのことで、尺貫法の尺に当ります。
「長さ」は建築に使用することもあって、これについてはそれほどの違いは見られません。
基本的には古代からの曲尺(かねざし)というものがあり、これは建築用の直角型ものさしでした。
この曲尺1尺=30.3cmで、多くはこれが使用されています。
ただ呉服用として鯨尺(くじらざし)というものもあり、こちらは曲尺よりも少々長いものになっています。
鯨尺1尺=曲尺1尺2寸5分=37.9cm です。

もともと住宅の長さを表わしていた1間は、鎌倉〜室町中期では7尺(212.1cm)程度、室町後期以後は6尺5寸(196.95cm)になりました。
この6尺5寸四方がいわゆる「京間1間」で、6尺(181.8cm)四方の「田舎間」と2種類あったのです。
この「田舎間」が、のちの「江戸間」になったのですが、地方によっては中世前期の名残で、江戸時代に入っても7尺1間という場所もあるそうです。

長さの延長としての面積では、単位の他に別な呼称がありました。

1間四方=1歩として、120歩=小 180歩=半 240歩=大 と呼ばれ、360歩で1段とされました。
ただ太閤検地で曲尺の6尺3寸(190.89cm)を1間としたため、それ以前とは違いが生じてしまいました。
1間四方=1歩の呼称は変わらないのですが、1間そのものの長さが違ってきたわけです。
また、太閤検地では単位も細分化され、30歩=1畝(せ)とし、これを10倍した300歩=10畝=1段となりました。
しかしこれは煩瑣なためか、慶長期以後、再び1間=6尺に戻しています。

次に量です。
これは容積を表わし、よほどのものでない限り、米枡を基準にしていました。
ただ、米の量は注意が必要で、籾10石を脱穀精米すると半減して白米5石となってしまいます。
ですから現在私たちが食べている白米を基準にして考えると、そこに倍の違いが生じてしまうことになります。
ちなみに精米率は90%と言われ、このパーセンテージは古代〜現代までほとんど変わっていません。

量の単位は、原則として10合=1升 10升=1斗 10斗=1石です。
これもしかし、これとは別に、運送保管のための俵があり、4斗=1俵=約60kgで、1斗=約15kgありました。
よく聞く「京枡」は、曲尺で内法4寸9分(約14.8cm)四方、深さ2寸7分(約8.2cm)でした。
これに「すり切り」で京枡1升としたわけです。

前項で出てきた武田氏の甲州枡は、京枡3升分に相当し、武田氏では甲州枡1升を「一配」と称して1人1日分の賄い料としました。
米3升が1日分と考えると、とてつもなく多いように思えますが、これを脱穀精米すると半分の1升5合になり、1日3食とすると1食分は白米5合になります。
そのうち余った分の米を換金または物々交換をしたりして、副食物また他のものに変えるわけですから、現代から見てもそれほど多いとは思えません。

最後の衡は重さに当ります。
これは銅銭の重さが基準になっており、唐の開元通宝がのちの宋銭や元銭、明銭の手本となっていました。
1文銅銭=1匁(3.75g) 約1000文=1貫(約3.75kg前後)となります。
ただし、1000文未満であっても1貫と数える中国の慣習も同時に入ってきており、この数字は若干前後します。

銅銭について言えば、1枚1ミリ以下〜0.7ミリ前後の薄さで、これに真ん中の穴に紐を通して1000枚繋げると、約80〜70cmほどの長さになります。
また、銅銭100文で「1さし」と呼ぶ慣習もありました。この「さし」は糸偏に民とその下に日という漢字を組み合わせた字です。
これについても、100文未満であっても「1さし」と呼ぶ中国の慣習が広まっていました。
なお解説書などで、銅銭100文=1貫と書かれてあるものがありますが、これは貫と「さし」を混同したものではないかと思っています。

画像は現在の5円玉をつなげたもので、たまたま友人が集めていたので撮影したものです。
5円玉は1ミリの厚みがあり、この画像では400枚つないであります。
右端の折っている部分は、銅銭との厚みの違いを勘案して、「1さし」程度の長さにしてみました。
全体の重さもかなりあり、銅銭に通した紐はかなり頑丈な紐でないと、すぐに千切れてしまったと思われます。

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